過去と塗り替えられた現実

 燃え盛る大地と先が見えない絶望。痛み、苦しみ、悲しみ、負の感情がそれぞれに意思を持って暴れている。もういっそのこと吐き出した方が楽なのかもしれないが、それさえもする体力が僕にはもう残っていない。



 安寧の日々から、絶望に塗り替えていった黒色のローブに包まれた憎き相手。


 僕はこの場に留まった意味を確認するためにこんな夢を見ているのかもしれない。








 先の戦闘に心身ともに疲れ果てていた僕は、基地内の個人用寝室で深く眠っていたようだ。


 あれから二日過ぎていたのだ。



 僕は重い、けれど夢の中よりはよっぽど軽い足を引きずりながら部屋を出た。とりあえず自分の部屋に戻り、遂行予定任務リストを確認しに行くのだ。



「おっ、久しぶりだな。元気にしていたか?」



 僕の知り合いは数えるぐらいしかいない。殆ど任務中に帰らぬ人と成り果ててしまったのだ。


 そのなかで彼は唯一知り合いよりも一段上の関係。義父のような存在だった。



「おはようございます。ミスター・レン」


「そんな頑なな名前じゃなくていいよ。レンでいい」



 通路で偶然遭遇した人物、すらりとした細身、長身でいて戦況を瞬時に把握するぐらいの熟練者。彼は僕の恩師でもあり、僕をこの場に導いてくれた最初で最後の人物だった。



「はい。ならばレンさん……やっぱ違和感がありますね」


「そうかそうか。ならそのままでいいよ」



 体と対照的に見えるその心と気前の大きさは、僕だけでなく多くのメンバーに支持されている。だから大抵の小部隊のリーダーは彼に決まってしまう他無かった。



「それにあなたには返しても返しきれない恩がありますし……」



 僕は独りこの場所に来て世界の監視を行おうと決めたのではなかった。孤独な僕を闇や絶望から救いだしてくれたのは紛れもない彼だった。僕は彼と同じ場に残ることで何か恩返しがしたかったのだ。



「それは気にしなくていい」



 無論彼のためにということが建前だが、大部分は自分のためだった。









「遅いぞササキ。絶望でひしがれて自殺したのかと思ったぞ」



 自室に戻ったあと、真っ先に受信されたメッセージフォルダを覗くとケリーからのものばかりで埋め尽くされていた。初めは任務報告関連だったが途中から僕の安否を心配してくれたものばかりだった。僕は正直僕という存在を認めてくれる人が存在していることに嬉しくてたまらなかった。



「悪い冗談だな。それはないよ」



 だから僕は笑ってその場をやり過ごした。けれど彼はそんな自分勝手な行動を許すはずもなく、無意識ながら口に出てしまったのだろう。



「じゃあ、どんな夢を視たんだ?」



 彼は僕が深い眠りにつき、それが寝心地が良い夢を視たはずがないことをもう分かっていたのだった。



「僕がここで働こうと思った時のことだよ」


「ほお、それは興味深いな。そういえば俺がこの仕事を始めた訳は話したが、お前のは聞いたことが無かったな。聞かせてくれ」


「君に聞かせてもつまらない話にしかならないと思うけど」


「お前はそう思うかもしれないが、俺は俺だ。まずは聞かなきゃつまらないも何も分からないだろ」



 僕は焼け焦げた地で彼に助けられたこと、そして自分の恩師として彼の背中を追っていることを話した。僕にとって秘密の中の一部を告白することだから、共感や共通の話題を持てて少しばかり安心した。



「良い話じゃないか。お前は助けられた恩を返すためにここにいるってか。羨ましいぜ」


「でも、最近は僕の行いが正しいのかどうかが分からなくなる。自分達が生きるためにたとえ人を殺めてでもこの仕事を続けている」



 彼は口を開こうとするが、彼の真意を理解していた僕はあのときの言葉を引用する。



「確かに彼等もあの紛い物の幸福から逃げ出さなかったのも悪いよ。だけど、僕達が彼等に手を差し伸べる道は無かったのかな」



 高層ビルが並ぶメインストリートの中心部にあるカフェテリア。上空には天気予報や世界各地のニュースなど多くのリソースがデジタル化したホログラムとして投影されている。



 そんな物騒な人工物まみれの場でティータイムを優雅に愉しむ僕ら。



 彼は沈黙を破る第一声を発した。あまりにも現実的で僕はまた説教されているような境地に至った。



「例えばこのスコーンだ」


「聞くまでもないが、この原材料は分かるよな」


「小麦粉がメイン」


「そう小麦粉だ。ではそれは一体どこで作られていると思う?」



 僕は初め馬鹿にしているかと思った。なぜならスコーンを包装している裏面を、あるいは右手のミサンガをスコーンに近づければ、前者は直接何がどこでいつ作られたか分かり、後者は食べた栄養素など詳細まで記録してくれる。



 ミサンガは記憶媒体の一種で食品詳細表示以外にマップ表示やメンタル管理まで幅広く用いられる利便性に特化したAR型デバイス。



 僕ら東京で生活する人間の中で所持していない者が見当たらない程、必需品だと唱われている。




 話の路線を正そう。僕はカフェテリアで購入したスコーンを手に取り裏面を確認した。



――原産国及び製造場所名:日本国東京都市近郊農林水産区画――



 農林水産区画――壁に最も近い場所に位置する作物産業区画である。



 東京は物々しい壁に包囲され、その内側に円を書くように農林水産区画が占めている。



 僕達はそのさらに内側の都市部で生活しているのだ。




「農林水産区画じゃないのか?」



 僕の言葉を聞いた彼は「やはりな」と言わんばかりの溜め息を吐いた。



「俺達があんなちっぽけな工場だけで生きていけると思うか?」



 僕はいつしか忘れ去っていた記憶を掘り返していた。それは東京に住む人々の人口と、土地の関係から食糧自給率に矛盾が生じていたこと。



「答えはNOだ。生きていけるはずがない、野垂れ死ぬのがオチだ」


「なら本当の原産国は何処か?」



 彼は雄弁な口調になりつつ、自ら発する言葉を吟味しているかのようだった。



 それは彼がその被害者だったからだろう。



「アメリカ?」


「その通りだ。主にグレートプレーンズで栽培されている」



 大規模な穀倉地帯でアメリカの輸出の要だったその場所は、すでに僕らの国が占拠してしまっている。



「他にもラズベリーはロシアから買い占めている。要は俺達は自分自身の足で立って生きていけないんだよ」



 教育課程で教え込まれた時、僕は何となくそんな気がした。けれど他国の状況を上層部にコントロールされている時に反論など出来やしなかった。



「なら、なぜ日本はその事実を隠すんだ?」



 僕は幼げな頃から抱えていた問いを打ち明けた。



「俺達が自分で生きていけるという自尊心が欠けないようにするためだ」


「平凡に暮らすこの国の住民は俺たちの行いに何ら違和感を持たない」


「なぜなら縁も所縁もない他国の干渉だからだ。しかもそれは占領なんて物騒なことだと伝えない、諸国の保安かつ平和の為とか言ってやがる」


「だからあんな呑気に暮らしてるんだよ」



 デバイスを身につけ自らの肉体と心を確認しながら完璧と名ばかりの生活を過ごす。



「だからって俺たちが、そんなお国の現状を話したって誰も信じやしない。不信感が増すだけだ」


「何故だか分かるよな?」




 僕はただ黙って頷くことしか出来なかった。



 僕達は完璧な生活を壊したくない。そう望むのだから。


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