27:最後はハッピーエンドがいい

(……良かった)

 友人の一生に残る幸福な場面を前に、エミーリアは涙ぐんだ。

 良かった。本当に良かった。

 驚かされることばかりだったけれど、結果が良ければそれでいい。滲んできた涙を拭おうとハンカチを探して――横から伸びてきた指先が先にエミーリアの涙を拭い取った。

「……陛下」

 見上げるとマティアスが隣にいた。泣いているエミーリアを見て困っているのか、おずおずとその指先が目元を撫でてくる。

 その様子に、涙もすぐにひっこんでしまった。もともと感極まって溢れてきた涙だ、落ち着くのも早い。

「養子縁組のこと、陛下はご存じだったんですね」

「それは……まぁ、侯爵からも話はあったからな」

 教えてくださればよかったのに、という文句はとりあえず飲み込んだ。他家の事情にあまり首をつっこむものでもないし、デリアのことがなければヘンリックの身分に対してここまで興味も持たなかったはずだ。

 ヘンリック・アドラーは今のままでも十分に騎士として活躍している。爵位などなくてもエミーリア自身のヘンリックへの評価は変わらない。

(レーヴェンタール……騎士団長様のことよね)

 頭の中にある貴族の家名とその情報を引っ張り出してエミーリアは思う。レーヴェンタール侯爵家は武芸に秀でた一族だと記憶している。

 確か、今の侯爵夫人は身体が弱く、跡継ぎとなる子どもがいないはずだ。

「それにしたって養子縁組なんて、よくできたわね……?」

 デリアがヘンリックを見上げながら呟いた。

 普通なら跡継ぎがいない場合は遠縁から養子を迎えるだろう。レーヴェンタール侯爵家の遠縁にも男児はいるはずだ。それなのに庶民で、まさか孤児を養子にするなんて誰も考えないだろう。

「あー……あのおっさん、もともとそのつもりで俺を騎士団に入れたらしいし」

 ヘンリックが苦笑しながら答える。

 騎士団長相手に『おっさん』とはヘンリックもなかなか度胸がある。いや、もしかしたらそれだけ打ち解けているということなのかもしれないが。

「もともと……? でも、今まで養子縁組の話はなかったんですよね?」

 エミーリアが首を傾げた。

 ヘンリックが騎士団に入ったのは十代の頃の話だ。その頃から騎士団長がそのつもりだったのなら、早めに話が持ち上がっていてもおかしくはない。

「俺は全然知らされてませんでしたけど、ゆくゆくは養子にするつもりで今まで散々しごいてきたらしいんですよね、あのおっさん」

 ひどい話だと思いません? とヘンリックが遠い目をしている。もしかすると随分としごかれてきたのかもしれない。

「それで、もしも途中で挫折するようなら見放すつもりだったらしいですよ」

 あはは、とヘンリックは笑っているが笑いごとではない。

「もともとレーヴェンタールは実力主義だからな。庶民だろうと剣の腕が確かなら認められるだろう」

 マティアスがそう付け加えてきたので、エミーリアは「そうなんですか」と目を丸くする。貴族はわりと血統を重んじる者が多いのでかなり珍しい例だろう。

「あ、陛下にはちょっと悪かったかなとは思ってるんですよ?」

「なんの話だ」

 突然話題に持ち出され、マティアスが不思議そうな顔をする。

「いや、ほら。庶民でもここまでのし上がれるんだってアピールするには、俺はいい成功例だったでしょ?」

 マティアスは実力主義だ。庶民だろうと実力があるのならそれに見合った役職を与える。

 ヘンリックはその代表例だった。

 そのヘンリックが貴族の養子になるということは、結局貴族でなければダメなのかという印象を植え付けかねない。

「それは……まぁ、先に目をつけたのはこっちだと侯爵からも文句を言われていたからな」

 なんせ騎士団長はヘンリックが城下町で悪ガキをこらしめていたところを見て、目をつけたらしい。

「どうであれ、おまえが気にすることじゃない」

 きっぱりと、マティアスは言いきった。

 この程度のことで揺らぐようなものではない、と。そう告げていた。



 デリアとヘンリックの問題が解決し、突然の客人たちによる騒ぎは落ち着いた。マティアスは執務に戻り、デリアは父であるリーグル伯爵と話すために別室へ移動した。

 部屋を出たエミーリアも、さて、と背筋を伸ばす。

 エミーリアにはやるべきことはまだある。というより、やりたいこと、だろうか。

 物語の最後はハッピーエンドがいい。それも、主役の二人が幸せになるだけではない。大団円が理想的だ。

 ――何より。

(陛下の国で、不幸になる人を一人だって増やすわけにはいかないわ)

 エミーリアは王妃になるのだから。この国の民は誰もが等しく、エミーリアが庇護するべき者になるのだ。


「少しは落ち着かれました?」

 別室で待っていてもらったオリヴァーとパウラの向かいに座り、エミーリアは微笑んだ。

「え、ええ……お恥ずかしいところをお見せしました……」

 返答はオリヴァーのみだった。本来庶民は許可がなければ貴族に話しかけることは許されない。ヘンリックのような例外はあるが。

 実のところ、先ほどのパウラはかなり礼儀知らずだったのだ。そもそも国王陛下の前であの失態はかなりまずい。それを今になって自覚したのか、パウラはかなり顔色が悪かった。

「パウラさんもどうぞ楽になさって? この場では面倒な身分などはなしにしましょう」

 にっこりと微笑み、エミーリアは発言の許可をする。

「あの、どうして私たちと話を……?」

 すぐに追い出されるわけでもなく、わざわざ別室で丁重にもてなされていたことに疑問が浮かんでいるのだろう。正しい反応だ。

 エミーリアはティーカップを置いた。

「お二人のことを見過ごすわけにもいかないかと思いまして。差し出がましいこととは思ったのですが、少しお話できればと」

「お話、ですか……?」

 オリヴァーの顔にはよくわからないと書いてあるようだった。繰り返された言葉に、エミーリアは「ええ」と頷いた。

「わたくし、恋愛結婚がしたいんです」

「え、は、はい……?」

「だからとても努力しました。陛下に好きになってもらえるように、陛下に相応しい女性になれるように。おかげさまで、多くの方が認めてくださっております」

 王妃に相応しいのは、エミーリア・シュタルクだと言われ、その通りに婚約が決まるほどには。

「オリヴァー様はいかがですか? ご自身の望むもののために、努力しましたか? 努力した上で、リーグル伯爵家に支援を求めたのですか?」

 エミーリアは笑顔のまま、はっきりとそう告げた。その笑顔にオリヴァーはごくりと唾を飲み込んだ。

 微笑みを浮かべながらエミーリアはオリヴァーを咎めている。あなたは成すべきことをすべて成したのか、と。

「失礼かとは思いましたが、ゼクレス伯爵家について調べさせていただきました。農業がうまく軌道に乗らず、ご苦労なさっているようですね」

「それは……その通りです」

 エミーリアの指摘にオリヴァーは素直に頷いた。

「もとよりこのあたりの土地は農業にはあまり向いていません。それはご存じでしたか? 知っていた上で、領地を支える産業にしようと?」

「し、知っています。しかしすぐに手を付けることができることなんて――」

 責めるような響きを持ち始めたエミーリアに、オリヴァーも口調が強くなる。

「すぐに、ではありません。あなたがたには既に何年も時間がありました」

 やり方を見直す時間はあったのだ。それを無駄にしたのだ、と言外にエミーリアは告げる。

「ゼクレス伯爵領に必要なのは新しい産業です、さらにそれを始めるための資金も」

「それがすぐに用意できればこんな苦労はしていません。宝石もとれなくなった、農業もうまくいかない、これ以上どうしろと――」

 苛立ちを滲ませたオリヴァーに、エミーリアは極めて冷静に告げる。

「あなたがたはまず、こんな状況に陥る前に資料をまとめて陛下に助力を乞うべきでした。自分たちでどうにもできないことならばなおさらです」

 オリヴァーはぐ、と黙り込む。

 彼もエミーリアの言うことをすべて理解しているのだ。

(正直、もっと激昂されるかと思ったけれど)

 年下の少女にここまで容赦なく言われても、オリヴァーは怒鳴ったりしなかった。いい人なのだと思う。

「……農業が必ずしも悪いというわけでもないかもしれません。その土地との相性がありますから。しかしそれを調べるにも、知るにも、試すにも、専門家が必要です。オリヴァー様はこれまでの収穫した食物の収穫高など細かくまとめ、提出できるようにしてください」

 提出? とオリヴァーが困惑していた。しかしエミーリアはそれをわざと無視して、パウラを見る。

「パウラさんにもお聞きしたいことがありましたの。ゼクレス伯爵領には伝統的な文様がありますわよね? 刺繍などに使われるのだとか」

「は、はい。女の子なんかは、必ず覚えさせられます」

「それを、少しアレンジできたりしませんか? 商家で育ったあなたの目で見ても、商品になりえるものに」

「え……」

 エミーリアの言葉にパウラは目を丸くする。

 パウラは親に教えられたその文様は特に魅力的なものだと思ったことがない。覚えなくてはいけない、ちょっと煩わしい伝統の象徴のようなものである。

「王都の人々にとっては物珍しいものです。初めはリボンくらいがいいかもしれません。その文様には意味も込められるのだとお聞きしましたが」

「はい、健康や安産を祈ったりしますね」

「それじゃあ恋愛成就なんかもあるかしら?」

 年相応の少女のように楽しげに、頬を染めてエミーリアは問う。その様子にパウラの緊張もほどけてきた。

「ふふ。はい、あります」

「それが王都で流行ったりすれば――それはひとつの産業になりますね。それに資金も得られます」

「ですが、流行るかどうかはわかりません」

 オリヴァーが厳しい顔でそう告げる。

 その懸念はもっともだった。

 流行とはすぐに生まれて、すぐに移ろう。そして何がきっかけで流行るかさっぱりわからないものだ。

(けれど、年頃の令嬢はいつだって誰かの真似をしたがるものなのよね)

 今最も輝かしい誰かを真似て、自分もうつくしいのだと胸を張る。そういうものなのだ。

「わたくし、これでも国王陛下の婚約者なのですけれど」

 ふふ、とエミーリアは微笑んだ。

 自慢ではないが――おそらく今令嬢たちが最も注目しているのはこのエミーリア・シュタルクなのである。

 姉のようにうつくしいわけではなく、今まで誰かに真似られるような立場になったことなど一度もないけれど。それでも今エミーリアは『国王陛下の婚約者』という誰もが注目する肩書を持っているのだ。

「流行を生み出すことはわたくしもやったことがありませんけど、今ならわたくしの真似をしたがる令嬢は多いと思いますよ?」

 それに、何かを流行らせるのは姉コリンナの得意とする分野だ。エミーリアが助言を求めれば喜んで相談にのってくれるだろう。

「そ、それじゃあ……」

「どれだけ反響があるかはお約束できません。ですが、多少の効果はあるかと思います」

 いくらエミーリアでも、成功は約束できない。しかしやる気があるのなら助力する、と告げる。

 たくさん話したおかげで喉が乾いている。お茶を飲みながらエミーリアは二人を伺った。

(パウラさんはたぶん乗り気。オリヴァー様がまだ躊躇っている)

 成功するかどうかはわからない。賭けといえば賭けだ。

 エミーリアはティーカップを置いた。

「何かを諦めて妥協して進むことはとても簡単です。でも――全力を尽くして、足掻いて、欲しいものすべてを望んでもいいと思いませんか?」

 どんなに苦労しても。どんなに大変でも。

 それを乗り越えた先にあるのは、どんなものにも変え難い幸福ではないだろうか。

 オリヴァーはエミーリアの言葉を噛み締め、目を閉じる。長い沈黙のあとで、静かにゆっくりと、確かに頷いた。


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