2:仲良くなりたいんです
物語のなかでは、どんな少女も最後には幸せになる。困難にも屈せず愛する人と結ばれて、祝福されながら永遠の愛を誓い合うのだ。
――けれど現実はそう甘くない。
それをエミーリアはきちんとわかっていた。
素敵な人と運命的な出会いを果たして、幾度となく立ちはだかる壁を二人で乗り越え、劇的なハッピーエンドを迎える。そんなものは物語のなかだけの話。
……けれど。
そんな高望みはしないから、せめて愛し愛されて結婚するくらいは、望んでもいいだろうか。叶えることはできないだろうか。
だって、それくらいなら現実でもいくつも実例がある。昨今では貴族のなかでも恋愛結婚が流行っているそうだ。これからもっと増えるに違いない。
人生の伴侶に愛されたい。そして同じように愛したい。それは、決して大それた望みではないはずだ。
エミーリアがマティアスと顔を合わせ、爆弾発言を落としてきた日の夜。
寝る前に侍女のハンナがエミーリアの髪を梳きながら問いかけてきた。
「今日は陛下とお会いしてきたのでしょう? どうでしたかお嬢様」
ハンナはシュタルク公爵家に代々仕えている家の娘で、今ではエミーリア専属の侍女としてよく働いてくれている。エミーリアももう一人の姉のようにハンナを慕っていた。
「とてもやさしくて素敵な方だったわ。甘いものがお好きみたい」
「あら、殿方には珍しいですね」
「そうね。だから今度お会いするときはチョコレートを持っていこうと思うの」
「かしこまりました。用意しておきますね」
ハンナが櫛をしまいながらそう言うので、エミーリアはしばし考えたあとで口を開く。
「……わたくしが買いに行ってはダメかしら?」
プレゼント、というほど大それたものではない。どちらかといえば手土産といった部類だが――それでも婚約者へ渡すものならば自分で選びたいと思うのはおかしなことではないだろう。
「珍しいですね、お嬢様が買い物へ行こうだなんて」
ハンナが目を丸くしているのが面白くて、エミーリアはくすくすと笑う。
(そんなに驚かなくてもよいのに)
確かにエミーリアはあまり外出を好まない。買い物ならば外商を呼べばすむ話だし、そもそもエミーリアはドレスや装飾品も母や姉、それと目の前にいるハンナに任せてしまうことが多く、自分で選んだりすることは滅多にない。
エミーリアが個人的な用件で出かけるといったら、王立図書館へ行くときと、友人に会いに行くときくらい。
あとは屋敷に籠もって小説を読みふけっているか、勉強やレッスンに明け暮れている。
「陛下にお渡しするものだからわたくしが選びたいの」
「そういうことでしたらお供いたします」
「お願いね」
チョコレートを買いに出かけるなら、次に会う日の前日がいいだろう。エミーリアは頭の中で自分のスケジュールを確認して予定を立てた。
「それにしてもお嬢様がそんなに夢中になるなんて、よほど素敵な方だったんですね」
エミーリアと違って、ただの侍女であるハンナが国王陛下に拝謁する機会などあるはずもない。豆粒ほどの大きさならば見たことがあるけれど、というくらい。
「それはもちろん。それに、わたくしの目標は結婚までに陛下にわたくしを好きになっていただいて、恋愛結婚することですもの」
がんばらないとね、と意気込むエミーリアに、ハンナは固まった。
「…………はい?」
たっぷりと時間をかけて、ハンナは聞き返す。空耳であってほしい、と今ハンナは心の底から願っていた。
「だから、恋愛結婚するために陛下にわたくしを好きになっていただかなくちゃいけないの。ねぇハンナ、贈りもののほかにはどんな方法がいいかしら?」
困ったように見上げてくるエミーリアに、ハンナは震えながら問いかける。
「……まさかとは思いますが、お嬢様。それを陛下に――」
「申し上げたわよ? だって、こちらの目的ははっきり伝えておかなくてはダメじゃない」
まったく曇りのないエミーリアの瞳に、ハンナは頭を抱えた。
「あああ……迂闊だった……! お嬢様の突拍子もない行動がまさかこんなところで出るなんて……旦那様になんて言ったらいいのか……」
エミーリアは誰もが認める立派な淑女だ。貴族の令嬢の手本ともいえる。
しかしそれとはまた別に、エミーリアは時々令嬢らしくない行動をとってしまうのだ。本人は無自覚なのがまた困ったところで、周囲はそれに振り回されている。
例えば、屋敷の花壇の一角を畑に変えようとしてみたり。
例えば、カーテンを割いて二階の窓から外へ出てみようとしてみたり。
それらには一応理由があって、歴史の勉強をしていて、万が一食料不足になったときのために屋敷の花壇を畑にすればいいのでは? と閃いたのだとか。
小説を読んでいたらカーテンで縄を作り脱走するヒロインが描かれていたので、実際に可能か試してみようと思ったのだとか。
もちろん庭師に花壇の一角を畑にしたいと頼んだ段階で止められたし、カーテンを裂いている途中で侍女に見つかって公爵夫人からたんまりと叱られた。たいていのことは未遂ではある。
賢く知的好奇心が高いことはエミーリアの長所でもあるが短所でもあった。
「ちょっと唐突すぎたかしら? でも時間は有限ですもの、一分一秒でも無駄にはできないわよね?」
なんといっても、エミーリアとマティアスは既に婚約しているのだ。恋をして思いを伝えてという過程をすっ飛ばしてしまっている。遅れは早く取り戻さなければならない。
「……そうですね、そうです、そうなんですけどぉぉぉ……」
唸っていたハンナは気持ちを切り替えるとがし、とエミーリアの肩を掴んだ。
「こうなってはしかたありません。いいですかお嬢様、淑女のアピールは控えめにです! ひ・か・え・め・に!」
「まぁハンナ。ダメよ、そんな曖昧な言い方ではなくてはっきり言わないと」
控えめになんて言われてもそれは個人によって基準は異なる。エミーリアとしては現状も控えめな行動をしているつもりなのだ。きちんと要望を聞いておかなければ、ハンナの望むようにはできないかもしれない。
(わたくしはまだ、自分の希望を陛下にお伝えしただけなのに)
きょとんとするエミーリアに、ハンナは泣きたくなりながらしがみついた。
「いつもの完璧なご令嬢であってくださればそれでいいんですよぉ……!」
それは簡単なようで難しい要望だ。
エミーリアにとって、完璧な淑女であることは今更難しくもなんともないが、それではエミーリアの恋愛結婚をしたいという願いは叶えられない。
「だって、淑女の恋愛方法なんて習わないじゃない。それじゃあわたくしだって一体どうしたらいいのかわからないわ?」
そもそも貴族の娘は結婚相手は親が決めるものだ。恋愛結婚が増えた今でも、それは基本のまま変わっていない。令嬢が恋をするにはどうすればいいか、なんて誰も教えてくれない。
淑女が恋をするために必要な百の方法、なんて本が今目の前にあったならエミーリアも飛びついて熟読するのに。
「とにかく、ぐいぐい攻めるのはダメです。絶対にダメです。そういうのは殿方に嫌われます。お嬢様の好きなロマンス小説を思い出してください。少しずつ距離を縮めていくでしょう?」
昨今増えてきた女性向けのロマンス小説は、男女の恋愛をこれでもかというほどじれったく描いている。
何を隠そう、エミーリアもロマンス小説が大好きで大好きで部屋の本棚には何冊もロマンス小説が並んでいた。
「それもそうね……」
恋に落ちる二人が出会うまでは早いが、その後の展開はこちらがやきもきしてしまうほど遅い。手に触れてときめいて、見つめあっては黙り込んで照れるばかり。ヒロインは受け身であることが多かった。
「ですから、まずはお嬢様を知っていただくことからはじめてはいかがですか。手紙を書くとか」
ハンナの提案にエミーリアは目を輝かせた。
手紙。いいかもしれない。
物語でもよく恋する相手からもらった手紙を何度も読み返すシーンがあった。
「そうね! それは名案だわ! 好きになっていただくには、まずわたくしを知っていただかなくては話にならないわよね!」
そうと決まれば早速手紙を書かなければ、とエミーリアは机に向かう。
エミーリアが妙なことをしでかさないようにどうにか軌道修正できたことに安堵しながら、ハンナはエミーリアの肩にストールをかける。
「夜更かしはいけませんよ、美容の大敵ですからね」
やると決めたら誰が何を言ってもエミーリアを止めることはできない。だからハンナは注意しておくにとどめた。
「わかっているわ、陛下への手紙を書いたらすぐに寝ます」
気合いに満ちてるエミーリアに一抹の不安を覚えたハンナは慌てて付け加える。いささか気合いが入りすぎている。とても婚約者に宛てた手紙を書こうとしているようには見えない。
「あんまり長文を送ってもダメですよ!? あとお嬢様の要望を押しつけるような文もダメです!」
「わたくしのことを知っていただくのに、短い文では書ききれないわ?」
一体どんな内容の手紙を送るつもりだったのだろう。放っておいたら婚約者への手紙というより報告書のような束が出来上がっていたかもしれない。
「陛下はお忙しいでしょう? こまめに、少しずつ知っていただくのがよろしいかと。あまり長いと読むのを後回しにされますよ」
よほど愛しい恋人から届いたものでなければ、忙しくしているなかで分厚い手紙を読もうなんて思わない。後回しにされて、忘れられてしまう可能性のほうが高い。
「それはダメだわ。そうね、少しずつ、少しずつね」
ぶつぶつと自分に言い聞かせながらエミーリアは手紙に何を書くか考えた。最初の手紙になるのだ。思い出の品になるかもしれないのだから、変なことは書けない。
これはきっと夜更かしして明日の朝にはいつもより眠たげなエミーリアを起こすことになりそうだ、とハンナはため息を吐き出した。
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