4:シュタルク家の人々
エミーリアがシュタルク家の屋敷に戻る。帰るのはいつも夕方で、今日も屋敷に着いたときには空が真っ赤に染まってた。
エミーリアがいつものように屋敷に入ると、いつもとは違って侯爵家に嫁いだ姉に出迎えられた。
「おかえりなさい、エミーリア」
「お姉様!」
白銀の髪に翠色の瞳。微笑む姿は何歳になっても変わらず芸術品のようにうつくしい。姉のコリンナは結婚するまでは幾人もの男性に求婚を申し込まれていたという。
「いらっしゃっていたんですね! ……もしかしてまたお義兄様と何かありました?」
義兄とはグレーデン侯爵のことだ。たくさんの求婚者を押しのけコリンナと結婚したのは研究が大好きで変わり者として有名な人だったのだから、当時のエミーリアもけっこう驚いた。
しかもお見合いからの恋愛結婚なのだ。とはいえ義兄はよく姉を怒らせているらしく、コリンナが実家であるシュタルク公爵家にやってくることもしばしばある。
今回もそうだろうかと思ったら、コリンナはくすくすと笑った。
「あらやだ。そんなに頻繁に喧嘩なんてしていないわよ。今日は一緒にいるわ。お兄様が領地からいらしてるんでしょう? 皆で食事しましょうって、お母様が」
「そういえばそんなことをおっしゃっていたような……?」
少し前にそんなことを言っていた気もするが、結婚式の準備やレオノーラのことで頭がいっぱいになって日付をすっかり忘れていた。
兄のルドルフが領地から王都の屋敷へ帰ってきたのはつい先日のことだ。ここ数年、この屋敷は両親とエミーリアだけが暮らしていたので、兄と姉夫婦がいると随分賑やかになる。
「少し痩せたかしら? 大丈夫?」
「いえ、痩せてはいないはずですけど……」
体型をきちんと維持しておかなければ、せっかく長い時間をかけて準備している結婚式のドレスが着られなくなってしまうので気をつけている。太るのは当然、痩せることもないようにハンナやテレーゼも普段からしっかりと目を光らせていた。
コリンナは確かめるようにエミーリアの頬に触れる。心配性な姉はこうしないと納得しないから、エミーリアは苦笑いで受け入れた。
「そうかしら。無理はしてない? 式の準備で忙しいんでしょう?」
「それなりに忙しいですけど、無理はしていませんよ。お姉様は心配しすぎです」
忙しくないとはさすがに口が裂けても言えないが、ここで身体を壊してしまうような無理はしていない。
(お姉様は昔から心配性だったものね……)
父は厳しく、母は穏やかで、兄はその間をとったくらいの距離でエミーリアに接してくれたが、姉のコリンナは誰よりもエミーリアにかまってくれたし可愛がってくれた。それがちょっと行き過ぎたレベルであることに、実はエミーリアも気づいている。
「可愛い妹のことだもの、心配するのは当たり前だわ」
(……やっぱりお姉様やお兄様にとってはそういうものなのかしら?)
兄弟の上の子にとって下の子は可愛くて仕方ないものなのかもしれない。コリンナに聞いてみようかとエミーリアが考えたとき、玄関ホールにひょっこりと一人の男が現れた。
「二人とも、いつまでそこで話し込んでるんだい」
「お義兄様!」
兄は兄でも義兄だ。つまりコリンナの夫、リヒャルト・グレーデンである。
リヒャルトは灰色の髪を丁寧に整え、ぴっしりとした皺ひとつな服を着ていた。もっとだらしない時の姿を見たことがあるエミーリアにしてみれば、まったくの別人のように見える。きっとコリンナがあれこれ身支度の指示を出したんだろう。
「久しぶりエミーリア」
「お久しぶりです。ちょうど良かったです! この間お借りしたご本、お返しいたしますね」
「読めた?」
読めた、というのはリヒャルトなりの確認だ。彼は自分がエミーリアに貸した本が一般的なものでないことを自覚している。ちなみに植物遺伝学の入門書だったので、普通の令嬢は絶対に読まない分野の本だ。
「ええ、とても興味深かったです! いろいろな植物に応用できるんですよね? そうしたら農業にも活かせるということですよね!」
「まぁそういう研究だね。もう少し専門的な本もあるけど」
と、リヒャルトが話を盛り上げようとしたところで隣に立つコリンナがその横腹を肘でつついた。むすっとしてちょっと不機嫌そうである。
「ちょっと。私たちを呼びに来た人がここで話し込んでどうするのよ。それに私がわからない話で盛り上がるのはやめてちょうだい」
おや、とリヒャルトが目を丸くする。リヒャルトとエミーリアがこうして読書を中心に話すようになったのはコリンナがきっかけなのだが、その本人は会話についていけなくていつもこうして拗ねるのだ。
「ごめんごめん。それじゃあ行こうか、義父上も義母上も待ってるよ」
ついでにルドルフもね、と最後に付け加えられた兄の名に、くすりとエミーリアは笑う。変わり者だがシュタルク家とはなかなかうまく打ち解けているのがリヒャルトという人だ。
「……レオノーラ様が?」
夕食の席で、そう言って目を丸くしたのは父だったか母だったか兄だったか、それともコリンナだったか。リヒャルト以外のほぼ全員が似たような反応をしていた。
「はい。予定よりも早めにご到着されるとのことですので、わたくしはそのお話し相手など務めることになりそうです」
にっこりと、エミーリアは答える。そのために帰りがより遅くなることもあるかもしれないので家族への報告は必須だ。
「予定より早め……って早すぎるんじゃないかしら」
「半月以上あるかな。それで大丈夫なのかいエミーリア。君だって式の準備で慌ただしいのに」
わかりやすく渋い顔をしたのはコリンナ、心配そうにエミーリアを見たのは兄のルドルフだった。
「大丈夫ですよお兄様。基本的にはリンハルト公爵夫人が対応してくださるとのことですから、わたくしはたまにお話する程度です」
ですが、とエミーリアは困ったように眉を下げた。ここでやりすぎるとコリンナが大騒ぎするかもしれないので控えめだ。
「わたくしはレオノーラ様と面識がございませんから、どんなお話をしたらいいのか……どんな方なのか、お父様やお母様はご存知ですよね?」
「……まぁ、そうだな。陛下とは真逆の性格だ」
父は控えめな印象を口にしているが、その表情と声音でたくさんのことを物語っている。自分にも周囲にも厳しい性格の父はおそらく奔放なレオノーラとは気が合わないのだろう。
「そうね。華やかで賑やかな方だったわ。陛下よりレオノーラ姫のほうが目立つことがよくあったものね」
対して母は女性の視点で印象を語る。
(レオノーラ様も嫁がれるまではアイゼンシュタットの社交界で主役とも呼べるような方だったはず)
レオノーラが嫁いですぐにコリンナが社交界デビューを果たしているので、それまではまさにレオノーラが『社交界の花』だったとも言える。レオノーラとコリンナは共通点もあるし、もしかすると似たところがあるかもしれない。
「お兄様はお会いしたことがありますか?」
「まぁ、それはもちろん。年も一番近いしね。でもそれならリヒャルトのほうが……いやないか」
「ないね。互いに極力近づきたくないタイプの人間だから」
きっぱりとリヒャルトが言い切る。それはそれでどうなの、と言いたそうなのはコリンナだ。
(情報は大事だものね)
それも集めるなら複数人からが基本だ。時間もないので身近な人からしか聞けないが、それなりに情報は集まった。
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