第25話 ガーザ
俺たちが訪れたのは街の西南西。
この一角は、多くの冒険者がモンスターの討伐に出かける南門の近くということもあり、冒険者の装備品を扱う店が建ち並んでいた。
人間(ヒューマン)に交じって、屈強なドワーフや、獣の耳を生やした獣人がこの通りにも歩いているが、皆が皆、新品のような輝きを放つ装備を一つは持っている。おそらく、ここで新品を買ったか、手入れをしてもらったのだろう。
そんなアドベンチャーアベニューの細道のさらに奥へと、荷物を背負ったラチェリは進んでいった。
「ずいぶん道が細くなってきましたけど、まだ奥へ行くんですか?」
「焦らなくてももうちょっとよ。辺鄙なところにわざわざ隠れ家みたいな店を構えるくらい偏屈なところはあるけど、腕は確かだから安心して。特別な注意事項があるとすれば、絡まれても熱くならないことね」
「そんなラチェリはいつも熱くなりすぎて遊ばれてるのであった」
「黙ってなさい、レフィン」
どうやら今から会うのはかなり癖のある人物のようだ。
元の世界にいたころは厄介だと思われる人物からは極力距離を取って生きていたタイプだが、こっちではしょっぱなからモンスターという話の通じない輩に絡まれたので、多少きつい性格の人物でも大丈夫だろう。それに、今はプロデューサー・イセという俺にとって最強のキャラクターのステータスがこの身に宿っているからな。よほどのことがない限り挫けたりはすまい。
しかし、念のため心の準備はしておこう。モンスターは出てこないだろうが、それ以外が出てきても心を保てるように。
人ひとりがやっと通れる細道を抜けると、そこには塀に囲まれた一軒の建物があった。
塗装などが剥げて、むき出しの柱には幾重にも亀裂のような傷が走っている。そして外れかけの看板には異世界の言語で『鍛冶屋』と書かれている。
隠れ家というよりも、ぼろ屋だ。こんなところに人が住んでいるのだろうか。
ラチェリは家の引き戸を力任せに開くと、迷うことなく中へと入っていた。
「お邪魔しまーす! って言っても聞こえてないでしょうけど」
「勝手に入っていいんですか?」
「いいのよ。どうせ奥の部屋で作業してて出てこないんだし」
構わず奥へと入っていくラチェリについていくと、開けた場所に出た。
裏庭のようなそのスペースには、煙突から煙を吐き出す石造りの建物がぽつりと建っていた。
「煙が出てるっつーことはあのジジイいるみたいだな。徒労にならなくてよかったぜ」
「昨日来たときは行き違いになっちゃったみたいでいなかったもんね……」
「おかげでいつもと違う鍛冶屋にちょっと安値で売る羽目になったんだよなー」
「即金でお願いしたから仕方ないよ……。高い値段を提示すると買い取ってくれないし……」
レフィンとロフィンはラチェリと同じように荷物を背負っている。
この中には昨日倒したグラウンドファングや、そこにいたリザードベアーの素材が詰まっている。ここで買い取ってもらおうという魂胆だ。
「オイノス、来たわよ。鍛冶場にいるんでしょ? 入るからね!」
大声を出しながら、返事を待たずに建物に入っていくラチェリ。
レフィンとロフィンも入って行ってしまったので、「失礼します……」と小声で呟きながら俺も鍛冶場の中へと入る。
石造りの建物の中に入った途端、むせるような熱気が体に纏わりついてきた。ほどなくして、汗が喉に伝ってくる。
ラチェリたちも暑いのは同じだったようで、「うへー」と呻きながら部屋の各所に設置された出窓を開けている。
室内には、鉱物が山のように積まれた籠や、水の張られた壺、何かの模様が書かれた紙の置かれた机などが不規則に散らばっていた。
部屋の奥には室内を支配している熱さの根源である炉が今も猛々しく燃える赤い炎を湛えており、その前に置かれた鉄床(アンビル)には、ハンマーを振り下ろして熱した鉱物を叩いているずんぐりした背中があった。
その人物は、太った小熊のような体躯をしていた。
そして、その首から上は、トカゲの頭がついていた。
「まさか、リザードベアー!?」
モンスターが鍛冶をしている!?
かなり偏屈だと聞いていたが、まさかこんな人物だとは予想していなかった。
というか、ここにいて大丈夫なのか? 今まで出会ったリザードベアーはどいつもこいつも俺を見かけると襲ってきたが、ここにいたリザードベアーは大丈夫なのか?
「──やっぱりいるんじゃない、オイノス。返事くらいしなさいよね」
俺が狼狽えている前でラチェリが驚いた様子もなく、トカゲ頭に声をかけている。
安全なのか? 人に慣れている個体なのか? モンスターにも友好的な奴が存在するのか?
「…………」
しかし、ラチェリが呼びかけても、オイノスと呼ばれたトカゲ頭の人物は鉄床(アンビル)に置かれた鉱物を打つ手を止めなかった。
「はぁ……いつものことだけど、ちょっとはこっちを気にしてくれてもいいんじゃない?」
ため息を吐きつつ、ラチェリは傍にあった台の上に荷物の中身を広げる。
グラウンドファングと、リザードベアーの爪や鱗や牙。昨日討伐したモンスターの素材が無造作に転がっていく。
「……ぬ?」
トカゲ頭の鍛冶師は頭を動かしてこちらを見た。素材があることを確認しているようだ。
「買い取って。10秒以内に答えをくれないと他のところへ持っていくから」
「……せっかちな小娘じゃわい。見てやるからちょっと待っとれ」
ラチェリの急かした声に、トカゲ頭の『中から』しわがれた声が返ってきた。
モンスターがしゃべった!? しかし、トカゲ頭の口は動いていない。
どういうことだ? 口は動いていないのに、声が聞こえる。何が起こっている?
頭を悩ます俺の前で、トカゲ頭の人物が、自分の頭をすっぽりと引き抜いた。
「なっ!?」
その瞬間、頭を失った首からは血が飛び散り、部屋を一面真っ赤な海へと変貌させる──
なんてことはなく、トカゲ頭の下からは深い皺の刻まれた髭面の丸い顔が出てきたのだった。
その顔は、街中にもいたドワーフという種族のものによく似ていた。
「うっしっし、イセ、びっくりしたか?」
レフィンが俺を見上げながら悪戯が成功した子供のようにニヤニヤしていた。彼女は顔見知りゆえに知っていたのだろう、オイノスと呼ばれる人物がドワーフだということを。そして、初対面の俺が驚くに違いないということを。
「見事に騙されましたよ。確かに癖のある方のようです」
「だろ? 竈の熱さを防ぐためだからって、リザードベアーの頭なんて普通はそのまま被ったりしないからな。絡まれても熱くならないようにしろよ」
予想の斜め上を行く登場をされたが、俺はレフィンの言葉で少し落ち着きを取り戻した。
リザードベアーの頭を被ったまま客人の応対するなんて大胆なことも平気でやってしまう人物、それがオイノスという鍛冶師なのだろう。
ドワーフの男、オイノスは今まで叩いていた鉱物の状態を見て確かめた後、体ごと俺たちのほうを向いた。
「なんじゃい、ボーデンところの小娘がおらん代わりに妙な奴が混じっとるのぉ」
そうです、俺が妙な奴です。
「初めましてオイノスさん。私はイセと申します」
「……フン、そのしゃべり方、商人の類か? 帰れ! 儂の装備はこんな半端もんには扱わせんぞ!」
オイノスが急に怒鳴り声をあげた。
初対面の相手にはかなり厳しい御仁のようだ。
「頭に血が上るのが早すぎなのよ。彼は確かに物腰が弱そうに見えるけど商人なんかじゃないわ。れっきとした冒険者よ。そこにある牙の持ち主は彼が倒したんだから。ほぼ一人でね」
「この牙もじゃと? グラウンドファングのものもあるが……ほう、なるほどのぉ」
オイノスの瞳にあった敵意の光がわずかに収まったように見えた。
「【ゴールド】の冒険者を商人と見間違うとは……儂ももうろくしたもんじゃ。年には勝てんのぉ、かつてはボーデンの奴も片手で捻ってやれたというのに」
「はいはい、年寄り自慢はそれくらいにして、そろそろ鑑定してよ。リザードベアーはともかく、グラウンドファングの素材はあんまり手に入らないんだからちゃんといい値つけてよ。それと、念のため補足しておくと、イセはまだ【ブロンズ】よ」
「ほいほい……と、待て。【ブロンズ】じゃと? 【ブロンズ】でグラウンドファングを刈り取ったのか?」
「嘘じゃないぜ、じいさん。マジでイセは、リザードベアーもグラウンドファングも一人でやっつけちまったんだからな!」
「イセさんは昨日冒険者になって、それでそのまま【クリスタル】を飛ばして【ブロンズ】になったんです……。本当に強いんですよ……」
三人がそろって俺を持ち上げてくれる。
確かに倒すことはできたけどさ。やめて、なんだか期待され過ぎると体がむず痒くなってくる。
「ええ、まあ」とペコペコ頷く俺を見るオイノスの瞳には、今度は好奇の光が宿り始めた。
「それが真なら、ボーデン以来かもしれんの。まあ期待はしてやろう。それで鑑定のほうじゃったな」
「リザードベアーの爪が30本、鱗付きの皮が10枚、毛皮が10枚、グラウンドファングの牙が大小込みで60本、爪が8本、鱗付きの皮が5枚よ。間違えないでよね」
「わかっておるわい。きちんと鑑定するから喚かずに待っておれ」
オイノスは台の前まで来るとおもむろに素材を掴み、作業着のポケットから片眼鏡(モノクル)を取り出すと、机の上に置かれた素材を眺め始めた。
手で少しずつ転がしながら、端から端、根元から先まで一つずつじっくり見ては次の素材へと鑑定の手を伸ばしている。
ラチェリは腕を組み、レフィンとロフィンはオイノスの一挙一動に注目して鑑定作業を見守っている。
知り合いなので不正はしないだろうが、それでも金銭に関わることなので注意を払っているのだろう。
状況に変化があったのは、リザードベアーの素材の査定が終わり、グラウンドファングの牙に取り掛かったときだった。
「…………む?」
鑑定していたオイノスの手が止まった。
グラウンドファングの牙の一つをじっと見つめ、やがてラチェリのほうへと差し出した。
「これは『冒険者協会』へ持っていけ」
「どうしてよ? 買い取ってくれないの?」
「ここに黒い染みがあるじゃろ? 見えるか?」
牙の先端から三センチほどの場所をオイノスが指差す。そこにはオイノスが指摘したとおり黒ずんだ染みのようなものがついていた。
「こいつを鑑定してもらってこい。袋はあるかの?」
「あるけど、別に手で持って帰っても……」
「触るんじゃない!」
急に大声を張り上げたオイノスに驚き、ラチェリが伸ばしていた手を引っ込める。
「何よ、びっくりするじゃない!」
「そいつはこっちのセリフじゃわい! まったく、最近の若いもんは危機感ってもんがなっちゃおらん。いいか、鑑定士でもある儂が、調べられんからわざわざ『冒険者協会』で調べてこいと言っとるんだ。やばいもんの可能性があるちゅうこった。それを素手で触るやつがあるか!」
「だったら、そう言いなさいよ! 大昔の年寄りは周囲の人が全員自分と同じことがわかってるふうに何でも話を進めるんだから。わかってほしければちゃんと『若いもん』を教育しなさいよ。それが年寄りの仕事でしょ。ほら、革袋があるわ、これに入れて」
ラチェリは腰のポーチから袋を取り出し、グラウンドファングの牙を入れてしっかりと封をした。
「やばそうなのはこれだけ?」
「他のやつはまだ見とらん。少し待っとれ」
オイノスは口をへの字に結んで再び片眼鏡を持つと素材の鑑定に戻った。
慣れた手つきで素材を転がしては見定めていく。
時間にして五分にも満たないうちに作業は終わったようで、部屋に奥の戸棚から革袋を持ち出してきた。
「ほらよ」
投げ渡される革袋を掴むと、ラチェリはすぐに中身を確認した。
そして、渋い顔になった。
「銀貨二枚と半銀一枚に、銅貨三枚!? 少なすぎよ! なんで金貨が一枚もないわけ!」
「ガキの小遣いにしちゃあ上々じゃろう?」
「足りなさすぎるわよ! グラウンドファングの牙なのよ! 状態もいいし、これを取るのに死にかけたんだから!」
「まあ小娘ごときの腕ではそうじゃろうな」
「このおいぼれがぁぁっ!」
ラチェリがオイノスに食ってかかっている。
換金額がかなり不服のようだ。
俺からしてみれば硬貨の価格がわからないのでなんとも言いようがない。そんなに相場と開きがあったのだろうか。
「あ、あの、イセさんは、お金のことは覚えていますか……?」
俺の戸惑いが顔に出ていたのか、ロフィンがおずおずといった様子で俺を見上げてきた。
「いえ、お恥ずかしながらまったくわかりません」
「そういや、イセってラチェリから報酬もらってなかったよな? 金がなくて今までよく生きてたもんだぜ」
「はい。今日は報酬もいただきたいと思っていたんです」
「アタシが説明しましょうか……?」
「お願いします」
俺が頭を下げるとロフィンはローブの中からがま口のような袋を取り出し、緑がかった小さな丸い石のようなものを取り出した。
「これが王国で使用されている『青銅貨』といって、1ガーザです。1ガーザだと角砂糖が一つ買えるくらいだと思ってください……」
角砂糖っていくらくらいだ? 小さな駄菓子一つと同じくらいだと考えると10円くらいかな。1ガーザ=10円だと仮定しておこう。
ロフィンが袋からさらにこげ茶色と銀色の硬貨を取り出す。
「これが王国の銅貨と銀貨で、それぞれ100ガーザと1000ガーザくらいです……。大きさや重さによって値段が変化することもありますので、このくらいだと思ってください。半分くらいの大きさだと半銅貨、半銀貨といって大体半分くらいの価値になっちゃいます……」
つまり、銅貨が1000円札で銀貨が一万円札か。ちゃんと覚えておこう。
「ロフィンはちゃんと覚えてて偉いな。オレなんかもうすっかり忘れちまったぜ!」
「覚えておいてよ、レフィン。ちゃんと知らないと騙されることだってあるんだから……」
「心配には及ばない。なぜならロフィンがいつも一緒だからな。ロフィンに任せておけば大丈夫だ!」
「もぉ……そんなこと言うなら、これからレフィンのおやつは一週間で青銅貨一枚にしちゃうよ……」
「ちょっ! さすがにそれは少なすぎるってオレでもわかるぞ! オレから楽しみを奪うなよ、ロフィン!」
「だったらお金の価値も計算もちゃんと覚えてね……」
「ぐぬ……わ、わかった。そのうち、まあ考えておく……」
レフィンはどうやら数字の計算などが苦手なタイプらしい。それでも全力で拒めないのはロフィンがお財布の紐を握っているからだろう。どこの世界でも財布の紐を握ってる者のほうが偉いのは変わらないようだ。
さて、ロフィンに教えてもらってこの世界の通貨のことは大体理解できた。
それでもって先ほどの換金額を考えてみよう。
銀貨二枚、半銀貨一枚、銅貨三枚がオイノスから提示された金額だ。
ガーザというお金の単位で表すならば、銀貨二枚は2000ガーザで、半銀貨は銀の半分なので500ガーザで、銅貨三枚は300ガーザで、合計2800ガーザ。
1ガーザを10円で考えると、日本円での推定が28000円か。
この世界の物価がどうなっているかはわからないが、戦って命を落とす危険があるモンスターを討伐したにもかかわらず、手に入れた素材の換金額28000円。異世界の事情に詳しくない俺でも釣り合わないと思わざるをえない。
実際ラチェリが猛抗議しているし、釣り合ってはいないのだろう。
それはオイノスにもわかりそうなものだが、果たして彼はなぜこの額を提示してきたのだろう。
「勘違いしておるようじゃがな、そいつはお前さんたち小娘に渡した金じゃ」
「……どういうことだ?」
「そっちの商人紛いの奴は別に用意しておると言っとる」
オイノスが懐から小さな包みを取り出し、俺に差し出してきた。
「受け取れ」
「あ、はい。中身は?」
「自分の目で確認するんじゃな」
革袋を恐る恐る確認すると……金色の光が何枚も見て取れた。
「半金貨2枚に、白銀貨5枚!? な、なんなのよ、この額!」
袋を覗き込んだラチェリが絶叫を上げる。
えーっと、半金貨って、金貨の半分だから……って、ちょっと待った。俺は銀貨までの値段しか聞いてないぞ? 金貨とか白銀貨っていったいいくらになるんだ?
「なぁなぁ、ロフィン。全部で何ガーザになるんだ?」
レフィンが俺の言葉を代弁するかのようにロフィンに質問してくれた。
「ぜ、全部で150000ガーザ……」
150000ガーザ……1ガーザ約10円だから──150万円っ!?
『た、高っ!』
俺とレフィンの声が見事に被った。
モンスターの素材ってそんなにするもんなのか!?
ラチェリが死にかけていたことを考えるなら妥当かもしれないが、それにしたって一回の戦闘で150万円か。夢があるな。
「勘違いせんでもらいたいが、今回は相場よりも高めに値段をつけさせてもらった。だからその額になっておる」
「あ、ちょっと高めなんですね」
「その分便宜をはかってもらおうと思ってな。ここいらでグラウンドファングを討伐できる奴は稀じゃ。ほぼ無傷でリザードベアーを狩れる奴もな。だからまたグラウンドファングを狩る機会があったら、その素材を全部儂に売ってくれんかの」
「専売してほしいというわけですか?」
「左様じゃ。なんだったら見合った武器を打ってやってもいい。まあ無理にとは言わんがの」
「売ろうぜ、イセ! いつもこのジジイの店で売ろうぜ!」
「あんたはちょっと黙ってなさい」
話に割り込んできたレフィンをラチェリが押さえる。
非常に魅力的な提案だ。これで俺はこの世界で冒険者の仲間に加えて、鍛冶師ともつながりができた。
順風満帆である。
だが、同時に気を引き締めなければならない。
こういうときこそ調子に乗ってやり過ぎると痛い目を見るのだ。『アイドルセイヴァー』ではない、別のアイドルゲームをやっていたときに実際に目の当たりにしたことがある。そのゲームはいわゆるソーシャルゲームでアイドルの獲得も、課金アイテムを使って回すガチャが主な入手方法だったのだが、最初の10回転でお目当てのキャラクターが来たからと、すべてのキャラクターをコンプリートしようとして、「風が吹いてるぜぇ!」と30万円以上そのゲームに突っ込んだ人がプロダクションメンバーにいた。彼は最終的に車を売りさばいたりもしていた。俺はゲーム性が肌に合わず課金が常態化する前に早々に撤退したが、あのあと彼がどうなったかはわからない。
このように流れが来ているからと調子に乗ると大体嫌な目にあう。
ましてやここは異世界。なくなるのはお金ではなく、命にもなりかねない。生き残ることを目標に、臨機応変な対応をしていかないとな。
「ありがとうございます。次回があればそのときもぜひお願いします。それでよろしければ、こちらからもお願いがあるんですが……」
「なんじゃ? 儂にできることなら考えてやらんこともない」
「えっと、魔術師の杖の素材と、防具の生地はおいてませんか?」
「魔術師の杖と防具じゃと……? ないこともないが、専門的なもんなら魔術師組合が指定した店に行ったほうがいいぞ」
「そうなんですか?」
「商人面は腕っぷしは強くても、世俗には疎いようじゃの」
商人面って俺のことか? まあプロデューサーも広義では商人ではあるが。
「もちろん、魔術師の杖と防具だろうと、儂は作れんこともないが、そこに魔法を封じ込めるのは魔術師組合の連中じゃ。グラウンドファングを一瞬で消し炭に変える杖を望みなら魔術師の店を当たれ」
「あ、いえ、そこまでのものは必要ありません。杖と防具、もしくはその素材や生地などがあればいただきたいんです」
「素材をそのまま渡しちゃあ、鍛冶屋の名が泣く。杖はその籠に突っ込んであるもんを一本もってけ。防具はそうさな、このローブをやろう」
オイノスは白い毛皮のようなローブを部屋の隅から引っ張り出してきた。
「どうしたのそれ? まさかオイノスが編んだの?」
「このくらい朝飯前じゃ。アルミラージの毛皮だが、普通の糸で作るよりかは役に立つはずじゃ、もってけ」
ラチェリの疑るような目に答えつつ、オイノスは白いローブを俺に投げ渡した。
「ありがとうございます。えっと、お代は……」
「そんなもんはいらん。それはお試しで作ってみただけじゃからな。正式な依頼があったらそのときに受け取ろう」
「わかりました。ありがとうございます」
頭を下げる。
これでアメリアの装備は大丈夫だろう。
所属するアイドルの衣装を手配するのもプロデューサーの役目だからな。
サイズを後で調整すれば、魔術師っぽく見えるだろう。
「それで商人面の武器はどうするんじゃ?」
「私の武器ですか?」
「そうじゃ。さっき言うたじゃろう、得意様になるために武器をつけてやると。冒険者のやることなんざ、どこまで行こうがモンスター退治じゃ。いっぱしの鍛冶師の武器を持っておくと色々と都合がよいぞ」
確かにその通りだ。
グラウンドファングと戦ったときはアメリアの大剣がなければ、倒しきることができなかっただろう。
武器はあったほうがいい。しかし、俺は武道とは無縁な19年間を生きてきたし、そもそも武器なんてものを使ったことはなかった。アメリアの大剣だって放り投げただけである。
「武器はどうするのか」と聞かれて、「じゃあこれで」と言えるほど武器マニアというわけでもない。
なので、結論としては『何でもいい』ということになるが、それで使いにくい武器を打ってもらうのも悪い。
刃が鋭い凶器などは扱いが難しいと聞くし、もし作ってもらうなら、戦闘初心者でも叩けばモンスターが倒せる武器が無難だろう。
「打撃武器でお願いできますか?」
「打撃武器と一口にいっても、種類は色々あるぞ?」
「アメリアの大剣と同じような感じで、叩きやすいものってできますか?」
「ボーデンのところの小娘の武器……そういえば妙ちくりんな代物を持っておったなぁ。フン、あんな鉄くずなんぞ比べもんにならん武器を作ってやるわい」
「では、それでお願いします」
その鉄くずでグラウンドファングを倒したわけだが。とはいえ、大剣自体はなまくらだったのでそう思われても仕方ないところはある。
「これで用は終わりじゃな? ならさっさと帰っとくれ。儂は忙しいんじゃ」
オイノスはリザードベアーのマスクを被ると、再び鉄床(アンビル)の前の椅子に腰かけた。どうやら作業に戻るようだ。
「はいはい。わかったわよ。またよろしくね、オイノス」
作業を始めてしまったオイノスに別れの挨拶を告げ、ラチェリを先頭に俺たちは工房を後にした。
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