偽花

 長かった結婚生活も終わってみると呆気なかった。彼女は今後一切の面談拒否を条件に、多くは求めてこなかった。お母さんには私が居ないと―――と娘は初め彼女に付いていくと言った。

彼女は娘自身を愛している訳では無かった。娘を通して見る世間からの目を愛していた。自分は、欲にまみれた醜悪な事実を娘に打ち明ける事など出来なかった。そんな中、半ば強引に連れ出してしまった事を少しばかり後悔していた。


 新しい環境に、意外にも娘の反応は普通だった。自分を恨んでいるような素振りは無く反応も至って普通だった。普通だったと言っても、以前と変わらない素振りだったというだけだったが。また、娘は料理や洗濯といった家事全般が出来る事も分かった。教えてもらえるような環境下ではなかったあの生活から見ると想像出来なかった。今までの生活では到底気づく事が出来なかっただろう、そんな囁かな変化であっても、父として感嘆し、誇らしく思えた。


 暮らし以外に一つ、困った事があった。四、五十程の男が一体娘とどのような距離をとれば良いのか、自分では皆目付かなかった。今まで母親という存在に実質、一から十まで任せっきりで正面から娘と向き合った事など無かった。

 恥ずかしながら、まずは会話からだと思い、天気が良いからと娘を買い物へと誘い出した。


 他愛いの無い話が多かった。好きな食べ物、テレビ番組、音楽や本、色々な話をした。普段口数の少ない娘の自分の知らない事情を知れる事はとても有意義だったと満足していた。娘も笑顔で楽しそうだと感じていた。

 帰りがけ、娘はお父さんは何してる時が一番幸せ?聞いてきた。

 自分は、娘と何気なく買い物に行けて一緒に歩いてる、こういう生活が送れる事が一番の幸せだと答えた。


 すると娘は少し微笑んでそれから目線を下に向けた。先程までの明るかった表情は消えていた。


「お父さんは私と二人暮し。」


「―――え?」


『私の事、疎ましい?』


「お父さんはお母さんが大好きだって、私、分かって、でも私の我慢が足りないからもっと頑張ってたらきっとこんな事にならなくて、私がちゃんとしてればお母さんとお父さん今だって一緒に居たはずなのに、今だって、こんな事しか言えない私にお父さんが何も思ってない訳無いって、私さえ生まれていなかったらこんな事考える事さえ無かったのにって、私、本当申し訳無くて、ごめんなさいごめんなさい―――」


雨が降る。

感情に合わせるように。

雨と涙が一緒になる。

濡れる髪も肌も同じぐらいに透けて。

15歳の娘。

愛しい愛娘。


まつ毛の奥から垣間見る真っ直ぐな目に昔の妻の面影を思い出した。出会った頃のあの初々しい危なさを。あの目に堕ちたいつかの記憶を。


瞬間、不意にもきっと抱いてはいけない感情が脳裏に浮かんだ。

夕立に照らさせてか、紅潮する頬と比例するように平凡な日々には戻れない想いを抱いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

焦雨 緋悠 @moonsing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る