5:王妃となるからには
(……困ったわ)
食後のお茶を飲みながらエミーリアはそっとため息を吐いた。
リンハルト公爵夫人をはじめ、レオノーラを知る人たちから話を聞いてみてはいるものの、レオノーラがどんな人物かは驚くほどはっきりしている。改めて聞くまでもないほどに。
華やかでうつくしく、自由気ままで奔放。マティアスならここに自分勝手でわがままだと付け加えるだろう。
そしてリンハルト公爵夫人が言うにはおそらく弟思い……であるはずなのだ。今のところその行動は弟であるマティアスの迷惑にしかなっていない気がするけれども。それでもその根底にマティアスを案じる気持ちがあるのは確かだとエミーリアは思いたい。まだ会ったこともないので一方的に決めつけることはできないが。
(わたくしの周りにはここまで強烈……いえ過激……ええとすごい方はいらっしゃらなかったのよね。きちんとお相手できるかしら)
心の中で何度も言葉を訂正しつつ、エミーリアは「ううーん」と眉を寄せる。
エミーリアと同じ年頃の令嬢たちは、もちろん様々な人がいるけれど飛び抜けて個性豊かな人はいないし、わかりやすく敵対するような態度をとる人もいなかった。おそらくコリンナが目を光らせていたというのも理由の一つだろうが、そもそも普通の貴族の令嬢のなかでレオノーラに匹敵するような人物はなかなか現れないだろう。
「……エミーリア、やっぱりあなた無理をしているんじゃない?」
険しい表情のコリンナに問いかけられ、エミーリアは慌てて首を横に振った。悩んでため息を吐いたりしていたのを見られていたらしい。
「大丈夫です! 無理はしてないです!」
「だってあなた、ずっと困った顔してるわ」
コリンナも長年エミーリアの姉をしているのだ。「無理はしてない」と言ってもエミーリアは油断するとけっこうな無茶をすることはよくわかっている。
「ちょっと困ってはいますけど、まだ無理はしてないです。レオノーラ様のご機嫌を損ねたりしないか心配で……」
(だって陛下のお姉様なんだもの、できれば気に入られたいものね……)
わざわざ指名されているとか話し相手をしなければならないとか、そういうことを抜きにしても、未来の義姉からはマティアスの妻として相応しいと思ってもらいたい。
「非常識なことしてきている人間にそこまで心を尽くす必要はないのよ?」
真顔のコリンナに、エミーリアも苦笑する。
コリンナが言いたいことはわかるし、それもまた一つの真実ではあるのだろう。
「……お姉様、レオノーラ様はフォルジェ王妃で、わたくしの義姉となる方なんです」
王妃としても先輩であり、これから家族の繋がりを得る人だ。エミーリアにとってはそれだけで心を尽くす理由としては十分すぎる。たとえその行動がどんなに非常識であっても、だ。
「王族だからって皆が皆、敬愛すべき人格者であるとは限らないのよ」
「それ、間違っても屋敷の外で言うなよ……」
一歩間違えば不敬罪で処罰を受けてもおかしくない発言だ。二人の会話が聞こえたルドルフが顔を引き攣らせながら忠告をすると、コリンナは当たり前でしょうという顔をした。
(まぁ……陛下なら怒ったりはなさらないでしょうけど)
けっこうマティアスはそういうところを気にしないので、コリンナの発言を聞いても「それはそうだ」と頷くかもしれない。むしろレオノーラの無茶ぶりに関しては同意してくるだろう。
とはいえ、その周囲の人間が騒ぎ立てないとも限らないので注意が必要なのだが。今更マティアスとエミーリアの婚約がなかったことにはならないだろうが、結婚を前になんらかの汚点を残したいと思う人間がいないとは限らない。
「ねぇエミーリア。大変そうなら素直に言っていいのよ。陛下だってそれを無下になさるような方でもないでしょう?」
(それは……)
きっと、そうだろう。
エミーリアが『これはきっと大変そうだ』『これ以上のことは出来ないと思う』と言えば、マティアスは何も言わずに調整してもっと楽なスケジュールが組まれると思う。もしかしたら、やさしいマティアスはエミーリアがそう言うのを待っているかもしれない。
しかしエミーリアはそうするべきではないと思う。
だって、マティアスはエミーリアなら出来ると思ったはずだ。もとより無理のあることならマティアスは止めるだろう。
出来ないかもしれない、無理かもしれない、そんな悲観的な予想は誰にでもできる。それを理由にして逃げ出すことも。
でも。
「わたくし、『大変そうだから』という理由で何もしないのは自分への怠慢だと思います」
エミーリアはまっすぐにコリンナを見て、そう言った。ペリドットの瞳が曇りなく自分の意思は間違っていないのだと告げるように。
(だって、やってみてもいないのに諦めるのは嫌だわ)
時には出来ないことを『出来ない』ということも必要だけど、それは同時に相手の期待を裏切ることにもなる。
(陛下はわたくしにまかせてくださったんだもの。……きちんと応えたい)
いや、応えなければならないのだと思う。
国王として立つマティアスの隣に並んで、彼を支えると決めたんだから。そのためにエミーリアは努力してきたんだから。
「お姉様。わたくしは王妃になる人間なんです。国民の模範となるべき立場で、そんな怠慢は許されません」
コリンナは何も言わなかった。
エミーリアの言葉に目を丸くし、薄く開いた唇が何かを告げようとしたけれど、吐き出されたのは細い息だけ。
「……それに! わたくしの睡眠時間はハンナがきっちりチェックしてくれていますもの! 本当に無理はしてません。ちょっと大変なだけです」
姉に心配をかけてはいけないとエミーリアは明るい声でそう言った。もちろん嘘ではない。
睡眠時間を削ることは美容の大敵である、とハンナはしっかり目を光らせている。エミーリアの晴れ舞台では肌荒れも目の下にクマなんてものも絶対に許さないという心構えだ。
「……そうね」
コリンナは目を伏せ、噛み締めるように呟く。
「あなたはあなたとしてやるべきことをやっているし、ハンナはハンナでやるべきことをやってるわ」
「そ、そうですね」
いつもよりほんのり低めのコリンナの声に、エミーリアは思わず言葉を詰まらせた。ここでそうですねと答えるのは正解だったのだろうか? いやしかし否定できる部分なんて少しもなかったのだけど。
「それなら私は姉としてやるべきことをやるだけね」
「そう、ですね……?」
コリンナの言っていることは間違っていないのに、なんだか少し嫌な予感がするのはなぜだろう……?
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