9:言う時は言います!

 その日、結局エミーリアは王太后に会うこともできなかった。晩餐を終えると、それぞれの部屋に戻る。


 道中の疲れもあってすぐに眠れるだろうと思ったが、エミーリアはなかなか寝付けずにベッドの上で寝返りを打った。

 ハインツェルに来るまで何度も頭の中で王太后への挨拶を考え、どんなことを聞かれてもすぐに答えられるようにと想像していたけれど、まさか会えないとは思わなかった。

(明日にはお会いできるかしら……?)

 いくら気にしなくていいと言われても、やはり気になるものは気になる。自分の行動を思い返してみては、本当に何も問題なかっただろうかと自問自答した。

 明日には無事に会えるかもしれないのだから、早く寝るべきだ。目の下にクマなんて出来ていたらみっともない。

 そう思ってエミーリアは目を閉じるけど、睡魔はなかなかやってこない。


 雨の音がすごい。


 窓の外はまるで滝のように雨が降っていて、まるで止む気配がなかった。風の音もすごく、時折唸り声のような音が聞こえる。これはただの大雨というより立派な嵐といっていいくらいだ。

「……すごい雨」

 雨音がうるさいというのも、眠れない理由のひとつだろう。

 しかしそれ以上に、なんだか嫌な予感がする。胸の奥がざわざわとざわめいていて、眠気がまったくやってこなかった。

(……この雨で、何も起こらなければいいけど)

 もう一度目を閉じながら、エミーリアはそんなことを思う。エミーリアは神様ではないから、こんな時ただ祈ることしかできなかった。




 祈りも虚しく、エミーリアの嫌な予感はやはり当たってしまったらしい。

「橋が流された……?」

「ああ、それに倒木で街道が塞がれているところもあるようだな」

 朝早くからマティアスは騎士たちに指示を出し、被害状況を調べているらしい。太陽が昇り、あちこちがはっきりと見えるようになると城下町からも続々と大きな被害が伝えられてきている。

 朝食の席で昨夜の雨による被害を聞かされたエミーリアはそっと目を伏せた。

(風も強かったから、木が倒れるのも当然よね……)

 しかし街道が倒木で塞がれてしまったら、ハインツェルの街にも、それ以外の街にも影響が出る。北都ハインツェルはアイゼンシュタット王国の中でも大きな都市のひとつだ。この街を通過して交易をする商人は多い。

「それじゃあ、デリアもすぐに出立はできないわね……?」

 デリアの行先であるゼクレス伯爵家は、川を渡った向こう側にあるはずだ。橋が壊れ流れてしまったとなると、今日のうちに出立など到底できない。

「それは……」

 デリアが困ったような様子で口を開く。

 ゼクレス伯爵家まで、遠回りをすれば行けないこともないが、昨夜の雨で川はまだ増水している。あちこちに嵐の後の被害が出ていることもあり、すぐに動くのは危険だろう。

「二、三日は様子を見た方がいいだろうな。動いたところで道が塞がっている場合もある」

 現段階で報告があったのはハインツェルのごく近くで起きた被害だ。昨夜の嵐がどれほどの範囲に影響を及ぼしたのかはまだ到底把握できていない。

「そう、ですね……陛下のおっしゃる通りに致します」

 そう答えるデリアはどこかほっとしているようにも見えて、エミーリアは不思議に感じた。

 まるで、誰かに「急いで向かう必要はない」と言って欲しかったかのように見えたのだ。

(……もしかして本当は、あまり行きたくないのかしら?)

 条件としても人柄としても文句のない相手だとしても、決められた婚約であり、そこに愛や恋は存在しない。デリア自身がどんなにそれでいいと思っていたとしても、やはり思うところはあるのだろう。

「私は、これから被害があった場所を確認しに行こうと思う。護衛の騎士は残していくから……」

 そう言いながらマティアスは騎士たちに目配せをする。十人いるはずの騎士は、今この場に六人ほどしかいなかった。他の四人は既にマティアスの指示を受けて外出しているのかもしれない。

「護衛の騎士を……? それは、わたくしのためにですか?」

 エミーリアは騎士たちを見て、マティアスに問う。マティアスはもちろん、と頷いた。

「ああ。当然だろう?」

「いいえ、必要ありません」

 エミーリアはきっぱりと言い切った。

「わたくしはフェルザー城から出ずに大人しくしておりますから、騎士は全員陛下が連れて行くべきです」

 その強めの言葉に、マティアスだけではなくヘンリックやデリアも驚いて目を丸くする。

 まさかエミーリアがこんなに真正面からマティアスの言ったことを否定するなんて、その場の誰もが思いもしなかったのだ。

(今ここにいる騎士は六人だけ……)

 国王の護衛としては少なすぎるくらいだった。

 もとはハインツェルまでの道中の護衛だったからそれで十分だったが、身の危険があるかもしれない場所に向かうのだから話は別だ。

「陛下は倒木などのあった現場に行くのですから、何が起きるかわかりません。騎士は絶対に必要です。その点、城は警備もしっかりしておりますし、もちろん自然災害の危険はありませんからわたくしは安全です」

 だからわたくしに騎士を残していく必要はありません、とエミーリアはもう一度告げた。その冷静な判断にマティアスも困ったように眉を寄せる。エミーリアが決して、考えなしに言っているわけではないとわかるからなおさらだ。

「そういうわけにはいかない。君は目を離すと何をするか……」

「ですから、大人しくしております」

 エミーリア自身、自分はけっこうなお転婆である自覚はある。だからこそ大人しくしていると重ねて言っているのだ。

「せめてヘンリックを――」

「いいえ、ヘンリック様は絶対に連れて行ってください。万が一何かあったときに、陛下に一番意見できるのはヘンリック様ですから」

 マティアスとしては一番信頼できるヘンリックを残したい。しかしエミーリアはそれではマティアスがもしも危険なことをしようとしたときに止める人間がいなくなるからダメだと言う。

 むむむ、とエミーリアとマティアスが双方の意見をぶつけていると、ヘンリックが割って入る。

「はいはい! 俺はこれでも陛下の近衛騎士ですから? 当然、陛下について行きます。何があっても陛下は護りますからシュタルク嬢は安心してください」

 いいですね? とヘンリックはエミーリアを見た。もちろん文句などないのでエミーリアはこくりと頷く。

「ですがシュタルク嬢にも護衛は二人残しておきます。あなたは陛下の大事な方ですから。それに、万が一のときの連絡要員にもなりますから」

 追加で何かマティアスに知らせることがあったときに、城の警備を使うわけにもいかない。

 そう言われると、エミーリアも反対できない。マティアスの警護は万全にしてもらいたい気持ちはあるが、限られた人数でそれぞれ必要な役目をこなさなければならない。

「……わかりました」

「わかった、そうしよう」

 ヘンリックの妥協案を受け入れて、どうにか話はまとまった。

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