‟現在”・2

 この時代、この星の上でおこなわれるあらゆる戦争は、厳密に管理された経済活動となっている。

 それは時に強者による示威行為であり、時に国威発揚の道具であり、時に単なる消費行動であり、時にあらゆる階層に向けての娯楽であった。

 元は生命の神秘を解明すべく発足した各国の研究機関は、生物と器物の融合した生体兵器を創り出す技術を有するようになり、やがては傭兵団としての顔を持つに至る。

 つまりキラは、機関からマドファに貸与された戦力なのだ。

 マドファ自体は弱小の組織だが、シザースバニーの勇猛さと残虐さは広く知られている。

 この地域でも有数の高性能怪人――彼女に挑み、細切れにされた敵兵は数知れない。


「降伏しろ。六対一だぞ!」


 政府側の怪人ノワールたちが、各々本来の姿を現しながら警告した。

 ワニ、ハイエナ、イモリ、雄牛、ヒョウ、カモノハシ――それらの動物と人間を合成し、さらに道具や武具などを組み込んで独自の武装としている。

 キラが指摘した通り、彼らは再生手術を施された怪人ノワールだったが、耐久力以外のスペックは強化されこそすれ、劣化したわけではない。


「大勢で囲んでケンカ売るような真似しといて、いきなり四割も戦力を減らされたマヌケはどっちだったかな?」


 キラは屹立する両耳をこすりあわせ、ジャキンという音を響かせた。


「気をつけろ。見た目はかわいらしいウサ耳だが、とんでもない切れ味の刃物でもある――」


 仲間に対して警告しようとしたハイエナ男の首が、セリフの途中で胴から離れた。


「古来、ウサギは凶暴な生き物って相場が決まっているでしょう?」

「ええい、いったいどこの常識だ!?」


 怪人ノワールの目にさえとまらぬ早業。恐怖と驚愕の入り混じった表情を浮かべ、慌てて距離を取ろうとしたワニ男が、たちまちのうちにぶつ切りにされる。


「これ以上はやらせん!」


 背後から襲いかかろうとした雄牛男の、両腕が地面に落ち、次に首が後方に飛んだ。腕と頭部を失った身体はよたよたとたたらを踏み、赤い霧を撒き散らしながら前のめりに倒れた。

 息を呑むような沈黙が訪れ、そして三つの爆発が立て続けに起こった。

 爆炎に紛れて、薙刀状の武器を構えたヒョウ女が、キラの死角から突きかかる。


「無駄よ」


 あり得ない軌道を描いて伸びた髪が、女の左目を貫いて後方の壁に縫いつけた。

 イモリ女の背中から毒液が噴き出し、キラに降り注ぐ。キラは左耳をヘリのローターのように高速回転させて毒液を防ぎ、右耳をイモリ女の足のあいだまでのばした。


「甘いよ」


 イモリ女は、股下から頭頂部までひと息に切り裂かれ、左右に倒れたのち、爆発した。

 最後に残ったカモノハシ男も、脚に着けたナイフを活かした蹴り技で応戦するも、トリッキーかつ高速で動くキラの耳に、なすすべもなく切り刻まれた。

 時間にして一分にも満たない、あまりにも一方的な戦闘だった。

 かるく息をついたあと、周囲に動くものがないのを確認したキラが、ふっと眉を顰めた。

 先に左目から後頭部まで貫いたヒョウ女の死体だけが、爆発せずに残っている。


「まさか、とどめを刺し損ねたの?」


 ただの人間であっても、銃弾に頭部を撃ち抜かれて生き残ったという事例はある。

 たまたま即死を免れたというなら、あらためて首を刎ねるまで。

 そう考え、踏み出した足に、激痛が走った。


(これは……トラバサミレッグ・ホールド・トラップ!?)


 地面の下から飛び出した金属製の牙が、足首にがっちりと食い込んでいる。

 数々の修羅場を潜り抜けてきたキラは、この程度で動揺することなどない。すぐさま頭を切り替え、この罠を仕掛けた相手に対応すべく神経をとがらせた。

 彼女の五感のうち、もっとも優れた聴覚が、直下の掘削音を知覚する。

 回避するには――

 罠かさもなくば自らの足、どちらかを切断しなければならない。コレ(トラバサミ)が敵の武装であれば、彼女の斬撃に耐えきる可能性もある。


「……私の地獄耳に、斬れぬものなしっ!!」


 キラは気を吐き、両耳でトラバサミに繋がっている鎖を挟み込んだ。

 がっ、ぶつん、という音を立てて鎖が断ち切られる。

 だが、一瞬――ほんのわずかに生じた、刹那と言ってもよい逡巡が命運を分けた。

 足下の地面から、茶色の外骨格で覆われた怪人ノワールが現れる。

 地面を易々と掘り進むことができる熊手状の腕部が、キラの背中を深々とえぐった。


(コイツは……! 政府軍の施設に潜入したときにデータを見たことがある……!)


 その名も‟ケラトラバサミ”。

 ケラとは地中で生活するバッタの仲間で、その能力を活かした隠密作戦を得意とするらしい。

 確認できるトライドンでの活動歴は五年。これは、怪人ノワールとしてはかなりの長期間だ。


(コイツが指揮官……部下を囮に、私の隙をうかがっていたのか)


 最後の力を振り絞って、キラは反撃を試みたが、もはやあくびが出るほどにのろくなっていた斬撃は簡単にかわされ、とどめとばかりに腹部を切り裂かれた。

 内臓が掻き出される感覚――もしかしたら、背中の傷と繋がってトンネルが開通したかもしれない。

 仰向けに倒れると、生暖かい液体がはねて顔にかかった。


「卑怯とは言うまいね?」


 霞む視界の中で、ケラトラバサミがキラの顔を覗き込んだ。


「……ハッ。ゆ、油断した私が……悪いのさ」


 敵に情けない顔を見せまいとする意地が、キラに笑みを浮かべさせた。


「アンタを恨んでる連中も多い。情報を引き出すついでにソイツらのストレス解消にも付き合ってもらって、それが終わったら殺してやるよ」

「ご期待に、そえると……いいけど」


 これも敗者の運命――覚悟を決め、キラは目を閉じた。

 まずは、もっとも危険な耳を切り落とされ、それから手足を折るかもがれるかするのだろう。

 痛いかな。痛いだろうな。もうちょっとしたら意識が完全に途切れるから、それからにして欲しいな、などと考えていたが、どうしたことか、相手はいっこうに手を下そうとしない。

 まさか本当に待ってくれているのかと、薄目をあけて窺う。


(……え?)


 ケラトラバサミの胸から、なにかが突き出ていた。

 金属製の、花が咲くようにとがった先端が三つに分かれている物体。武器? どこかで見た――ああ、敵の一人が使っていた長柄の槍だか薙刀みたいなヤツ……

 ケラトラバサミは、ごぼりと口から血を溢れさせ、全身をビクビクと痙攣させた。

 その身体が勢いよく放り上げられ、十数メートル向こうに落下したところで爆散する。


「あ、あんた……なんで……」


 ケラトラバサミを屠った犯人が、生気の抜けたような顔で立っていた。

 その左目には、たしかにキラのつけた傷があり、真っ赤な血が垂れて、まるで涙を流しているようだった。


「なんで死んでないかって?」


 なまめかしい曲線を描く腰をくねらせ、ヒョウ女は言った。

 すこし血がついた片手を持ち上げ、潰れた目のあたりに人さし指を突っ込む。

 そして、口を「にっ」とやる要領で、横に引っ張ってみせた。


「身体のあちこちに、あらかじめ穴や切れ目を作っといたんだ。あんたの攻撃をスカせるようにね」


 さらさらという音がして、ヒョウ女の姿が変化してゆく。

 黄色の毛並みは純白に。

 妖艶な肢体はいくぶん幼く。

 斑紋の形状かたちも微妙に違うが、やはり猫科の動物をベースにしているらしい。

 顔だちはかなり人間よりで、肌も髪も白く、まるで雪の妖精のようだった。

 ‟変化する怪物シェイプシフター

 怪人ノワールは人間に変身する能力をデフォルトで持っているが、あくまで素体となった人間の姿と怪人形態とを移行できるにすぎず、変幻自在というわけではない。

 だが、この少女の場合は‟それ”ができる。彼女の持つ固有の能力スキルというわけか。


「ちが……私が、言いたいのは……なんで味方ケラトラバサミをやったかって……こと」

「単純なコトだよ。あたしはあんたと、内緒の話がしたい」

「どういう……こと?」


 軍や機関とはべつの目的で動いているということか?


「悪いけどさァ。雑談してる時間はあんましないんだ」


 少女は、キラの頭の側にまわってしゃがみ込むと、愛らしく微笑んだ。

 ――あんたは死ぬ。


「だから、その前に知ってることを話してほしいんだ」

「……どんな?」

「以前この国で活動してた、ダイトウムースって怪人ノワールのこと」

「ダイトウ……ああ」


 思考は朦朧としつつあったが、すぐに思い当たった。それほどによく知られた名だったからだ。


「言っとくけど……大したことは、話せないよ……直接会ったわけじゃあ……ないし」

「噂話とか、あなた個人の印象でも構わない。というか、そういうのがいい」


 静かな声が、か細い糸を必死で手繰るような、切実な響きを帯びた。

 きっと、この子には大切な存在なのだろう。政府軍と戦う者にとっては、悪夢と同義とも言える相手だったが。


「いいよ。話したげる……そのかわり、私のことも……覚えていてくれる?」


 怪人(ノワール)は使い捨ての兵器だ。人間は彼女たちを道具として扱い、壊れたら新しいものと替えて顧みることなどない。この一年ほどの活動で、多少は親しくなれたマドファの者たちにしても同様だろう。

 キラの言葉に、少女は困ったような顔をした。


「いいさ……虫のいいお願いだしね」

「ちがう。その……記憶力に、あんまり自信がないんだ」

「なにそれ? 死ぬときに、頭でもふっとばされた……?」

「わかんない」


 照れたように笑ったあと、少女は「けど、努力してみるよ」と答えた。

 何故だろう。彼女とは敵同士なのに、その言葉には何ひとつ嘘はないと感じられる。

 それともこれは、死を悟って弱くなった心が、なにかにすがろうとしているだけなのか?


「じゃあ、はやく話して。でないと――」

「そう、急かすな」

「でないと、あなたが自分のことを話す時間がなくなるでしょ」

「……そうだね」


 こみあげてきたおかしさに、一瞬、痛みさえ忘れた。

 いい子かよ。

 同時に涙が出た。よし、なにから話そう。

 ダイトウムースがどれほど恐れられ、どれほどの味方を屠ってきたか。マドファや他の反政府組織が、どんな対抗措置を講じてきたか。それから――


「……ところで……なんで、セクシー美女に化けてたの?」

「趣味」

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