第14話 洞穴に潜むもの
「では、洞穴の探索を開始する。リザードベアーがいるかもしれないから注意してくれ。それじゃあ行こうか」
「おー!」
ヘーブルの掛け声とともに、彼のパーティーメンバーが雄たけびをあげる。
もしも洞穴にリザードベアーが潜んでいたら、声に驚いて襲ってきそうなものだが……。もし出てきても返り討ちにしてやろうとか考えているのかもしれない。
「イセ」
洞穴に入る直前でラチェリがこっそり俺を手招きした。
「鎧につけてるプレートでわかったと思うけど、ヘーブルは【シルバー】ランクの冒険者よ。だけど貴族のおぼっちゃまだから、平民を捨て石くらいにしか思っていないところもあるの。気をつけてね」
……ラチェリさん、そういうことはもうちょっと早めに教えてもらえませんか。
ということは、俺は今からリザードベアーを気にしつつ、横からの裏切りにも気をつけなくちゃいけないのか。
「あたしも気をつけておくわ。それとさっきも言ったけど、何があってもあたしが守ってあげるから、安心して。それじゃあ、頑張ってきなさい!」
俺の背中を叩くように押し、ラチェリはニッと鋭い八重歯を見せた。
ラチェリに活を入れてもらったあと、リザードベアーの調査が始まった。
ヘーブルたちが見つけたという洞穴の一つへと俺たちを先頭にして入っていく。
洞穴の内部は湿気がたまっていて、気温も若干高くなっているようで、ごつごつの岩肌と違い、湿った岩肌にはコケなどがうっすらと生えていた。
俺と同じ先頭に配置されたへーブルのメンバーの一人が、携帯用のランプを取り出した。彼は斥候らしい。先頭のさらに一番前に立ち、棒などで洞窟の先を突いて確認しながら進んでいる。本当に冒険しているみたいだ。ただの生態調査なのにちょっとわくわくしてきた。
「君は記憶がないんだってね」
冒険に心躍らせていると、ヘーブルが話しかけてきた。
「ラチェリから聞いたんですか?」
「彼女は何も言わないよ。仲間のことになると頑固なところがあるからね。君のことは昨日酒場にいった者から聞いたんだ」
酒場というのは『ゴードンハウス』のことだろうな。確かにラチェリたちに色々話した記憶がある。ああいった場所はファンタジーのゲームだとよく情報屋が利用したりしているが、この世界でもそうらしい。
酒は飲んだことないのでわからないが、人間は満腹になっても気分が高揚してあれこれと話しやすくなってしまうからな。今度から気をつけておこう。
「君の実力を見たいというのは嘘じゃない。僕も期待のルーキーに興味津々なんだ」
どうやらラチェリ抜きで会話をすることも含めて俺の配置を決めていたようだ。
「僕の予想では、君はどこかの貴族が雇っていた執事なんだと思う。それもかなり特別な戦闘訓練を受けていた。それこそ、一日で【ブロンズ】になれるくらいにね。それで何かの任務を帯びてサエペース近くの林に赴いていた。しかしそこで思わぬアクシデント……例えばモンスターに不意打ちされとかね。それで昏倒し、記憶の一部を失った。そして彼女たちと出会ったというところだろう」
「ずいぶんと考察されていますね」
「このくらい教養のある者ならできて当然だよ。それで、君は記憶が戻るまで彼女たちといるつもりなのかい?」
「そのつもりです」
正しくは記憶が戻るではなく、元の世界へ戻る方法や、この世界で生き抜く方法が見つかるまでだが。
「それを聞いて安心したよ。君は『従者』のように彼女を支えてやってほしい」
「ラチェリにはお世話になっていますからね。仲良くやっていくつもりです」
「ああ、それでいい」
ヘーブルは上機嫌だった。
俺とヘーブルが与太話をしていると、少し前を歩いていた斥候役の男が立ち止まった。
「何かあったのか」とヘーブルが口を開きかける前に、生臭いにおいが漂ってきた。
次第ににおいは濃くなっていき、鉄のにおいが混じってきた。
ヘーブルが後方に『静止』の合図を送り、何かがいると知らせる。
そして、それは前方の暗がりから、ぬっとトカゲの頭を現した。
トカゲ熊──リザードベアーだ!
先頭集団が各々の武器を手に取る。
今回の依頼は、リザードベアーの生態調査になる。リザードベアーの棲み処の洞穴をできるかぎり見つけ、最大のものには何頭のリザードベアーがいたかなどを『冒険者協会』に知らせることになっている。
通常リザードベアーのオスは一匹でいることが多く、メスは子連れの場合もある。しかし、ごくまれに数十頭のものリザードベアーがコミュニティを形成するころも報告されたこともあったらしい。
そういった調査をするので、その過程でリザードベアーと戦闘になることも多いという。
もちろん討伐できる数ならその場で討伐だが、今回のように洞穴に潜り込んで数を確認する都合上、親子数頭を相手取ることもあり、その場合は必ず撤退するように言われている。
今現れたリザードベアーが一頭だけならその場で討伐することを念頭に置きつつ、パイプ椅子を作成して臨戦態勢でいると、奥の暗がりから現れたリザードベアーの体が地べたに崩れ落ちた。
赤い染みを広げたまま、リザードベアーは動かない。
「え……?」と皆が呆気にとられた瞬間だった。
暗闇から黒い影が地べたを這って俺たちのいる方向へと急接近してきた。
最初の犠牲者は先頭にいた斥候の男だった。
黒い影は前に長い口を開き、数十本の歯で斥候の男を串刺しにしてから、放り投げた。
悲鳴を上げる間もなく叩きつけられた岩壁には、斥候役の男から噴き出した血が赤い塗料のようにをこびりついていた。
男が落とした明かりに照らされる黒い影。
前方に長い口を持ち、口先から尻尾までを黒い鱗で覆われている。
それは、元いた世界のワニに似た体つきをしていた。
だが大きさがまるで違う。体高が1メートルをゆうに超えており、口先から尻尾まで入れた全長は10メートル近くある。
さらに歯の一本一本が、ナイフどころから剣のような長さと鋭さを持っており、それが口内の上下に数十本も生えている。
トカゲ熊とは明らかにレベルが違うモンスターがそこにはいた。
「グラウンドファング!? な、なんでこんな場所に! だってこいつらの棲み処はもっと南方で……」
ヘーブルが悲鳴のように叫ぶ。
その声が癇に障ったのか、巨大ワニ──グラウンドファングは標的をヘーブルに定めるように赤く濁った目を見開いて襲い掛かってきた。
10メートルの距離が一瞬で縮まる。
速い! ワニは陸上でもその気を出せば下手な草食獣より速いと聞くが、グラウンドファングもその巨体に似つかわしくないスピードを叩き出せるようだ。
戦斧(バトルアックス)を担いでいた冒険者が反応し、戦斧(バトルアックス)を振り下ろすが、すでに遅い。
グラウンドファングは蛇のような尻尾を前方へと伸ばし、斧ごと冒険者の体を吹き飛ばした。
ヘーブルの仲間の冒険者は10秒にも満たない時間で再起不能になってしまった。
「ひぁぁぁぁっ! 無理だぁぁぁ! 助けてぇぇっ、ママァァン!」
先ほどまでの余裕はどこへやら、貴族のおぼちゃまは泣きべそを掻いて、逃げ出してしまった。
「ちょっ……仲間はいいんですか!?」
「うわぁぁぁんっ!」
聞いてねえ!
ラチェリが言っていた『捨て駒にする』というのはこういうところか。
この状況では確かに傷ついた仲間を連れて撤退するのは不可能に近いし、見捨てるのが『冒険者』として最善策なのかもしれないが、それにしたってパーティーリーダーが「ママぁ」と泣き叫んで逃げ惑うのは『戦略的撤退』とは違うだろう。
それで、俺はどうする?
ヘーブルを非難するのは簡単だし、彼と同じように撤退するのが最善だろう。
それはわかっているが、しかし。
ここにいるのは、学校でいじめられて引きこもっていた伊瀬孝哉ではなく、アイドルを育てあげる奇才プロデューサー・イセだ。
助けられる力があるのに、危機に陥った仲間を見捨てるプロデューサーにアイドルたちはついてきてくれるのか?
「俺は、プロデューサーだ。みんなに夢を見せるアイドルを育てるんだ。仲間を見捨てて、身の危険を感じて逃げる? プロデューサーがそんな血の通わないことをしていいわけがない!」
グラウンドファングが、斧を持った『冒険者』にとどめを刺そうと動く。
俺はその鼻先に作り出した鉄製の名刺を放り投げつけた。
<ギシャララァァ……>
名刺は鱗のない鼻に突き刺さり、グラウンドファングが小さく鳴いた。
巨体が反転し、赤く濁った瞳が俺を捉える。
正面から見るとすごい威圧感だ。体高は1メートルほどでも、前に突き出している口を限界まで開けば洞穴の天井についてしまうのではないだろうか。目の前に立っているだけで丸呑みにされそうな気がしてくる。
やばい、逃げろ、と早鐘を打って伝えてくる胸を左手で押さえ込み、右手にはパイプ椅子を握りしめる。
プロデューサー・イセの身体能力はあくまで人間準拠。元いた世界のトップアスリートレベルだ。それでもモンスター相手にどれほど通じるものなのか。
スーツがいくら防刃性に優れていても、剣のような牙に挟まれたら無事ではすまないだろう。
それでも、この後ろにはラチェリたちがいる。異変を嗅ぎつけて、ここへ来てしまう前に倒せないまでも弱らせておく必要がある。
グラウンドファングが突っ込んできた。
巨体の重量に任せた突進。しかし、でかくて重いというのはそれだけでも脅威だ。ぶつかれば簡単に吹き飛ばされてしまう。
俺はグランドファングの前進に合わせて地面を蹴った。
パイプ椅子を前に出し、注意を引くために突き刺していた名刺を目印にして、鼻にパイプ椅子を叩きつけた。
しかし、グラウンドファングはそれに反応し、口をわずかに開くと、パイプ椅子を銜えてみせた。
直後に金属のひしゃげる音がグラウンドファングの口の中から広がってくる。
「げっ! マジかよ……」
ワニが鉄板だろうと簡単に噛み砕くのは知っていたが、こうもたやすくパイプ椅子を破壊されるとは思わなかった。
グラウンドファングが続けざまに椅子を銜えたまま、俺を振り回して岩壁に叩きつけようと頭を振った。
「おわっ!」
まずい! パイプ椅子が一瞬で砕かれたショックで判断が遅れた。
すぐさまに反応して手を放したが遅かった。
振り回された勢いで俺は盛大に体を壁に叩きつけられた。
「こほっ……」
肺から空気がすべて抜け出て、一瞬呼吸ができなくなった。
だが、それだけだ。
むせるように息を吸い込み、肺に空気を送り込むと胸の辺りの苦しさは氷解していった。
このくらいで済むのだから、やはりプロデューサー・イセ様様だ。
リアルの伊瀬孝哉だったら、今の一撃であの世行きだっただろう。
仕切り直しとなった形だが、ここからどうしたものか。
パイプ椅子で正面から殴りつけても先ほどのようにダメージが見込めないとなると、他の作成物に頼るしかない。しかし、『アイドルセイヴァー』のゲームシステム的に可能なものは限られてくる。
グラウンドファングの鱗を貫くような武器の類は作成できないはずだ。
堅い相手を倒す方法……漫画とかだったらどんなものがあったかな……。
考え込んでいると、シュッ、と目の前を鞭のようなものが通過してきた。
グラウンドファングの尻尾だ!
「くっ!」
咄嗟に両腕でガードしたが、衝撃を殺しきれず、洞穴の奥へと転がるように吹き飛ばされた。
ダメージはない。両腕が少しずきずきと痛むが、スーツも破けていない。
尻尾での攻撃では致命傷にはなりえないらしい。ただ、イセのステータスでも衝撃はすべて受けきれないので、一撃もらうと簡単に吹き飛ばされてしまうので、なるべく当たらないようにしたい。
その上で牙さえ気をつければ、倒せるような気もするが……。
「イセッ!」
ラチェリが洞穴の入り口の方向から駆け込んできた。後ろにはレフィンとロフィンがくっついてきている。
「おわぁっ!? なんだ、このでっかいトカゲっ!」
「もしかしてグラウンドファング、です……っ!? 実物は初めて見ました……!」
グラウンドファングが突然の乱入者にアギトを向ける。
まずいぞ! 三人が標的にされた!
「あのバカ貴族が泣きべそ掻いて出てきたと思ったら……【ゴールド】以上じゃなきゃ手に負えない化け物がいるなんて……!」
ラチェリがホルスターから大ぶりのナイフを抜き放つ。
「待ってください! そいつは刺激しないほうがいい! 逃げることだけを考えてください!」
「考えてるわよ、イセ! でも、こいつがすんなりと逃がしてくれるわけないでしょ! レフィン、ロフィン、援護して!」
「了解だぜッ!」
「はいっ!」
ラチェリの号令で、レフィンが弓に矢を番え、ロフィンが杖を構える。
彼女たちは昨日初めてリザードベアーを三人だけで討伐したばかりだと言っていた。
ラチェリたちの戦闘能力や経験をすべて知っているわけではないが、リザードベアーよりも強い相手とは戦ったことはないはずだ。
うまく一撃入れて離脱するなんてマネができるのか……?
グラウンドファングは口を開け、ラチェリのほうへ突進を開始した。
「こいつの弱点は『冒険者協会』で公開されてるわ。鱗は堅いけど、それ以外の場所はナイフが通る! 腹を狙うわ! レフィンとロフィンは目を狙って、怯んだ隙にあたしが【閃技】で転ばす!」
ラチェリが態勢を低くして踏み込んだ。リザードベアーを瀕死に追いやったあの技を繰り出すらしい。
「燃え盛る炎の精霊よ! 我の前にその力の一端を見せよ──【灯火(フレア)】!」
ロフィンが早口で詠唱を紡ぎ終えると、杖の先端から拳大の火の玉が飛び出した。ロフィンが言っていた四大元素の魔法の一つだろう。
魔法に合わせてレフィンが矢を放ち、先に発射された火の玉に追いつくと、炎の矢となってモンスターの左目に着弾した。
グラウンドファングの左目が赤々と燃え上がる。
しかし、グラウンドファングの勢いは止まらない。
左目を燃やしながら突っ込んでくる。
ラチェリは燃えている左目側へ回り、あごの下へと潜り込んだ。
「【閃技】──【滑走刃薙(かっそうじんてい)】」
顎の下から体の回転と共に突き上げられるナイフによる刃撃。
小型の竜巻に地上から掬いあげられるように、グラウンドファングの顎が裂傷を伴って浮き、前足が浮かび上がる。
意外にも攻撃は通っているようだった。あの【閃技】とかいう技法、ただナイフで斬りつけるだけだと思っていたが、別の特別な力が働いているように思えた。魔法がある世界なのだから、それと対になる、もしくは魔法と同系統の技術なのかもしれない。
何にしても、ラチェリの力を過小評価していたようだ。プロデューサーとして、アイドルを含む女の子たちは守るべき対象だと思っていたが、この世界ではそんなフェミニストのような考えは捨てたほうがいいのかもしれない。ラチェリ、超強い。
このままグラウンドファングがひっくり返ってくれれば、あとはとどめを刺すだけ。
そう思っていた。
が──そこまでだった。
技の入りが浅かったか、それとも技の威力が低かったのか。
いずれにせよ、突き上げる力が足らなかったのだ。
持ち上がっていたグラウンドファングが踏みとどまり、空間を飲み込む大顎が再び自由に動き始める。
ラチェリは全力で斬り上げた反動で無防備に宙を飛んでいた。
「くっ……!」
ラチェリが空中で強引に体を捻り、手に持ったナイフでなんとか迫ってきた大顎を打ち払おうとする。
しかし、ラチェリの抵抗できたのはそこまでだった。
次の瞬間ラチェリの腹部に剣ほどもある牙が何十本と突き立てられた。
「いぐっ、あぁぁぁぁぁぁぁ──……!」
少女の大絶叫が洞穴に木霊する。
ラチェリの上半身だけが、モンスターの口からはみ出て、だらしなくぶら下がっている。
その目からは一瞬で生気が奪い去られていた。
牙が食い込んだ腹部からは大量の血が大雨となって地面へと零れ落ちた。
「ラチェリ!」
「…………ダメ、レフィン……っ!」
レフィンが再び弓を引き絞るが、ロフィンが危険を察知して押しとどめる。
そこへ伸縮した尻尾が迫り、二人を鞭のように激しく打った。
「ごはっ!」
二人はもつれるように吹き飛ばされ、地面を何度も転がっていった。
「レフィ……ロフィ……逃げっ……かはっ」
半身を噛まれていたラチェリが吐血した。
一瞬で少女たち3人やられてしまった。
俺が、3人ならどうにかしてくれると心の隅で思って、手を止めたせいだ。
俺が、あの場面で流されてしまったから……。
「まだ……まだ間に合う!」
俺は手元に鉄製名刺を出現させると、ワニの左目に向かって投げつけた。
「ぐぎゃぁぁっ!」
グラウンドファングがうろたえたような鳴き声を上げる。
レフィンとロフィンが放った炎の矢、それでできた傷にあたったのだろう。
グラウンドファングのアギトがわずかに緩むのが見えた。
俺は駆け寄ると、グラウンドファングの鼻先を蹴り上げた。
口がわずかに開き、グラウンドファングの牙からラチェリの体が抜け落ちてくる。
俺は赤い染みだらけになった彼女を抱きかかえると、レフィンたちのところまで滑り込んだ。
レフィンは擦り傷だらけになりながら、目を開けないロフィンの肩を持って揺さぶっていた。
「イセ! どうしよう、ロフィンまで目を開かねえ……。オレをかばったせいで……!」
いつもは元気たっぷりなレフィンの顔が今は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「ラチェリもかなり危険な状況です。ロフィンに回復魔法をかけてもらいたかったんですが……」
ロフィンがこんな状態では他人の回復どころではないだろう。
ヘーブルたちの仲間にも魔術師はいるだろうが、洞穴には彼らの姿は見当たらない。
リーダーが逃げ帰ってきたので、一度撤退したのかもしれない。
「やだよ。オレたち、頑張ってきたんだ……。首輪つけられて、家畜みたいな生き方しかできなかったときから、ここまで来たってのに。こんなところで終わりなのかよ!」
「終わらせませんよ。避難を優先させてください。私が時間を稼ぎます」
「でも、いくらイセだってあいつは……はっ、イセ!? 後ろっ!?」
振り返ると、モンスターの尻尾が鞭のようにしなって襲ってきた。
痛みからの復活が予想よりも早い!
いや、それよりもこの一撃を、ガードして受けきれるか? 俺は大丈夫でも、後ろにいる3人は無事に済むのか?
一瞬の躊躇が、致命的な距離まで接近を許した。
これは、当たる!
頭を下げ、両手を曲げてガード姿勢を取る。
しかし、次に耳朶を打ったのは金属が捻じ曲がる不快な音だった。
顔を上げると、鈍色の塊が岩肌に叩きつけられていた。
俺の目の前には巨大な剣だけが残っている。
金属の塊は立ち上がろうとして、けれどもそれは叶わず、力尽きたように地面にひれ伏した。
その金属の塊には見覚えがあった。アメリアの鎧だ。
アメリアが俺たちを庇ったのだ。
洞穴から一目散に飛び出していったヘーブルの様子を見て、後方で待機していたアメリアは急いでここへ駆け付けたのだろう。
アメリアに庇われるのはこれで何度目だ。
借りを作ってばかりだな、本当。
返しておけるうちに返しておきたいものだ。
まずはアメリアが作ってくれた時間を無駄にせず、この窮地をどうにかして切り抜けないとな。
グラウンドファングは体表のほとんどが鱗に覆われている。
ラチェリは鱗に覆わせていない弱点の腹を攻撃するために、グラウンドファングをひっくり返そうとしたが、モンスターは彼女の会心の攻撃を耐えきってみせた。
ではどこに攻撃をヒットさせれば奴を倒せる?
目や鼻に攻撃しても、一時的に怯みはするもののすぐに回復してしまう。腹は難しい。
それにモンスターだってバカじゃない。パイプ椅子で鼻先を殴ろうとして、噛みつかれたときのように、目や鼻を狙っても、次は回避するかガードしてくるだろう。
奴の攻撃に合わせて、弱点の部位が狙えれば一番だが、そんな場所はあるのか?
…………ある。かなり危険だが、一か所だけ狙える場所があった。
「やるしかないか……」
考えている間に、グラウンドファングがアメリアへと迫っていた。
グラウンドファングにかかれば、鎧ごと今にも捕食されてしまうだろう。
俺は目の前に転がっていたアメリアの大剣を拾い上げて、駆け出した。
名刺を作成してグラウンドファングの目元へ投げつける。
さすがにこちらの攻撃の動きにも慣れてきたのか、グラウンドファングは少し頭を下げて鱗で簡単に名刺を弾いた。
攻撃は失敗したが問題はない。
こっちに注意を引き付けるだけでいい!
グラウンドファングは目を狙われ、俺のほうへ大きな口を向けた。
なんだかゴミ収集車のコンテナみたいだなと一瞬思ったが、躊躇なく駆け込むと同時に剣を持っていない左手を顎の奥に向けて伸ばした。
「折り畳み机最大作成(デスク・ビルディング)!」
刹那、俺の左手を中心に折り畳み机が作成される。その数最大値の10卓!
一つでは弱くても三つ集まればなんとやらと言うが、今回はそれが10卓だ。
折り畳み机が巨大な柱となり、グラウンドファングの顎を開いた状態で固定した。
ぶっつけ本番、一回限りだったが、うまくいった。アイドルのサイン会なんかで使用する机が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
グラウンドファングのほうはというと、突如出現した机のせいで口が閉じなくなり、喉の奥からひゅひゅーと呼吸音が漏らして、もがくように首を振り始めた。
「おっと! 暴れてももう遅い! こいつで決着だ!」
俺はアメリアの剣の柄を逆手で握りしめると、やり投げのようにグラウンドファングの口の奥へ向けて投げつけた。
トップアスリート並みの身体能力を持つ、プロデューサー・イセの全力の投擲。
剣は喉の奥を突き進み、頑丈な鱗を纏う体を内部から引き裂いた。
体内を貫き進んだ剣はモンスターの皮膚を破って、腹部から体外へと出ると岩壁に突き刺さった。
グラウンドファングはその後しばらくは巨大な体を岩壁にぶつけて暴れまわったが、やがて体をだらしなく伸ばして動かなくなった。
「倒しきれたか……」
勝てる自信はなかったが、どうにか撃破できたようだ。
遅れて、足がしびれるように動かなくなった。
恐怖というよりも、疲労のほうが大きいように感じた。
それだけプロデューサー・イセの力を酷使したのだろう。
現状のプロデューサー・イセの能力では、このレベルのモンスターの討伐が限界ということだ。
これ以上強いモンスターが出てきたらおそらくプロデューサー・イセ(俺)では勝てない。
サエペース周辺にはいないという話だが、強敵に出くわした際に逃げ切る方法も考えておかなければならないだろう。
「っと、その前に……!」
俺はモンスターが完全に動かなくなったのを見届けてから、ラチェリに駆け寄った。
「地に宿る豊潤な精霊たちよ。かの者の傷を癒したまえ──【治癒(ヒール)】! ぐぅぅ……」
意識を取り戻したロフィンが、ラチェリの傷口に何度も回復魔法を唱えているところだった。
しかし、いくら魔法を唱えても、ラチェリの顔色は青白く、息も荒いまま、「ぐ、ぁぁぁ……」と苦悶に満ちた声を漏らしている。
「ダ、ダメ……Lv.1の【治癒(ヒール)】も追いつかないです……。傷がひどすぎて、全然塞がりません……それに、アタシの魔力ももう……」
目を覚ましてからずっと回復魔法を連発していたのだろう。ロフィンの額には大粒の汗が滲み、息も上がっている。傷口に当てている両手はラチェリの血で真っ赤になっていた。
「イセ、どうすればいい? イセならなんかすごいこと思いつくんじゃないのか!」
「物体作成の魔法が使えるイセさんなら、回復の魔法も使えるはずです……!」
「それは……」
回復魔法なんてできるのか? 俺が名刺やら椅子を作成できるのは『アイドルセイヴァー』でのプロデューサーの能力にそうした設定があるからだ。
この世界の魔法はアイドル育成ゲームのプロデューサーができるものなのか?
仮にできたとして、こんな大けがを負ったラチェリを助けることができるのか?
「……いや、大けがを治す、か」
そういえば、とスーツの内ポケットに入っていたアイテムを取り出す。
光包帯──金色のこの包帯は『アイドルセイヴァー』ではどんな大けがも治せるというアイテムだった。
異世界に来てから試したことはないが、これを使えばラチェリを助けることもできるかもしれない。
「ロフィン、この包帯をラチェリに巻いてください」
「ほ、包帯ですか……? でも、今巻いてもラチェリさんの血は止まらないと……」
「やろうぜ、ロフィン! イセが言ってるんだ! もう全部やれるだけのことはやろう!」
「わ、わかりました……」
ロフィンがラチェリの腹部の傷に包帯を巻きつけた。
ゲームだったときは、アイテム欄から使用することで効果を発揮していたが、この世界ではどうなっているか。
見守っていると、唐突に変化は起きた。
ラチェリの全身を光包帯と同じ金色の薄い膜のような光が包み込んだ。
そして、光が収まると苦しみに満ちていたラチェリの声が、穏やかな寝息へと変わった。
「ま、まさか、治ったんですか……ほ、本当に……?」
ロフィンが光を失った包帯の上から探るように、ラチェリの傷を確認する。
「全部、塞がっています……!」
「よっしゃー! さすがイセだぜ!」
「間に合ってよかったです」
こちらの世界でも光包帯は使えるようだ。
効果は一度きりだが、瀕死の人間を完治させられるなら破格の性能のアイテムには違いない。
洞穴の奥に置いてきたままになったヘーブルのパーティーメンバーにも使ってこよう。
死んでさえいなければ、間に合うはずだ。
「ラチェリのことは任せます。私はアメリアさんたちを見てきますので」
「は、はい……わかり、ました……」
ラチェリをレフィンとロフィンに任せて、俺は洞穴の奥へと戻っていった。
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