第26話 バッドイベント
「なぁなぁ、イセ。いや、イセ様……オレ、欲しいものがあるんですけどぉ」
工房を出るとすぐにレフィンが俺の服の裾を赤ん坊のように掴んできた。
あれだけの大金を目にしたせいだろう。レフィンの目が金貨のように光っていた。
「討伐したときにオレも手伝っただろ? だからオレにもそのお金を使う権利があると思うんだ……いや、思うんです」
「ここぞとばかりに年下らしく振舞っているわね。イセ、レフィンの言うことなんて気にすることはないわ。あんたがもらったんだから、あんたの好きに使いなさい。本当はあたしから報酬を手渡すつもりだったんだけど、手間が省けたわ」
「ちょっ! ラチェリ、本当にあれ全部イセにやんのか!? しばらくはうまい飯を食い続けてもなくならねえ額だぞ!?」
「頑張った人には、身分や種族問わず正当な対価が与えられるものよ。お金が欲しかったらあんたももっと頑張りなさい」
「うう……うう……」
ラチェリに諭されても、レフィンは不満そうに呻き声をあげていた。大人ぶっているがレフィンはまだまだ子供だからな。あれだけの大金を目にしたらほしくなるのは仕方ない。
根負けして安易に渡してしまってもいいが、それではレフィンのためにならない。といっても、何もしないのではレフィンの不満は解消されないままだ。
俺としては彼女たちと今後も仲良くやっていきたいと思っている。グラウンドファングと戦ったときだって彼女たちがいなければやられていたかもしれない。
レフィンたちにも差しさわりのない形で還元してもいいだろう。
「ラチェリ、そこまでレフィンに厳しくしなくてもいいでしょう。ゴードンさんのお店でご飯くらいならを奢りますよ」
「……ご飯か、まあそのくらいなら」
「いいの! やったー!」
「アタシも楽しみにしてます……」
飛び跳ねて喜ぶレフィンは隣にいたロフィンとハイタッチを交わした。ご飯を奢るだけでそこまで喜んでくれるなら俺も嬉しい。
「でも、その前にもう少し街を回ってもいいですか?」
「どこか行きたい場所があるの?」
「食材や雑貨品をそろえたいと思いまして。いいお店を知ってますか?」
「食料品ね。わかったわ、連れて行ってあげる!」
街の外で食べるものを買っているお店を紹介してもらい、俺はそこで食材を選んで購入した。
この食材は事務所に持ち帰って、プロデューサー・イセの『料理』スキルの確認や、アメリアの『料理』スキルなどの習得を試してみるために使ってみようと思っている。他にも、事務所の食糧庫で保存が利くのか試してみるつもりだ。今は大丈夫だが、毎日料理を頼んでいれば事務所の食料も必ず枯渇するので、その代わりとなる食材がいつか必ず必要になってくるからな。
買い物を済ませたあとは『ゴードンハウス』へと赴いた。よく言えばレトロ、悪く言えば古臭いこのお店は本来夜にしか営業しないそうだが、ラチェリとレフィンが店主の『ゴードン』にごねるにごねると、特別に昼食を用意してくれた。昼ゆえに特別料金というものも発生したが、素材を売ってできた金にはまだまだ余裕があるので、この程度で懐は痛くなったりはしない。
ラチェリたちと昼食を済ませたあと、俺はすぐに事務所へと戻ることにした。
ラチェリたちにはもう少ししゃべっていようと言われたが、結界魔法として出現した事務所を俺が長時間離れていた場合どうなるかわからなかったことと、その事務所に置いてきたアメリアがどうなっているのか心配になったからだ。レッスン中に事務所から放り出されることだってあるかもしれない。
というわけでラチェリに貸していたジャケットを返してもらって帰ろうとしたのだが、彼女は「洗濯してから返す!」とどういうわけかすごい剣幕を向けてきたので、ジャケットはラチェリに託してまま店を去った。
そして俺は、事務所の出入口があるアメリアの家の前まで戻ってきた。
扉の在りかを強く念じると何もない空間にぽつりと扉だけ出現していたので、事務所は出現しているようだ。
だが、やはり何もない空間に扉だけがあるというのはひどくシュールな光景だ。これをもし事情の知らない誰かに見られたら間違いなくやばい場所につながっていると思われる。事務所に出入りするときは極力周囲を警戒しておこう。
事務所の扉を開け、「ただいまー」と念のため挨拶して入室すると、宮ちゃんが泡を食って駆け込んできた。
「たたたた、大変です、プロデューサー!」
「宮ちゃん? どうかしたの?」
「レレ、レッスンスタジオがボンってなって、燈子さんと奏ちゃんがてんやわんやになって、アメリアさんがバンってなっちゃって……!」
擬音語ばかりでわけわからん。
「とりあえず、落ち着いて。言葉を他人と意思疎通するためのツールっていう本来の用途に戻そうか。深呼吸して」
「は、はい……はぁはぁ、ふぅふぅふぅ、はぁはぁはぁはぁふぐっ!」
「息は吐くだけじゃなくてちゃんと吸って」
息を吸うのを忘れるって、どれだけ慌ててるんだよ。
「すぅはぁすぅはぁ……えっとですね。レッスンスタジオで火災が発生しました」
「火災が? みんなは無事なの?」
「はい。スプリンクラーが作動したので火はすぐに収まりました。けが人もいません。ただ、火元がわからないので皆さん不安がっているようです」
「火元がわからない?」
「奏ちゃんのレッスン中に急に火が出てきたとかで……アメリアさんはタバコを吸われる方でもありませんし」
不安げな表情を浮かべている宮ちゃん。
かなやんのレッスンは、詠唱の練習を任せていた。
Lv.1の魔法の中には当然炎の魔法も含まれている。
そう考えると、火元の原因はなんとなくだけど予想はついた。
「とりあえずスタジオを確認しにいくよ」
「は、はい!」
俺は宮ちゃんを伴ってスタジオへと足を運んだ。
『アイドルセイヴァー』でも、『火災』というある種のバッドイベントは用意されていた。
アイドルの属性に『不良』や『元不良』『喫煙者』『ヘビースモーカー』がついている場合にはタバコの不始末で、その他にはアイドルの熱狂的なファンが不満を抱いて事務所に火をつけたり、あとは設備の点検に費用をかけないでおくと稀に漏電を起こしたりする。それらの状態から『火災』が発生し、規模の大小に応じてレッスンスタジオでのレッスンの効率が下がることやスタジオそのものが使用不可になることもある。
この事務所はおそらく俺の『アイドルセイヴァー』のセーブデータに基づいて結界として構築されている。
その条件であれば設備は完璧であるため本来なら漏電による火災は起こらない。宮ちゃんの作った資料には、アメリアに『不良』『元不良』などの属性はなかった。熱狂的なファンについては、アイドルがアメリアしかおらず、まだライブどころかビラ配りもしていないのでいるはずがない。
となれば、考えられるのは異世界にきたゆえの不確定要素(イレギュラー)だ。
レッスンスタジオの扉を開くと、部屋の床にはスプリンクラーが稼働したと思わしき水たまりができていた。そして壁の一部には床から天井まで黒く焦げたような跡が広がっており、その前に燈子姉さんとかなやんが立っていた。
「二人ともお怪我はありませんか?」
「あ、プロデューサー。ええ、私たちは大丈夫よ」
「悪いな、プロデューサー。なんかよくわからんけど、火事になりそうだったわ」
俺が近づくと二人が状況を説明してくれた。
「原因はわからないんだけど、急に炎が噴き出して壁に当たってね」
「不思議なことに発火物は見つかってないんだよな。本当にどうなってんのか」
「……設備の不良もあるかもしれません。配線とかも一度確認してもらいましょう。それで、アメリアはどこにいますか?」
「アイドル候補生ならそこで寝ているわよ」
燈子姉さんが顎でしゃくった場所には、膝をついて頭を抱えた状態で床に突っ伏している芋虫がいた。
アメリアだった。
なんであんなポーズをしているんだ? いや、今はそれよりも確認したいことがある。
「アメリア」
「ひにゃっ!?」
近づくとアメリアは素っ頓狂な声を上げ、そして地面に額をこすりつけた。
「ご、ごめんなさい! わたしがやりました!」
「まだ名前を呼んだだけなんだけど……」
だがアメリアのこの態度を見て、予想が確信に変わった。
「やっぱり、魔法が原因なのか?」
「は、はい~……」
アメリアが今にも泣きそうな声で返事を絞りだしていた。
「詠唱の練習中に、魔法が飛び出たってところか」
「おっしゃるとおりです……」
「……一応訊いておくけど、故意じゃないんだよな?」
「もちろんですっ!」
体は震えていたが、否定の声には力強いものがあった。
「それならいいよ。アメリアにはケガはない?」
「……な、ないよ。火の魔法が出た瞬間、すぐに天井から水が降ってきて消しちゃったし」
「それならいいんだ。一番心配してたからな。アメリアの無事に変えられるものはない」
「え!?」
アメリアが顔を上げ、その目が大きく見開かれていた。
「わ、わたしが一番なの? この施設とか、精霊さんとかじゃなくて……」
「この結界自体が俺の魔力でできてるなら、施設は時間が経てば直るはずだ。燈子姉さんたちはわからないけど、元の設定が生きてるなら『ケガ』をして入院したことになって少しの期間会えなくなるくらいだろう。いなくなることはないはずだ。それらに比べればアメリアのほうが大事に決まってるだろう? アメリアは一人しかいないんだからな」
「そ、そうなのか? わたしがいなくなっても、ほら……チェリちゃんたちもいるし」
「そんなわけないだろう? ラチェリはラチェリで、アメリアはアメリアだ。個性を引き出してアイドルを育てるのもプロデューサーの務め。だからアメリアはアメリアじゃなくちゃダメなんだ」
「わたしじゃなきゃダメ?」
「ああ。ほら、立てるか。火事ですすけただろう? 風呂に入ってくるといい。あとのことは俺がやっておくから」
「う、うん……」
アメリアの手を取って立たせてやる。
「風呂あがったら飯を作っておいてやるから、早く行ってこい」
「わかった」
アメリアは大きく頷くと、顔にこびりついてた不安の色を消し飛ばして笑顔の花を咲かせた。
軽やかな足取りで部屋の出口まで歩いていき、そのまま出ていくかと思ったが……その場で振り返った。
「イセ、その……ありがとう、いろいろ」
「どういたしまして。風呂場で火の魔法は使うんじゃないぞ」
「もちろんだよ。それじゃあ入ってきまーす」
アメリアは今度こそ部屋を出て行った。
しかしまあ、しっかりと話をしてくれるようになったな。
フルフェイスの兜を被っていたときなら、荷物持ちに失敗しても謝ったりせず、ずっとだんまりだったからな。
いい感じにアメリアの個性を引き出せているのかもしれない。
「これからもあんな感じで魅力を引き出してやらないとな。まあ前途は多難ぽいけど……」
丸焦げになった壁に予感めいたものを感じて、俺はため息をついた。
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