第37話 黒い災厄
大地が一定の間隔で揺れ始めた。
今までの大群が迫ってくる小刻みで連続した揺れではなく、巨大な衝撃が加わったことによる大地の震えが俺のところまでやってきた。
グラウンドファングほどの重量が高所から飛び降りれば、発生するかもしれない揺れだが、林の中にそんなものは存在しない。
であるならば、この揺れの正体は何なのか。
<ビュゴアアアアアア──ッ!!>
音の突風が俺たちのいる丘に吹き荒れる。
これは、モンスターの咆哮だ。
そう気付いたときには『ソレ』は姿を見せていた。
まるで丘自体が這っているかのような巨躯、その全身から重油にも似た黒々とした粘着質の液体を垂らしながら進軍してくる様はまさに歩く災厄そのもののように思えた。
<ビュゴアアアアアア──ッ!!>
体躯の前方についた『三つの顎』から風圧を伴った強烈な咆哮が発せられた。
八脚にも十脚にも見える、虫のように蠢く足を使いながら、巨大な黒い塊がじわりじわりと近づいてくる。
全体的な形を簡潔に表すなら、子供が粘土細工でワニを三頭合体させたような形だ。
もっとも実物は、そんなおかしな造形で全長が10メートルをゆうに超えており、ところどころ崩れたり欠けたりしているため、粘土細工のような微笑ましさが皆無の非常に醜悪な造形をしている。
他の個体とは一線を画す歪な巨体、間違いなくサナトス・ヴァイラスの本体だ。
「ば、化け物……あ、あぁぁっ!」
後ろでヘーブルが悲鳴を上げて、街のほうへ走っていってしまった。
「ちょっと!……あいつ、やっぱり逃げやがった!」
ラチェリが部下を連れて逃げていくヘーブルに悪態をつく。
だが、逃げ出す気持ちもわかる。
俺はまだゲームなどを通じて色んな化け物の姿を見てきたが、この世界の住人であるヘーブルはそんなもの見たことないだろう。ましてや今は、その化け物がこちらへ襲い掛かってこようとしているのだ。逃げ出すことを責めるのは酷なのかもしれない。
「やっと本体が出てきましたけど……あれはさすがに接近戦で勝てる相手ではありません」
「勝てないって……じゃあどうするつもり……?」
「炎の魔法で一気に焼き払ってもらうしかないでしょう」
それすら厳しい気もするが、やってもらうしかない。
俺たちの役目は、詠唱中に完全な無防備になる魔術師たちをどう守るかだ。
あのデカブツは何をすればこちらに気を引いてくれるだろうか……。
<ビュンゴアッ!!>
三つの顎が開き、同時に咆哮を上げる。その場から吹き飛ばされそうな音の振動が全身を揺さぶるが、耳を塞いでなんとか踏みとどまる。
その直後だった。周囲にいたリザードベアーやグラウンドファングが唸り声をあげて、突如として進撃を敢行した。
大剣を構えて薙ぎ払おうとしたが、そんな俺をモンスターたちは素通りしていった。
「後衛の魔術師狙いっ!? モンスターがそんな知恵を……!?」
出会ったことのあるリザードベアーやグラウンドファングは目の前の相手を攻撃する、もしくは攻撃されたから反撃するくらいの知恵しかなかったはずだ。
魔法を打たれれば、魔術師の元へと向かおうとするが、それでも目の前に立ち塞がる者がいれば倒していくといった、かなり場当たり的な思考だったが、サナトス・ヴァイラスの本体は前衛(俺たち)と戦わずに後衛の魔術師と弓部隊を狙うことに重点を置いた戦法を取った。
他者の体を乗っ取ることしかないモンスターが知恵を得ている……?
退治されたサナトス・ヴァイラスからテレパシーのようなものを使って退治される直前の情報を得ているのか……?
ありえるのかもしれない。
元々サナトス・ヴァイラスは一個体のモンスターだ。宿主が違ってもある程度の情報を共有できても不思議ではない。
偵察として単独で宿主を移動させるときは、宿主が帰ってくるかどうかでその場所に別種の存在がいるか判断しているかと思っていたが、もしかしたら本体と分裂した個体との間にはテレパシーのような意思伝達のための繋がりがあるのかもしれない。
死骸を集めて操るだけではなく、やられた個体から得た情報を使って進行方向にいる相手を殲滅するための攻撃手段を取ってくる。
だからこそ、カテゴリーA。国を亡ぼす危険度のモンスターか。
正直なめていた。タワーディフェンスなら『アイドルセイヴァー』でもやったことがあると、ゲーム基準で考えてしまっていた。
異世界は、仮想世界じゃない。
現実世界だ。
ゲームでは高難度でも(バグでない限り)勝てない相手は出てこない。だが、現実では勝てない相手だろうと当然のように出てくるのだ。
「……ヘーブルさんが街まで戻ったのはいい判断だったのかもしれません」
「どういうこと?」
「魔術師を守るように戦ってくれればまだ勝機はあります」
「……あいつがそこまで計算したとは思えないけどね」
「そうかもしれませんが、最善の手ではあります。ラチェリも戻って先に本体以外のモンスターを行動不能にしてください」
「何言ってるのよ。そんなことしたらあんたが一人であんな化け物と戦うことになるじゃない。リーダーとして許可できないわ」
「しかし、今戻らないと魔術師たちがやられて……」
「安心なさい」
ラチェリが八重歯を見せて笑った。
「言ったでしょ、【ゴールド】レベルの知り合いがいるって。大遅刻だけど、約束は守る奴らだからきっと来るわ」
「それほどの実力者が本当にこの街にいたんですか?」
「ええ。そのうちの一人は、あたしに技を教えてくれた先生よ。だから、きっと大丈夫」
「……わかりました」
【ゴールド】レベルの冒険者がいるなら魔術師のほうは大丈夫だろう。
他の冒険者たちを見ると、考えは同じようで魔術師たちの元へ向かおうとするリザードベアーを捕まえては倒しているところだ。
ならば、俺たちのやるべきことは目の前のサナトス・ヴァイラスを足止めすることだ。
「ラチェリも、戦う気なんですね?」
「何でも言わせないで。リーダーはあたしなのよ。新人にばかりいい顔させられないわ」
グラウンドファングに体を噛み砕かれそうになったのによく戦えるものだ。
ラチェリにとっては、それこそ目の前のサナトス・ヴァイラスは絶望の化身だろうに。
この世界の女の子は、可愛いうえに根性がある子が多いようだ。本当は無理をさせたくないな。
「それなら、これをどうぞ」
俺はベストのポケットからドリンク剤を取り出すとラチェリに手渡した。
「何なの、これ?」
「こうやって飲んでください」
俺は蓋を開けて飲んでみせる。
「一時的にステータス……強くなれる魔法の薬とでも思ってください」
正確に言うならば180秒間、ステータスに補正をかけるアイテムだ。タワーディフェンスの際にどうしてもクリアできない場合に使用するものだが、俺は一つも使わずに今までずっと保管してあった。
もったいないからとっておこうと思って、最終的に使わずにずっとしまって個数だけ増えていくだけのアイテムってところだ。
ただの在庫処理のようなものだが、ここで使えるのは大きい。
「……んくっ。なんだか、変な味……苦くもないけどおいしいっていうほど甘くもない」
「味は栄養ドリンクですからね」
「えいようどりんく?」
「こっちの話です。それじゃあ行きましょうか」
サナトス・ヴァイラスは俺たちが話している間、その場からあまり動かなかった。
おそらく、俺たちが街の方角へ走っていったら追いかけるつもりだったのだろう。
グラウンドファングを一番倒していたのは俺なので、もしかしたら俺さえこの場に止めておけば、あとは分裂した個体が後衛を倒してくれると思ったのかもしれない。
それとも他に何か理由があるのだろうか。
ここに留まるべき理由が。
「考えても仕方ないか」
モンスターの思考はわからないが、ここにいてくれるなら好都合だ。
もしもサナトス・ヴァイラスの興味が完全に魔術師のほうへ移ってしまったら止めるすべがなくなってしまう。
「自己アピールは大切だってことか……。アイドルのオーディションじゃないんだけどな」
「……イセがまたわからないこと言ってる」
「あっ、すみません。ついクセで……」
「いいけどさ。この戦いが終わったら、あんたがいた世界について色々聞かせてもらうわよ」
「それ……ああ、はい」
今まさに『それ、死亡フラグです!』と元の世界のネタの一つを教えそうになった。
まあラチェリがそんなことを言っているのではないことはわかっている。
「そうですね。教えますよ、必ず」
「約束、忘れないでよね。じゃあ、派手に行くわよ!」
「はいっ」
俺は大地を強く蹴り飛ばした。
俺たちが動いたのを察知して、サナトス・ヴァイラスも三つの顎をこちらに開いた。
鉄製の名刺を作成して、牙の並ぶ口内へと投擲する。
名刺は回転して下顎に突き刺さった。
しかし、グラウンドファングなら即座に閉じるはずの口が開きっぱなしになっている。
見かけからすでに改造されたような姿をしていたが、性質まで変わってしまっているらしい。
完全に別種のモンスターとして対処したほうがよさそうだ。
口が閉じてくれればそのまま殴りつけようかと思っていたが、それができないとなると別の戦法を取るしかない。
以前グラウンドファングを倒したときのように口の中へ飛び込むか? いや、ダメだ。サナトス・ヴァイラスにあそこまで浸食されているモンスターだ。以前戦った健常なモンスターよりも能力は格段に上のはずだ。
となると、やはり急所狙いだな。
「名刺連続作成っ」
手元に名刺を出現させ、そのままグランド・ファングの目がある部分へ回転するように投げつける。
そしてすぐさま名刺を作成、第二射、第三射と続けざまに投擲する。
名刺はすべて渦のような軌道を描き、体の前方についているワニ頭の目の部分へ直撃した。
これで少しは動きが鈍くなるはず……。
<ビュゴアアアアアア──ッ!!>
「なっ!?」
動きが鈍らない!?
どころか、黒い血液を垂れ流しながら一瞬で距離を詰めてくる。
効いていないわけではないが、損傷箇所が小さすぎて大したダメージになっていない!
「イセッ、シッポッ!」
ラチェリの金切り声の警告。
巨体よりも先に鞭のような細長い影が眼前に迫ってきていた。
咄嗟に大剣でその一撃をガード。
衝撃に吹き飛びそうになるのをこらえて……。
ガリッ──。
嫌な音がした。硬い金属を削るような耳障りな音だ。
視線を落とすと、大剣に尻尾から伸びた杭が食い込んでいた。
いや──違う!
杭じゃない、これは牙だ。
この尻尾……先端にリザードベアーの牙が生えている!
「『滑走刃薙(かっそうじんてい)』!」
ラチェリが態勢を低くして滑り込み、尻尾をナイフで切り上げた。
「ぐっ、うぅぅぅっ……!」
だが、黒い鱗は切り裂けず、ラチェリは斬りつけた勢いで転がるようにしてサナトス・ヴァイラス本体の進路から抜けていった。
しかし衝撃は伝わったらしく、尻尾の先についた牙の食い込みがわずかに緩んだ。
その隙を逃さず、俺は強引に大剣を引き抜き、すぐさまパイプ椅子を作成。
サナトス・ヴァイラス本体の体当たりを、パイプ椅子を盾にして受け流した。
「ぐあぁっ!」
盾にしたパイプ椅子から衝撃が突き抜け、全身を駆け巡る。
やったことはないが、時速80キロのダンプカーにぶつかったらこのくらいの衝撃が襲ってくるのではないだろうか。
俺の体は簡単に10メートルは吹き飛ばされ、何度も草の生えた地面を転がってようやく止まった。
「いつつ……」
今回の戦いで着ているベストは防御力こそプロデューサースーツに劣るが、それでも『アイドルセイヴァー』では五指に入るくらいの性能の防具なのだが、さすがに衝撃までは吸収できなかったらしい。
突進のダメージこそ少ないが、打撲の痛みが全身に広がっていく。
「ぐぉぉぉ……」
ポケットから『消毒液』を取り出して全身に振りかける。
光包帯ほど回復はしないが、HPを回復するアイテムだ。
数秒で液体が体に染み込むと、鈍い痛みが少し残っているものの立てるくらいには回復した。
「イセッ!」
ラチェリが駆け込んでくる。
「このくらいではやられません。しかし、困りましたね……」
栄養ドリンクで強化すれば炎の魔法がダメでも勝てるかもとも思ったが、現状はなんとか攻撃をやり過ごせる程度だ。
加えて、アメリアに借りた大剣の剣身が、石を投げつけられたガラスのようにひび割れてしまっており、持っているだけで金属片が少しずつ剥がれ落ちてしまっている。
これではとても大剣としては使えまい。
どうしたものか……。
「……なんだ?」
ひび割れた剣身の奥に、妙な空間があった。
本来なら、金属で埋め尽くされているはずの場所が空洞だ。まるで何かを収めているかのように……。
「そういえば、この剣にはギミックがあるって金さんも言ってたな……」
俺の『鑑定』スキルでもそうだったが、この大剣には何かしらの仕掛けがあるらしい。
「イセ、どうしたの?」
「気になることがあって。少し、離れていてください……フンッ!」
俺は手に持っていた壊れかけの大剣を思い切り地面に叩きつけた。
サナトス・ヴァイラスの攻撃ですでにボロボロだった剣身は一瞬で砕け散った。
「ちょっと、イセっ!? 何やってるのよ!」
「確認です。っと、やっぱりか」
剣身の中から『それ』は現れた。
少し無骨な形だが、形状は間違いなく、魔術師の装備だ。
鑑定スキルで即座に確認する。
そしてその装備の効果は俺が欲する情報だった。
「……確かに『英雄の装備』は大切に扱う装備。誰も壊そうなんて思わない、お宝の隠れ蓑にはちょうどいいってわけか」
俺はすぐさまその装備をラチェリに差し出した。
「ラチェリ、これをアメリアに渡してきてください」
「えっ!? 何よ、突然」
「ラチェリは足が速い。サナトス・ヴァイラスにも追いつかれずにアメリアに手渡すことができるはずです」
「だから、どうしてこれをあの子に渡す必要があるの? 今ここを離れたらあんたが……」
「アメリアならこの装備を扱えるはずだからです。そしてもし完全に扱えることができるなら、この勝負、必ず勝てます」
プロデューサー・イセの攻撃が効かない以上、残るはプロデューサー・イセが育てたアイドルの力に頼るしかない。
そして、プロデューサー・イセが育てたアイドルは、必ずみんなに夢と希望を見せてくれる。
「……わかったわ。あんたがそこまで言うなら信じてあげる。でも、言うこと聞いてあげるんだから、あんたもあたしとの約束を守りなさい」
「どんな約束ですか?」
「渡したら即行で戻ってくるからそれまで絶対に死なないこと! それとあとで絶対にあたしにあんたの世界の話をすること! リーダー命令よ、破ったら許さないんだから!」
「もちろんです。ラチェリを悲しませるようなことはしませんよ」
「その言葉、絶対忘れるんじゃないわよ!」
ラチェリは俺の手から『装備』を受け取ると魔術師たちのいる方向へと走っていった。
その動きに呼応して、サナトス・ヴァイラスがラチェリに向かって巨体を動かし始めた。
なるほど……サナトス・ヴァイラスは俺ではなく、あの装備の存在を薄々感じ取っていたらしい。
モンスターとしての特殊能力か直感かは知らないが、
「ここから先は関係者以外立ち入り禁止ですよ!」
俺はパイプ椅子を作成すると、横面に向けてぶん投げた。
<ビュゴアアアアアア──ッ!!>
どす黒い六つの瞳が憤怒とともに俺のほうへと向けられる。
強化されたステータスで投げつけたため、思いのほか攻撃力があったようだ。
「申し訳ありませんが、今からこの世界初のアイドルのライブが始まります。ライブチケットをお持ちでない方のご入場は固くお断りさせていただいております。もし、それでも強引に入場されるのがお望みなら──プロデューサーの名の下に粛正させていただきます」
さて、お膳立てはした。
あとはアメリア次第だ。
正直アメリアとは知り合ってから日が浅いし、受けさせなければいけないレッスンも受けさせていない。
練習不足どころか、アイドルの卵と呼ぶのもおこがましい。
『アイドルセイヴァー』のライブイベントに参加しようものなら、9割の確率で『ライブ失敗』の判定が出るだろう。
それでも、俺はアメリアを信じている。
どれだけ他のみんなから信用されていなくとも、プロデューサーだけはアイドルを信じてやらなくちゃいけない。
それこそ、プロデューサー・イセ。
初代『アイドルセイヴァー』の矜持だ。
「ライブ開始まであと10分ってところか。さぁ……気合入れていこう!」
両手にパイプ椅子を作成して、俺はサナトス・ヴァイラスに向かっていった。
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