一過性
辛い授業が終われば週の真ん中でもしょうもない田舎の、それも場末の飲み屋に駆け込む。そんなにおいしくないご飯と、雑なママ、でも居ついてしまう。人との関係に飢え始めたかもしれない―――でもそれはポスドクになってからかな。地方大学、学振DCと研究者としての成功のキャリアパスと、現実的に自立できる環境。その間は飲みに行くときはKのおっさんが良い飲み屋に連れて行ってくれたし、あのおっさんの次男が自分と同じ年齢で、しかも物性研、なんとなく同情なんてものがあったのか、それとも愚痴が言いたいだけか知らないけどウマい飯と酒にありつけていた、タダで。まぁこんな日も続かず、博士号を取ることが決まれば就職先を決めなければいけない。そんな過去の事を思い出しながら今では飲みなれてしまった黒霧島をあおる、まぁこのころから飲み始めていたのだが。思い返せば日本酒ばかり飲んでいたころにあのおっさんは「僕は焼酎が好きなんだ」とそればっか飲んでいたのを、別々に頼むのがめんどくさくなってボトルを入れるようになり、インターネット上の友人にも勝手にあのおっさんのボトルを使うようになり……。まぁそんな感じで焼酎をこの舌が纏うようになって長い―――あの頃は酒蔵の原酒だったわけだが。まぁそんな日々を終えてあのおっさんの元を巣立つべき日が迫ってきていた―――この頃にはそれなりに論文を出していて早期卒業の要件は満たしていたわけだが書類を書き忘れた人がいて―――後ほど「しっかりやって適当に早期卒業したやつに見せつけてやれ」とか笑いながら言われたわけだが結局はあの人のうっかりだろうよ、でもそれでよかったのかもしれない。何せ学振のポスドクは落ちて次の行先が決まっていなかった。私大や公立大の助教、全部通らない、二月を迎えても行先が決まっていなかった、実験家ではないから助教としては取りづらい、どことも馴染まなさそうな共著者の少ない論文たち、人柄に問題がありそうとも捉えられる証明写真。なんというかあのおっさんはあんまり仲のいい人がいるわけではなかった、確か東大で助手になって博士号、マンチェスター、ボルドー、北海道とかそんな感じ。長い事同じ場所にいついて居ついて誰かと一緒にやるなんてことが出来ずに、幅広い分野の人と多くの―――トップクラスの人とはたまにしか論文を書かず、企業に無給でデータを渡して「僕が気になる事分かったからいいや」とか宣うようなおっさん。そんな感じでアカデミックの場ではコネもなく―――いや、みんなあの人の事は尊敬はしてるんだよ、この国におけるとある手法の創始者みたいな人ではあるわけで、でも秋ごろの学会とかで「活発で、能力もある貴方に来てもらえたら嬉しいんですけどね」とかそんなおべっかを取り繕われるだけ―――結局この人の所に行く訳なんだけどもっとうまくいかなかった頃の話をしようか。あのおっさんは「僕もうまくいかなくてまずフランスに行ったんだよ、そこで魚屋の息子だったから地中海の鯖で〆鯖をビネガーで作ったら喜ばれてね」とかどうしようもない自慢話を聞くばかり、あげくの果てには第八のやつに大麻パーティに誘われてとかなんの役にも立たない昔話をされる。まぁただ最後にはなるようにはなるよ、とだけ言われるわけ、とはいっても全く気休めにもならない、このおっさんは確かD2の頃に中退して助手になる、昔の出世コースを歩んでいるわけで、まぁでも最悪見つかんなかったらなんとかポスドクとしてうちで雇えるようにはするとか言ってくれた。結局次の職が決まったのは三月の始め、雑なCVとスカイプ面接を経て理学部で雇ってもらえることになった、奇しくも秋の学会で「来て欲しいんですよね」と言っていた人が准教授をしている所。これまで出した投稿論文と、これから出そうとしている論文、そしてくどくどと書いた手法の解説、ドクターの頃の学科では誰も読みたがらない数学の証明がひたすら書かれたものをくっつけたキメラを提出して、学位授与式に出ることもなく私は巣鴨に移り住んだ。余りに時期が遅く、本郷は元から高いとしても根津とかにすら家もなく巣鴨に駆け込む。でも一人前の称号を得て、研究者として独り立ちできたことは素直に嬉しかった、何よりK先生やTさんに感謝した。恐らく世の中にはできる人間を縛り付けて自分の道具にする人間が多い、その中で放置してたまに構ってくれるセンセというのは貴重なわけで、何より聞けば教えてくれるし、無理だったら「僕が紹介するからこの人に教えてもらって」なんていう素直な人は恐らく少ない、これは二回目のポスドクの時に感じた、その時のボスはかなり強権的だったから、とは言ってもその人もいわゆる親分という感じで少なくとも外部資金でのポスドクとしては悪い印象を持てなかった。本郷に移ってからの話をしようか、どうしてもしたい、ある種の自由が謳歌できた期間でとても楽しかった。親元を離れた学生の時分というのは、多くの経験ができる、親から監視されもせず、世界に飛び立つ羽根をへし折られたりもしない、母親が望む子供でいるべきという枷がないから。それでいて、ポスドクになればそれなりの金と自由が得られる。更に恵まれていたのは、実験の研究室に飛び込み、使ってない倉庫におっさんからもらったサーバーを並べて引きこもれることもできたというところかな、「君の事は友達だと思ってる」と今でも仲良くしてくれるHというセクハラオヤジ、そしてretireされたお爺様方、活発な学生、そして私の事をうまく使って、scientificな議論をしてくれる准教授のZさん。家賃がクソ高いとかそんなこともあまり不快に思わず、行きつけの飲み屋も作るほど巣鴨での暮らしを楽しんだ―――変な研究室だった、理科一類に当たるには女が多い研究室で、女子大の修士以降の子を集めてオヤジが持ち上げられる―――そこまで嫌な人ではないんだな、寧ろ好感すら持てた。あの人は酒に弱く少し飲めば自分の自慢話をし始める「俺はかっこいいから」とか。一番ひどかったのは母校に戻ってから五月祭に呼び出されたときかな、退官したお爺様とかの前で「AVが~」とかよく覚えてないんだけどそういう話をするわけ、学生にも「俺最近夢精したんだよ」とか言ってるらしいしまぁいいんだが。その時の話は「俺が理学部の学生の時はすごいモテて博士課程の時はお見合いが多くて」とかそんなんばっか、でもまぁそれなりイケメンだし「ただし顔が」みたいなのはあるんだろうなとか思った。そのHのおっさんのこと、嫌いにはなれないしある種おおらかで―――少なくとも科学に対してクソ真面目なんだよね、博士課程の学生と数学の論文を書いていた時に「Zさんと貴方は理解できても僕わかんないから、共著に入れなくていいよ」とPIとしてあるべきクソ真面目な態度を取っていたのが印象深い。まぁようはちょうどいい兄貴/姉貴分として私を扱い、それで学生からもケチなHのおっさんと違って金払いもいい少しだけ年上の人、として敬われつつ遊ばれて過ごしていた。おっと、Zさんの話もしようか。イーハトーブの出身、スコットランド帰り、そんな感じで酒にうるさく「エディンバラではウイスキーに混ぜ物をしない」とか「シングルモルトが」とかそんな事を飲んでるときは良く言っていたけど、この人と多くの論文を一緒に書くことになった、なんというかそこで新しい手法も自発的に学ぶことになり良く勉強した時期ともいえる、やっと物理学科の学生くらいには物理が分かるようになってきたのもこの頃。ちょうどよく一緒にいたRくんという博士課程の学生にも触発され良く勉強した、あの頃は……。このラボも一年で追い出された、というより単純にHのおっさんに「学振また出しなよ」と言われ、お爺様方に「君は難しい事ばかり書くね」と申請書にケチをつけられながらもなんとか業績で捻じ伏せて学振PDとなったからね、まぁ実際の所、東大の特任研究員よりは学振ポスドクのほうが給料も良く、まぁ母校に帰ることになったので家も変えなくても良くて喜んで出ていったわけ。ポスドクになって世界が広がったんだよね、これまでやって来たこと、趣味みたいな研究は続けられるし、ビッグラボの出してきた理論家(笑)の立場としての実験結果に解釈を与えることもできる、博士課程はどうも一つの事に凝り固まりがち―――自分は恵まれていて修士の頃のTさんの知り合いと共同研究もしてたし―――これはUSのとあるおっさんに嫌がらせ―――査読で落とされて、彼の所の学生の同じ物質を対象にした論文が出版されてから二編ほど通ることになるんだがそんなこともされて……、でもこの頃は良く学び、よく遊んだ―――酒を煽る、洒落たモノではなく芋焼酎のロック。、研究だけできていたあの頃を偲びつつ……。ただあの頃も私は頭にアルミホイルを巻いていたりもして、それは多分ただ将来への不安だけによるものだったと思う、今みたいに現状への失望ではないから、一過性の、クソガキ特有の悩みとして。
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