11:ミルクティーを飲む理由

 災害現場の視察を終えて、マティアスはフェルザー城へと戻る。

 城が見えてきたところで、『こんなことになるなら書記官も連れてくるべきだったな』とため息を吐いた。これから報告をまとめて対策を考えなければならない。

 ただ母にエミーリアを紹介するだけのはずだったのに、とんだ災難だ。


 フェルザー城に戻ってくると、エミーリアがぱたぱたと小走りで玄関ホールにやってきた。

「おかえりなさいませ、陛下!」

 微笑みながら出迎えてくる婚約者の姿に、思わずマティアスも顔を綻ばせる。こんな出迎えがあるのなら、疲れも吹き飛ぶというものだ。

「ただいま」

「お疲れのところ申し訳ありません、向こうの部屋にいろいろを準備しておいたんですが」

 確認していただけますか? とエミーリアが小さな声で問いかけてくる。

「準備?」

 言われるがままにエミーリアについていくが、なんだろうと首を傾げる。

 城の一階、玄関ホールからそれほど離れていないところにある部屋だった。部屋の机には大きな地図が広げておかれていた。地図の上には小さな紙に何かが書き込まれている。

「え。これ、シュタルク嬢が?」

 ヘンリックが目を丸くしながら声をあげている。マティアスも地図の上のメモを読みながら驚いていた。

 やろうと思っていたことが既に下準備を整えられている。

「はい、地図に現在わかっている被害状況のメモを添えてあります。こちらの街道では小規模の土砂崩れがあったと、先ほど戻ってきた騎士様から報告が」

「そっちの方角ならブルーノか。本人はどこに?」

 部屋にはエミーリアの護衛にと残した二人しかいない。

「小休憩をとっていただいております。朝早くから動かれていたみたいなので……勝手に申し訳ございません」

 それはこの地図のことだろうか、それとも騎士に指示をしたことだろうか。どちらにせよ、感謝こそすれ、エミーリアが謝ることは何一つない。

「いいや、助かった。ありがとう」

 マティアスが素直に礼を言うと、エミーリアは嬉しそうに笑った。

「陛下のお役にたてて良かったです」

 その笑顔は年相応に可愛らしい。

「ブルーノ様を呼んで参りますね。お茶も用意していただきますから、皆様もどうぞ少し休んでください」

 よくよく見れば部屋には騎士たちも座れるだけの椅子が運び込まれていた。

 ヘンリックは「いや立ちっぱなしには慣れてますよ」と言いたげだったが、エミーリアは既に部屋を出ていったあとだった。

「……さすが、完璧な令嬢。いやむしろ令嬢のレベルは超えてますね」

「そうだな」

 王城の書記官としても十分にやっていける。いや、むしろさらに上の指示をする側の人間のほうがいいのだろう。

 王が不在の城を守る……まさしく王妃の仕事と言うべきだ。

 地図の上のメモを一通り確認しつつ、視察を終えた上での情報も書き加えておく。



 エミーリアが活躍するのも準備の段階までだ。体制が整えば、騎士たちはエミーリアの手を借りることを渋るので、役に立てることはほとんどなくなってしまう。

(……出過ぎた真似をしてしまったかしら? やっぱりもう少し大人しくしていたほうが可愛げがあったとか……?)

 マティアスの役に立てることはエミーリアの喜びだけど、あまりでしゃばるのもよくない。男性は特にそういう面子を気にするから、不用意に口出すとプライドを傷つけることになるよ、と助言をくれたのは兄のルドルフだったか、それとも義兄だったか。

 結局今はこうして、マティアスのためにお茶を淹れることくらいしかエミーリアに出来ることがない。

 ハンナがティーワゴンを押してくれているので、エミーリアが運んでいるわけではないし、デリアも手伝ってくれているので、すべてがエミーリアのやったことでもない。

「陛下、お茶をお持ちいたしました。少し休憩されてはいかがです?」

 昼食をとってからかれこれ三時間ほど経っている。ずっとあれこれと指示を出し報告を確認し奔走しているマティアスも、一息ついていい頃合だ。

「ああ、そうだな。ありがとう」

 体力のある騎士たちはこれくらいでは疲れは見せないけれど、無理は禁物だ。

「皆さんの分もご用意しておりますからね」

 エミーリアが騎士たちに微笑みかければ「ありがとうございます」と張り詰めていた空気が和らぐ。デリアやハンナが騎士たちに紅茶の入ったカップを渡している。

「あれ? 陛下、ミルクティーじゃなくていいんですか?」

 エミーリアが淹れた紅茶をマティアスに渡したところで、ヘンリックがそんなことを言った。その一言にエミーリアは首を傾げる。

「陛下はたいていストレートティーを飲んでいらっしゃったと思ったんですが……違いました?」

 エミーリアとのお茶会のとき、マティアスは基本的には砂糖もミルクも入れずに紅茶を飲んでいる。代わりに甘い菓子をいくつも食べているのだが。

「え? 執務の時に飲んでいるのはいつもミルクティーですよね?」

(執務の時は甘い飲み物のほうがいいってことなのかしら?)

 疲れた時は甘いものがいいとよく聞くし、執務の最中ではお菓子をつまむ暇もないだろう。代わりにミルクティーなのかもしれない、とエミーリアが納得しかけたところでマティアスが口を開いた。

「今は別に、ミルクティーでなくてもいい」

「すぐにミルクをご用意しますよ?」

「いや、大丈夫だ。君に会えない時にミルクティーを飲んでいるだけだから、今は必要ない」

 ミルクティーを飲むと気が紛れるからそうしているだけだ、とマティアスは真顔のまま告げる。

「え、えっと、あの……」

 かあぁ、と赤くなりながらエミーリアは口籠もる。

(そ、それはつまり、その……)

 エミーリアに会いたいけど会えない時に、ミルクティーで気を紛らわせているということだろうか。

「はー……今日もあついですねぇ……」

「いや。今日の気温は涼しいくらいだと思うが」

「そういうことじゃないんですよねぇ……」

 遠い目をしながら呟いているヘンリックに、エミーリアはますます赤くなりながら居たたまれなくなる。

「仲睦まじくてよろしいんじゃない?」

 デリアがフォローするようにそう言ってくれる。しかしその顔は少し意地悪な笑みを浮かべている。

「婚約者と上手くやっていくコツがあるなら教えてほしいくらいだわ」

「どっかの誰かさんはシュタルク嬢みたいに素直じゃないから無理なんじゃないですかねぇ」

「聞こえているわよヘンリック・アドラー」

「聞こえるように言ってるんですよ」

 低い声でヘンリックを睨みつけるデリアと、笑ったままデリアを見返すヘンリック。

(……やっぱりこの二人、仲が悪いのかしら? いいのかしら?)

 会話したかと思うとたいてい険悪なムードになってしまう。だが互いに完全に無視するというわけでもなく、べったりとくっついているというわけでもない。

「だいたい、ヘンリック! あなたはそのへらへらした態度をどうにかしたらどうなの!? 近衛騎士の品位をあなた一人で落とすつもり!?」

 ちくちくと嫌味を言い合っていたのだが、ついにデリアが大きな声で怒り始めた。

「きちんとするところではできてますし。おまえこそそんなにキャンキャン騒いでるとご令嬢らしさの欠片もないんだけど」

「誰のせいよ!?」

「ははは。俺のせい?」

 わかっているんじゃないの! とデリアはまた声を荒げている。

(なんていうか……)

 ガーデンパーティーのあの日以来、デリアとヘンリックのやりとりを数度ほど目にしているエミーリアは思うのだ。

(少なくともデリアは、嫌っているわけじゃないのよね……)

 今、目の前で繰り広げられている二人のやりとりと見ていて、そう思うのもどうかとは思うのだが。

 ……素の自分を出せるというのは、それだけ相手を信頼しているからだということにはならないだろうか?


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