第9話 街中の攻防

<──シャールルルル!>


 どこかで聞き覚えのある鳴き声がしたような気がした。


 目を開けると、デスクの硬い表面が間近に飛び込んできた。


「ああ……机で寝ちゃったのか……」


 昨日は確か、プロデューサー・イセの作成魔法がどこまで使えるのかを調べるために、名刺の他にも色んなものを作れるか試していたのだ。


 途中で宮ちゃんに休憩がてらお風呂に入ってきたらどうかと言われたので、バスルームを堪能したあと(もちろん宮ちゃんたち女性NPCは入ってこなかった)、もう一度名刺作成の魔法をひたすら使ってそのまま眠ってしまったらしい。


 寝落ちしてしまうということは、やはりここはゲームではなく、リアルなんだろうなと再認識した。


 先ほど聞こえた鳴き声を思い出す。


 あの独特な鳴き声は確かトカゲ熊のものだったはずだ。


 しかしこの事務所があるのは街中のはず。


 まさか、モンスターが街中に入ってきたのか?


 窓のブラインド越しに外を見渡そうとすると強烈な朝日が両目に飛び込んできた。


「まぶしっ!」


 慌てて両手で目を押さえる。


 寝ているうちに夜が明けていたらしい。


 光に目を慣らしつつ、目蓋を持ち上げると街中の様子が見えてきた。


 木で骨組みを作って藁をかぶせただけのような家々が道を挟んで建ち並んでいる。


 その通りを、大勢の人々が後方を気にするように振り返りながら、怯えた表情で駆け抜けていっている。


 彼らが通り過ぎて行った直後、その背後にはトカゲ頭のモンスターが舌をちろちろと出しながら迫っていた。


「あいつは……」


 間違いない。俺が湖の近くで出会ったトカゲ熊と同じ種族のモンスターだ。


 こんな街中にいるということはどこからか入り込んできたんだろうか? 


 昨日通った南門の警備を見ると入られそうにはなかったが、警備の薄い時間帯でもつかれたのだろうか。


 理由はわからないが、もうすでにトカゲ熊は入ってきてしまっている。今は対処方法を考えるのが優先だろう。


 目測だが、トカゲ熊は10メートルほど離れたところにいて、周囲を警戒するように首をきょろきょろさせながら、街の中心部へと向かっている。


 この世界での『セイヴァープロダクション』の事務所は、外からでは見えない作りになっていたはずだ。


 となれば、トカゲ熊が通り過ぎたあとで、昨日のようにトカゲ熊の後頭部を狙って石でも投げつければ簡単に倒せるかもしれない。


 いや、そもそも戦う必要はあるのか? 


 戦いの素人が出しゃばるよりも、冒険者が来るのを待っていたほうがいいんじゃないか? 


 もちろん逃げ遅れた人がいるなら助けには行くが、どちらにしても事務所の前を素通りしてもらったほうがよさそうだ。


 よし、それでいこう。


 ──そうやって方針を決めた瞬間だった。


 当然足の裏から伝わっていた床の感触が消えた。


「ほわっ……!? な、なんだ……?」


 すぐに硬い感触が戻ってきて、なんとか倒れそうになるのをこらえた。


 顔をあげると、トカゲ熊と目が合った。


 黒く濁った目が少し戸惑ったように見えるのは、俺が何もない空間から突然現れたからだろうか。


 俺だってびっくりだ。


 さっきまで事務所の中にいたと思ったら急にモンスターの前に放り出されたんだ。


 後ろを振り返ってみるとそこには事務所への扉はなく、簡素な家屋が並んでいるだけだった。


 事務所の中からモンスターを見つけた途端、いきなり事務所が影も形もなくなってしまったようだ。


 まさかそういう条件なのか? 『モンスターの襲撃時には事務所が使えない』とか? 確かに事務所に近づく不穏分子(ファンを騙るストーカーなど)を撃退するイベントも『アイドルセイヴァー』にはあった。それにのっとって、事務所にモンスターなどの不穏分子が近づいた段階で消滅してしまうのかもしれない。


 とはいえ、何の予兆もなく、突然事務所を追い出された形になるとは思わなかったよ!


<シャァルルル……!> 


 驚きから立ち直ったのか、トカゲ熊は俺を見て怒気を滲ませるように低いうなり声を上げ、両手の鋭い爪を振りかざした。


 予定とはかなり違う形で闘争本能のはけ口になってしまった。


 一度倒したこともあるモンスターだが、昨日はラチェリたちが一緒にいた。


 今は俺一人だ。やれるのか、俺に?


 着ているスーツはトカゲ熊の攻撃を防いではくれるが、プロデューサー・イセの能力は元の世界のアスリート並み。現代のアスリートに熊と一対一で戦って勝てる人間がどれだけいるかはわからないが、勝てるにしてもよほどの好条件でなければ難しいだろう。


 それにいくら技能があろうとも、頭などのスーツに覆われていない部分を狙われた終わりだ。『アイドルセイヴァー』では、プロデューサーが入院することがあっても、死ぬことはなかった。しかし、ここは異世界だ。死んでしまうこともあるだろう。


 光包帯を持っているが、さすがに死人には効果がないのでなんとか死なないようにだけは注意しておかないとな。


 トカゲ熊とにらみ合ったまま、じりっと一歩後退する。


 逃げるのもありかな、と思ったそのときだった。


 がしゃんがしゃんと、耳障りだが聞いたことのある足音が近づいてきた。


「…………!」


 フルプレートアーマーを着こんだアメリアが走ってきた勢いで、トカゲ熊の腰にタックルをかました。


<シャァルルル……?>


 しかし、渾身の体当たりもトカゲ熊はわずかに体を揺らしただけで、まったくダメージが入らなかったようだ。


 この構図は、前にも見たな。


 昨日俺を助けようとしてくれたアメリアが、同じようにトカゲ熊に体当たりをしたが効いておらず、殴られてしまったのだ。


 トカゲ熊の視線がなおも自分を動かそうとしているアメリアに向く。


 まったく同じ状況だが、今日はそうはいかない。


 今はプロデューサー・イセの能力が使えるとわかっている。


 本当は練習してからにしようと思っていたが、仕方ない。ぶっつけ本番だ!


「名刺作成」


 右手の上に名刺を作成する。


 作ったのは昨晩練習していた金メッキの名刺だ。


「こっちだ! トカゲ熊!」


 俺は叫ぶと同時に、腕を振り下ろし、名刺を投擲した。


 名刺は縦回転しながら、一直線にトカゲの頭と熊の首の境目に突き刺さった。


<シャァァルラーッ!?>


 トカゲ熊が苦しそうな咆哮を上げる。


 お、効いてる!


 怯んだ隙に次々と名刺を作成し、投擲した。


 体が大きいこともあり、金メッキの名刺は面白いようにトカゲ熊に命中。


 アスリート並みの身体能力で投擲される名刺手裏剣はかなりの攻撃力を持っていたのだろう。名刺の突き刺さった傷口から血を噴き出しながら、トカゲ熊の体が大きくぐらついた。


「アメリアさん、今です!」


 その隙を逃さないようにアメリアに檄を飛ばす。


「…………!」


 俺の意をくみ取ったアメリアは大剣を持ったまま、再度力を込めてぶつかり、トカゲ熊を倒そうとする。


 だが、まだ足りない。


 アメリアの体当たりをトカゲ熊はすんでのところで耐えきっている。


 トカゲ熊に反撃される前に転ばしてとどめを刺さなければ、いずれダメージから回復してしまう。


「それなら、作成──チェア!」


 叫んだ瞬間、両手に重さが伝わってくる。


 右手に出現したのは、一脚のパイプ椅子だ。


 昨晩名刺の他にも何か作れないか試してみたところ、パイプ椅子を作成できることが判明したのだ。


 野外などライブ会場の設営で、椅子の配置を選択できるシステムが『アイドルセイヴァー』にもあったので、その設定が生きていたのだろう。名刺と同じように何脚も作成できたが、調子に乗って10脚作成したところで事務所に置き場がないからこれ以上はやめてくださいと宮ちゃんに怒られた。


 俺はパイプ椅子の脚を両手でしっかり掴んで駆け出した。


 トカゲ熊はようやく痛みに慣れてきたのか、アメリアに注意を向けていた。


 チャンスは今しかなかった。


「うぉぉぉぉっ!」


 俺はパイプ椅子を大上段に振りかぶるとトカゲ頭目掛けて、思い切り振り下ろした。


<シャァルル……>


 パイプ椅子はトカゲ熊の脳天に直撃。


 トカゲ熊が苦しそうな声を出して、その巨体を地面へと転がした。


 起き上がろうと手足をばたつかせるがもう遅い。


 トカゲ熊の前には、巨大な剣を持ったアメリアが待ち構えていた。


「…………!」


 振り下ろす!


 腰が入っていない、腕だけの振り下ろしだ。しかし、重量のある大剣ならそれだけで十分だった。


 トカゲ頭の額に大剣が直撃した。


 斬撃自体はトカゲ頭の硬い鱗に阻まれたが、衝撃は頭蓋の内部にも伝わったらしい。


<シャギャァァ…………>


 トカゲ頭はだらしなく長い舌を出したまま、ぴくぴくと痙攣して動かなくなった。


 どうやら倒すことに成功したようだ。


 パイプ椅子を殴りつけるという悪役レスラーのような戦い方だったが、勝ちは勝ちだ。


 昨晩のうちに名刺とパイプ椅子を作成できるようになっておいてよかった。


 プロデューサー・イセには無敵の超人のような能力ではないが、ステータスを強化してきた分、この世界でもちょっと強い人くらいで通じるらしい。


 さてと、戦闘は終わったがモンスターの死骸がそのまま通りに残っているのはよろしくないだろう。俺にモンスターの解体技術があればよかっただろうが、さすがのプロデューサー・イセにもそんなスキルはない。


 ここは現地の人に訊いたほうがいいだろう。


「すみません、このモンスターはどう……」


「やったぁぁぁっ! やっと撃破数1だ!」


 俺が尋ねようとした瞬間、隣のフルプレートアーマーが突然喜びの音を爆発させた。


 ぴょんぴょんと飛び上がり、そのたびにフルプレートをガチャガチャとうるさい音を上げる。


 今まで何を訊いても「…………」と無言だったはずだが、今回の勝利はかなり嬉しかったらしい。


 大声を出されたのにも驚いたが、もっと驚いたのは、フルプレートの中から聞こえたのが少女の声だということだ。


 アメリアは女の子だったらしい。


「あの……アメリアさん?」

「はっ!? ごほんごほん……」


 あ、咳払いして取り繕ってる。


「…………」


「あの、急に無言になっても遅いですからね?」

「…………」


 どうやら、もう話す気はないらしい。つれない人だ。


 それにしても、無骨なフルプレートの中身が女の子だったとは。


 女の子ならばもっと可愛く綺麗に着飾ったほうがいいと思ってしまうのは、俺がアイドルゲーム中毒者だからだろう。


 それとも素顔や素肌をさらせない理由があるのか?


 何にせよ、外見というか装備だけで人を判断してはいけないということだ。


 アメリアが女の子だったのには驚きだが、ひとまず置いておいて、話を戻そう。


「通りに死体をこのままにしておくわけにもいきませんし、どこかに移動させませんか?」

「…………」


 アメリアが無言で頷く。


 同意してもらったので、移動させようとしたところで足音が近づいてきた。


「イセ、【ストーン】、無事!? モンスターは!?」


 ラチェリが茶髪をなびかせてやってきた。


 チビッ子二人組はついてきていない。一人で来たらしい。


「トカゲ熊……リザードベアーなら私たちで仕留めました。他にもモンスターが入り込んでいるんですか?」

「仕留めたって……リザードベアーをあんたと【ストーン】でっ!?」


 そんなに驚くようなことだろうか。昨日はラッキーパンチだったが、一応投石で撃退してみせたのだが。


 目を見張るラチェリに、アメリアは指を一本立てて見せつけている。先ほど言っていた討伐数1を伝えたいようだ。


「むむぅ……」


 ラチェリは口を結んで何やら難しそうな顔をしていた。


 もしかしたらラチェリが仕留める予定だったのだろうか。そういえば冒険者には依頼があると言っていた。その依頼を横取りした感じになってしまったのかもしれない。だとしたらラチェリには悪いことをした。ラチェリのパーティーに入って冒険すると約束はしたが、まだ正式にパーティーへは加わってはいない。ラチェリが不快な思いをしてもおかしくはない。


 そう考えていたのだが、どうやら違うらしい。


「……モンスターが他にも入り込んでるって話は聞いてないわ。あたしもね、『冒険者協会』に今朝方リザードベアーが街に入り込んだみたいだから調査してほしいって依頼をさっき聞いたところなの。複数いる可能性もあるけど、門の警備の人間がそんなに見逃すはずないし、きっと一匹だけだと思う」


「リザードベアーが複数体街に侵入している可能性は低いというわけですね。わかりました、このリザードベアーの処理を済ませましょう。『冒険者協会』に持っていけばいいんですね?」


「そうね。普通の依頼なら体の一部を切り取って渡せばいいんだけど、街まで入ってくるなんてそうそうないから、倒したってことを実物で見せて街の住民を安心させたほうがいいわね。ああ、でもちょっと待って。『冒険者協会』の職員に見せる前にあんたを冒険者登録するわ」

「それはいいですけど……どうして先に登録する必要があるんですか? 先に見せてからでも遅くはないと思いますけど」

「報酬をピンハネされるからよ。【ストーン】はともかく、イセは今のところ一般人扱いだからね。冒険者の依頼は基本的に冒険者が受け持つことになってるの。それ以外の人がやっちゃうと冒険者にちゃんと報酬がいかなくて、冒険者のほうから文句が出る場合があるから」

「なるほど……でも、倒した後に登録して大丈夫なんですか?」

「その辺りは大丈夫よ。あたしがスカウトしたって言えばいいし、それにうまくいけばリザードベアーを倒したってことで、最初からランクをすっ飛ばして登録してくれるかもしれないから」

「冒険者にもランクなんてシステムがあるんですか?」

「そうよ。詳しい説明は『冒険者協会』の窓口で聞きなさい。それじゃあ、こいつを運びながら『冒険者協会』に行くわよ」


 ラチェリは腰元のポーチから、布団のシーツのようなものを取り出すと、リザードベアーの隣に敷き、その上にリザードベアーの巨体を転がして乗せてみせた。


 シーツには縄のようなものがくっついており、それでリザードベアーの体を縛り上げていた。


 どうやらこの縄付きシーツを引っぱって運んでいくらしい。


 サバイバル少女は本当に色々なものを持っているなぁと俺は素直に感心してしまった。

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