第8話 結末

 勇人たちは、そこまで話すと再び駅へ引き返そうと歩き始めた。少し歩いたところで、後ろから一台の車が近づき、静かに止まると三人の男が下りた。そして、菜穂の前に来ると強い口調で詰め寄った。


「警視庁のものです」


 三人は、警察手帳を見せながら菜穂を取り囲んだ。


「一条菜穂さん芸能プロダクション社長大月健也さんをご存知ですか?」


「はい。知っています」


 菜穂は、もう逃げ隠れせずにありのままを話そうと決心した。


「プロダクションの事務所にあったスケジュール表の社長が殺害された日の欄にあなたの名前がありました。あの日のことを詳しく聞かせてもらいましょう」


 次に匠に向き合った。


「岡本匠さん、あなたも来てください」


「はい。僕はようやくあの日のことを思い出したところです。今まであいまいだった記憶がやっと繋がりました。正直ほっとしているところなんです」


 刑事は勇人に向き合ってお辞儀した。


「あっ、それから野間先生。ありがとうございました。先生のおっしゃったとおり、あの日あそこにいたアルバイトの俳優が致命傷を負わせたことがわかりました」


「やっぱりね」


「なぜ、彼だとわかったんですか」


「だって、撮影するのになぜあんな被り物をする必要があったんでしょうか。アルバイトで女性と絡む場面の撮影をすることになったものの、直前になって同じ劇団の研究生だということを知ったんじゃないんですか? 顔を合わせたことがある女性じゃ気付かれるでしょ」


「確かに先生の思った通りでした。研究生の写真の中から、警備員がビルに入っていった男を特定することが出来ました」


 菜穂は車の外から兄に向かって安堵の顔色を見せた。菜穂はほっとして警察の車両に乗り込んだ。

 勇人は、女優になることを夢見ていた菜穂のことを匠から聞いてから菜穂の味方になりたいと思っていた。


「その男は、菜穂さんたち三人が逃げ出してから事件現場に再び戻り、倒れている社長の財布から金庫の鍵を抜き取り、中にあった現金を持ち去ろうとしました。ところが意識があったので持っていたカッターナイフで切り付けたら、あまりに出血がひどくて怖くなって逃げたのです。金庫に付いていた指紋と彼の指紋が一致しました」


「菜穂さんたちは社長には怪我は致命的なほど負わせてないと思います。たぶん、その時は脳震盪を起こしていただけなんじゃないかな」


「その通りです。致命傷は首を鋭利な刃物で切られた時の出血多量によるものです」

 やはりな、あいつが言った通りじゃないか。

と勇人はうなずいた。


 そこまで話すと、刑事は車に乗り込み三人を乗せた二台の車は静かに走り去っていった。  

 菜穂、匠、菜穂の兄正樹の三人は、警察署で、事件のあらましについてすべて話した。

菜穂は、芸能界デビューできるならと、周りが見えなくなっていたことも認めた。そういう若者の心理を利用して金儲けをたくらむ輩がいることも身に染みてわかった。


 匠と菜穂の兄については、菜穂を助けるために入ったということで、全く非は認められなかった。

 アルバイトの男はその後現場を立ち去ったが、逃げて行った三人が捕まれば彼らの犯行になると誤算していた。その後の調べにより社長の血液がアルバイトの衣類に付着していたことが判明した。


 勇人は、匠が最初に病院に来た時のことを思い返していた。何かにおびえて、眠れない日々を送っていた。何におびえているのかと辿って行くことはできたが、菜穂との関係は修復できるのだろうか? 二人の行く末が心配だった。


 突然麗奈が勇人の顔を覗き込んでにんまりと笑った。


「何を考え込んでるんですか? あの二人だったらきっとうまくやっていきますよ」


「いつも何の根拠もなくいうよな。 全く危なっかしいじゃないか。」


 二人は駅の方へ向かって歩みを進めた。


「だって、匠さんが菜穂さんを見つめる眼差しを見ましたか。心配で心配でしょうがないっていう目つきでした。別に根拠はないですけど」


「そうか、この間の食中毒事件も奇妙な出来事だったけど、何とかなったもんな」


「あっ、そうだ。さっき喫茶店でケーキ食べるところだったんだ。もう一度言って食べなおしましょ」


「そうするか! 俺も食べてなかった。ずっと外を見てたから」


「早く、早く!」


 麗奈は、急ぎ足で勇人の前を進んでいった。


 数日後の精神科クリニックの診察室、最後の患者の診察を終えると、精神科医の野間勇人と看護師の小池麗奈は、帰り支度をし始めた。白衣を脱ぎ身支度を整えるとトントンとノックする音がした。


「あれ、もう診察時間は終わったのに。誰だろう?」

 麗奈は、不思議に思い、ドアを開けた。


「こんにちは! 僕です、今日は菜穂と一緒に先生に会いに来ました。是非お礼を言いたくて」


 ドアの外には、ポロシャツにジーンズ姿の岡本匠とグリーンのTシャツに黒いミニスカートを履いた一条菜穂が立っていた。その手には有名な洋菓子店の袋が握られていた。


「これ食べてください。駅前のショッピングモールの洋菓子店で売ってる有名なチョコレートケーキです」


 菜穂が袋を差し出した。


「そんなあ。気を使わないでください」


 口では、遠慮しながら麗奈は笑顔で近寄って行った。


「私、また劇団の練習所に戻ります。すべてを打ち明けて戻れることになりました」


「ここのクリニックで先生と出会わなかったら、こうして菜穂ともう一度以前のように話すこともなかったでしょう」

 勇人は、匠の屈託のない笑顔を始めて見た。 


このクリニックに明るい表情で来る患者はほとんどいないが、これほどまでにすがすがしい顔でお礼を言われたことはなかった。


 二人が寄り添って帰って行く後姿を見送ってから、ケーキの箱を開けた。するとケーキの上には、勇人、麗奈、ラブと書かれたプレートが載っていたのだ。

 麗奈は大笑いして、勇人に見せると、


「悪い冗談だろ?」


 と麗奈の顔を見て噴き出した。二人は大笑いしながらも、楽しげにケーキにぱくついた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

メンタル・クリニックの事件簿 東雲まいか @anzu-ice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ