第2話

「さて、着いた着いた~!」

「重かった…」

「帰りバケツ持って貰ってありがとうね。かいらたんは休んでていいよ。」

「…ううん、やるよ。助けて貰ったし。」

つくしが拾い上げたじょうろを手に取りかいらはバケツの水を移していく。

「かいらたんって意外と義理堅い?」

「どうだか…どのくらいあげればいいの?」

「じゃあ私見てるからあげていって?」

「分かった。」

水は次々にいばらを濡らしていく。水滴に光が反射し小さな虹が出来る。

「さっきの話…」

「え?」

ふいにかいらが話し始める。

「空を飛びたいかどうか。」

「あ、それね。」

「うん、空なんか飛んでたら下から人間がわーわー言ってくるかもしれないし、嫌な目に遭いやすいだろうし飛べなくてもいいかな、なーんて。」

「あはは、もしもの話なんだからそういうのも許してくれる世界ならとかでいいのに。」

「…許してくれる、ねぇ。」

空になったじょうろに水を満たしていく。揺れる水面が赤い目に写る。

「こっちの花壇にもあげるよね?」

「うん、お願い。」

花をよく見ると茎も細く、あまり多く蕾はないようだった。

「これってこういうものなの?」

「あー…うちの村ってあんまり土がよくないらしくってどこの家もこんな感じなの。かと言って他に売れるものもないからさ。」

「ふーん…」

葉をそっと触っていたかいらは手を離した。

「お水はもうたくさんかな、手伝ってくれてありがとうね。」

「ん、あとはやることないの?」

「虫を取るとか。」

「それはちょっと…」

「虫苦手なの?かいらたんって元々居たところで何してたの?その分だと牧人でもなさそうだし…」

「あぁ…服直すやつだよ。上手く直しすぎて怒られたりもしてたけど。」

「繕うの上手いの?私のも直してもらおうかなぁ。」

「いいけど、わたし見られてると出来ないからやるならつくしさんが庭にいる時じゃないと。」

「ふふ、なにそれ?緊張するの?」

「あぁー、まぁそういうこと。」

じょうろを隅に片付け、腕を上にしてぐいと伸びをしてつくしに向き直った。

「出かける予定があるなら直したいもの渡してくれればやっておくよ?」

「本当?3着くらいあるから別に今日中じゃなくてもいいんだけどお願い出来るかな。私、これから森にきのこでも探しに行くから。」

「うん、いいよ。」

「なら出してくるね。」

ギィとドアを開けて家に入っていったつくしの後を追わずにかいらはその場に立ち尽くしていた。ふいに空を見上げて眩む目を伏せた。

「…なんで直すなんて言っちゃったかなぁ。馬鹿だなぁわたし。」

悔いるような独り言を吐き肩を落とし俯いた。そして自分の腕の怪我を確認した。

「傷のこともあるし…明日になったら帰るって言うか…」

「服あったよ!もう、なんで入ってこないの?」

「わ?!び、びっくりしたぁ!ごめんね、なんかボーッとしちゃって、えへへへ…」

ブラウスとスカート2着を持ちドアの隣の窓から顔を出して早く入っておいでと手招きをするつくしに、ヘラヘラと笑いながらドアを開け家に入り服を受け取った。

「だいぶ着てるんだね。」

「新しいのなんてなかなか買えないからねぇ。じゃあ行って来るから留守番もお願いね?」

「うん、いってらっしゃい。」

つくしがピタリと動きを止めて振り向いた。驚いたような顔をしてかいらを見つめる。

「え、どうかした?」

「あ、ううん、なんでもない。行ってきます。」

パタンと閉じたドアを見届けた後遠ざかる足音が聞こえなくなるまで待ち、かいらはテーブルにつくしの服を広げた。

「さて…やりますかぁ…」


籠の中にきのこをいくつか入れたつくしはドアの前で緊張を解くように深呼吸をしていた。意を決したように籠の持ち手をグッと握りドアを開いた。

「た、ただいま!」

「あ、おかえりつくしさん。」

棚にあった本を読んでいたかいらが顔を上げた。それを見てつくしは安堵した表情を浮かべた。

「…ふふっ」

「どうかしたの?あ、きのこあったんだね。」

「え、あ、うん。今日は何個かあったからソテーにでもしようかなぁ。」

「あー…あのさ、そうやって食べ物を分けてくれたりとか長居するのも悪いし、わたし明日には」

「私ね!」

遮るようにつくしが大声を上げた。

「…私ね、父さんと母さんが死んでから家を出るときに行ってらっしゃいなんて言われたことなかった。ただいまなんて言っても返ってこない。村の人は優しくしてくれるけど、みんなには帰る家があるから…ねぇ、かいらたんさえ良ければこのまま…」

俯いたつくしの表情は分からない。手にした籠は震えている。

「それは迷惑かけるから…」

「迷惑なわけない。」

「つくしさん…」

行き場がなく掴んだままだった本をテーブルに置きかいらは椅子から立ち上がりつくしの前に立った。

「わたしと一緒に居たい?」

「本当はずっと寂しかった。でもそんなの村のみんなに言えなくて、昨日かいらたんを森から連れて帰るときからあなたの体温に触れたときからもう私は…っふ?!ん、む…」

俯いていた顔を上げさせかいらはつくしと唇を重ねた。窓から入り込むオレンジの夕暮れが2人の髪を光らせる。2人の荒い息が混ざりあうままにかいらはつくしを抱きしめた。

「ごめんね…」

「なんで謝るの、かいらたんは悪くないよ。」

「そうかな…分からないよ。」

ぐっと強く抱きしめ直すとつくしの肩に顔をうずめた。

「私が一緒に居たいんだよ。こんな気持ちになったのは初めてなんだ。」

「うん…分かった。つくしさんの寂しさはわたしが埋めるよ。満ち足りたら消えるから。」

「じゃあずっと求めるよ。」

「貪欲だなぁ。」

ふっと笑いかいらはつくしの頭を撫でる。撫でる手を取り、つくしがかいらを狭いベッドの上に誘った。

「貪欲な私のこと、もっと教えるね。」

「お、お手柔らかに…?」

ギィと音を立てるベッドが乱れたシーツをだらりと下げる。窓から入り込む色彩はとうに紺へと変わっていた。ろうそくを立てなければ暗すぎる家の中で急き立てられるように2人は体を繋ぐ。決して見えず触れない心を掴む代わりに濡れた掌を握り合いそれが契りだというように何度も互いの唇を噛み吸い舐めた。つくしがかいらの背中に縋ると怪我にざらりと触れ、既に森から連れ帰った時よりも小さくなっているように思えたがそんなことは問題に出来ない程にもう家を支配する薄闇色のこの世界に足を取られ藻掻くこともなくすっと更に暗いその奥へ自分から身を委ね1人堕ちていく心地の良さに微睡むまま小さな違和感から目を逸らすように目を閉じた。

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