3:姉と弟

(……あら?)


 急遽予定を早めてやってくることになったレオノーラはベアトリクスが相手をする。そういうことで話はまとまり、一安心したところでエミーリアは首を傾げた。

(それならどうしてわたくしは呼ばれたのかしら? これくらいなら、あとから教えていただくだけでも良さそうだけど)

 そういうことだからよろしく頼む、で簡単に説明できるだろう。

 そうしなかったということは、それだけ何かしら理由があるはず。


「……エミーリア」

「はい」


 マティアスが絞り出すような声でエミーリアを呼んだ。その表情は困っているというより、少し怒っているようでもある。

「そういうわけだから、基本的に姉のことは叔母上に任せていい」

 ただ、とマティアスが続ける。

 エミーリアはその声にこれはわたくしに対して怒っているということではないみたい、と察した。おそらく、マティアスの怒りの矛先はレオノーラに向かっている。突然の予定変更を強いられているわけだからそれも当然なのだが。

「……指名してきているんだ」

「まぁ」


 指名。

 その言葉にエミーリアは目を丸くした。



「わたくしを、ですか?」

 誰が、とは言われていないが、この会話の流れからして誰かはわかる。レオノーラのことだろう。

(でも、わたくしとレオノーラ様は面識はないはずだけど……)

 レオノーラがアイゼンシュタット王国の姫として過ごしていた頃、エミーリアはまだ社交界デビューもしていない子どもだ。年の離れた二人が交流を持つはずもなく、エミーリアは遠目にその姿を見たことがある程度。

 わざわざエミーリアを名指ししてくる理由は――まったくないとは言えないが、多少不思議ではある。

「ああ。『未来の義妹と話せるのを楽しみにしている』だそうだ。まったく、相変わらず勝手がすぎる……」

 苛立ちを隠す様子もなく、マティアスがぶつぶつと文句を言っている。説明していてだんだんと怒りが増してきたらしい。

(なるほど。事前に指名してきているんですもの、わたくしが呼ばれるのは当然ね)

「わたくしはリンハルト公爵夫人と共にレオノーラ様を歓待すればよろしいのですね」

 確認すると、マティアスは渋い顔で「いや」と呟いた。

「君は結婚式の準備もあって忙しいだろう。ほどほどに相手をすれば問題ない」

 ほどほどに、という言葉には「適当にあしらっていい」という意味が含まれていそうな声音だった。

 結婚式まではあと一ヶ月ほどしかない。レオノーラを迎える準備をして、式の最終確認をしていたらあっという間に過ぎてしまうだろう。

 そしてどうやらマティアスは、エミーリアはあまりレオノーラと関わって欲しくないと思っているようだ。

(それはもちろん、忙しいことは忙しいけれど……)

 事前に知っておくべきことはほとんど頭に入っている。ドレスの最終調整でエミーリアがしておくべきことといえば体型の維持くらい。やりすぎて困ることもないが、未来の義姉より優先することかと言われるとなかなか微妙なところだ。

「レオノーラ様は既にフォルジェの王妃として公務をなさっているんですもの。同じく王妃になる身としては、きっとお話するだけで身になることばかりだと思います」

 先人に教えを乞う機会があるのはありがたいことだ。元アイゼンシュタット王妃であるはずのナターリエには王妃としての経験があまりないので、エミーリアの周りに身近な『王妃』経験者はいない。

「いや、頼むからアレを参考にはしないでほしい……!」

 すごく真剣な顔でマティアスにそう言われ、エミーリアも思わず「は、はい」と頷いてしまう。




 マティアスの執務室から退室してすぐ、このあとはまだ時間があるのかしら? とベアトリクスに呼び止められたのは当然の流れだった。むしろエミーリアとしても早めに聞いておきたいことがあったので素直に頷いて、エミーリアが式の準備の際に使わせてもらっている部屋にお茶の用意を頼む。

 情報は大事だ。思えばベアトリクスに初めて会うことになったガーデンパーティーのときも、マティアスからどんな人なのか聞いたりなどしていた。


「急な話であなたを困らせてしまうわね」

 紅茶を飲みながらベアトリクスが苦笑い気味に呟いた。常々思うのだが、ベアトリクスはマティアスに対してもおそらくレオノーラに対してもまるで母親のような態度をとる。それだけ気にかけているということなのだろう。

「わたくしは気にしておりません。……けれど、その、レオノーラ様は普段からこうして無茶をなさる方なのですか?」

 どれくらいオブラートに包んで聞けばいいかわからずに言葉を詰まらせてしまった。他国の王妃のことだし、問う相手はマティアスの伯母である公爵夫人だし、突然の事で未だにエミーリアはちょっと混乱している。

「そうねぇ……ちょっとおてんばで破天荒なところはあったけど」

 王妃となってからは落ち着いていたはずよ、とベアトリクスは笑う。

「それならどうして……」

「あなたのことを見定めたいのでしょう」

 ベアトリクスはさらりと答える。それ以外はありえないといいような断定的な口調だった。

「わたくしを?」

「ええ。だって弟の伴侶になるんですもの。気になるのは当然ではないかしら」

「そう、ですね……」

 頷いてはみるものの、エミーリアには弟も妹もいないので、実のところよくわからない。姉のコリンナが結婚したときは純粋に祝福したし、コリンナの夫となったグレーデン侯爵も少々変わったところがあるものの悪い人ではない。何より姉が選んだ人なら、という気持ちが強かった。

 兄はまだ未婚だが、きっと兄の結婚のときもエミーリアのとる行動は変わらないと思う。

「あれでも姉だもの。嫁いだあとでも、マティアスのことを気にしているんでしょう。もっともその気づかいがマティアスにはまったく伝わっていないけど」

 ちょっと乱暴な気づかいだものね、とベアトリクスは付け足した。ちょっとという程度にしていいのかエミーリアからはなんとも言えない。

(正直、普通なら外交問題になりかねないもの……)

 しかしそうはならないとレオノーラは思ったからこんなに大胆な行動に出たのだろう。その点はマティアスの性格をよく理解しているとも言える。

「その……陛下とレオノーラ様はあまり仲がよろしくないんでしょうか?」

 マティアスがレオノーラについて語るときの顔はほぼ眉間に皺が寄っていて、お世辞にも機嫌が良さそうとは言えなかった。

「仲が悪いわけではないけど、良くもないでしょうね。マティアスはレオノーラが苦手だから」

(……確かにお話を聞く限り、陛下が苦手にしていらっしゃる女性と同じタイプだとは思うけど)

 まさか実の姉さえ苦手なのか、と思ったあとで、実の姉だからこそ苦手なのかもしれないとエミーリアは考え直す。日頃から振り回されていたら苦手にもなるだろう。

 でも、とエミーリアは小さく呟いた。

「レオノーラ様は陛下のことを気にかけていらっしゃるのですよね?」

「ええ。レオノーラは他国に嫁ぐことをしばらく悩んでいたもの」

 国王自ら動けない場合は王妃やその他の王族が代理を務めるものだが、今のアイゼンシュタット王国ではそれをできる人間が限られている。だからこそレオノーラは他国に嫁がず国内の貴族と結婚するべきでは……と悩んだらしい。そうすればベアトリクスのように手を貸すことができる。

(それが陛下には伝わってないのね……それはちょっと、悲しいすれ違いだわ)

「もう少し仲良くやってくれると、私も安心できるのだけどね」

 ベアトリクスがそう零したことに、エミーリアも小さく頷いた。

 どんな姉弟でも仲良くやっていけると断言できるなんてもちろん断言するつもりはないが、大人になってから和解できることもあるだろう。

 マティアスはレオノーラの気づかいを知ったほうがいいし、レオノーラはもう少し手段を相手に合わせてほしい。たったそれだけでこの姉弟はうまくいくと思うのだ。

(何より、こういう姉と弟の仲を取り持つのは未来の妻の役目じゃないかしら!)

 ぐっと拳を握るとエミーリアは決意に満ちた目でベアトリクスに宣言する。


「わかりましたわ。わたくし、立派にレオノーラ様のお相手を務め、陛下とレオノーラ様の仲を取り持ってみせます!」

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