第38話 ブレス・オブ・キスカヌ

 アメリアは焦っていた。


「うぉぉぉぉっ! 燃え盛る炎の精霊よ! 我の前にその力の一端を見せよ──


【灯火(フレア)】! 燃え盛る炎の精霊よ……」


(当たれ、当たれ……当たってお願いぃぃぃっ!)


 魔法を打った傍からクールタイムもなく再び詠唱を再開し、モンスター一体を確実に呑み込む大きさの火球を乱射する。


 そうしなければ黒いリザードベアーの群れに接近されてしまう状況に陥っているのだ。


 林の中から通常のグラウンドファングを三回りほど大きくしたモンスターが現れて咆哮を上げた途端、すべてのリザードベアーが前衛の冒険者を無視して魔術師たちのいる方向へ全速力で迫ってきていた。


 リザードベアーとはいえ、遠距離ならともかく、魔術師が接近戦で勝てるモンスターではない。


 集められた魔術師たちは全員そのことをわかっており、魔力の続く限り、高速で詠唱を繰り返して向かってくるモンスターに火球を浴びせ続けていた。


 しかしそれでも数が多すぎるため、すべてを燃やし尽くすことができておらず、残り数歩ほどのところまで迫ってきており、魔術師たちは少しずつ後方へと撤退を余儀なくされていた。


(外したら確実に接近される。そして間違いなく殺される!)


 アメリアは震えながらモンスターの咆哮に負けじと大声を張り上げた。


「我の前にその力の一端を見せよ──【灯火(フレア)】!」


<ジュラララッ……!?>


 魔法の直撃を受けたリザードベアーが吹き飛んでいった。


 だがそのすぐ後ろから、今度はグラウンドファングが地を舐めるようにして急速に接近してきている。


(イセェェェ……! この数は無理だよぉ! 助けにきてぇぇ!)


 内心で絶叫しながらも、アメリアの舌は一語一句間違えずに詠唱を紡ぎ、そのたびに火球が発射されていた。


 こうして舌を噛まずにしっかりと発音できているのは、事務所にいた『かなやん』のレッスンを受けたおかげだとアメリアは思っていた。


 たった一日の短い間だったが、彼女の指導は恐ろしいほどアメリアの中に根付いていた。


 それはとても嬉しいことなのだが、その成果を存分に発揮しても現状をまるで打破できないどころか徐々に追い込まれていることに、アメリアは焦りと恐怖を感じていた。


「……ふれ、あ……かふっ」


 アメリアのすぐ近くでカランという乾いた音と共にドサっと何かが倒れる音がした。


 詠唱をしながら確認すると、隣で詠唱をしていたロフィンが顔を青くして倒れていた。


「ロフィンちゃんっ!?」

「す、すみません……今、立って……っ」


 立ち上がろうと両腕を突っ張るロフィンだが、すぐに力なく崩れ落ちてしまった。


 この症状はアメリアも知識として知っていた。


「魔力切れ……! 無理しないで!」


 魔法を打つことで、体内の魔力は消費されていく。


 魔法の行使は主に精神力と魔力を使う。


 体力と同じで魔力も使った分だけ疲労が溜まっていくが、肉体の疲労よりも精神的な疲労であるためわかりづらく、気づいたときには体が動かなくなるほど衰弱してしまうこともある。その状態でさらに魔法を使用すると、意識を完全に失うだけでなく、場合によっては死に至ることもある。


 ロフィンはアメリアほどではないが、あまり自分のことを話さないタイプだ。


 まだ大丈夫とは言ってはいたが、限界をかなり超えて魔法を使っていたに違いない。


 意識はまだしっかりしているが、このまま魔法を使い続ければ下手をすると死んでしまうこともありえる。


「大丈夫だよ。ここはわたしに任せて休んでて! わたしはまだまだいける気がするから!」


 アメリアがぐっと拳を握ってみせる。


「アメリアさん…………っ、前……!」

「えっ?」

<ジュラララララ!>


 アメリアが気づいたときにはリザードベアーが三メートルのところまで迫っていた。


「のわぁーっ!」


 アメリアは左腕にロフィンの腰を掴むと、リザードベアーを見たまま思い切り後ずさった。


 リザードベアーが眼前まで迫り、巨大な鈎爪が襲ってくる。


「っとぉ!」


 アメリアは無我夢中で大きく一歩飛び退った。


 しかし、


「──くがっ!」


 頭から全身を揺さぶるような衝撃がアメリアを貫いた。


(ギリギリかわせたと思ったけど……!)


 痛みで閉じてしまった目を開けると、いつもより視界が広がって見えた。


 見慣れた色の鉄片がリザードベアーの鈎爪に引っかかっている。


(兜が斬られたっ!?)


 だが、兜が身代わりとなってくれたおかげでリザードベアーの鈎爪で引っ掻かれてもアメリアは無傷だった。


 頭をかき混ぜられたかのような気持ち悪い痛みはあるが、逃げることはできる。


(逃げる……? でも、どうやって? ロフィンちゃんを抱えたまま、できるの……?)


 無理だ。間違いなくリザードベアーに追いつかれる。


(それじゃあ戦う……? こんな近いのに!?)


 魔術師は主に魔法で戦う。しかし魔法の行使には詠唱が必要不可欠で、詠唱ができなければ魔法は発動しないとされている。


(いや、でもイセは詠唱なしでポンポン物を作り出していたような……)


 あれはイセだからできたのだろうか? 


 自分にはできないのだろうか?


<ジュラララッ!>


 リザードベアーが爪に引っかかった兜の鉄切れを振り払った。


 また攻撃が来る!


(迷ってる場合じゃない! やるしかない!)


 アメリアはリザードベアーが攻撃姿勢に入るよりも早く、一歩前に踏み出した。


 しかし、リザードベアーは気にせずに爪を振りかざす。


 それよりも先にアメリアは杖を思い切り前に突き出した。


<ジュラガッ!?>


 杖は攻撃するため踏み込んだリザードベアーの口にすっぽりと入り込んだ。


 ゼロ距離だ。やるしかない!


「【灯火(フレア)】!!」


 アメリアは力の限り叫んだ。


 その瞬間だ。


 杖から赤い光が迸った。


 光は一瞬のうちに燃え盛り、リザードベアーの頭部に吹き荒れるとそのまま全身へと広がった。


 やがてリザードベアーはその場に崩れ去り、灰へと姿を変えた。


「やっ、やった……! わたし、詠唱しないで魔法使えた……」


 だが、威力はかなり控えめだった。


 通常のアメリアの炎の魔法であればLv.1の【灯火(フレア)】でも10メートルを超えるグラウンドファングを即座に焼き払うだけの力がある。


 詠唱なしで魔法を唱えた今回は、リザードベアーの頭部を燃やすのが精いっぱいだった。


(でも、できたよ。単語でもちゃんと発音すれば、魔法が使えるんだ。今みたいなピンチになってもきっとまた乗り越えられる。それにさっきのリザードベアーに近づいた動き、レッスンスタジオで燈子さんに教えてもらったようにやってみたけど、かなりうまくいった。ありがとう燈子さん、ありがとうかなやんさん!)


「アメリアさん……すごいですね……。いつの間にそんな技術を……?」


「イセに紹介してもらった人にちょっと教えてもらったんだ。こんなにうまくいくとは思わなかったよ!」


 ロフィンを腰に抱えたまま、アメリアは興奮冷めやらぬ様子で強くなれた理由を語った。


 しかし未だ戦闘は継続中。次の相手とばかりにグラウンドファングが迫ってきていた。


(うわっ、また来た! 今度は大きいから単語だけの詠唱じゃやっつけられないよね? でも、ちゃんと詠唱してたら迎撃が間に合わない……!?)


 悩みながらも詠唱を開始しようとしたアメリアの耳に、鋭い風切り音が届いた。


 パンッ、と気持ちのよい音とともに、向かってきていたグラウンドファングの目に矢が突き刺さった。


「ロフィン、【ストーン】!」


 背後を振り返るとレフィンが弓を構えているのが見えた。


 グラウンドファングの注意が、矢を放ったレフィンに逸れる。


 その一瞬の隙を狙い、頭の膨らんだ影とずんぐりむっくりした影がグラウンドファングへと迫った。


「おやっさん、行くぞ!」

「フン! 若造がしかと合わせるんじゃぞ!」


 次の瞬間、巨大な二振りのハンマーがよそ見をしていたグラウンドファングを下から突き上げた。


 大砲が着弾したかのような衝撃がアメリアまで伝わってきた。


 グラウンドファングの巨体は強烈な打撃に突き上げられ、簡単にひっくり返った。


「こやつはサナトス・ヴァイラスの分身じゃ。念入りに潰せよ」

「わかってますって! こいつをくらっときな!」


 ひっくり返った黒いグラウンドファングに振り下ろされる殴打の雨。


 一撃が地表を震わせるほどの威力。


 グラウンドファングはすぐに全身から黒い液体を噴き出して動かくなくなった。


「いっちょ上がりだな。あーあー、しかしこんだけ浸食されちまってると食材には使えないな」

「武具の素材も無理じゃな。とんだくたびれもうけじゃわい」


 グラウンドファングを倒し終えた二人がアメリアへと向き直る。


「……ゴードンさんに、オイノスおじいちゃん……」


 アメリアは向かってくるアフロの店主と武器屋のドワーフの名前を無意識に呼んでいた。


「よぉ。ケガはないか? 悪かったな、ちょっと久しぶりで武器の調整に手間取っちまったんだ」

「これだから最近の若造は。ここは開拓地の最前線じゃ、いつモンスターに街が襲われるとも限らん。武具は毎日整備しておけと昔言ったじゃろうが」

「包丁は毎日研いでるんですよ? 最近はラチェリたちも強くなってきたし、大丈夫だと思ってたんですけどね」

「フンッ。お主がそんなんじゃから儂まで引っ張りだされるんじゃい。まったく、年は取りたくないのぉ。急に動いたもんだから体中が痛いわい。戦闘はもって10分じゃな」

「ってことは瞬殺すればあと1000匹は狩れるってことですね」

「抜かせ。いつまでもこんなジジイに頼るなと言っておるんじゃ!」


(……なんだか、ゴードンさんとおじいちゃんで言い合いを始めちゃったよぉ。まだモンスター残ってるのに)


 アメリアが困っていると足音が近づいてきた。


「ロフィン! 大丈夫かよ、ロフィン!?」

「レ、レフィン……あまり揺らさないで……」


 レフィンは近寄ってくるなり、ロフィンをアメリアの腕から奪い去り、がくがくと揺さぶり始めた。


「顔真っ青じゃねえーか! どうしたんだ、どこをやられたんだ!」

「や、やられてないってば……」

「……ロフィンちゃんは魔力が切れちゃっただけだよ。だ、だから、休んでればよくなると思うよ……?」


 レフィンが揺らすせいで、ロフィンの口から魂が出ていきそうだと思ったアメリアは慌ててロフィンの状況を伝えた。


「魔力切れ……。そっか、命に別状がないならまあいいや。よいしょっと」


 レフィンは弓を手に持ちかえてロフィンを背負った。


「魔術師の連中はわりと撤退しちゃってるみたいだけど、【ストーン】はまだ大丈夫なんだな?」

「う、うん……なんとかね。まだ魔力には余裕があると思う。使い切ったことがないから限界はわからないけど」

「ほう。割とでかい炎を出しているように見えたがまだ余裕があるのか、大したものだな」

「フン。ゆうてエルフじゃからな。そこいらの種族よりは魔法がうまいんじゃろう。だがまあ杖が無ければ打ち止めじゃろうて」

「……え?」


 オイノスに指摘されて右手に持っていた杖を見てみれば、先端の部分がなくなっていた。


「わぁぁっ! イセにもらった大切な杖がっ!……そっか、さっきモンスターの口の中に突っ込んだから……」


 なくなった部分には鋭い傷のようなものがついている。きっと先端は噛み千切られてしまったのだろう。


 杖がなくても魔法は使えるが、剣士が素手で相手を『斬る』ことができないように、魔術師も杖がなければ魔力が魔法という形に定まり切らず、最悪霧散してしまう恐れがある。


 経験を積めば素手でも杖と同じように魔法を扱えるようになるが、魔法を習い始めて三日たらずのアメリアには無理な話だった。


「わたしも下がったほうがいいのかな……?」

「まあお前さんたちはよくやったよ。あとは俺たちおっさんにしんがりを任せて休んでくれ」


 肩を落とすアメリアにゴードンが励ますように語りかける。もうアメリアの役目はここまでとばかりに。


「そう言うがの、あれはどうするんじゃ?」


 口を挟んだのはオイノスだ。


 彼の視線の先には、どす黒い液体をまき散らして暴れて狂う巨大モンスターがいた。


「おそらく奴がサナトス・ヴァイラスの本体じゃろう。グラウンドファングが三匹ほどくっついとるようにも見えるが、あの巨体なら他の奴より十倍は強いはずじゃ」

「じゅ、10倍っ!?」

「当然じゃ、サナトス・ヴァイラスの強さは群れであり、個じゃ。だからこそカテゴリーA、【プラチナ】の冒険者が駆り出されるほどの脅威じゃ。まあ、あれでもカテゴリーAにしては弱いほうなのじゃがな。儂が戦ったドラゴンはもっとすごかったぞ。何せ……」

「おっとじいさん、その武勇伝はまた今度にして、この子たちを下がらせられない理由を先に教えてくれ」

「……むっ。そうじゃな、この話は戦勝後の酒の席にでもしてやろう。まあ簡単なことじゃ。あの巨体を儂らがいくら斬ったりぶっ叩いたりしたところで、あっという間に再生する。倒し切ることなど不可能なのじゃ。そうしているうちに儂らの体力が尽きてあっさりやられてしまうじゃろうて」

「それじゃあどうするんだよ! オレの矢だってさっき打ち込んだので最後だ! 他の弓矢の連中だって同じだから、もう撤退しちまってる。これ以上戦いたくても戦えないぞ!」


 レフィンが弓矢部隊を抜けてここまで来たのは、単純に矢がなくなって戦えなくなったかららしい。


 魔術師部隊もすでにアメリアとロフィンを残してかなり後方まで撤退してしまっている。


 もうすでにこちらの後衛戦力はないに等しく、前衛に頼るしかなくなっている気がする。


「じゃからこその魔術師じゃ。超火力で一瞬で燃やし尽くしてしまうしかなかろう」

「で、でも、もう魔術師の人たちも撤退してますよ。どうやって、そんな火力を出すんですか?」


 アメリアが疑問を唱えると、全員の視線が一瞬で集まった。


 その中に期待の色が混じっていてアメリアは困惑した。


「うぇっ!? ま、まさか……わたしがやるんですか!?」

「当然じゃ、他に誰がおるんじゃ」

「まあさっきの度胸があれば楽勝だと思うぞ?」

「【ストーン】は鎧着てたときよりも頼りになるように感じるぞ」

「ア、アメリアさんなら……きっと、大丈夫だと思います……」


 オイノス、ゴードン、レフィン、ロフィンの順で激励され、アメリアはさらに困惑した。


「む、無理ですよ。だってわたし、魔法を練習して三日も経ってないんですよ!? 杖だって壊れちゃったし……。そ、それに……」


 アメリアは周囲を見渡した。


 数はかなり減ったが、それでもまだ前衛の冒険者たちはグラウンドファングやリザードベアーと交戦している。


(こんなところで魔法を使ったらエルフだってバレちゃう……!)


 レフィンとロフィンには昨日正体を明かした。オイノスとゴードンはアメリアが物心つく前から母親経由で正体が伝わっており、そのため色々と便宜──具体的には食料の提供や装備の管理──をしてもらっていた。そのため、アメリアがエルフだろうと今更どうこう言う人たちではない。


 しかし、他の冒険者はどうか。


 若い冒険者は先の大戦のことを話でしか聞いたことがないため、エルフに対しても嫌悪を抱く対象ではあっても敵意を持つ者は少ないだろう。


 だが、サエペースにいる冒険者の中には先の大戦を知るベテランの冒険者もいるのだ。


 実際に死の危険がある中で戦った者が、再三の援軍要請を断った不義の種族であるエルフが近くにいると知ったらどう思うか。


 敵意あるまなざしを向けられるだけならまだいい。石を投げられるだけならそれでもいい。だがそれ以上の報復が待っていたとしたら……。


 たとえサナトス・ヴァイラスを倒せたとしても、その後、街を追われることになるかもしれない。


 それがとてつもなく、怖い。


 生まれてからたった一つの縁である、この街と切り離されることがアメリアにはとてつもない恐怖だった。


「それに……それに──」

「──何やってるのよ、あんたたち!」


 話し合っていたところへ茶色い髪を振り乱してラチェリが飛び込んできた。


「チェリちゃんっ!? どうして、ここに? イセと一緒にいたはずじゃあ……」

「はぁはぁ……あんたに用があって、わざわざ来たのよ……はぁはぁ……」


 かなり急いできたのか、ラチェリは肩で息をしていた。


 そこまでしてラチェリはなぜここまでやってきたのか。


「イセからのあんたにプレゼント」

「プレゼント……? こんなときに?」

「渡せばわかるって言われたわ。これで魔法を使えばあの化け物を倒せるとも」

「倒すの、わたしが?」

「ええ。あんたが決めるのよ、勝利か敗北か」

「……わたしにそんなこと、できるのかな? チェリちゃんが一番よく知ってるでしょ。わたしが役に立てないことなんて」

「そうね。否定しないわ。あんたはいつだってお荷物で、ドンくさくて、のろまで、本当に役に立たなかった」

「ぐふっ……」

「だけど、あれを見なさい」


 ラチェリは前方を指差す。


 視線を上げたアメリアの目に映ったのは、こちらに向かってくるタナトス・ヴァイラスの姿。


 そして、その巨体に椅子を持って猛然と立ち向かうイセの姿だった。


「イセはあんたを信じてこの装備を届けてと言ったの。自分のことを役に立たないって言ったあんたを信じてね」

「……わたしを信じて……」

「正直あたしはまだあんたの力を疑ってる。でも、あの化け物を一人で足止めできる奴があんたならやれると思ってるのよ」

「わたしならやれる……」

「それに昨日言ったでしょ? お母さんのように街の人たちに受け入れられるような冒険者になりたいって。それは今よ! 今ここでやりなさい! イセのためにも、街のみんなのためにも!」

「わたしは……」

「アメリア・ボーデン!」


 名前を叫ばれて差し出されたのは、イセに貸したはずの大剣の柄だった。


 しかし、鍔から上には砕かれたような跡があるだけで、本来ならあるべき巨大な刃がなくなってしまっていた。


 ドワーフの英雄の武器がこうなってしまうほど、激しい戦闘が行われていたということはアメリアにもわかった。


 その戦いが、自分の決断で終局を迎えられるかもしれないと言われていることに、アメリアは実感が沸かなかった。


 ラチェリの目は睨むように決断を迫ってくる。「どうするの?」と。


 アメリアは、今まで隠れて生きてきた。


 エルフだと知られれば、臆病者の種族だと非難されて迫害を受ける。だから隠れて生きてきた。


 これからもずっとそうだと思っていた。


 フルプレートアーマーを着こんで、姿をさらさず、けれど足手まといで、どこの冒険者からもバカにされる生活がずっと続くのだと。


 でも、それは違った。


 イセがやってきて、新しい道を教えてくれた。


 アメリアなら魔法が使えると専門の修行場まで提供してくれた。


 そして、たった数日でアメリアは変われた。


 ……いや、正確にはまだ変われていない。


 相変わらず知り合い以外には顔をさらさず、安全な後方から魔法を撃っているだけだ。


 これでは変わったなんて言えない。


 まだ一歩を踏み出せていない。


(エルフで、足手まといで……そんなわたしを知っているはずなのに、手を差し伸べてくれた。それだけじゃなくて、期待して、信頼までしてくれている)

 

 アメリアはゆっくりと手を伸ばしていた。

 

(それならわたしは、その一歩を踏み出さないといけない。イセを助けるためにも、わたし自身が変われたところをイセに見てもらうためにも。だってわたしは、あの人のアイドルになるって決めたんだから!)


「チェリちゃん、わたしは……みんなに夢や希望を与えられる人になるよ」


 アメリアは差し出されていた柄を受け取った。


 その柄からはアメリアの手に吸い付くように、一本の枝が出てきた。


「これは……っ」


 握った瞬間、雷光のような瞬きがアメリアの脳裏を駆け巡った。


 光が止み、頭に浮かび上がってくる風景があった。


 緑を湛えた巨木。


 最大限まで広がった枝葉はその根元に里を築き、住んでいる民を見守るように雄大で悠然としていた。


 風景はすぐに引っ込み、目の前にはラチェリの不審そうな顔があった。


「……どうかしたの?」

「キスカヌ」

「え?」

「ブレス・オブ・キスカヌ、この子の名前」

「この子って、この枝のこと?」

「枝じゃないわい。それは杖じゃ、エルフの杖」


 口を挟んだのはオイノスだ。


「魔術師の杖には、本来の歩行補助の役割を持つ杖のような棒状のものが一般的じゃが、そういった枝のような形状の杖も存在するんじゃ。まあ、そいつはなんとも格好悪い形にされておるがのぉ。大方急いで枝を採ってきてそのまま加工したのじゃろう。しかし、キスカヌか……」

「有名な木なの?」

「エルフなら知らん者はおらんぐらいには有名じゃな。しかし、そいつがドワーフであるあやつの装備から出てくるとはな」

「なんだっていいわ。それよりも、この杖は使えるの?」

「当然じゃ。というか、先ほど小娘が持っていた杖なんかとは比べもんにならん。儂の作った杖は素材がよかろうと魔術師の魔法がかかっとるものじゃないからの。所詮形だけ似せた紛いものじゃ。じゃが、その杖には正規の杖と同様、魔術師の魔法がかかっておる。いや、この場合はエルフの加護といったほうがいいかもしれんがの」

「エルフの加護……」


 もしもそうなら自分の力に優位に働くかもしれない。


 アメリアは淡い期待を込めて杖を握りしめた。


「行こう」


 決意の響きを持って、アメリアは宣言した。


「サナトス・ヴァイラスを倒しにいくよ!」

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