第18話 お母様は英雄

「びしょ濡れじゃないですかっ! 今日って雨の予報出てましたっけ?」

「あ、それはね、俺が水を運んでたときに声かけたせいで、驚いて桶をひっくり返しちゃったんだよ」

「何やってるですか、プロデューサーさん! 女の子を濡らして喜ぶ趣味があったなんて、最低ですよ!」

「いや、そんな趣味はないけど……」

「すぐに体を温めないと……お風呂の準備をしてきますね!」


 応接室のソファーに座らせたアメリアの髪をタオルで拭いていた宮ちゃんは、叫ぶように宣言して事務室兼応接間を出て行った。


「…………」


 残されたアメリアは頭に被ったタオルを使って緩慢な手つきで髪を自分で拭き始めた。


 アメリアは濡れたワンピースの上からバスローブを羽織っている。


 体にかかった水は拭きとれたと思っていいだろう。あとは暖かくしていれば風邪は引かないはずだ。


 アメリアは手を動かしながら、宮ちゃんが消えたドアをじっと眺めていた


「騒がしくてすみませんね。彼女はちょっと張り切り過ぎてしまうところもある子なんです」

「…………」


 対面のソファーに腰掛けて声をかけると、アメリアは目を驚きでぎょっとさせ、何か気分を落ち着かせるものを探すように事務所内へ視線を泳がせていた。


 とはいえ、異世界の住人であるアメリアにとっては、この部屋に置いてあるものほとんどが見慣れないものだろう。


「気になることがあるなら、ご説明しますよ」

「…………わかった」


 アメリアが返事してくれた!


 生まれたばかりの小鹿が立つ瞬間を目撃したかのような感動だ。


 街に入ってきたモンスターを討伐したときや、素顔を見たときにも声を聞いたことはあったが、ちゃんと言葉で返事をされたのは初めてだった。


 これはコミュニケーションを図るチャンスではなかろうか。


「えっと、部屋のことで知りたいことはありますか?」

「…………あなたの結界魔法はこの建物だけ?」

「……結界、魔法?」


 おっと、最初の質問から俺が答えられない単語が出てきたぞ。


「結界魔法というのは……?」


 逆にわからないことを質問する形になってしまった。


 しかし、そんな俺に対してアメリアはたどたどしく返事をしてくれた。


「……結界魔法っていうのは……固定化された閉鎖的な空間を作り出す、魔法……かな?」

「魔法……やっぱりこの事務所も魔法だったのか……」


 初めて事務所が現れたときはどういった要素が作用しているかと思っていたが、魔法で間違いないらしい。


 四大元素ではないから、特異魔法に分類される魔法なのだろう。


 しかし建物まで魔法で作れてしまうなんて、この世界の魔法は何でもありだな。


「こんな規模のものは、見たことないけど、きっとそう……。お母さんが持ってた本に書いてあった」

「お母さんというと……ドワーフの英雄の?」

「……うん」

「英雄とお聞きしましたが、魔法にも詳しかったんですね」


 元の世界のドワーフと言えば巨大な斧を持って戦うイメージしかなかったが、異世界のドワーフの英雄ともなると肉弾戦以外にも戦いの知識に精通していたようだ。


「ううん。お母さんは魔法はあんまり知らない。本ももらったけど1ページも読んでないって言ってた。すべて筋肉があればいいって言ってたよ」


 脳筋かよ。博識だと思ったのにちょっとがっかりだよ。


「そういえば、アメリアさんはお母様と二人暮らしなんですよね? 許可をもらわずにここにいることも知らせておいたほうがいいですね」

「お母さんはいない……」

「……え?」


 お母さんはいないって……街では英雄視されてたけど、もしかして亡くなったとか?


「ごめんなさい。変なことを聞いてしまって……」

「あ、そういうんじゃなくて……王都に出かけていって帰ってこないの」

「帰ってこない?」

「うん。たぶんトラブルがあったんだと思う。3年くらい連絡がない」

「さ、3年!? それは何かの事件に巻き込まれているんじゃないですか?」

「そうでもないよ? 凶暴なモンスターの討伐依頼に出かけた冒険者が、5年くらい帰ってこないこともあるみたい」

「なんでそんなにかかるんですか?」

「移動だけで1年以上かかることもあるから。それに討伐対象が実は他にもいたり、倒すために罠を作ったり、その設置から作動までに数年かかったりすることもあるらしいよ」


 なるほど、元いた世界の尺度で考えてしまっていたが、こちらの世界には自動車や電車がない。馬を使えればいいが、徒歩だった場合は目的地へ着くまでも時間がかかってしまうだろう。そこから強敵の討伐ともなればさらに時間が必要といったところか。


「それでお母様は討伐に出かけられたまま、3年帰ってこないというわけですか」


 アメリアは首を横に振った。


「それもちょっと違う。お母さんは討伐じゃなくて、王様に用があるって言ってた」

「王様というのは、この辺りも領土だというグランアルハート王国の?」

「そう。お母さん、王様と仲良かったみたいで。その王様が崩御して子供が王位を継いだって聞いて出かけていった」

「英雄として新しい王様を補佐するということでしょうか?」

「えっと……たぶん違うと思う。出かけるときにお母さんが言ってた。『あいつ以外に国が務まるかってんだ。その子供とやらの実力を確かめてくる。弱けりゃあそいつを叩きのめして、俺が代わりに王様よ!』だって」


 クーデターじゃねえか!


「そ、そういうのって許されるんですか? 英雄だから王様にとって代わるなんてこと」

「たぶんダメじゃないかな? それにお母さん、本も読まない人だし。王様になんてなれないと思う」

「そうですか……」

「でも、お母さんが本気で暴れたら、この国にお母さんを力ずくで止められる人はいないよ。だから本気で、力だけで王様になろうと思ったらなれると思う。だからきっと王都に行ったのは別の理由がある」


 魔王を倒した英雄は各国に散らすようにしたという話だったが、他の英雄を止める際の抑止力となるよう近い場所に居を構えている場合もあるらしい。


「……それで3年いらっしゃらないというわけですか。確かに、王政に物を申して、実現を目指すのであれば3年以上かかっても不思議ではないでしょう」


 元いた世界でも、法案の作成から実際に法律が運用されるまでには時間がかかった。程度の差はあるにしても「今日提出したので明日から適用します」とは異世界の国でもいかないのだろう。


「早く帰ってくるといいですね」

「……うん」


 くちゅんとアメリアが可愛らしくくしゃみをした。


「おまたせしました! お湯が沸きましたよ!」と宮ちゃんが駆け込んできたのはその直後だった。


 話をするのは保留にして、先に大浴場へ行ってもらうことにした。

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