第22話 結界魔法と精霊召喚

 アメリアがアイドル候補生となったその日、さすがに夜も遅いということで、レッスンは次の日からにして、簡単な書類を書いてもらうことにした。


 その書類だが、どういうわけかこの世界の言語で書かれており、一々【マルチリンガル】で日本語から翻訳せずにすんだ。


「この事務所自体があなたの結界魔法だから、書類関係にもあなたの能力が適用されてるんだと思うよ。だからあなたが元の世界かこの世界か、どちらの言語が適切かの判断をしたら、その結果によって書類も出来上がってるはずだよ」


 アメリアはそんなふうに推測していた。つまりは、書類関係にもスキル【マルチリンガル】がかかっているのだろう。この世界の魔法の原理に従った結果なのだろうが、非常に便利だ。


 というわけでさっそくアメリアには、書類に必要事項を記入してもらった。


「これでいい?」

「ああ、大丈夫だ。ありがとう」


 別に書類なんて書いてもらわなくてもいいのだが、これは一応『アイドルセイヴァー』で、事務所にアイドルを登録するための必須事項となっている。儀式みたいなものだ。


 書類にサインしてもらわないと事務所へ登録したことにならず、他の事務所──NPCプロデューサーがやっている事務所に行ってしまうこともある。この世界にはアイドル事務所なんてものはないだろうが、まあ念のためだ。


「宮ちゃん、あとはお願い」


 宮ちゃんに書類を渡して、ちゃんとした資料にするように頼む。


「了解しました!」と書類を受け取ると、宮ちゃんは部屋を出ていった。たぶん事務所のアイドルの証明書とかトレーニングウェアなどの在庫の確認をしにいった、ということなのだろう。『アイドルセイヴァー』だとこの辺りは自動化されていたが、こちらではNPCである宮ちゃんがちゃんとそこに品物があるかのように動いてくれるらしい。


 事務室のソファーには俺とアメリアの二人だけがまた残されていた。


「これで、イセの稽古を受けられるんだよね?」

「いや、俺じゃない。この事務所には宮ちゃんみたいに他の人がいるから、アメリアの稽古はその人たちに担当してもらう。ちゃんとした指導者ばかりだから俺に教わるよりも技能は身につくはずだぞ」

「そっか。イセじゃなくて、さっきの精霊さんたちがやってくれるんだね」

「精霊さん……?」

「違うの? イセが自分の結界に召喚したんじゃないの?」

「……この世界だとそういうくくりなのか?」


 また異世界の魔法どっきり体験だ。


 宮ちゃんや講師陣NPCは元々この事務所にいたから、てっきり結界魔法とやらを発動させればセットでついてくるものだとばかり思っていたが、結界魔法を構築したうえで、別個に精霊として召喚していたのだそうだ。


 やっぱりこっちの世界の協力者がいると、知識の習得もたやすい。この世界における、プロデューサー・イセの能力の原理が徐々にわかってきた気がする。


「それじゃあ宮ちゃんたちは、俺が召喚してることになるのか?」

「そうだと思う。固有の結界と召喚を同時に行ってるんじゃないかな? 魔力の消費量がすごいことになって、普通の魔術師だと1分も持たずにバタンって倒れちゃうんだけど、イセは全然平気そうだね」

「ああ。昨日もこの事務所の中で寝たけど、それでも大丈夫だったぞ?」

「意識がなくなっても結界が継続して発動してたの? それだと余計に魔力を吸われるはずなんだけど……」

「あ、でも、夜中まで名刺作成の魔法をひたすら使ってたらすぐに眠たくなってきたな。あれが魔力がなくなるって感覚だったのか?」

「それは単純に夜だから眠たくなっただけかも。この結界はあなたの任意でのみ解除できるの?」

「いや、今朝方街にモンスターが入ってきたことがあっただろう? 俺たちで倒したリザードベアー」

「うんっ! 覚えてる! あれでわたしの撃破数がやっと1になった!」

「そうだったな。ところでアメリアは【ブロンズ】になれたのか? 『冒険者協会』の生態調査クエストもクリアしただろう?」

「それは明日『冒険者協会』に行ってみないとわからないよ。グラウンドファングを狩って帰ってきたからきっと昇格できると思うけど」

「よかったな。これで面目は立つんじゃないか?」

「ううん。【ブロンズ】にはなれるけど、まだまだ足りないよ。わたし、これまでにも色々やっちゃったから……」

「色々って、何をやってきたんだよ」

「迷子依頼の出てた猫を捕まえたと思ったら鎧で押しつぶしてケガさせちゃったり、補修を頼まれた店の柱を間違えて大剣で壊しちゃったり、モンスター退治だとアルミラージを倒すつもりがちょこまか逃げられた挙句先に体力が尽きて負けちゃったり……そのたびにチェリちゃんやレフィンちゃんに怒られてきたんだ。この惨状だけでも大変なのに、エルフだってことまで知れ渡ったらどうなるかわからないよ」


 フッ、と自嘲気味な笑みを浮かべるアメリア。


 おっちょこちょいだと思っていたが、俺が来る前にもいろいろやらかしていたらしい。


「あ、そうだ。グラウンドファングで思い出したけど、あの剣はもう修理に出したのか?」

「まだだよ。もしかして、イセ、あの剣についた血とか刃の修繕とか、この結界でするつもりだったの?」

「ああ。大道具……装備品を手入れできる職人もこの事務所にはいるからな。この世界の装備品も手入れできるか確認も兼ねてやろうと思ってたんだ。元々俺が汚しちゃったわけだしな」

「……わかった。それなら、あとで持ってくるよ」

「いいのか? あの剣も鎧と同じで親御さんの大切な装備なんだろう?」

「いいよ。謎が多かったから断ったけど、イセはこの魔法を見せてくれて、素性も全部話してくれて、わたしをアイドルにしてくれるとも約束してくれた。あなたのことは信頼してみることにしたよ」

「……信頼、ね」


 そんなことを面と向かって言われたのはいつ以来だろうか。


 言われ続けられるように頑張らないとな。信頼は一度失うと修復するのに時間がかかったり、場合によっては二度と修復できなかったりするものだからな。


 その積み重ねが、ゲームをゴミとして捨てられる結果に繋がったりするのだ。


「イセ……?」


 急に黙りこくった俺を不思議に思ったのか、向かいのソファーから、アメリアが顔を覗き込んでくる。


 ダメだな、俺は。向こうの世界のリアルを思い出すと沈鬱な気分になってしまう。


 伊瀬孝哉はもういない。ここにいるのはプロデューサー・イセだ。


「何でもないよ」


 明るい営業スマイルで応じる。


「剣のことは任せくれ。届き次第、修繕をお願いしてみるよ」

「うん。よろしくお願いします」

「ああ。それで話を戻すけど、結界が任意でのみ解除できるかどうかだったな」

「あ、うん。どうなの? あ、でもそれが弱点になるなら無理に言わなくてもいいよ」

「いや、アメリアはもう俺の事務所のアイドルなんだから伝えておくよ。推論だけど、この結界は俺自身の精神状態とモンスターの接近時には強制的に解除される。今朝は街に入ってきたリザードベアーを見つけた途端に、結界が跡形もなく消えてしまったんだ」

「周囲が安全じゃないと使えないってことかな?」

「おそらくな。事務所の周囲の安全を気にするのもプロデューサーの役目だから、そこが結界の発動条件に関わっているんだろう。ルーストマウンテンのような岩山の巣穴で使えたら相当便利だったんだけどな」

「魔法っていうのは制限をかけることで使用できるものもあるから、イセの魔法もそれに該当するみたいだね。でも、その欠点を考慮してもすごい便利な魔法だと思うよ。ほら、この椅子だってこんなフカフカだし」


 アメリアがソファーで猫みたいにごろんと横になって気持ちよさそうに目を細めている。事務室の脇の臨時応接間においてあるようなソファーでも、異世界では王宮にでもいかないと置いていないのだろう。


「安全な街中で魔法を使用すれば、結界が強制解除される可能性は少ないと思うけど、今朝のこともあるから、この事務所にいるときは一応気にしておいてくれよ」

「うんっ!」


 アメリアが笑顔で元気に返事をした。


 話していて思ったが、アメリアは最初のころと比べてずいぶん俺と話してくれるようになった。


 今でこそ、ちゃんと返事もしてくれるような関係になったが、今まで街で会うときはフルプレートアーマーを着こんでずっと無言だったのだ。


 それがころころと表情を変えて、いろいろなことを話してくれる。無口属性から一変、素直属性に大変身。かなりのギャップだ。


 アメリアは元来おしゃべりなのかもしれない。それとも、今までしゃべらなかった分、エルフであることを嫌悪しない異世界の人間の俺が相手だから、しゃべりつくしているのだろうか。


 たぶん両方だろうな。


 再び猫のようにソファーで転がり始めた金髪のエルフの様子を観察する。


 腰まで流れる流星のように金色に輝く髪、小ぶりな顔に蒼海をほうふつとさせる大きな瞳、ゆったりとしたネグリジェの下からでもわかる胸の膨らみ、にもかかわらず腹部は引き締まっており、手足はすらりと長い。


 まさにファンタジー体形。元いた世界でこの体形を維持しようとしたらかなり大変だろう。


 この世界のエルフはみんなこんな美少女ばかりなのだろうか。


 今のままでも、美少女冒険者と言えるが、この子を戦えるアイドルとして鍛え上げる。


 楽しいプロデュースになりそうだ。


 そんな未来への展望を描きつつ、無遠慮な視線を送り続けたせいか、アメリアが警戒した猫のように威嚇的な視線を向けてきた。


「な、何? わたし何か変? はっ、もしかして湖のときみたいにわたしの裸が目当て……?」

「ばっ!? またってなんだよ、あれは事故みたいなものだ……。違うって、アメリアって街だとあんまり話さなかったから、今話してみて、本当はおしゃべりだったんだなぁと思って見てただけだ」

「そ、そんなことは……あるかも。わたし、お母さんとしか話してなかったから。お母さんと話すときはこんな感じだった……」

「俺の世界のイメージだとエルフは無口で人間嫌いなイメージなんだけど、こっちの世界だと違うのか?」

「うーん、わからない。この辺りにはわたし以外にエルフはいないみたいだし、お母さんにはわたしはわたしのままでいいって言われたし。だからこういう話し方をしてるの」


 アメリアもエルフのことはよくわからないらしい。


 アメリア基準でエルフを判断してしまうと間違っている可能性もあるようだ。


「そっか。いいんじゃないか、アメリアはアメリアで。まあ俺としては、ラチェリたちともそうやって話したほうがいいとは思ってるけど」

「チェリちゃんたちとは、こんなふうにはできないかな。襲われても怖いし……」


 この世界のエルフに対する風当たりがどんなものかはわからないが、ラチェリたちに限っては襲われないとは思うのだが。


 だけど俺も彼女たちと出会ってそれほど時間が経ったわけではないし、もしかしたら『エルフ』が彼女たちのNGワードの可能性もゼロとは言い切れない。


 戦うアイドルとして鍛えるにしても、『エルフ』の問題もどうにかしないといけない。いずれは街のみんなの前で歌うこともあるかもしれないしな。


 とはいえ、種族差別ってのはどうすれば解決するんだ? 問題が世界規模過ぎてまるで想像がつかん。アメリアだけ、特別なエルフだと認識してもらうほうがいいか? だが、それはそれで難しいだろう。民衆のイメージというのは一朝一夕では上げられない。みんなに勇気を与える英雄的な行動を成しえればいいのかもしれないが、それこそかなりの苦労が伴う話だ。


 考え込んでいると「きゅるる~」と可愛らしい腹の音が目の前から聞こえた。


 アメリアが腹を押さえて顔を赤らめている。


 そういえば、今日は俺もルーストマウンテンに向かう最中に、軽食として干し肉をラチェリにもらったくらいだった。よく夕方まで持ったものだ。


 と思ったが、その瞬間急激な空腹が襲ってきた。単純に今まで驚きの連続で脳が食欲をどこかに追いやっていただけようだ。


 今からだと街の酒場はもうやってないかもしれない。やっていたとしても、俺はこの世界の金を持っていないからアメリアにたかることになるが、アイドルになったばかりの女の子にプロデューサーがお金を借りるというのは健全なアイドル事務所ではないだろう。


 そうなれば、自前で用意するしかないだろう。


「ずいぶん遅くなったけど、飯にするか。事務所にあるものでいい?」

「全然構わないよ! 何があるの?」


 アメリアが目をキラキラさせている。よだれまで垂らしているところを見るとよほど空腹だったのだろう。


 それとも、豪華な浴場を見た後だから、王様のような贅沢な食事ができると思っているのかもしれない。


 半分正解だが、半分は間違いだ。ここの料理はものによっては豪華だが、選択肢が少ない。通常で食べられる食事は5種類ほどだ。アイドルに食べさせて好感度を上げる食事もあるが、それには限りがあるので今回は見送らせてもらおう。


「宮ちゃーん」

「──はーい、ただいまー」


 俺が呼びかけるとドアの向こう側から返事と共にパタパタという足音が近づいてきて、扉が開いた。


 紙袋を大量に持った宮ちゃんが入ってきた。


「アメリアさん、お待たせしました。はい、これ」


 アメリアに紙袋を一つ手渡す宮ちゃん。


「えっと……これは?」

「トレーニングウェア一式です、シューズも入っていますよ。レッスンの時に着てください。サイズはお風呂で確認したので間違ってはいないはずですが、きつかったり、大きかったりしたら教えてくださいね」

「あ、ありがとうございます……もらって、いいの?」


 アメリアは宮ちゃんから受け取りつつ、俺の様子を気にしていた。


「もちろんだ。それを着てやったほうがレッスンの効果が出るはずだ」

「でも、服って結構高いし……」

「そういうことか。こっちの世界だとそうかもしれないけど、その服自体は高価なものじゃない。でも、変な風に扱って破ったりはしないようにな」

「わ、わかった」


 ぎゅっとアメリアが紙袋を抱え込んだ。トレーニングウェアをもらったことで一段とやる気が燃え上がったようだ。


「それで、プロデューサーさん。私に何か御用ですか?」

「食事の準備をしてほしいんだけど、すぐに出せる? メニューはCで。3人で食べよう」

「わかりました! すぐに準備します!」


 宮ちゃんは右手で敬礼のようなポーズを取ると、事務室を出て行った。


 この料理メニューは『アイドルセイヴァー』にあったものだが、そのときはロード時間で準備されていた。


 こちらだとどのくらいの時間で、どのような料理が準備されるものなのか。


「どんなかな、どんなかな」とアメリアはそわそわした様子で料理が運ばれてくるのを待っていた。

「大丈夫だよ、宮ちゃんのことだからきっとすぐに準備してくれ──」

「お待たせしました!」

「早っ!」


 時間にして10秒ほどで戻ってきた。


 確かにロード時間よりは長くかかったが、それでも早すぎる。


「フレッシュベジタブルのCコースですね。はい、どうぞ」


 ソファーで挟まれたテーブルの上に大皿が三つ並べられる。


 大皿の上には、玄米と大量の野菜、それと鶏肉とデザートが載せられている。


 野菜好きのアイドルが好んで食べる料理の一つだ。


 ちなみにAは肉、Bは魚をメインに使った料理になっている。


『アイドルセイヴァー』ではわざわざアイドルたちと食事を取る必要はなかったが、アイドルがお腹を空かせている状態のときに好きな料理をごちそうすると、特別なイベントが発生することもあった。


 さて、異世界のアイドルであるアメリアの反応はというと……


「み、見たことない野菜がいっぱい……これ、生でも食べられるの?」


 未知との遭遇のように野菜と睨めっこしていた。


「もちろんですよ。さぁどんどん食べてください」

「い、いただきます」


 宮ちゃんに勧められ、アメリアはフォークを取る。


 ぱくっと水菜を口に運んだ。


「う、うまっ……な、なにこれ! 野菜なのに、すごくしゃきしゃきして、とっても甘い! こんな野菜があるの!?」


 興奮気味に感想を漏らしながら、どんどんと野菜を口に運んでいく。


 なんとなくエルフだから野菜系が好きだろうと判断してCコースにしたのだが、気に入ってくれたようだ。


「アイドルになってよかった」

「その感想は早いぞ」


 料理だけで満足されても困るのだが。


 まあ、アメリアが嬉しそうに食べているからいいか。


 明日からは楽しくも大変な日々が始まる。


 

『セイヴァープロダクション』異世界支部、プロデューサー・イセ担当アイドル 1名 アメリア・ボーデン。

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