タイトルのない詩(うた)

兄を「あんちゃん」と呼ぶのは世界の中で私だけです。


それには理由(わけ)があります。

少し立ち止まって聞いてもらえるとうれしいです。


商売をしていた両親はあんちゃんと私を別々の家に預けました。

あんちゃんは母の実家、私は父の兄の家です。

両親が私にあんちゃんと呼んで教えたわけではありません。

母方の祖父母の家であんちゃんと会う時に私にあんちゃんと教えたのです。


小さな頃から世話をしてくれる人が違ったのです。

祖父母はあんちゃんに父をとうちゃん、母をかあちゃんと呼んで教えました。

伯父さん伯母さんは私に父をお父さん、母をお母さんと呼んで教えました。

だから同じ兄妹なのに父と母の呼び方が違うのです。


そんな兄妹が本格的に一緒に暮らしたのは私が小学1年生の時からです。

学校から帰ると「お母さんは?」ではなく「あんちゃんは?」だった私。


祖父母も、伯父伯母も、父と母も名前で私たちを呼びます。

でも私は幼い時に学んだ「あんちゃん」と呼び続けました。

それが頭の中にインプットされたのです。


この宇宙の世界の中で「あんちゃん」と呼ぶのは私だけ。

少し立ち止まって聞いて下さったとすれば、そのあなただけが理由を知っていることになるでしょうね。

笑って下さいね。


産まれてから今まで喧嘩をしたことがないのも珍しいかもしれません。

その理由(わけ)も少し立ち止まって聞いていただけますか?


中学1年生の時、何か多分テレビの番組ことで1度だけ喧嘩になりそうになりました。

その時、同じ部屋に居合わせた父が「世の中でたった二人しかおらん兄妹なのに」とそれはそれは悲しい表情で言ったのです。

喧嘩になる寸前だった兄妹はその一言でピタリとやめてしまいました。

「喧嘩するな!」ではなく悲しい表情が胸に響きました。


そしてもう1つの理由(わけ)がありました。

母は父を愛して、いつも私に手本を残してくれたからです。

「○○、男は付いとるものが違うんや」と男性に対する女性のあるべき姿を教えました。

古いと思われるかもしれませんが、やはり男は理性、女は感情の生き物です。それは女性を男性の下というものではありません。

父を助け愛した母を高く評価した父でした。

私もそう思います。

足りないところ、良いところを互いに補い合く存在です。

古いと笑って下さい。


そんな風に教えられた私がある経験から男性嫌悪になってしまいました。

友達なら全然構わないのです。

でも側に来られると気持ち悪いのです。

不幸だと笑って下さいね。


いつの日か男性嫌悪が治る日が来ることがあるでしょうか…?

希望を持って歩きたいと思います。


そして父と母が教えてくれたことは、女性が幸せになるために肝要だということもわかっています。


横道にそれました。

そして全くタイトルのない詩(うた)ではありませんね。

笑って下さいね。


ただこの宇宙いえ地球の中で

「あんちゃん」と呼ぶのは今のところ私だけであるとの説明です。

だから笑って下さい。


追記

私の育ったアイデンティティーは『空が晴れたら』の中で限りなく自伝的ストーリーの中で書かせていただいています。

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