第5話 ここは異世界?

 たどりついたのは古めかしいログキャビンだった。


 外観は大型トレーラーくらいの大きさだったが、中に入ってみると意外と広く、三十人くらいが食事できるスペースが確保されていた。


 テーブルはタルの上に丸い板を載せた簡素なもので、椅子は完全に小さなタルだった。


 テーブルを中心にして、円周上に席へと着く。俺の隣は右にアメリア、左にロフィンだ。テーブルを挟んだ向かいにはラチェリが腰を下ろした。


「というわけで、初めてのDランク任務完了を祝してかんぱーい!」

「かんぱーい!」

「かんぱい……」

「乾杯」

「…………」


 ラチェリの音頭に続いて集まったメンバーが各々のグラスを合わせる。


 ちなみにグラスの中身は盛大に泡立っているが、アルコールではなく、そう見せた果汁らしい。


 この地域ではお酒を飲むのに年齢制限はないらしいが、先ほどのアフロの人──ゴードンが果汁を配りながら「若いころに飲み過ぎたせいで四六時中酒瓶を抱えて、仲間の命よりも酒を最優先するようになった奴がいるから若いのに酒は飲ません」とのことなので、俺たちには酒のように見える泡立ち果汁が手渡されている。


「ぷっっっはぁぁぁーっ! あー、胃に染みる……。それにしてもうまくいったわね!」

「まさかリザードベアーを一発で狩れるとは思ってなかったぜ」

「本当罠を仕掛けて討伐する予定でしたから……」


 グラスを置いたラチェリとレフィンとロフィンの視線が俺へと集まる。


「イセがいい感じに囮になってくれたから不意打ちできたってのはあるわね」

「イセありがとう! いい囮だったぜ!」

「ありがとうございました……」

「どういたしまして」


 で、いいのか? 


 褒められているようであまり褒められているような感じではないが。


 しかし、ちょっとでも好意が向けられるとなんだか背中がむずむずしてしまう。

「というかさ、あんたもすごいわね。石をぶつけただけでリザードベアーを吹き飛ばすなんて。ああ見えてカテゴリーDにランク付けされるモンスターなのよ。そこらへんの人が10人束になっても返り討ち遭う危険度なのに。あんな怪力を出せるなんて思わなかったわ」

「そういえばさ、イセってどこから来たんだよ! そんな服オレ見たことないぜ?」

「アタシもです……」

「ん? 貴族の執事がそんな服着てるからそう思ってたけど違うの?」

「えっと……貴族さんの執事ではないですね」


 こっちでも執事という役職があって、スーツのような服を着ているらしい。


 貴族っていうとあまり馴染みはないが、こちらではそういう地位の人物がいるようだ。王族とかが力を持っているのかもしれない。


 それはさておき、どこから来たかという質問にはどうやって答えるべきか。


 素直に『日本』と言っても通じるかどうか不安だ。とはいえ、この街の近場にどんな場所があるかもわからないし。


 だがここではぐらかして、せっかくできた彼女たちとの関係をおかしな方向へ持っていくのは阻止しなくてはいけない。


 たとえ、プロデューサー・イセの能力が使えても、右も左もわからない場所で一人で生きていけるわけがないからな。


「よっ、ノボリドリの丸焼き、お待ち!」


 そこへアフロ……ゴードンが巨大な皿にこれまた巨大な肉を載せてやってきた。


 ノボリドリと言っていたが、見た目はローストターキーだ。味もおそらく一緒なのだろう。


「わぁぁすげぇっ! これ食っていいの、ゴードン?」

「ああ、お代は先にラチェリにもらったからな。たらふく食え」

「よっしゃぁぁっ!」

「ロフィン! ラチェリに全部取られる前に食っちまおうぜ!」

「全部食べるほどがっつかないわよ。久しぶりなんだからゆっくり味わって食べなさい」

「は、はい、いただきます……」


 レフィンとロフィンの興味が俺から目の前の料理へと移った。


 ゴードンを見ると、歯を見せてニカッと笑っていた。


 どうやら俺が困っているとわかって割り込んできてくれたらしい。できる店主だ。


「…………」


 フルプレートの人物──アメリアも骨付きの肉に手を伸ばして、自分の元まで運んでいた。


 フルプレートだが、ちゃんと兜と鎧の隙間から食べ物を口に運べるようになっているようだ。


「イセも食べたら? あんたも今回の功労者なんだから」

「そうですね……」


 つい情報収集を優先してしまっていたが、俺も腹は減っている。ゲームの中の姿でお腹が減るなんておかしな話だが、減ってしまったものはしょうがない。


 あ、ちょっと待った。ゴードンの腕を信用していないわけではないが、一応食べれるものだよな? 耐薬物のスキルは取ってある(取得条件は料理下手なアイドルの失敗料理をすべて食べてゲーム内時間で二日寝込むことで達成される)ので、口にしても大丈夫なはずだ。


「いただきます」


 一口食べてみるとじゅわりと肉汁が広がり、次いでスパイスのきつい臭いが口いっぱいに広がってくる。


 見た目はターキーだが、味はちょっとあっさりめの鶏肉といったところか。スパイスがいい感じに味を引き立てているのでとてもうまい。


 あの店主、見た目は弾けているが料理人としての腕前は堅実だったようだ。


「このお肉、おいしいですね」

「でしょ? あたしはお店で一番好きなの。ゴードンも元々冒険者をやってたから、鳥の丸焼きとか薬草のサラダとか、そこからへんで採れるものに香辛料かけたくらいの料理がこの店には多いんだけど、そういう冒険を感じさせる料理のほうがあたしは好きだな」


 ラチェリはそう言うと、八重歯を覗かせて肉のかぶりついた。「ううん、おいしいっ!」と灰色の瞳が嬉しそうに細まっていく。


 しばらく俺たちは無言で料理にありついた。



 ひとしきり食べ終わった後、ラチェリが切り出してきた。


「さてお腹も膨れてきたし……さっきの続きで、あんたのことを教えてくれる?」

「私のこと、ですか?」

「『訳あり』ってゴードンがさっき料理持ってきたときに知らせてくれたのよ」


 なるほど、俺の様子を見に来るついでに街中で話したことも伝えていたようだ。


「ああでも心配しないで。そのことでどうこう言うつもりはないの。じゃなきゃいくら命の恩人でも食事に誘ったりはしないわ」

「命の恩人? 私がですか?」

「そうよ。言うのが遅れっちゃったけど、さっきは助けてくれてありがとう。あんたがリザードベアーの頭に石をぶつけてくれなかったら危なかったわ」

「ああいえ……私もその前に助けてもらいましたから。お互い様ということで」


 アメリアの様子をうかがう。フルフェイスの兜の上からでは表情はわかりづらいが、特にこちらを気にした様子もなく、鶏肉をちまちまと口に運んでいた。


「それなら遠慮はいらないわね。レフィンとロフィンも気になっているみたいだから、どこから来たのか教えてちょうだい」

「どこから来た……ですか。それにお答えする前に、質問してもよろしいでしょうか?」

「いいけど、何かしら?」 

「ここはどこですか?」

「ここ? って『ゴードンハウス』のこと? それともサエペースのこと? もしかしてグランアルハート王国の領地ってこと?」

「ぐらんあるはーと王国?」

「そうよ。ここは大陸の東側に位置するグランアルハート王国。元々弱小国家だったんだけど、そこのお姫様が魔王を討伐した勇者と幼馴染だったみたいで、魔王が討伐されたあとは勇者はそのお姫様と結婚して、魔王に占領されていた土地を一気に解放して、大陸を治める大国になったの」

「え、え……? 魔王討伐……? 勇者……?」


 一気に胡散臭そうな単語が出てきたぞ。


 グランアルハートなんて国名は聞いたことない。それに魔王がいて勇者に討伐された? 


 そのおかげで国が大きくなったと言われても信じられない。


 だが、ラチェリの顔は至って真剣だ。レフィンとロフィンはラチェリの説明にもうんうん頷いている。アメリアは我関せずと熱心に鶏肉を口へと運んでいた。食いしん坊か。


「子供でも知ってる常識なんだけど……あんた知らないの?」

「そ、その前に……日本って地名について知っていますか?」

「ニホン……? 知らないわ。少なくともこの大陸の国じゃないわね。どこの小国?」

「そ、それじゃあ、アメリカとかイギリスとかロシアとか……」

「全部聞いたことない国ね」


 ラチェリは本当に知らないように小首を傾げていた。これで隠しているようだったらかなりの演技派だが、ラチェリが他人の目を欺くほど嘘が得意なタイプには見えない。


 それに、ロフィンとレフィンも「ニホンなんて国、地図にあったっけ?」「アタシは覚えてないなぁ……」と話し合っている。


 日本は世界的に見れば確かに小さな島国だ。単純に知らないこともあるのかもしれない。しかし、ここまで文化が発展している場所ならアメリカなどの大国は絶対に知っているはずだ。


 トカゲ熊のことといい、街中にいた他の種族の存在といい……なんとなく予想はしていたが、ここはどうやら俺の知っている世界ではないようだ。


 簡単に言ってしまえば『異世界』。俺は異世界に来てしまったと考えるのが妥当か。


 だがどうやって? ゴミ収集車の荷台に飛び込んだあとから記憶がない。あの荷台が異世界に繋がっていたというのか?


 そんなバカな。ありえないと思いたい。しかし現状は、俺は異世界に来てしまっている。


 それも、『アイドルセイヴァー』のプロデューサー・イセの能力をそのままに。


「ねえ、あんた……もしかして」


 ラチェリの声に、はっとなって俺はいつの間にかうつむいていた顔を上げた。


 疑うような視線を送るラチェリと目が合った。なんだろう? まさか異世界人は生かしておけない法律でもあるんだろうか。


 や、やばい。大ピンチの予感……。


「やっぱり、記憶がないのね」

「……え?」


 記憶がない? 確かにこの世界に来たときの記憶はないけど……。


「安心して。そういう人、この街に多いの。ここから南に行ったところに強いモンスターが群生している土地があるんだけど、そこからたまにモンスターが山を越えて街の近くまでやってくるのよね。それで運悪くそのモンスターと出くわしちゃって、なんとか命だけは助かったけど、頭をぶっ叩かれて記憶が飛んじゃってる人とか割といるのよ?」

「そ、そうなんですか……?」

「うん、そういう場合は頭に大きな傷ができてたりするんだけど。イセはなさそうね。でも外傷がないからって、中身がどうなっているかわからないから、きっと記憶だけすぽっと抜けちゃってるんだと思うわ」

「は、はぁ……」

「それで合点がいったわ。あれだけ強いのに、報酬にがめつくなかったり、この街に入ったときも妙におどおどしたりしてたからおかしいなぁと思ったのよね。そりゃあ記憶がないならそうなるわよね」


 傍目に見てもおどおどしているように見えたらしい。間違っちゃいない。実際ドワーフとか獣人を見つけてきょろきょろしていたしな。


「会話とか食事とかは大丈夫だけど、おぼつかないのはこの辺りの知識方面ってところね。いいわ、さっきの話の続きを話してあげる。聞いてたら思い出すこともあるかもしれないしね」

「……よろしくお願いします」


 ラチェリたちの間では、「イセは記憶喪失者」だという認識になったようだ。


 騙しているようで気が引けるところもあるが、ここは彼女の親切に甘えて色々教えてもらおうことにしよう。


 異世界から来たなんて言っても信じてくれる保証はないし、話した結果街中に広まってしまって物珍しさから誰かに拘束されるのも嫌だしな。


「ここがグランアルハート王国ってところまでは話したわね。それで、この街は王国の領土内の南端にあるサエペースって名前の街よ。街中やこの酒場を見てわかったと思うけど、この街は人間以外の種族も多いのよ。これが、グランアルハート王国の特徴なの」

「他の国では他種族が一緒に暮らしていないんですか?」

「基本的には同種族で国を作っているわね。他種族も受け入れていないわけじゃないけど、比率でいったら9:1で圧倒的に同種族の割合が多いわ。でも、グランアルハート王国は同種族と他種族の比率が同じくらいになるほど、他種族を受け入れているの。国王になった勇者は人間なんだけど、他種族に関しても寛容でどんな種族でも住みやすい国を目指していたらしいわ」

「助けを請われれば誰にも手を差し伸べる英雄的な考えをお持ちなんですね」

「ええ、さすが勇者よね。全大陸の支配をもくろんでいた魔王を倒した後、魔王側についていた魔族も取り込んで、全種族の融和を目指したんでしょうね。でも、その勇者とお姫様はちょっと前に亡くなられたんだ」

「そうなんですか?」

「うん。勇者のほうは魔王討伐の際の傷が原因で、お姫様のほうは元々体が弱くて、勇者が亡くなったショックですぐにお亡くなりになっちゃったんだって。それで今は勇者とお姫様の子供が国王に即位して国の政治を取り仕切っているわ。っていっても政治のことはよくわからないから、あたしたちにしてみれば冒険者業ができればそれでいいんだけどね」

「そういうものですか」

「そういうものよ。それで話を戻すけど、このサエペースはそのグランアルハート王国の領地の最南端に位置しているの。この街は魔王が隆盛を誇っていた頃に一度落とされてモンスターの根城になっていた場所でね、そのせいか街を奪還した今でもモンスターの出現頻度が尋常じゃないほど多いの。さすがに街中には現れないけど、一歩門の外へ出ればモンスターだらけよ。だからあたしたち冒険者にとっては格好の稼ぎ場所ってわけ」

「あの、その冒険者って何をする職業なんですか?」

「冒険者は冒険者協会からクエスト……依頼を受けて、その依頼の成功報酬で生計を立てている職業のことよ。依頼内容は色々あって、例えばモンスターの討伐とか薬草の採取とか、あとは荷物の運搬とか街の掃除なんかもやってるわね」

「何でも屋って感じですね」

「そのイメージで間違ってないわ。依頼があれば自分のランクに応じて依頼をこなしてお金をもらうのが冒険者なの。そうだわ! イセもしばらくはこの街にいるつもりなんでしょう? あんたも冒険者になりなさいよ。そしたらあたしのパーティー『魔戦夜行』に入れてあげるわ!」

「私が、ラチェリさんのパーティーに?」

「あたしのことはラチェリでいいわ。もしくはパーティーに入るならリーダーでもいい。レフィンとロフィンはどう?」

「まあ、あんちゃんは報酬でどうこう言いそうなタマじゃねえし、オレはラチェリが決めたなら文句はねえよ」

「アタシも、いいです……」

「【ストーン】は?」

「…………」

「それじゃあ決まりね! イセは明日からあたしたちと一緒に行動するように!」

「おいおい、そう急かしてやるな」


 気が付くと俺の後ろに巨大なアフロが立っていた。


 ゴードンの両手には大皿が四枚ほど乗っている。


「ほら、追加の料理だ。チビども、ありがたく食えよ」

「わーい!」

「それとラチェリ。提案するのはいいが、この辺りのことを忘れちまってる奴をいきなりパーティーに入れること前提で話を進めるな。まずは記憶を思い出すための手伝いをするのが先だろう?」

「う……も、もちろん、わかってるわよ。ええ、パーティーに入ってくれたら、ちゃんと記憶を思い出す手伝いをしてあげるつもりだったもの」

「本当か? お前さんは少しばかり勇み足なところがあるからな。最初が肝心だとは言うが、無理をはさせるなよ。思わぬ事故を招くぞ」

「わかってるわよ! 今日はちゃんと成功してきたでしょ! お小言はなしにして!」

「はいはい。それじゃあ、このあともごゆっくり」


 アフロを揺らして肩をすくめると、ゴードンは店の奥へ引っ込んでいった。


「お店のご主人と仲がいいんですね」

「単なるお節介よ。あたしの小さい頃から知ってるから色々言ってくるだけ。いつまでも人を子供扱いして、まったくいい迷惑だわ!」


 ラチェリは大皿で運ばれてきたスティック状の緑色の野菜を手に取ると勢いよくかじりついた。


「イセもちゃんと食べておきなさい。どっちにしろ、あんたを冒険者協会に連れていくのは決定事項なんだから」

「わかりました」


 提案されなかったら、こちらからお願いするつもりだったが、どうにかラチェリたちと行動を共にできるようになった。


 まだまだわからないことだらけだが、ラチェリたちと一緒にいれば今がどういった状況で、この世界がどんな場所なのかもわかるようになりそうだ。


 早く帰って『アイドルセイヴァー』をプレイしたいところだが……焦りは禁物だな。


 下手に一人で動いて林で会ったようなトカゲ熊とエンカウトする可能性だってある。


 それに、プロデューサー・イセの力が使えるなら、アイドルたちに会えないとはいえ、実質この世界が『アイドルセイヴァー』と言えないくもない。


 そんなことを考えながら、俺は皿に手を伸ばし、この世界での初めての食事を取ることとなった。

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