第20話 ラチェリの気持ち

☆☆☆ (ラチェリ視点)


 イセがアメリアに浴場を見せている頃。


『ゴードンハウス』の店内では、ラチェリとレフィンとロフィンが巨大な大木を切り抜いたような無骨なテーブルを囲んで夕食を取っていた。


 今日は昨日に引き続き、実入りが非常によかった。


 元々はリザードベアーの生態調査という名の頭数減らしの任務だったのだが、途中でルーストマウンテンを越えてさらに南下した平地に生息するグラウンドファングと遭遇した。


 ラチェリはグラウンドファングがどんなモンスターなのか、知識として知っていた。


 グラウンドファングは強い。【シルバー】ランクの一つ上の階級である【ゴールド】ランク以上の冒険者が束になってようやく勝てるレベルである。【シルバー】では数分間の足止めが精々と言われるくらいの強敵だ。


 しかし、ラチェリたちはグラウンドファングと戦闘し、そして撃破した。


 正確に言うなら、昨日突如として現れたイセと名乗る人物が孤軍奮闘し、ほぼ一人で討伐してしまったのである。


 彼がいなければ、洞穴に入っていたメンバーは全員死亡し、チーム『魔戦夜行』はなくなっていたことだろう。


 今日冒険者になったばかりで、冒険者になってすぐに【ブロンズ】に昇格しただけでもすごいのに、さらには【ゴールド】ランク以上の冒険者でしか倒せないと言われるモンスターまで五体満足で討伐してしまったのである。


 その後彼は『とある理由』で気絶してしまったので、グラウンドファングが出てきた洞穴の調査はラチェリたちで行った。


 グラウンドファングはイセが討伐した一体のみで、その他に洞窟内で転がっていたのは、リザードベアーの数十体の死骸だった。


 おそらくルーストマウンテンにいたリザードベアーはコミュニティを作っており、そこへやってきたグラウンドファングに徒党を組んで挑んだのだろう。


 その結果返り討ちに合い、強者の食料となってしまったようだ。


 ラチェリたちはリザードベアーの死骸から素材に使えそうなものを切り取り、残りは血の匂いで他の獣が来ないようにと、洞穴内でのすべての作業が終わってから焼いておいた。


 グラウンドファングはヘーブルのパーティーメンバーが解体しており、その分け前をもらった。イセが討伐したということで、ラチェリたちが持てる最大の量まで持たせてくれた。それ以外にも街についたら手間賃以外は他の使えそうな部位はすべてくれると言ってくれた。さすがにそれはもらい過ぎ、借りができてしまうと思ったが、イセが彼らの仲間の命を救うのに恐ろしく高額なアイテムを使用したらしく、このくらいでは全然足りない、何かあったらいつでも力になるとサブリーダーのゴーグルの男は言っていた。


 そんなことがあり、ラチェリたちの手元にはかなりの大金が転がり込んできた。


 調査依頼の完了による報酬と、リザードベアー及びグラウンドファングの素材の一部を売り払ったことによる収入である。


 特にグラウンドファングは【ゴールド】ランク以上の冒険者を加えた討伐隊を結成してようやく手に入る素材ばかりなので、かなりの高値で売れた。


『ゴードンハウス』の主人であるゴードンもサングラスの奥にある目を輝かせて「グラファンの肉だと!? いくらだ、いくらで売ってくれるんだ!?」と迫ってきたくらいだ。


 というわけで、今夜もまたテーブルいっぱいに料理を並べて、街で一番豪華な食事をしているのだが……ラチェリの気分は冴えなかった。


 ゴードンの料理はおいしいし、財布も温かい。レフィンとロフィンの妹分二人も喜んでいる。


 しかし、


「はぁ……あぅあぅ」


 机に突っ伏したまま高級感のあるジャケットの袖を両手で握って、ラチェリは何度目かのため息をついた。


「なんだよ、ラチェリ。やっぱり具合悪いんじゃねえか?」

「傷がちゃんと塞がってないのかも、しれません……」

「まあ全身穴だらけだったもんな。まあ食欲がねえなら仕方ないな。オレが食っといてやるよ」

「レフィン、それ、ラチェリさんの……」

「いいのよ、ロフィン。レフィンに食べさせてあげて」

「わ、わかりました……」


 他人の分までもりもり食べ始めたレフィン。普段なら止めるところだが、その気力すら沸かず、ラチェリはレフィンの好きなようにさせていた。


 ロフィンが不安そうにこちらを見ているが、ラチェリ自身、低調な理由はよくわかっていない。いや、体が元気なのだから精神的なものだと検討はつく。そして、精神的な原因も予想はついている。


 ただ、それを認めたくないというか、認めてしまったら負けのような気がして、どうしようもなくて机に突っ伏してしまっているのだ。


「なんだ、ラチェリ。まだそんな恰好で塞ぎ込んでたのか?」


 ラチェリが顔を上げるとゴードンが皿を抱えてテーブルまでやってきていた。


「ほら、お前さんたちが狩ってきたグラファンの肉だ。鶏肉より濃厚だが口当たりもよくて最高だぞ」

「おお、こいつか! それじゃあさっそくいただきまーす!」

「いただきます……」


 レフィンとロフィンがナイフとフォークを使っておいしそうに肉を頬張り始めた。


 ラチェリはそんな二人を眺めながら「子供は悩みがなくていいなー」とか思っていた。


「ラチェリは食わないのか? 食べないとあいつらに全部食われちまうよ」

「残ってたら食べる……」

「だからなくなっちまうって。今食べないと次いつ食えるかわからないんだぞ?」

「じゃあ、今はいい」

「そうかよ。せっかく、イセが討伐したってのに、もったいないねぇ」

「……わかったわよ、食べる。食べればいいんでしょ!」


 ラチェリはフォークを手に取るとと大きめの切り身に刺して口に放り込んだ。


 じんわりと濃厚な油が口の中へ広がり、それでいて肉は少し弾力があるのか噛み応えもよい。これは確かにごちそうだ。


 もう一切れフォークで刺して口に運ぶ。


「やれやれ。わかりやすいこったな」

「何の話よ、ゴードン?」

「イセがいないからってそんな塞ぎ込む必要ないだろ?」

「ごふぉふっ!」


 口から肉が噴出した。


 肉が飛び出す瞬間に角度を調節したのでなんとか着ているイセのジャケットにはかけずにすんだが、その分前を向いたので、向かいに座るレフィンのほうまで少し飛んでしまった。レフィンが「ばっちい」と顔をしかめいてる。あとで謝ろう。今はゴードンだ。


「いきなり何言い出すのよ! イセは関係ないわ。そうよ、いなくたって寂しくなんかないんだもん!」

「そうかい。なら塞ぎ込んでないで俺の料理をじゃんじゃん注文してくれよ。イセにそのくらい稼がせてもらったんだろう?」

「それはまあ……」

「うん! あいつのおかげで今日は最低の日になるはずだったのに、最高の日になったぜ!」


 肉を刺したナイフとフォークを振りながらレフィンがラチェリの代わりに応える。


「あーあ、でもイセも可哀相だよな。せっかく一人で討伐したのに、報酬どころか分け前を渡される前にラチェリからさっさとどこか行けみたいなこと言われてさ」

「ぐっ……いや、あれは……つい、言っちゃったというか」

「イセさん、今頃どこで何をしているんでしょうか。お腹を空かせてなければいいんですけど……」

「ロフィンまで……わかった! わかったわよ! ちゃんと話をしにいけばいいんでしょ! もう怒ってないから、そっちも気にしないで、一緒にご飯食べましょうって!」


 いつもは大人しい妹分のロフィンにまで言われ、ラチェリは洞穴を去ったときから頑ななまでにイセを避けていたのをなんとかする気になった。


「てかさ、ラチェリも何をうじうじ悩んでんだよ。元はと言えば、傷が塞がったばっかりなのにラチェリが無茶したせいだろ? ラチェリが無茶してバランス崩さなきゃイセだって助けようとしなかった。不可抗力ってやつだ。裸見られたって、前がちょっとはだけただけだろう? そんな胸だか背中だか鉄板だかわからん胸見てイセがどうこう思うわけないっていてててて……!」

「この黒チビ! もういっぺん言ってみなさい! 本気でほっぺを引っ張るわよ」

「もうひっはってるひゃないかっ!」


 ラチェリはテーブルを乗り越えて、レフィンの頬を全力でつねっていた。


「仲良く飯食うのはいいけど暴れんなよ」

「あはははは……」


 なんとかつねっている手をどかそうとするレフィンとそうはさせまいと身を乗り出すラチェリを見て、ゴードンとロフィンは呆れたような笑みを浮かべていた。


「それにしても、ずいぶんとイセを気にいったようだな。さっきから会話がイセ、イセ、イセ、イセだぞ」

「イセさんは、すごいことばかりなさっていますから。あれだけ強いのに、優しくてお金にもうるさくない人はそういません……」

「確かにそうだな。外見からは想像もつかないが……まさか、出会って二日目でグラウンドファングを倒して帰ってくるとはな。ありゃあカテゴリーCで小さな村なら滅ぼしちまうレベルのモンスターだぞ? だからこそ【ゴールド】がいなきゃ足止めが関の山なんて言われてるんだが」

「でも、アタシたちはイセさんが倒すところを直接この目で見ましたよ……。板のようなものを魔法を使って連続で作成して、口の中から動きを止めて、アメリアさんの剣で、モンスターの口の中から孔を開けて倒していました……」

「普通は落石とか魔法を使ってひっくり返したところを狙うんだけどな。一番危険なところに飛び込んで倒すなんて俺でもやりたくないね。大した度胸だよ」

「……イセさんって本当にどこから来たんでしょうね……? 大けがを一瞬で治す魔法布も持っていましたし……王国の貴族……もしかしたら、王族直属の執事さんとか……?」

「もしくは帝国だな。スパイの可能性もあると思ったが、それにしては自分から危地に飛び込んだりしているから、その可能性はないだろう。店で買い物をしているところも見てないし、金をせびる様子もない。部分的に記憶を失ってるのは間違いなさそうだが。しかしまあ、ラチェリがこんな短時間であそこまで懐くとは思わなかった。あの子の着ているジャケットはイセのものだろう?」

「はい……その、グラウンドファングに噛まれたせいで、ラチェリさんの服がボロボロになってしまって。そんな状態の服をさらにイセさんが引っ張ったから破れてしまったので、イセさんが着るようにとラチェリさんにあの服を……。あ、でも決してイセさんはラチェリさんを脱がせようとして服を引っ張ったわけじゃないですよ……!」

「ああ、それはあの子たちの話やら本人の人柄を見ればわかるさ。ただ、ラチェリが自分の装備以外をあんなにも大事そうに着こんでいるのが気になってな。生地を見れば高い服だってのはわかるが、それにしたって大切に着ている。昔あの貴族のお坊ちゃんからもらった装備はその場で投げ返していたくらいなのにな」

「ヘーブルさんは仕方ありませんよ……。おしゃべりが上手なだけの貴族さんですから……。今日だって一番に逃げていきました……」

「あのお坊ちゃんと比べるのはまずかったな。でも、あれだけラチェリが入れ込むことは今までなかったからな。最初は、魅了の魔法でも使われて懐柔されてるかと少し心配したんだぞ? もっともラチェリは『生まれ』のおかげでそういう魔法には、強いからすぐにその線はないと思ったがな。だが、その生まれのせいで強い相手を好む傾向にあるってのは今回の件でわかったよ」

「やっぱりラチェリさんがイセさんを特に気にしているのは生まれも、関係しているんですね……」

「だと思うぞ、俺は。でなければ出会って二日でイセを殴ったことであんなうじうじ悩むわけがない。こういうのもなんだが、強い奴に惹かれるのは自然の摂理でもあるからな。あの子の場合は、半分がそういう種族だから余計に感じてしまうんだろう。自分を一瞬で倒したモンスターを一撃で葬り去り、絶命の窮地から助け出してくれた男……そんな奴との縁が自分自身の失態、一時の癇癪で断たれそうになったら、そりゃあ落ち込むだろうよ」

「ラチェリさん、ちゃんと謝れるでしょうか……」

「さぁな。それはあの子次第だ」


 ゴードンが肩をすくめる。


「ちょっとゴードンとロフィン、さっきから何をこそこそと話してるのよ!」

「何、ちょっとした情報交換さ。それよりもラチェリ。仲直りしたいんだったら、早くしたほうがいいぞ」

「べ、別にイセとは喧嘩したりしたわけじゃないわよ」

「誰もイセと喧嘩したとは言ってないぞ?」

「なっ!? ゴードンっ!」

「まあでも、仲直りしたいんだったら早くしたほうがいいのは確かだぞ。今日イセに貸した部屋の様子を見に行ったんだが、あいつ、昨晩は俺の貸した物件には泊まってないみたいんだったんだ」

「えっ!? それじゃあもしかして野宿……?」

「もしくは誰かの家に泊めてもらった、とかな」

「誰かって、誰よ?」

「さぁな。でも、あいつはいかにも高給取りの執事って感じだ。もしかしたら、どこぞの女が誑し込んだのかもな」

「なっ! そ、そんなことない……と思う。イセに限って、そんな見ず知らずの奴についていくような人じゃあ……」

「ラチェリ、お前さんだってイセとは昨日出会ったばかりだろう? たまたま接点があっただけだ。それだけでお前さんとだけ付き合うわけじゃないんだぞ?」

「だ、誰と誰が付き合ってって! あ、あたしはイセと付き合ってなんてそんなこと……」

「言葉のあやだ。お前さんに付き合って、いつでも一緒にモンスターを狩りにいくことはないってこった。逃したくないならちゃんと手綱を握っておけよ。グラウンドファングを撃退した新人冒険者なんて評判が広まったら、パーティーを抜けられるかもしれないぞ?」

「そ、そんなの嫌よ! イセはあたしのパーティーの一員なんだから!」

「だったらほら、さっさと料理を持って会いに行ってやったらどうだ? 今頃どこかで餌付けされてるかもしれないぞ」

「餌付けって……でも、ゴードンの言った通りかも。イセが妙な誘惑に引っかかってるかもしれない」


 ラチェリは腰元のポーチから風呂敷を取り出し、目の前のさらに置かれている料理を片っ端から包み込んだ。


「今からイセを探してくる。ロフィン、支払いは任せたわよ。レフィンは食べ過ぎないように。それじゃあ、二人のことはよろしくね、ゴードン!」


 宣言するや否やラチェリは風呂敷を抱えて全速力で店を出て行った。


『わかりやすっ……』


 ラチェリのウキウキな後ろ姿を見て、三人は呆れたようにつぶやくのだった。

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