第7話 匠の記憶を辿って

 勇人は監察医をやっている友人にしつこく頼み込み、つてを頼って雑居ビルで死体で発見された男の死因を聞き出すことができた。大量の失血が直接の原因だということだった。頸動脈を鋭利な刃物で切られたことによるものだった。頭や体にも打撲の跡があったが、致命傷はなかったようだ。


 岡本匠が事件に関係していることは確かだ。しかし、殺意を持って男を殺したとは信じられなかい。もう一人の関係者、匠の彼女の一条菜穂にぜひとも合わなければならないなと確信した。


 匠の仕事が休みの日に、一条菜穂の家に行ってみることにした。電車を乗り継いで近くの駅まで行き、小さな商店街を歩いていくとまだ午前中のせいか道行く人の姿はまばらだった。


 菜穂のアパートへ向かい、家の近くから窓の様子をうかがった。その時匠は思わず声を出した。人影が動いたのだ。


「あっ、菜穂。」


 しかしそれは、兄の姿だった。何度か家の前を行ったり来たりして何かを必死で思い出そうとした。暫くそうしていた。


 勇人は時計にちらっと視線を向けた。


「そろそろ駅の方へ戻りましょう。」


「あっああ。でも、会えないまま戻るんですか?」


「いいから、駅前で待ちましょう?」


「どういうことですか?」


 面食らっている匠を、麗奈が促した。


「とりあえず座って考えましょ。」


 駅前にコーヒーショップがあったので、椅子に座って外を見ていた。スタンドで注文し、窓際の席に座って、道行く人をぼんやりと眺めていた。


 ほぼコーヒーを飲み尽くし空になったカップをもてあそんでいたころ、外を歩く女性を見てはっとなった。サングラスをして、キャップを目深に被ってはいたが、菜穂のようだと思った。匠はカップもそのままに、急いで立ち上がり見失わないように素早く菜穂を追った。


「菜穂! 俺だ」


 菜穂はその声を聴くと一瞬はっとしたが、立ち止まって匠の方を向いた。


「匠、長い間ごめん。色々訳があって……」


 菜穂はふうっと大きく息をすると、一か月半ぶりに匠に会えた嬉しさを隠し切れず涙ぐんだ。


 遠くで見ていた野間勇人と看護師の小池麗奈も、二人に近寄った。匠から離れて見ていることにしてコーヒーショップでも、離れた席に座っていたのだ。三人は駅前の騒音から離れるため、近くの公園へ移動した。人のいない木陰を見つけそこで話すことにした。


「単刀直入に聞くよ。あの殺人事件と俺たち何か関連があるんじゃないか? 俺と、菜穂とお兄さんがそこにいたような気がしてきたんだ。それからオオカミの仮面をかぶった男って誰なんだ。」


 匠は、菜穂の眼をじっと見ながら真意を確かめようとした。


「何でもないのよ。あなたは幻影を見ているだけ!」


「違うだろ! 俺はその幻影にいつも脅かされている。正体を明らかにしたいんだ。」


「思い出したら匠が傷つくだけよ!」


「それでもいい、お前だけが苦しむくらいなら!」


 匠は、菜穂の肩をしっかりと掴んだ。


「わかった……あたしは、芸能プロダクションの勧めで、ビデオをとることになった。それがメジャーデビューする近道だといわれてね。でも内容は、単なる興味本位で、お尻や胸を出して触らせるというアダルトビデオだった。」


 勇人は、それを聞いて思わず菜穂に確かめようとした。


「あなたは不安がなかったわけではなかった。それで念のため、お兄さんと匠さんに連絡しておいたんですね?」


「はい。正確に言うと携帯電話を通話状態にしてビルに入ったんです。私と、彼らの会話が聞こえるようにして。あわよくばデビューをという気持ちと、怪しいビデオじゃないかという気持ちと半々だったんです。」


 麗奈は、怒りを露にした。


「女性をだまして金儲けをたくらむやつがよくいるのよ!」


 勇人は、話を続けた。


「それで、あなたのピンチがすぐにわかり踏み込んだ! 」


 菜穂は、もうすべてを話して力になってもらった方がいいと判断して、その時の状況を詳しく説明し始めた。


「二人が入ってきたのは、ビデオカメラが回り始めた時でした。私はセーラー服を着てポーズをとっていました。そこへ変な着ぐるみを着た男が迫ってきました。なんかおかしいなと思い逃げ出そうとしたのですが、がしっと肩を捕まれて身動きできなくなってしまいました。その時です。二人が現れて、私の腕をつかみ引っ張って逃げようとしました。ビデオを持った男が慌てて私を掴もうとして着ていたセーラー服のリボンを掴みました。私も思い切り引っ張りました。つかみ合いになり、びりっと割けるのがわかりました。それを見た匠が反撃しようとしたんですが、逆に頭を殴られ気絶しちゃったんです。自分も危ないと思った兄が、近くにあったハンガーを振り回し、何度か男に当たりました。でも、体制が不利だと思い、とっさに私立っていたライトを男めがけて倒しました。運良く、と言っていいのか、悪くといっていいのか頭に当たり、気絶しました。あとはもう怖くなって、兄と私で匠を支えながら廊下に出て、誰もいないことを確認して非常口から外へ出ました」


 菜穂は、そこまで一息に話しがっくりとうなだれた。


「そうだったのか。俺は気絶してしまったのか……」


 菜穂は、じっと匠の方を見つめていた。思い切って打ち明けほっとした表情をしていた。


「後で新聞を見て、男が死んでしまったことを知ったんだな?」


 勇人は、訊いた。


「まさか、死んでしまうなんて……、信じられませんでした。それほど傷がひどいとは思わなかったんです。それにその時はそれほど大けがをしたとは思わず、逃げるしかないと思ったんです」


「そのあとのことは、全く知らないわけだよなあ。警備員が見回りをして救急車が来るまでのあいだは。」


「あっ、ひょっとして、俺たちがいなくなってから警備員が見回りをする間にだれか入ったと……」


 匠は、素っ頓狂な声を上げて、考え込んだ。


「菜穂さんは、何時ごろビルを出たか覚えてますか。家に着いた時間でもいい」


 勇人が、訊いた。空白の時間があったとしたらその間に何か起きても不思議はない。


「それからもう一つ、着ぐるみを着た男はどうしたんですか。」


「気が付いたらいなくなっていたんだ!」


 逃げてしまった男はどこへ行ってしまったのか?


「兄が、コインパーキングに止めた車を取りに行って、気を失っている匠を車に乗せて時刻を見たら、十時五十分になっていました」


 菜穂は、思い出した。二人で匠を担いで車に乗り込むと、人通りのほとんどない裏通りから、都会の大通りへ出てほっとしたときのことを。


 その後、菜穂と兄は匠のマンションに寄り、ベッドに寝かせた。そこで一晩明かすと、匠は目が覚めたものの昨晩のことを覚えていなかったのだ。その間ビルのスタジオ兼事務所はどうなっていたのか?


「社長と一緒にいて、逃げてしまった着ぐるみの男は、戻ってこなかったのか? 救急車を呼んだのは、深夜過ぎに警備員が見回りをしてからだったよな」


 しかもオオカミのかぶり物は、あの部屋にあったんだ!


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