砂漠に吹き荒れる風に衣服を揺らした少女は歩き
0120
少女は旅人だからと歩き続ける……
砂漠の世界。地面を覆っているのは黄土色の砂であり、それ以外にはなにも見えない。風が吹けば砂は巻き起こり、砂の嵐が視界を覆う。そうなると、あとはこの世界を迷い歩くだけ。
今日は幸運にも天気は良く、遥か遠くの地平線さえ見るコトができる。太陽は容赦のない日の光で地面を照らし、世界を熱していた。
その世界に、一人の少女がいた。姿は長い衣服に隠され、どのような肌の色か、どのような髪の色か、見るコトはできない。顔は黄土色の布が巻かれて、ただ視界のための隙間があるだけだった。布の端が、風に弄ばれる。ただ唯一、背は決して高くはないとわかるぐらいか。
少女は、その死の世界を歩いているだけだった。服に隠された裸足で、とても熱いハズなのに文句の一つも言わず、ただ一人で黙々と。足跡は一人分。引きずられる衣服が、足跡を薄める。
どうして歩くのか。と、太陽が尋ねた。この世界は歩くだけ無駄な世界だ、それは聡明なお前は知ってるだろう。とも。
少女は立ち止まらず、太陽の方さえも向かずに、熱い砂に足跡を作り、風に服をなびかせて言った。とても静かで、とても澄んでいて、とても綺麗な、とても少女らしい声だった。その声を聞く人がいないのが、なんと残念なコトか。歌えば、誰れもが魅了されるだろうに。
「私は旅人だもの」
少女は足元の砂を蹴り上げた。舞い上がる細やかな砂は空を覆い、ヴェールのような影を作る。そんな影は、すぐに穏やかな風に攫われた。
「旅人に歩くなというのが、とてもとてもヒドいコト」
少女が立ち止まり、やっと太陽の方を向く。けれども顔は見えず、目の辺りに隙間があるだけ。その瞳の色は、まるで海のように蒼かった。この世界に存在しない、海のように。
言葉に対して、そうか、とたったそれだけを残して、太陽は地平線のへとその姿を沈め始める。それは、この世界が夜になり始めたコトを意味していた。昼とは真反対の、冷たい世界。
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夕暮れの砂漠。あれほど厳しい日の光で砂を熱していた太陽も真っ赤で、けれども目に優しいほど。徐々に気温の下がる真っ赤な世界を、少女は歩いた。ただ黙々と、長い長い影を地面に作りながら。太陽に背を向けて、真っ赤な砂の山を歩き、登る。何度か転げそうになりながら、慎重に、慎重に。
山の斜面は少女を登らせまいと、表面の砂を滑らせた。細い両足を絡め取るように、少女の歩みを邪魔するかのように。砂山の斜面から、転げ落とそうと。少女はついに脚を取られ、その場で倒れてしまう。そのまま斜面をゴロゴロ転げて落ちた。全身を濃い黄土色に染め、顔を隠していた布がほどかれ、その顔が、その髪が、露出する。
土にまみれた顔を振り、少女が顔を上げた。髪の色は、砂漠には決して似つかわない金の色。まるで人形のように整っているその顔は、不満そうに膨れていた。蒼い瞳で、目の前の砂山を睨む。
「どうして私の邪魔をするのか」
立ち上がり、腰に手を当てる。顔に巻かれていた布は強い風に吹かれて、どこかへと飛んで行った。少女は、追いかけさえもしない。
「私はただ歩きたいだけだってのに……邪魔をしないで欲しいモノ」
その少女の言葉に、砂山は笑って答えた。決して邪魔はしていないと。登るのならば別に構わないと。少女は、また砂の山を登り始めた。身を屈めて、脚に力をいれ。一歩、一歩、慎重に。今度は砂の山も少女を転げ落とそうとはしなかった。足跡が作られても、少女の足がもつれても。今回は黙して言わず、ただ少女の姿を見ているだけだった。
少女は砂の山を登り切る。見上げると、青と赤が混ざりあっていた。その逆側を見ると、星が一つ、二つ。夜の気配が、迫ってきている。それでも少女は、急がずに歩き続ける。長い、長い、腰より下、太ももほども届く金の髪を、砂漠を吹き抜ける砂混じりの風に流しながら。立っている砂の山の頂点から、次の砂の山の方へと。
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夜の砂漠に光源は、細くて折れそうなぐらいのお月さまと、満天の星だけ。昼には容赦のない熱気はなく、むしろ涼しいほど。寒いほど。十分に着込んでないと、凍えるほど。
それも構わず、少女は歩く。徐々に冷たくなる砂の感触を素足の裏に感じつつ、一歩、また一歩と。どこに向かっているのか、どこに行きたかったか。どうやっていきたかったか。考えもせず、ただ無心に、黙々と、粛々と。疲れはしない。不思議と、どれだけ歩いても疲れない。
地平線も見えるぐらい、ヒドく水平な場所だった。山も見えなければ、影を作るモノは一つもない。ただ、一人分の足跡だけが長く続いていた。真っ直ぐに、細長く。
ご苦労なコトだ、細い細いお月さまが言った。無駄と知っていながら、お前は諦めないと。そこで足を止めれば、楽になるというのに。歩くよりも座った方が、ずっとずっと楽だってのに。
「歩けないコトは、悲しいコト」
少女は細いお月さまを見上げ、答える。
「私が歩こうとしてるのだから、その言葉は届かない」
お月さまが笑う。声には出さず、ホントに静かに。まるで、声に出さないように。歩いてどこに行こうか、お前は考えていない。だったら座って、考えた方が良くないか、と。
その言葉に、今までずっと歩いてきた少女は立ち止まる。
「そうね」
長い衣服をつめたい砂の上いっぱいに広げて、少女はその場に座り込み。
「じゃあ、考えるコトにする」
細い細いお月さまを見上げ、睨みつけ。
「だから、もう話しかけないで欲しいモノ」
プイッ、とそっぽを向いてしまう。お月さまは声もなく笑って、それ以上はなにも言わなかった。もしくは、最初からなにも言っていなかったのかもしれないけれど。
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少女は夜中、夜が明けるまで、明けて太陽が顔を出しても。その太陽が頭の上にきても。太陽が沈み始めて、世界を赤く染めても。太陽が沈み込み、お星さまが、お月さまが微笑んでも。太陽が登っても、沈んでも。登って、沈んで。その間中、ずっと、ずっと、少女は座り続けた。
頭の上に太陽がある時は、暑いなぁ、なんて考えながらも汗さえかかず。お月さまに見られている時は、逆に見返して少しのおしゃべりを交わしながら、少女は座り続ける。
何日、何週間、何ヶ月が経ったのだろう。人形のような少女は、まだお人形のように座っている。あの日、いつしか座り込んで、考え始めたその日から。答えを出すコトができないまま。
ある日に、そんな少女に近づく一人の姿があった。真っ白いヒゲの、全身を長い衣服で隠した老人。真っ直ぐに座り込んで、膝の下ぐらいまで砂に隠れた少女を見下げる。
「なにを見ているのか」
最初に声を出したのは、少女だった。老人を見上げ、不満げで、けれども綺麗な声で。長い髭の老人は、優しげに笑って答えた。
「誰もいないじゃないか」
少女を見下げているってのに。
「私には、なにも見えないな」
たったそれだけを言って、老人は踵を返した。まるで、ホントにそこには誰もいないかのように。確かに座っている少女が、ホントに見えていないかのように。微笑んでくれたってのに。
「ねぇ」
少女が、太陽を見上げる。太陽の声は、もう聞こえない。当たり前だ。太陽は話さない。
「聞いてるの?」
少女は、次に砂山へと声をかけようとする。だけれど、それも無駄なコト。なんせ、少女が座っているのは地平線さえも見えそうなぐらいに水平な場所。砂山なんて、見えない。
少女の声は、次第に強くなってきた風に掻き消される。風は強く巻き起こりはじめ、視界を覆う。巻き起こる砂が目の中に入らないようにまぶたを閉じて、少女はずっと、ずうっと考え込む。
私はどこに行きたいのか。私はどうすれば良いのか。私はホントに歩きたいのか。あの日、お月さまが言ったようにこのままずっと座った方が楽じゃあないのか。楽をしたいのか。
少女の耳には、ついに風の音しか聞こえやしない。強い風は砂を運び、容赦もなく少女の身体を叩く。
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視界はサイアク。目前にあるハズの、自分の手の平さえも見えない。目を開けば、砂が飛び込む。座り込んでいる膝の辺りまで細やかな砂にうもれ、けれども少女は抜け出そうとも思わない。砂が鬱陶しくないわけじゃあない。だけれど、少女は動かない。動きたくないワケでもないけれど。
目をつむって、風の音だけを聞いて。考えるコトは、自分がここまで歩いてきた理由。私が旅をしはじめたその原因。砂漠にさまようその因果。太陽と、砂山と、月と、老人と話したその内容。その声は全て消えてしまった、この現状。ジッと座り込んで、目を閉じて。まるで眠るように、まるで人形のように。
どれだけ座っていても、お腹は空かない。眠ってもいない。ずっとこうして、座っている。
「答えはみつかったか?」
声が聞こえた。それは、全身を強く打っている風の声か。もしかすると、気のせいかもしれない。だけれど、少女は嬉しく思った。久し振りの、確かな声なんだから。
「元から、見つからないモノ」
喋るために口を開くと、すぐに砂が口の中に入ってジャリジャリと、鬱陶しく。唾液は砂が混じり、金の髪は、長い衣服は、砂まみれ。服の中も、おんなじように砂まみれ。
「見つけようとは、思っていない」
声が、ホントにすぐ近くで聞こえた。気がした。まるで、私の言葉のように。私が言って、私が答えているかのように。強い風の中での、自問自答。無意味だって、知っている。どうせ、全て拒否、拒絶、否定するだけなんだから。話すだけ、時間の無駄って言うモノ。
だけれど。
「貴方には見つけることができるモノなの?」
その声を聞きたいから、もうずっと離れて貰いたくないから、尋ねかける。尋ねれば、答えてくれると思ったから。ずっとずっと、その声を聞きたかったから。だってのに。
答えは、返ってこなかった。当たり前かもしれない。その声は確かに私だったのだから。自問自答だなんて、声に出してするモノではないんだもの。ただ、自分の中で、誰にもなにも言わず。
口の中に、唾液にも、砂が混じる。ジャリジャリと気持ち悪くて、ホントにすごくイヤな感じ。少女の身体の半分ほども、砂にうもれた。綺麗だった金の髪も、今や砂にまみれて、薄汚れて。
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気付けば、目も見えない。風も吹かない。なにも感じない。なにも感じない。閉じたまぶたも、開けるつもりにはなれなかった。結んだ口も、開ければ砂がなだれ込んでくるのだから。ここがどこなのか、見えないし、聞こえないけれど、だからこそわかっている。砂の中だ。それは、間違いもない。
自問自答をしていて、どれぐらいの時が経ったのだろうか。その間はずっと眠っていたかも知れない。起きていたけれど、なにもしなかったかも知れない。記憶でさえも曖昧になる。ホントに私がいるのかさえも曖昧になる。ここは砂の中。本当の意味でなにもない、うずたかく積もり積もった砂山の中。
そんな中で、声が聞こえた。私の声か、そう思った。だけれどもそれは、確かに私以外の声だった。
「――――?」
口を開けることができない。開けようとすると、すぐに口の中に砂が入り込んで、イッパイにしてしまうから。吐き出すこともできない。飲み込むこともできない。まるで、私の身体の中は全て砂になってしまったかのように。
両手は動かない。感覚もしない。砂みたいに、なにも感じない。まるで、私は砂みたい。考える砂か。それとも、こうして考えることさえもおかしいことなのか。
砂なんだもの。砂はものを考えないし、なにもできない。ただそこに堆積して、流れるだけ。
また、声が聞こえた。確かに聞こえた、私以外の声。どこから? 誰から?
タスケテ、そう聞こえた。この声は、砂の中から。
目を開ける。すぐに砂が押し寄せて、眼球を押しつぶした。なにも見えない。耳の中も、砂だらけ。だけれども確かに聞こえる、タスケテという言葉。これは、砂がそう言ってるの?
助けたいけれど、助けることができない。私もタスケテ欲しい。タスケテ欲しい。タスケテ、タスケテ。
砂は、幾人の少女を飲み込んでいるのやら。
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