第6話 再びクリニックでは

 そのころクリニックでは、野間勇人と看護師の小池麗奈が匠を待ち構えていた。匠は先ほど頭の中に現れた顔の話をした。


「目と口が裂けていて、まるでオオカミのような顔をしていました。そいつが暗闇の中を動き回っているのです。その後、自分や数人の人間たちが格闘している姿が浮かびました。勝手に自分で作り出したものなのでしょうか? それらの映像が頭の中でぐるぐると回り、次第にもやがかかり、消えて行ってしまいました。その後静寂が訪れました。気が付くと、私は道にうずくまっていました」


「想像上のことではなく、本当に起こった出来事だと仮定したら、どうでしょうか」


「実際にオオカミと人間たちが格闘したことがあったということですか? その中に私がいたということですか?」


 匠は、頭を抱えて、じっと目をつぶって思い出そうともがいた。


「はい、それに似たようなことが起きたのか、あるいは、何か恐ろしいものと格闘したことがイメージとなって表れたのか、どちらかなのでしょう。」


 あのビルの近くを歩くことでイメージが具体化したということは、そこに何かヒントが隠されているのではないか。早く思い出せるといいのだが。


「先生、ちょっと話は違うんですが」


「いいですよ、話してください。どんなことですか?」


「数日前会社の上司で上田さんという人が、食中毒で救急車で運ばれたんです。その原因が、女子社員の弁当にあったんです。弁当は朝から給湯室の冷蔵庫に置かれていて、社員ならだれでも出入りできる場所にありました」 


 精神科医の野間勇人は、これは話が長くなりそうだぞと思った。看護師の小池麗奈は、勇人の眼が好奇心で輝きだすのに気付いた。


「疑われたのは作った本人と、同じ課の女子社員一名、彼女は友人ですがイケメンの上田を取られるのが嫌なので嫌がらせをしたと勘ぐられました。私も疑われたんです。私はそんなことしませんよ。いつも鬼上司に、残業を言いつけられてるのが癪に触ってやったんじゃないかと、疑いの目で見られました。でも、私は仕事は仕事と割り切ってますよ。残業するのは自分のせいですから。」


「原因がわからないので、皆疑心暗鬼になって、犯人探しをしているんですよ。自分が疑われるのは嫌だし。」


「警察は入らなかったんですか?」


 勇人が尋ねた。


「上田さん、自分のせいで皆が気まずくなるんじゃないかって気にして、警察には言わないでくれって言ったんです。本当にそれでよかったのかなあ。上の人間も、上田さんが一週間ほど休んで戻ってきたので、公にしたくなかったようです。大事にならなければいいけど」


「わかります。上田さんの交友関係や、様子がもっと知りたいな」

 勇人は膝を乗り出して、質問を続ける。


「彼は年は三十ぐらいです。一か月ぐらい前から経理課の春美さんと付き合いだしたようです。社内の親睦会で屋形船に乗ったときに席が近くなって、晴美さんがしきりに口説いてました。上田さんが、栃木の支社から四月に転勤してきてから、ずっと狙ってたんじゃないかな。トイレに行った帰りに、しょっちゅう設計課の部屋を覗いてたから。上田さんもイケメンとよく言われるけど、女性とはあまり付き合ったことがないみたいで、意外と初心なんですよ。声をかけられると舞い上がっちゃうんです。女性にお弁当を作ってもらったのも初めてだと言っていました。俺いつも、上田さんと食堂に行ったり、コンビニで買ってきたりしてたから。その日に限って、にやにやして、一人で食べろって言われました。」


「では、そのお弁当を上田さんが食べるということを知っていた人間はいますか」


「設計課の人間は誰も知りませんでした。経理課に、横山由香さんという友達がいます。彼女三十二歳で、彼女より四つ位年上です。


「二人はよく一緒にいるので、知っていたかもしれません。もう一人経理課には女性がいるのですが、仲は良くないらしいですね。男性陣から聞いたんですが、若月さんというんですが、彼女には二人とも冷たいらしいです」


「若月さん? 下の名前はご存知ですか?」

 

 勇人は、もしかしてこのクリニックの患者の若月さんではないかと思い、聞き出そうとした。


「若月あづささんです。通勤途中朝よく会うんで、話したことありますよ。気さくで、設計部は遅くまでお仕事大変ですねえ、って励ましてくれました。そんなことないよ、若月さんも大変なんじゃない、と言ったら、複雑な表情をしました。やはり、あの二人とはうまくいかないのかなと想像してしまいました」


「どうしてそう思ったんですか?」


「私、先輩の女性たちに好かれてないのかな? しょっちゅう注意されちゃって、と嘆いていたものですから。」


 勇人はさらに質問した。


「若月さんには非がないと思ったんですね。」


「ハイ、彼女はどちらかというと設計部の中では好感度が高いんです。」


「あっ、そうか。若月さんは男性職員に人気があるんですね? 確かに好感度高そうですね。経理課以外の人ともよく話してるんですか?」


「はい、気さくで、変に意識しないで誰とでも話しますね。それに、勉強家で設計のことも会社に入ってから勉強しているようで、話も合いますから。二人に妬まれるとしたら、そんなところなんじゃないかな。うちの課では好感度が高いし、頭も切れる。女同士の僻みってやつかなあ」 


 今までの話を、隣で聞いていた看護師の小池麗奈が、二人の間に割って入った。


「そうだ、今度三人で、例のビルの近く、いいえ中まで入ってみましょうよ。先生も一緒に行きましょ!」


 麗奈は、好奇心一杯の顔をして、二人の顔を交互に見た。


「土曜日は休みですよね。岡本さん」


 ドクターの野間勇人は匠に向き直った。


「は、はい。いいんですか? 俺はうれしいけど」


「話は、早い方がいいわよね。明日行きましょう、ねつ先生」


 その場で話は決まり明日の朝待ち合わせることになった。

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