10:王妃の資質
マティアスを見送ったあとのエミーリアに、デリアが意外そうな顔でしみじみと呟いた。
「……あなたって思ったよりもはっきりと意見するのね」
なんのことと言われずともわかる。先ほどマティアスと揉めた、護衛の騎士の件だろう。
むしろエミーリアは、どうしてそんなに意外そうな顔をされるのかがわからなかった。間違ったことは言っていないはずだ。
「当たり前のことでしょう? わたくしは王妃になるのだから、陛下が間違っていると思ったときには当然指摘するわ」
エミーリアはただ愛されるだけの妃になるつもりはない。マティアスを支える王妃になりたいし、ならなければならないと思っている。
マティアスが正しい道を歩むのならその背を支える。もし道を間違えそうになったのならそっと指摘する。それができるのが王妃であり、エミーリアなのだから。
意見があれば言うし、間違いは指摘する。それができなければならない。
「……そうね。あなたはそういう人だものね」
眩しそうな目でエミーリアを見つめ、デリアは小さな声で呟いた。
「デリア……?」
エミーリアがおずおずと名を呼ぶ。しかしデリアはすぐにいつもの笑顔に戻って「さて」と切り替える。
「ひとまず私も、王都の父に連絡をしておくわ。王都までの街道が無事ならいいんだけど」
デリアはこのままでは予定通りにゼクレス伯爵家には到着できないのだから、自分の家にも先方にもそれを伝えておかねばならない。本来ならば今日はハインツェルを発っているはずだったのだ。
「たぶん王都へ繋がる街道は真っ先に確認するでしょうし、問題があってもすぐ対応すると思うわ」
国王であるマティアスが王都に戻れないなんて状況にしておくわけにはいかないし、王都と連絡がとれないのは困る。何かあれば最優先で対処するだろう。
(……この様子だと、今日も王太后様にはお会いできないのかしら……わたくし一人でお会いするのも……変よね?)
婚約しました、来春に結婚します、と言うだけのこととはいえ、相手は王太后であり義母になる方だ。あっさり顔合わせを済ませるわけにもいかないし、どんな方なのかエミーリアもよくわからないままなので対応に困る。
(それに今は、嵐のあとの対処が大事だわ)
今のところ死者の報告はないのが幸いだ。夕暮れ前に雨が降り出し、本降りが夜であったことも良かったのだろう。外を出歩く人はほとんどいなかったはずだ。
小さく息を吐き出して、エミーリアは頭を切り替える。
「ギュンターさん、よろしいですか?」
エミーリアが声をかけたのは家令であるギュンターだ。白髪混じりの髪をぴっちりと整え、口元には髭のある紳士である。
「はい、何か御用でしょうか」
「王太后様はわたくしがフェルザー城の使用人の方々に指示を出したら気分を害されるでしょうか? 少々お手伝いをお願いしたいのですけれど」
(まずは何よりも確認をしないと)
ここは王都ではなくハインツェルであり、王城でもなければシュタルク公爵家でもない。エミーリアはこのフェルザー城の主人ではないのだ。
現在のフェルザー城において最も高い身分なのは当然マティアスだ。次いで、普段からこの城に住まう王太后ナターリエ。エミーリアはせいぜいその次といったところだが、マティアスやナターリエと比べると明らかに発言力は劣る。エミーリアは国王の婚約者であっても、まだ王族の一員ではない。
エミーリアの問いに、ギュンターは微笑みながら首を横に振った。
「いいえ。ナターリエ様はお気になさらないかと。そういった采配は私がすべて任されております」
城や屋敷のすべてを采配する人もいれば、すべてを人に任せる人もいる。ナターリエは後者なのだろう。
エミーリアはほっと息を吐き出した。それならおそらく、ナターリエの不興を買うこともないだろう。
「そうでしたか。でしたら、部屋を用意していただけますか? できれば外からの出入りのしやすい位置にある、それなりに広い部屋を。机などがなければ運び入れたいのですが」
「一階にちょうどよい部屋がございます」
間髪入れずに答えが返ってくる。打てば響くとはこういうことだろう。
フェルザー城に詳しいギュンターがそこだと言うのなら、エミーリアがわざわざ確認するまでもない。
「でしたらそこを。それとハインツェル周辺の地図もお願いします」
ギュンターは「かしこまりました」と言うだけでエミーリアに何か問う素振りはない。頼もしい方ね、とエミーリアは準備を始めたギュンターの背を見つめた。
「……一体なんの準備をしているの?」
エミーリアの行動をただ見ていたデリアは、首を傾げて不思議そうにしている。城で大人しくしていると言ったエミーリアがあれこれと指示を出して活動的なのは、デリアの目にはおかしく見えるのだろう。
(大人しくしているとは言ったけど、何もしないとは言っていないもの)
エミーリアはちょっと気まずさは感じつつも、心の中で言い訳をする。
「嵐のあとの被害が既に陛下も無視できない規模のようだから、簡易の執務室みたいなものを用意していただいたの。今から王都に戻るよりフェルザー城で指揮をとったほうがよいでしょうから」
もとよりハインツェルには二、三日は滞在する予定だったし、その日数が多少増えても問題ないようにスケジュールは組まれている。だからマティアスならこのまま被害の確認をした上で初期対応をするだろう。
それならば騎士が出入りしやすいところにそのための部屋があった方がいい。地図はもちろん、被害のあった場所を確認するためのものだ。
さらりとエミーリアが答えると、デリアは驚いたように目を丸くしていた。
「……あなた、そんなことまで考えていたの?」
「ええ。たぶん陛下も指示されたと思うけれど、今朝は慌ただしかったからお忘れかもしれないし……」
念の為ね、と笑ってから、エミーリアは護衛のために残っていた騎士を見る。
「騎士の皆様は朝早くから現場の確認などに動かれてましたよね? 朝食はお済みですか?」
「我々は既にいただいております。交代で向かった者も、早めにいただいているかと」
エミーリアの問いにはきはきと答える騎士に「そうですか」と呟く。
四人の騎士はまだ戻ってきていない。エミーリアが起きてから彼らの姿を見ていないから、おそらく夜明けには動き始めていたのだろう。
「それなら戻ってきたときにお腹が空いているかもしれませんね……。厨房の方にすぐにいただけるスープを用意しておいてもらいましょうか」
時刻はまだ昼前といえど、朝早くから動き回っていたなら空腹にもなるはずだ。
(指示を出した陛下も同じくらい早くには起きていらっしゃったのでしょうけど)
少しも眠そうな様子がなかった。きっとマティアスも昨夜は雨の音でよく眠れなかっただろうに。
マティアスの負担をなくすためにも、エミーリアにできることはやっておかなければ。
「……やっぱりあなたは、王妃に向いているわね」
しみじみと呟くデリアに、エミーリアは苦笑いを零す。
「向いているわけではないと思うわ。ただそういう教育を受けているだけよ」
エミーリアは早いうちから王妃になるべく教育を受けている。父であるシュタルク公爵は気が強く奔放な姉のコリンナよりエミーリアのほうが良いだろうとわりと早めに決断していたのだ。
初恋の人がマティアスだと知ってからはエミーリア自身も真剣に学んできたので、その成果でもある。
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