第32話 ドキドキの入浴タイム
一緒に食事を済ませたあと、アメリアたちはお風呂へ入りにいった。
事務室に残ったのは、俺と宮ちゃんだけである。
「プロデューサーさん、アメリアさんたちだけにしてよかったんですか?」
「あの四人は元々同じパーティーだし、たぶん大丈夫だよ」
「でも、アメリアさん、ラチェリさんたちが来てから、妙な被り物をしてましたよ? 苦手とされているんじゃないですか?」
「アメリアは街にいるときには兜被る系女子になるから心配いらないよ」
「兜被る系女子ってなんですか。なんでも『~系』ってつければいいものではありませんよ」
「宮ちゃんの言いたいことはわかるよ。でもちょっとあの四人……というか、アメリアとラチェリは一度ちゃんと話したほうがいいと思ってね」
アメリアとラチェリはずっと同じパーティーにいるのに、まったく話をしていない。赤の他人ならそれでもいいかと思うが、二人とも俺の知り合いだし、アメリアにいたっては事務所に所属するアイドルになった。余計なお世話と言われようと、そこにアメリアが変化する余地があるならどんどん関わっていくつもりだ。
「荒療治かもしれないけど、やっていかないとね」
「そういうことでしたら、私は何も言いません。しっかりプロデューサーをサポートしていきます」
「よろしくね、宮ちゃん。それで早速なんだけど、アメリアのデータを見せてくれる?」
「わかりました。しっかり更新してありますよ」
宮ちゃんが一枚の用紙を差し出してくれる。
アメリアのステータスが記載された用紙だ。
所属するステータスはレッスンを受けたり、自主練習をしたりすることで上昇する。
アメリアの場合はというと、体力作りや殺陣(たて)の練習をしたことで、体力や敏捷のステータスが上昇している。初期値と比べると1.2倍ほどになっている。
素晴らしい伸び幅だ。事務所と燈子姉さんとプロデューサー・イセとしての育成スキルによる補正が乗っているにしても、かなりのものだろう。魔法の威力もそうだが、アメリアはやっぱり伸びしろがあったのだろう。
とはいえ、この伸び幅がこれからも続くかというとそうではない。1日で1.2倍だからって、10日続けたら12倍にはならないのだ。『アイドルセイヴァー』では、レッスンを繰り返すうちにステータスの上昇が緩やかになり、一定の値以上になると、ステータスが上昇しなくなる──いわゆる『天井』というものに突き当たる。その場合には特別なアイテムやスキルやイベントなどでステータスをさらに向上させることができるようになっていた。
ここは異世界なので『アイドルセイヴァー』の法則がそのまま適応されるかどうかはわからない。
上限があるのか、ないのか。人物ごとに上がり幅・下がり幅に違いがあるのか。しっかりと見極める必要があるだろう。『アイドルセイヴァー』ではステータスが低くてもライブが失敗するくらいだが、こちらではステータスが低い状態で無理をすれば命が奪われることになるからな。
ざっとアメリアのステータス一覧を眺める。
魔力の値は相変わらず高いが、他に目立った場所は……
「……あれ? 宮ちゃん、これは?」
「ああ、それは新しいスキルですよ」
「スキル……なのか?」
『アイドルセイヴァー』にもスキル発現時にはスキルの欄にスキル名と効果が記載される。
しかし、今回はどういうわけかスキル欄にはスキルの名前と文字の羅列が並んでいるが、効果の記述はどこにもなかった。
「効果がない……わけじゃないよな? ってことは、これは異世界のスキル、もしくは魔法ってところか? となればこの文字の羅列は詠唱か」
魔法は『アイドルセイヴァー』にはない、異世界特有の技能なので、効果の部分
の情報が欠落しているのだろう。
「そうは言っても、効果がわからないものはさすがにいきなり使えないよな。でも、アメリアにはあとで伝えておこう。今頃ちゃんとお風呂で少しは打ち解けていればいいけどな」
(どうしてこんなことに……)
アメリアはフルフェイスの兜の下で顔を蒼くしていた。
現在、アメリアはイセの結界魔法である『セイヴァープロダクション事務所』の脱衣場に来ている。
ここで服を脱ぎ、浴場に入ると教わった場所だ。
ラチェリたちは慣れない場所ながらもすでに服を脱ぎ始めている。
イセの使役する精霊『ミヤモリシズカ』に簡単な説明を受けていた三人だが、大浴場を見ればはしゃいでしまうだろし、使い方がわからないものを無理に使おうとして壊してしまうかもしれない。
そうならないように、その都度説明するようにとアメリアはイセに言われていた。
(で、できないよ……。わたし、エルフなんだよ? 顔を見られるのもまずいし、もしもエルフの声に特徴があってそれでバレたらどうするの!? うう……今からでもわたしだけご遠慮しようかな……?)
しかし、それはできないとわかっている。
というのも、イセが四人でお風呂に入ってくるようにみんなの前で宣言してしまったため、ここから逃げ出すのはためらわれた。
(ああでも、体調不良とかなら大丈夫なのかな? ご飯食べてから気持ち悪くなって、とか……。いやいや、もう食べ終わってから一時間くらい経っているし、そもそもあの料理きっとイセの世界にある料理だから、すごい健康的なものだよね? 気持ち悪くなるわけがないよ。それに、体調悪くなったとか言ったら明日からあのおいしい料理が食べられなくなっちゃうかもしれない。うああああああっ、わたし、どうすればいいの!?)
アメリアは悩みつつも、服を脱ぎ終わった。
あとは兜を外すだけ……外すだけなのだが……。
(顔を見られたら絶対にエルフだってバレる! なんでエルフって耳尖ってるの!? チェリちゃんは目がいいから、髪洗ったり、湯船に入ったりしてるときに絶対バレちゃうよ! せめて隠すものがあれば……はっ!)
アメリアはそのとき、『ミヤモリ』からこれは体を洗うために使うと言って教わった布のことを思い出した。
タオル、と呼ばれるそれを『ミヤモリ』は湯船に入る際に髪をまとめるのに使っていた。つまり、体を洗う際にも使っていいものということだ。
アメリアは脱衣場の籠からタオルを数枚抜き取り、誰も見ていないのを確認してから兜を外してタオルを顔に巻き付けた。
二枚使って、両目以外を隠すように顔を覆った。
(で、できた……)
鏡で姿を確認する。
尖った耳も、長い金髪もすべて隠すことができている。
蒼い目は見えてしまっているが、人間にも蒼っぽい目をした人はいる。目の色だけでエルフだとは思われないだろう。
(完璧……!)
タオルがちょっとやそっとでずれないことを確認して、微笑むアメリア。
もしもイセがいたならば「コンビニにナイフを持って押し入るつもり?」と言われそうな顔になっているが、異世界の住人であるアメリアにはわからない。
(これなら、お風呂も入れるかも……みんなは準備できたかな?)
振り返ると、ラチェリはすっぽんぽんになった己の体を姿見で確認し、胸の辺りを見ては難しそうな顔をしていた。レフィンは服を脱ぎ散らかしたあと、「おひょー、なんじゃこりゃー!」と言って体重計に載ったり下りたりして数値の並ぶ様子を面白そうに眺めている。ロフィンはレフィンが脱ぎ散らかした服を綺麗に畳んで、脱衣場の籠の中に入れていた。
(準備できてるみたい。それじゃあ行こっか)
「…………」
(で、どうしよう? 声出さないとみんなが呼べない。扉を開ければついてきてくれるかな?)
そう思ってアメリアが浴場への引き戸を開けると、みんなの視線が一斉に集中した。
「あ、入るのね……って、あんたの顔に何巻いてるの? このお風呂ってそういう風に布を巻き付けないと入れないの?」
「…………」
アメリアは首を横に振る。
そんなわけない。これはエルフバレを防ぐためのものである。
「それならこのままでいいわね。よかったわ、貴族とかそういう家みたいに面倒な作法とかあるわけじゃなくて……それにしてもあんた」
ラチェリの視線が、アメリアの胸のほうへと向かい、そして自分の胸へと戻る。
そして思い切り肩を落とした。
「落ち込むなって、ラチェリ。あの大きさは絶対無理だけど女と言えるくらいの大きさには、っていててててっ!」
「うっさいわね、このバカレフィン! ほら、さっさと入るわよ! ロフィンもついてきなさい」
「は、はい……」
アメリアに続いて、ラチェリと、そのラチェリに頬を引っ張られたレフィンと、タオルを体に巻いたロフィンが浴場に入っていく。
短い通路を進んで、さらに一枚扉を開けた先は──巨大な大浴場だった。
「……ふぁ、な、なによ、これ……」
「で、でけぇ……」
「す、すごくきらきらしてます……」
三人が驚きで目を丸くしている。
タイル張りの浴室は50人ほどが一斉に入っても大丈夫なほどの広さがあり、天井も高く、開放感がある。
ずらっと並んだ洗い場と、奥には浴槽が五つとサウナと水風呂もある。
じんわりと肌に心地よい湯気が室内に漂っているが、明るい電燈によりまったく薄暗さを感じさせない。一種のアトラクションのようなワクワク感すらある。
アメリアも初めてここに連れてこられたときは驚いたものだ。というか、まだ数回しか入っていないので、未だにこの巨大さには圧倒されている。
「すっげー、すっげー! 何これ! 見たことないもんいっぱいある! ロフィン、向こうにも行ってみようぜ!」
「あ、待ちなさいっ!」
ロフィンを連れ立って駆け出そうとしたレフィンの首根っこをラチェリがつかみ直す。
「走らないようにって言われたでしょうが。見るにしても、ゆっくり行きなさい。それと、浴槽に入る前には体を洗うこと、わかった?」
「任せとけ! よし、ロフィン、行こう! 奥までダッシュッ!」
「こら! 走るなっていってるでしょうが! あたしがイセに怒られるのよ! 待ちなさいっ!」
「ふ、二人とも、ま、待ってください……」
手を離した瞬間に駆け出したレフィンを追ってラチェリとロフィンも足早に浴場の奥へと行ってしまった。
「…………」
(チェリちゃんに任せておけば大丈夫かな?)
アメリアは三人を見送った後、一番端の洗い場に腰を下ろした。アメリアは最初にこの浴場へ連れてこられたときからこの一番端の洗い場を使っていた。どの洗い場も形は同じだが、端っこにあるとなんとなく落ち着くのだ。
シャワーチェアーに腰かけて、シャンプーボトルのポンプを押してから液体石鹸を出す。この工程だけでもこの世界にはないものだ。『ミヤモリ』に教えてもらってアメリアは覚えた。
適量を手に取って、両手を頭に持っていき……そこで気がついた。
タオルで覆っているため、シャンプーが髪に届かなかった。
素性を隠すためにタオルを巻いていたのが、ここで邪魔になってきた。
(チェリちゃんたちは奥に行っちゃったし、もう取っても素顔を見られたりしないよね?)
この浴場は入り口から奥にある浴槽が見えないくらい広い造りだ。
そのため入り口手前の洗い場にいるアメリアは、奥の浴槽からも見えないようになっている。なので、ラチェリたちが奥に行っている今なら素顔を見られる心配はないのだ。
念のため、周囲に人影がないことを確認してからアメリアは髪を洗い始めた。
「うひゃー、気持ちいい……」
思わず声が出てしまう。髪になじむふわふわした泡がこそばゆいのだ。この感覚は水浴びだけでは決して味わえない。
イセと知り合えたからこそ味わえる心地よさだ。
一通り、洗い終えて泡をシャワーで流し落とす。
目を開けて、鏡で髪の色を確認する。
(うん! 今日もいい感じに洗え──)
「あんた、そんな顔してたのね」
鏡の中のアメリアの顔の上に、ラチェリの顔が出現した。
「ひぃぁぁ……!」
悲鳴にならないような音がアメリアの喉から零れ落ちた。
(な、なんで……どうして……!? 奥に行ったはずじゃあっ)
ゆっくりと後ろを振り返ると、ラチェリがアメリアを見下ろすように立っていた。
(ま、まずい、まずい……! 顔見られちゃってる!? エルフだってバレちゃった!?)
血の気が引いていく。
思い出されるのは、幼い頃、街で見かけたエルフの旅人の姿だ。
その当時は魔王を討伐して間もない頃で、この街もモンスターに襲われたり、商人が来なかったりで物資が不足していることがあった。
そこへエルフの旅人がやってきた。餓死寸前で食料を恵んでくれと頭を下げてきた。
サエペースの人々は、そんなエルフの旅人に向けて石の嵐をお見舞いしたのだ。
「エルフが加勢してれば俺たちはこんな貧しくならなかった!」「てめえらの種族だけ我が身可愛さに傍観してたくせに!」「エルフは敵だ!」と、そのあとも口々に侮蔑の言葉を叫びながら、街の人々はエルフの旅人に石を投げ続けた。
エルフの旅人は石の雨を浴びながらも立ち上がった。幾たびもよろめき、うずくまり、全身から血を流しながらも街から出て行った。
エルフの旅人がその後どうなったかアメリアにはわからない。きっと死んじゃったんだろうな、と子供心に思った。
その光景を目の当たりにした幼いアメリアは頭巾を目深に被り、用事を済ませて店から出てきたドワーフの母親に抱き着いて急いで家に帰ろうと急かしたものだ。
それ以来、街の人々からエルフだという理由で、いじめられるのではないという不安は拭えない。
死ぬまで石を投げ続けられて終える一生なんて、いくら何でも嫌だ。
そのため、今日まで街の人の前では、顔だけは晒さないようにしてきたというのに……。
(やってしまった……。今日くらい、頭を洗うのくらい、やめてもよかったのに……! 今から違うっていっても、ここまでばっちり見られたらどうしようもない……!)
顔を青くして固まってしまったアメリア。
そんなアメリアの顔をじっと見ていたラチェリは不意に口を開いた。
「隣、座っていい?」
「………ふえ? あ、うん」
意外な提案だったので、アメリアはつい肯定してしまった。
ラチェリがアメリアの隣に腰を下ろす。
逃げ出したくて仕方ないが、ラチェリから逃げおおせる自信はない。
それに、もはやエルフだと知られてしまったので逃げても手遅れだ。となると、次に自分は何をすればいいのか。
(口封じ……いやいや、何を考えてるんだ、わたしは。普通に、エルフだって口外しないように約束してもらわなくちゃ。で、でもどうやって……)
「ねえ、アメリア」
「は、はひっ!」
「これってどう使うの?」
「……これ?」
ラチェリが指差していたのはシャンプーのボトルだった。
「レフィンが『適当に押したら粘々した白い液体が出てきた!』って遊び半分で体に塗ってたけど、それで使い方あってるの?」
「あ、ううん、これはね。一回押して出てきた分だけ使うの。こっちの入れ物が頭を洗う薬剤で、隣のが体を洗う薬剤だって」
「……そ、ありがとう」
ラチェリは素っ気ないお礼を言いつつも、アメリアの顔から視線は外さなかった。
「ど、どうか、した……?」
「……あんた、しゃべれたのね?」
「え? あっ……ああぁっ!?」
やってしまった。浴場では『ミヤモリ』としか話していなかったせいか、その感覚でラチェリにも受け答えをしてしまっていた。
「い、今のは忘れて!」
「今更忘れるの……?」
「い、いや、やっぱり忘れないで!」
「どっちなのよ……」
呆れた様子でラチェリはため息をついた。
「……まったく鎧着てるときは一言もしゃべらないから、どんな仏頂面があるかと思えば……ただ頭の中が真っ白になってただけだったのね」
「うぐぐ……」
「まあ、しゃべらないからって理由で何年もあんたの素性を放置してたあたしも悪いけど、できることならもっと早く話したかったわね」
「ご、ごめんなさい」
「いいのよ、しゃべらなかった理由もあんたの顔見たらなんとなく、理解できたから」
すっとラチェリの手が伸びてきてアメリアの耳にかかる髪を払いのけた。
「この耳を見られたらエルフだってバレちゃうもんね。そりゃあ姿を隠したくもなるわ」
「……っ!」
浴室にいるにもかかわらず急速に喉が渇き、体が冷えていくのをアメリアは感じた。
前大戦でエルフは勇者に力を貸さなかった。そのせいで勇者陣営の戦力が不足し、魔王の軍に滅ぼされた国もあるという。
逆恨みに近いものだが、エルフのせいで大切な人が死んだと思う者もいる。
ラチェリは果たして、どうなのだろうか……?
「石を、投げちゃいますか?」
「……投げないわよ、まったく。前の大戦でエルフが嫌われてるのは知ってるけど、『知ってるだけ』よ。あたしは生まれてなかったし、エルフのせいで誰々が死んだからエルフを恨みなさいなんて教育されてもいないわ」
「そ、そっかぁ……」
「でもね……」
「はい?」
「あんた、正体を隠していたのは別にいいわ……でも、普通にしゃべれるんだったら、最初から普通にしゃべりなさいよ! こんな立派な耳がついてるのに、聞こえてなかったんて言わせないわ! あんたがしゃべんないから色々面倒だったのよ!」
「いたたたたっ! ご、ごめんなさぁーい!」
耳をつねられてアメリアは絶叫しながら謝った。
ラチェリはすぐに耳から手を離したが、まだちょっとひりひりする。レフィンはことあるごとにラチェリにつねられているが、こんなに痛いなんて知らなかった。
「……まったく、鎧を脱げばずんぐりむっくりしたドワーフが出てくるかと思いきや、スタイルのいいエルフなんだもん。こんなことならもっと早めに正体を聞くか、イセに近づかせないようにしておくべきだったわ……」
「え? 耳がひりひりしてうまく聞こえなかったけど、イセがどうかしたの?」
「何でもない!」
ラチェリが小さな声で何か言ったような気がしたので、アメリアは聞き返したが、ラチェリはそっぽを向いて教えてはくれなかった。
「いいから、頭を洗うわ。それで、これって押せばいいのよね?」
「う、うん……あ、そうだ。わたしが洗ってあげるよ」
「は? いいわよ。髪くらい一人で洗えるわ」
「で、でもね、ミヤモリさん……あの、眼鏡をかけた女の人、というかたぶんイセが召喚した精霊さんなんだけど……髪は女の命だから、ちゃんとした洗い方を覚える必要があるって、わたしに教えてくれたの。だからわたしがやってあげるよ」
「女の命ね。まあいいわ、それじゃあよろしく」
「うんっ!」
アメリアはシャンプーを手に取ると、軽く泡立ててラチェリの髪をマッサージするように洗い始めた。
「か、かゆいところはありませんか、オキャクさん?」
「……何よ、それ?」
「ミヤモリさんが、わたしの髪を洗いながらそう言ってたの。きっと誰かの髪を洗うときは聞かなくちゃいけないんだよ」
「ふーん……そういうのもあるのね。なんというか、別世界ね」
「そうだね」
「……ねえ。イセってこの世界の人じゃあ……」
「ないよ。別の世界から来たんだって」
先ほどみんなで一緒に食事のときには、ラチェリはイセに身分を尋ねるような質問をしなかった。
それだけ、驚いたのだろう。見たことない様式の建築物に、見たこともないアイテムの数々、見たこともない衣装に身を包む女性に、味わったことのない料理。最後は特大の浴場だ。
圧倒されるほどの驚きの連続で、ラチェリは質問したくても何から聞いていいのかわからない状態だったのだろう。
アメリアだってイセにこの建物へ最初に案内されたときは10分くらい体を拭かれながら固まっていた。
「別の世界から来てるなら、妙な知識はあるのに一般常識がないっていうのも頷けるわね。あんなに強かったのも、別の世界からきたからだったってわけね」
「うん。でも、イセだって最初から強かったわけじゃないみたいだよ? この施設はね、さっきの集まるところとか浴室だけじゃなくて、体を鍛えたり、道具を作ったりする場所もあるみたい」
「……イセはこの建物で鍛えたってこと?」
「たぶん。でも、自分っていうよりも女の子たちを鍛えてたみたい」
「女の子……?」
「みんなに夢と希望を見せる女の子を育ててたみたい。そういう子のことをイセの世界ではアイドルって言うんだって」
「……アイドルね。なんというか、夢や希望を見せるだなんて聞くと……勇者じゃない?」
「わたしもそう思った。イセは違うって言ってたけど」
「その子たちは、今は?」
「この世界にはいないみたい。鍛えてくれる人たちはイセが精霊として召喚したらしいけど、女の子の姿はなかったんだって」
「女の子はいない、か。それならよかったわ」
「よかった?」
「こっちの話よ。まあ何にしても、イセの強さがまやかしじゃないなら問題ないわ」
「う、うん」
「そういえば、あんたはイセに特訓してもらってるって聞いたけど、それもこの建物の中でやってるの?」
「そうだよ。まだ体力作りだけだけど。あ、そういえば詠唱の練習もしたかな」
「詠唱ってことは魔法? あんた、魔法なんて使えたの?」
「使えたみたい。お母さんには魔法の才能はないって言われたけど、イセが『エルフなら魔法役じゃないのか?』って。イセの世界ではエルフがよく魔法を使ってたみたい」
「まあ、こっちでもエルフは魔法を使ってる奴が多いって聞くわ。実際にエルフに会ったことがないから確かめたことはないけどね。というかさ、あんた、イセには普通に自分がエルフだってこと話したのね」
「えっ!? い、いやだって、戦闘中に兜が取れて顔見られちゃったし……。別の世界から来たみたいだから、石も投げられないと思ったから……」
「別の世界から来ていれば前の大戦のことも知らないだろうからね。というか、思ったんだけどさ、あんたがエルフでも、ドワーフの英雄が育ててるなら誰からもいじめられることなんてなかったんじゃない?」
「……そうなのかな? でも、それはお母さんのおかげであって、エルフ自体が変わったわけじゃないから、エルフ(わたし)への風評が完全になくならないと思うよ。それに、わたしのせいでお母さんが変なふうに言われる可能性もあったし。そうなるくらいなら、わたしは素顔を隠して、声もなるべく出さないように過ごすよ」
「そんな人生……あたしだったら嫌だけどなぁ。ま、あんたが納得してるならこれ以上、何も言わないわ。仮にドワーフの英雄の力を使って庇護されても、今みたいに英雄がどこかに行っちゃったときはわからないしね」
「うん。だから、わたしはわたしの力だけで街のみんなの役に立って、いつかエルフだって告白しても受け入れられてもらえるように、頑張ろうと思うんだ」
「……あんた、そんなふうに思ってたのね」
「変かな?」
「いいんじゃない? 目標があるのはいいことよ。それなら今まで以上に頑張らないとね」
「うんっ! あ、そろそろ流すね」
アメリアがシャワーのお湯をラチェリにかける。
「……ふー、かなりすっきりするものね」
「でしょでしょ、わたしもとっても気に入ってるんだ。毎日入るのが楽しみなんだー」
「毎日……イセと訓練するからここにも来られるってこと?」
「そうだよ。わたしはイセの事務所の『アイドル』になったから、ずっとイセと一緒なの!」
「は……はぁっ!? どういうことよ、それ!?」
ラチェリは振り返るとアメリアの両肩を掴んだ。
「イセとずっと一緒? なんで、そんなことになってるの!?」
「え、えっとね、この結界内にある特訓の施設を使うにはイセの『アイドル』にならなくちゃいけなくて」
「そういうことじゃないわ! どうやって、イセと一緒にいるって状況になったのか訊いてるの!」
「そ、それは……わたしが、頼んだから、かな? イセは『アイドル』ってただ強いだけじゃないよ、踊りや歌も覚えるんだよって言って最初は乗り気じゃなかったけど、わたしが精いっぱい頼んだら、強くなるのには力を貸してくれるってことになったの」
「……あんたが、頼んだから? そ、そう……あたしはそもそも頼み事をするタイミングすらなかったのに……。それに一発オーケーって……!」
「チェ、チェリちゃん……?」
「これかっ!」
「ひゃうっ!」
ラチェリがアメリアのふくよかに実った胸部に手を伸ばし、軽く掴んだ。
「やっぱり男を誘惑するこの邪魔な脂肪が原因なんだわ! 燃焼させてやるぅ!」
「チェ、チェリちゃん、やめっ……ひゃぁぁぁっ!」
「何やってんだ、あいつら」
「ず、ずいぶん仲良くなったみたいだね……あんなふうに抱きついたりして……」
シャンプーハットをして頭を洗っていたロフィンとレフィンは、チームリーダーとエルフがじゃれあう現場を離れた洗い場から眺めていた。
「オレにははしゃがないようになんて言ったくせに、自分ははしゃぎまくってるじゃねえかよ。まったく、あんなふうにはなりたくないぜ」
「ラチェリさんは、その……イセさんのことになると少し暴走しちゃうから……。で、でもアメリアさんと仲良くなれたのはいいと思うよ……」
「エルフだったのには驚きだったけどな。それに、ちゃんと会話してくれるようになるなら、これからはやりやすくなるな」
「そうだね。これからもチームで頑張っていこうね……」
年上二人が離れた場所でじゃれあうのを見ながら、レフィンとロフィンは顔をほころばせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます