第7話 そこに現れたのは……

「ぶはー……疲れたぁぁぁっ!」


 店を出て早々、俺は肺にたまっていた空気を思い切り吐き出した。


 ネット内で多少チャットを使うことはあったが、他人とこれだけ長い間話すのは久方ぶりだ。


 伊瀬孝哉では絶対にあれだけの言葉、すんなり出てはこなかっただろう。プロデューサー・イセの姿だからこそできた芸当だ。能力のある人間は自信に満ち溢れていると言うが、身をもって実感できた。


 それにしてもこの世界というか、この街はいい人たちばかりだ。


 見ず知らずの俺に色々話してくれたし、飯もおごってくれて寝床まで提供してくれた。


 明日からはラチェリとモンスターを狩りにいくことになるだろうが、プロデューサー・イセのステータスがこの世界にも反映されるなら問題ないはずだ。筋力などのプロデューサーの能力に紐づくパラメータはほぼMAXにしたからな。とはいえ、『アイドルセイヴァー』はアイドル育成ゲームなので、人間の枠を超えない程度──アスリート並みの強さが精々といったところだろう。しかし、それにこの最高のスーツがセットになれば、今日のトカゲ熊くらいのモンスターならどうにかできると想定される。巨大なドラゴンのようなモンスターが出てきたらピンチにもなるだろうが、ラチェリたちならそんな無茶はしないと信じたい。


 ひとまずこの世界でも生活していけそうだ。『アイドルセイヴァー』をプレイできないのが非常に残念だが、不思議と元の世界にいたときほど、ゲームをやりたいという感情には駆られていない。向こうにいたときは、就寝時以外一時間でもゲームから離れていたら他のことが手につかなくなるほどの激しい衝動が襲ってきたのだが。おそらく今の俺がプロデューサー・イセの姿をしているので、未だに心のどこかでこの世界を仮想世界だと思っていて、ゲーム感覚で生活していると錯覚しているのかもしれない。とはいえ、自分が育ててきたアイドルたちにはもう一度会いたいものである。


 会いたいといえば、湖にいた金色の髪の少女……あの子とはもう一度会ってみたい。


 あのときはプライベートビーチだとか見当違いなことを考えていたが、ここが異世界であるなら金色の髪の少女が湖にいても不思議ではない。水の精霊や人型のモンスターの可能性だって考慮すれば湖で裸になっていることだってあるだろう。


 思い出す限りのパーフェクト美少女だった。『アイドルセイヴァー』の中だったら迷わずスカウトして事務所の所属させていただろう。


 いや、このプロデューサー・イセの姿ならこの世界でもアイドルを育てられるんじゃないか?


「……きついか。事務所がないもんな」


『アイドルセイヴァー』のアイドルたちは全員事務所に所属して、事務所内にあるスタジオでレッスンなどを行うシステムだった。


 当然ながらプロデューサー一人ではアイドルを育てることができず、レッスンスタジオで雇ってきたコーチの指導を受けるなどしてアイドルのステータスを向上させてライブに望むというものだった。


 今の俺には事務所もなければライブ会場もない。


 アイドルを育てるには環境がそろっていないのだ。


「それにこの世界にはモンスターも出るからな。アイドル活動なんてやってる場合じゃないだろう……」


 街の外へ出ればモンスターがいるような、隣人がモンスターという世界だ。


 女の子であろうとラチェリたちのように冒険者になる人もいる。歌って踊る技術よりも、戦って生き残る技術を磨いたほうがいい。


 でもせっかく可愛いのにただ戦うだけというのもな。俺としては、可愛い子がもっと輝いているところをみたいと思ってしまう。だからこそアイドル育成のVRゲームをやっていたわけだが。


 可愛さと強さの両立か……。


『アイドル冒険者』なんてできたらいいのかもしれない。とはいえ、冒険者を育てる機関のほうはわからないが、現状アイドルを育てる設備はないので、できたら面白いなと思うだけで実際に何かするわけじゃないがな。


「おい。そこの兄ちゃん、どうかしたか?」


 俺が店の前であれこれ考えていると、後ろから声がかかった。


 そちらを見ると、ダイビングマスクのようなゴーグルをつけ、袖なしの毛皮のようなジャケットを着こんだ男が立っていた。もちろん知り合いではない。


「ああ、いえ。ちょっと考え事をしてました」


 軽く頭を下げつつ、俺は横に退いた。


 たぶん俺が店の出入り口で突っ立っていたせいで声をかけてきたのだろう。


「そうかい。今日は月が出てるからまだ明るいが帰るんなら、さっさと帰ったほうがいいぜ。変な奴に色々盗まれちまうかもしんねえからな」


「ご忠告感謝します」


「それじゃあ俺は先に行くよ。兄ちゃんも気をつけてな」


 ゴーグルの男は手を振って去っていった。足元が覚束ないところを見るとかなり飲んでいたようだ。


 もしかしたら娯楽が飲酒くらいしかないのかもしれない。


 そうするとやっぱりアイドルのライブをやれば、儲かったりするんじゃないだろうか。


「いかんいかん、思考がプロデューサーみたいになってる。俺も早く帰ろう」


 独り言を呟いて俺は道まで出た。


 下を見れば不揃いな石が敷き詰められた道、上を見れば真ん丸に輝く月とキラキラと輝く星々。


 それだけだと元の世界とほとんど変わらないが、この世界にはモンスターが存在し、それを狩る者がいる。


 さらに、勇者や魔王といった存在もいるらしい。


 異世界なんて世界が本当にあるなんて思いもしなかったが、来てしまったからにはどうにか生きていくしかない。


 そんなことを考えながら、俺はゴードンが用意してくれた寝床を目指した。

 


 街中を歩き回って30分が経った。


 迷った。


 まごうことない、迷子だ。


 看板がついてるとかゴードンは言っていたがまったく見当たらなかった。

 というか、そもそも辺りが暗すぎるのだ。


 さっき会ったゴーグルの人は「月が出ていて明るい」なんてことを言っていたが、薄暗くて三メートル先のものも見づらい。元の世界では街灯がバンバン建っていて、通りに並ぶ店もガンガン光っていたので、その感覚でいたのがまずかった。


 夜中にコンビニへ行くような気持ちで街中へ繰り出したら、明かりが少なすぎて家を探すどころではなかった。祖父母が住んでいた田舎と同じくらい真っ暗で何も見えない。何が出てきてもおかしくない暗闇が広がっていた。


 困った。妙な気配は感じないが、宿に泊まれないというのは不安だ。変なところで寝て、寝込みを襲われないとも限らないからな。


 仕方ないからゴードンの店に戻るか。


「ああ、本当……。『アイドルセイヴァー』の事務所みたいに泊まれるところがあればなぁ……」


 目蓋を閉じればたやすく思い出すことができる。


 明るく清潔な室内で、事務員とマネージャーを兼任した女性NPCの宮守静香(通称宮ちゃん)が、「プロデューサー、お待ちしていました! 今日もいっぱい仕事がありますけど、頑張ってこなしちゃいましょう!」と笑顔で挨拶と励ましの言葉をかけてくれる姿が。


 ゲーム内の様々な機能の説明などのヘルプ、各キャラクターのコンディションや詳しいステータスなども教えてくれた。俺が『初代アイドルセイヴァー』になれたのも彼女がいてくれたからだ。たかがNPCされどNPC、システムに決められたことしか話せなくても、傍にいて話してくれるだけでも充分。


 育ててきたアイドルたちもそうだが、事務所にいるNPCだって『アイドルセイヴァー』には大勢いた。彼女たちとの触れ合いもまた『アイドルセイヴァー』の楽しみといっても過言ではない。もう一度彼女たちに会いたいものだ。


「まあ会うって言っても、異世界からの帰り方もわからないんだけどさ。それよりも早く今日泊まる小屋を探さないと……」


「──プロデューサーさん、どちらに行かれるんですか?」


「どちらって宿屋だけどって………………んん?」


 今、とても聞き慣れているけど、聞こえちゃいけない声がした気がする。


 しかし、すでに日が落ちて久しい街中には俺以外の人影はなかったはずだ。


 ゆっくりと後ろを振り返る。と、そこで彼女と目が合った。


 彼女は何の変哲もない、ただの通りの何もないはずの空間へ埋め込まれたように出現した扉を開けて、俺を見ていた。


 濃いめの茶色の三つ編みに、まん丸な眼鏡をかけたその顔はずっと見てきた俺にとっては忘れようもない顔だった。


「えっ!? 宮ちゃん!」


「はい、宮守静香です。プロデューサーさん、お待ちしていました。今日もいっぱい仕事がありますけど、頑張ってこなしちゃいましょう!」


『アイドルセイヴァー』のナビゲーションNPCである宮守静香が俺を手招きしていた。

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