第2話 プロデューサー、モンスターと出会う
息苦しさを感じた。
「ごほっ! ぶはっ!……あれ? また水の中……?」
気が付いたら俺は水中から顔を出していた。
どうやら、池のような場所にまた沈んでいたらしい。
それはさておき……色々と思い出してきた。
俺は『アイドルセイヴァー』を捨てられて、それを取り戻そうとして、ゴミ収集車のタンクに飛び込んだ。
考えたくはないが………普通ならプレスプレートに潰されて、あっさりと生を手放したはずだ。
「死んだ? 俺が?」
覚えていない。飛び込んだあとのことは何も思い出せない。
しかし、目が覚めたら俺は池の底に倒れていた。
一応水辺だが、三途の川にしては、水がほとんど流れていない
ダイブしたのは池ではなく、ゴミ収集車のタンクの中だったはずだが、どうしてこんなところにいるんだろう?
ゴミ収集車が俺をここまで運んだんだろうか? それにしては俺と一緒に運ばれたはずのゴミはまったく落ちていない。
水質も恐ろしいほどの透明度を誇っていて、水面から水底が見えるほどだ。
それに、仮にここがゴミ処理場の一つだとして、さっき見かけた金髪さんはいったい何者だったんだろう?
「そうだ、あの子は……」
辺りを見渡してみたが、先ほどの綺麗な金色の髪の少女は影も形もなかった。
もうすでにどこかへ行ってしまったのか。
そもそも彼女が本当にいたのだろうか?
『アイドルセイヴァー』をやり過ぎた俺が見てしまった幻想だって可能性もある。こんな子がいたら俺は一番になれるとか、そういう夢を見ていたってことだ。他のゲームでも、これこれができたら俺が一番だとか考えてしまうやつだ。どちらせよ、少女が見当たらないので確認のしようはないが。
まあ水に半分浸かったまま探すよりも、先に陸へ上がったほうがいいだろう。体が冷え切って、風邪でも引いたら面倒だ。外には出ないが、風邪を引いた状態でVRゴーグルをつけると頭が痛くて仕方ないのだ。
俺はそそくさと移動した。金髪さんが出てくるわけでも、その金髪さんに棒のようなもので殴られるなんてレアな体験をするわけでもなく、ちゃんと岸までたどり着いた。
水辺から周囲を見渡してみても……やっぱり林ばかりで建物らしきものは見えない。本当にここはどこなんだろう? 帰れるんだろうか?
色々不安ではあるが、まずは服を乾かそう。
いい加減濡れた服が肌に張り付いてくるのが気持ち悪い。どこか服を引っかける都合のいい枝があればいいけど……。
「……って、なんだこれ? もう乾いてる?」
手で触れてみると、先ほどまで池の水を吸い上げていた服が、クリーニングに出したあとの乾いたコットンでも触っているかのような質感に。
どういうことだ? 速乾性に優れているにしても、さすがに早すぎる。池から上がって10秒くらいしか経ってないのに。動きやすくはなったが……しかし、こんな服持っていたかな?
今の俺は白いワイシャツに金の刺繍が入った紺のネクタイ、それに合うように紺のジャケットとスラックスといった出で立ちだった。一年以上前に着ていた高校の制服ではない。柄がそもそも違うし、生地の質感が高校生の制服にしてはやたらと艶があって着心地もよく、高級感に溢れている。先ほどの速乾性と滑らかな手触り、そして見た目を考えても、サラリーマンのスーツのようだ。それもかなりお高いタイプ。
こんなスーツを着ることになった経緯も覚えていないが、着ているということは何かしら着ることになった理由があるのだろう。
色々とわからないことが多すぎて、考えるのを放棄したくなってくる。
とにかく、服が乾いているなら水辺で長居することもないだろう。
先ほどの金髪の少女のことは気になるが、後回しだ。ここがどこかがわかってからでもいい。
ひとまず、誰かに今の状況を報告しよう。
「スマホ、スマホ……俺のスマホ……あれ?」
……ない。スマホがない。
スーツのポケットにスマホがないか探してみたが、出てこなかった。どころかこのスーツ、高級感に反してポケットには何も入っていなかった。
まあ見つかったところでさっきまで俺ごと水没していたので、ちゃんと動く保証もなかったが……それでも自分が持っていたものが出てくると安心感は得られたはずだ。
しかしないものは仕方ない。
地道に周辺を歩いて人を探そう。
しかし、うまく会話できるだろうか。ゲーム内でチャットはしていたが、声に出しての会話はここ一カ月、親ともしていない。
ちゃんと声での会話をしていた頃のことを思い出して、うまくこちらの事情とこの辺りの情報を聞き出すしかない。
今から緊張するなぁ。だが、これも家でまた引きこもるためには避けて通れぬ道。
なるべく優しい人が見つかることを祈るしかないだろう。
「……ん?」
林に向かって歩き出そうとしたとき、その林の中から木々の間を縫うように、草を踏み鳴らすような音が聞こえてきた。
誰かが近づいてきている?
さっきいた金髪さんだろうか?
もしかして、俺を見つけたから捕まえるために誰かを呼びに行ったとか?
ありえる話だ。
ど、どうしよう……道を聞くだけならまだしも、いきなり自分の身の潔白を証明することなんて。引きこもりには難易度が高すぎるぞ……。
どうにか、言葉を選んで穏便に納得してもらうしかないか……。
……しかし、少し足音が妙だ。草を踏みつけるような音がさっきから聞こえてくるが、それが「カサ、カサ」と人が走ったり歩いたりしているときに出る音ではなく、「ガササササ」と全速で草をかき分けて何かを引きずっているように聞こえる。
まさか人間ではなく、野生動物だろうか。
ありえるな。さっきの金髪さんが実在するならここが外国であっても不思議ではない。
もしそうなら早く逃げなくちゃまずい。
そう思った次の瞬間だった。
影を突き破ってその影は現れた。
そいつは、たぶん熊だった。
実物を直接見たことないが、よくテレビやネットの画像で見られる熊に酷似していた。
大木のように太い両手足には茶色の剛毛がびっしりと生えており、立ち上がった全長は、5メートルはあるだろうか。
しかし、一般的な熊と違うのは、両手の爪に一本だけ鎌のような鋭い鈎爪があり、さらにその頭は熊ではなく、完全にトカゲだった。
首の上から上には緑色の鈍く光る鱗を生やした丸っこい頭があり、シャァァ……と硬いもの同士がこすれたような鳴き声を出している。
すぼまった口からは二又に分かれた小さな舌が出たり入ったりを繰り返している。
気持ち悪っ!
熊の体にトカゲの頭がのっかっている生物……こんなやつ見たことない。名づけるならトカゲ熊といったところだろうか。
外国にはこんな奴がいるのか? 少なくともネット上で見たことはないぞ。
見た目から考えれば間違いなく肉食だ。できれば一刻も早く遠ざかりたいところだが……向こうは俺と真逆のことを考えているようで二足歩行でジワリと距離を詰めてきた。
その証拠に濁った黒い水晶のような瞳に俺の姿を捉えたまま、二足歩行でゆっくりと一歩ずつ俺のほうへ着実に近づいてくる。
間違いない、俺を餌としか見ていない!
熊に出会ってしまったときの対処法はどうだったか……確か死んだフリや、背中を向けて全力疾走はアウトだって聞いた覚えがある。
目を見ながらゆっくりと遠ざかっていくのが正解だったかな……?
アウトドアとは無縁の生活を送っていたのでネットの知識だよりになるのは少々心元ないが、この状況でやらない手はない。
俺はトカゲ熊の黒い瞳をじっと見ながら一歩ずつ後ずさった。
<シャァァァッ!>
だが、俺のその行動がお気に召さなかったのか、トカゲ熊は地面を蹴って飛びかかってきた。
ネットの知識なんて当てにならねえええっ!
奴には鎌のような鋭さを持つ爪がある。さらにそこへ見た目通りの熊が加わる。鉄製の鎧を着ていようが人体くらい簡単に分断されるには違いない!
早く逃げ──!
しかし。
俺の後退よりも早く、トカゲ熊の鈎爪が俺の胸板を引き裂いた。
「──ぐはっ!」
痛い、痛いっ! これは死んだ!
二回、三回、四回と、熊が両腕を使って連続で爪が振り抜いている。
俺の体が細切れ肉のようになっているに違いない。
一瞬で、バラバラ死体の完成だ。
ああ、せめてかわいいアイドルたちをもう一度拝んでおきたかったなぁ。
<……シャルルル?>
が、先に異変に気が付いたのはトカゲ熊のほうだった。
そして遅れて俺も気がつく。
俺の目には血みどろになって破けたシャツとその奥にグロテスクな臓器がむき出しになった俺の上半身が映るはずだった。
しかし、現実は違った。
「………………あれ? 死んでない?」
俺の体は五体満足のままだった。上半身と下半身が今生の別れを告げたということもない。
どころか、血も出ていないし、ジャケットはおろかシャツすらも破けていなかった。
しかし胸の辺りには硬いものにぶつかったときのような少し鈍い痛みがするし、さっきまで捕食者の目をしていたトカゲ熊が自分の爪を確認して「?」を頭の上に浮かべているように見えることから、あのでかい鈎爪が俺に当たったことは間違いないらしい。
普通に考えれば俺が無事だったのはこのスーツのおかげなのだろう。スーツがトカゲ熊の爪から俺を守ってくれたのだ。とはいえ、それにしたってこのスーツ、硬すぎないか? 鉄線でも編み込んであるのか? それにしては学校指定のジャケットよりも軽くて、着ているのを忘れそうなほど着心地がいい。まるでゲームの装備品みたいだ。
ゲームといえば、『アイドルセイヴァー』の中にも似たような装備があった。
『暴漢に襲われてもアイドルを完璧に守れる、防御力、速乾性、耐久性、耐熱性、着心地、上品さを兼ね備えたレジェンドプロデューサー仕様』とか、そんな長ったらしい文句とゲーム内通貨で目が飛び出るような価格だったのを覚えている。俺はそれを迷わず購入した。というのも、『アイドルセイヴァー』には暴漢に襲われてアイドルがケガをしたり、精神的な傷を負ったり、最悪の場合死に至るというシミュレーション要素も盛り込まれていたため、自分のアイドルを守るためには、そのスーツが絶対に必要だったのだ。
そういえば、よく見てみると、VRで見たそのスーツと俺が今着ているスーツ、似ているような気がする……。VRは触覚には対応していなかったので、質感まではわからないがこのスーツの色とネクタイの柄は『アイドルセイヴァー』で俺が選んだスーツに違いない。
というと、ここは『アイドルセイヴァー』の中なのか?
……いや、それはないだろう。ゲーム内ならアイコンが右上に表示されるはずだし、コントローラを横に動かせば白い半透明の『ウインドウ』と呼ばれる操作パネルが現れるはずだ。
そもそも『アイドルセイヴァー』にはトカゲ熊のようなモンスターはいなかったし、痛覚をフィードバックするような機能もない。水に濡れるとデバフの表示は出たが、触覚がないため水の感覚がわかることはなかった。
何より、『目の前でうろたえているトカゲ熊』といったリアリティは、俺の知っている仮想現実では表現できていなかった。
それじゃあ、ここはどこなんだ? そしてなぜ俺は『アイドルセイヴァー』にしかないはずのスーツを身につけているんだ?
現実のはずなのに、仮想世界に存在するものが実在している矛盾。
聞いてみるか、目の前にいる第一発見者に。
ひとまずスーツを着ていればケガをしないことはわかったのだ。すぐに逃げ出す必要もなくなったと言える。
それにこのトカゲ熊だって、リアルな着ぐるみだという線も考えられる。
ダメで元々だ。このわけわからん状況が少しでも変わるなら、声をかけてみよう。
「すみません、ちょっと聞きたいんですけど……。ここってどこですか?」
<シャァルルル……?>
しかし、トカゲ熊の反応は舌をチョロチョロさせて首を傾げているだけだった。
言葉が通じていない? だけど、首はかしげているってことは、意味は伝わっているけど、何言ってるんだこいつ? と思っているといったところか。
やはり聞く相手が間違っていたようだ。
そんなことをしているうちに、トカゲ熊は戦意を取り戻したらしく、再び<シャァァっ!>という雄たけびと共に鋭い鈎爪のついた腕を振り上げた。
また爪による引っ掻き攻撃が来る。だが、このスーツがある限り結果は同じになるはずだ。ここは逃げずにスーツで受けきって……。
「……って、おわっ!」
俺はトカゲ熊の攻撃を咄嗟に屈んで避けた。
こいつ、スーツのない頭を狙ってきやがった!
トカゲ頭のくせに頭がいいっ!
<シャァァァッ!>
やばい! また来る!
避けないと……でも、変に屈んじゃったから態勢が悪いっ! それでも避けなくては……!
「のがぁっ……!」
世界が反転した。
後頭部から倒れるように地面に落下し、その目の前を毛むくじゃらの手が通過していく。
避けられた! でも、なんで……?
不思議に思う俺の右踵辺りに硬い石が当たっている感触が遅れてやってくる。
きっと無理やり後退しようとして、その石に足が引っかかったのだろう。そのおかげで後方に倒れるように避けられたようだ。
とりあえず、セーフ。だが、倒れてしまったのはまず。ここからどうしよう!
トカゲ熊が今度は両手を振り上げている。
いくらスーツが頑丈とはいえ、熊の全体重が載った前足で飛びかかられたら体が押しつぶされてしまう!
早く逃げないと……!
その時だった。
トカゲ熊の体が大きく揺れた。
<シャァッ……?>
「…………」
見れば、トカゲ熊の腰の辺りに鈍色のフルプレートアーマーが自身の身の丈ほどの大剣を押し付けながら体当たりをかましていた。
鎧だけのモンスターかとも思ったが、トカゲ熊の邪魔をしているところを見ると、同じモンスターではないようだ。
中身は人間で、襲われている俺を見かねて助けに来てくれたのもしれない。
何にせよ、これで助かる。ありがとう!
「…………」
フルプレートの人物は無言でそのままトカゲ熊を押し倒そうとしているようだ。しかしフルプレートの人物の身長は大きく見積もっても150センチほど、対するトカゲ熊の全長は5メートル以上もある。鎧の重さもひっくるめても、力比べでは圧倒的にトカゲ熊のほうに分がある。
さぞかし力に自信があるのだろうか。しかし目の前の力比べは俺の当初の予想通りで、いくらフルプレードの人物が押しのけようとしてもトカゲ熊の体躯はピクリとも動かなかった。
フルプレートの人物の力量を把握して、トカゲ熊はいら立ったかのように長い爪でフルプレートの人物を無造作に薙ぎ払った。
フルプレートの人物は殴られた勢いで大剣を手から滑らせ、後方に転がっていき、うつ伏せの状態で倒れ、そしてそのまま……動かなくなった。
「え?」
もしかして死んだ? こんな一瞬で?
俺を助けようとしたばかりに……?
<シャァァァァ……!>
トカゲ熊は動かなくなったフルプレートの人物に興味を失い、再び俺へと狙いを定めてくる。
危機的な状況は変わっていない。
どうすればいいんだ……!
「──動かないで……!」
刹那、勝気な少女の声が耳朶を打った。
その声の直後、俺の頭上を風切り音が通り過ぎていったかと思うと、トカゲ熊の目に何かが突き刺さった。
<ジャァァァ……!?>
悲鳴のような鳴き声を上げて後ずさるトカゲ熊。
両手で押さえている右目には棒のようなものが生えていた。
矢だ。矢がトカゲ熊の右目に打ち込まれている。誰かがトカゲ熊の目を射抜いていたのだ。
「──レフィンとロフィンはそのまま牽制して、あたしが【閃技】で決める!」
「了解だぜ!」
「わ、わかりました……」
三人分の少女の声が聞こえた途端、俺の横を茶色の風が駆け抜けていった。
茶色の風はするっと体を屈めて、目を押さえているトカゲ熊へと一瞬で肉薄する。
「【閃技(せんぎ)】──【滑走刃薙(かっそうじんてい)】!」
駆け抜けた勢いをそのまま跳躍。
そして体を体操選手並みに上下左右に回転させながら、手に持った大ぶりなナイフでトカゲ熊の体を何度も斬り付けながら、トカゲ熊の頭上へと跳び上がった。
「どっせいやぁぁぁっ!」
最後に上下に体を捻り、履いていた厚いブーツの踵をトカゲ熊の脳天に叩きつけた。
<グ、ジャァァァ…………>
トカゲ熊は全身から血をまき散らしながら、受けた衝撃で後退したあと、五メートルを超える巨体が地面に横たえた。
まさに一瞬の出来事だった。
華麗に着地を決めた茶色の風──茶色の髪の人物が俺のほうへと振り返る。
顔立ちから察するに俺と大して年が変わらない。17、8の少女だった。
アップにした茶髪を手で軽く振り払い、猛禽類のように鋭い灰色の目が危険を探すように周囲へと向けられる。
引き締まった体躯には、モンスター討伐系のゲームのような帷子と革でできた胸当て付きのジャケット、腰元には同じ革素材でできたポーチがあった。足回りは動きやすさを重視してか、短パンを穿き、先ほどトカゲ熊を攻撃したナイフを収めるホルスターが取り付けられていた。
やがて周囲を確認し終えた少女は、呼吸を一つ入れ、薄い唇から牙のような少し長め八重歯を覗かせた。
「……周囲に新手はいないようね。レフィン、ロフィン、出てきなさい」
後方から音がしたかと思うと小さな二つの影が茶髪の少女に近づいて行った。
「やったな、ラチェリ!」
「見事でした……」
茶髪の少女の腰元に左右からそれぞれ抱きついたのはまたしても少女だった。
一人は白いメッシュの入った黒髪を左で一つにまとめている。もう一人はその逆で、黒いメッシュの入った白髪を右で一つにまとめていた。
少女は二人とも、ナイフの少女と同じく革と鉄製の帷子で作った服を着ており、黒髪白メッシュの子は弓と矢筒、白髪黒メッシュの子は杖のような棒きれをそれぞれ持っていた。
嬉しそうに抱き着く小さな少女二人を、茶髪の少女は「はいはい」と引き離した。
「喜ぶのは獲物を捌いて、報酬を受け取った後。倒して気を抜いてるときが一番獲物を横取りされちゃうんだから。さっさと捌くわよ」
「えー、いいじゃん、もうちょと喜んでも! だって初めてオレたちだけでリザードベアーを倒したんだぜ? この年齢のパーティーで倒せたのはおそらく街で初めてなんだしよ! それに、ここにはあの一般人しかいないみたいだし! ちょっとは誇ってもいいじゃん!」
「アタシも、力は弱いけど……普通の人には、負けません……」
「わかったわよ。喜んでもいいけど、ちゃんと役割を守ること。レフィンはあたしと獲物の解体、ロフィンはあっちの一般人のケガを診てあげて。それでなんでこの森にいるかも聞けたら聞くこと、わかった?」
「「はーい」」
二人の少女が返事した。
どうやら茶髪の少女はあとからやってきた幼い少女二人の姉貴分といった立場らしい。
三人とも『サバイバルやってます』みたいな格好をしているところを見ると、そういった集まりなのかもしれない。
しかし、どの子も可愛いな。
トカゲ熊を討伐した茶色の髪の少女……身長は俺と同じくらいに見えるからきっと160センチ後半はありそうだ。体つきは脂肪がないんじゃないかってくらいとにかく細い。それでいて、鋭い目つきと笑ったとき見える八重歯。少し攻撃的な印象も受けるが、年下の少女たちに対しては優しく、まとめ役を務めるだけのリーダー気質もある。トカゲ熊を倒したときの動きを見るに、運動のセンスも抜群だ。『アイドルセイヴァー』であればダンスユニットに組みこめば、かなり高評価をもらえること間違いない。
次に黒い髪に白いメッシュが入った少女。身長から察すると年は中学生くらいか。弓と矢筒を持っていることから、トカゲ熊の目を射抜いたのはこの子で間違いないだろう。ということは、弓道少女といった『属性』が付きそうだが、そういった少女は常にお淑やかであったり、清楚であったり、文武両道であったりといった他の雰囲気も付属するものだが、この少女は自分を「オレ」なんて呼んでいるあたり、どちらかというとボーイッシュな性格なのだろう。もう一人の幼い少女と同じ髪型だが、こちらの子は本人の元気な性格が出ているかのように毛先が跳ねまくっている。元気な少女たちと組ませるか、大人しい子とコンビにしたほうがいいかもしれない。
白髪に黒のメッシュが入った少女も、先ほどの黒髪に白いメッシュの少女と同じくらいの身長だ。こちらは先ほどの少女と違って、杖のような棒を両手で抱えるようにもっている。先ほど三人で話しているところを見ると、一歩引いている気がした。おそらく大人しい性格で、一緒にいる二人に引っ張ってもらっているのだろう。こういった少女は『アイドルセイヴァー』では、最初からソロで出すのではなく、誰かと組ませることで能力を発揮する場合が多かった。組み合わせとしては自分を引っ張って行ってくれるタイプの子か、ガサツでこちらが世話を焼きたくなるような子と組ませるとうまくいった。そう考えると先ほどの黒髪に白いメッシュの子と対になっている気がする。髪の色は違うが、髪型も左右対称になっているのでもしかしたら双子なのかもしれない。
本当にこの三人は素晴らしい。『アイドルセイヴァー』にいたら間違いなくスカウトしていた。それくらいの逸材だった。
「あ、あの……」
俺が本人たちに聞かれたら失礼極まりないことを考えていると、とことこと杖を持った白髪に黒メッシュの少女が近づいてきた。
「えっと……痛いところ……ありますか?」
たどたどしく、たれ目に警戒と心配を半々のぞかせながら俺の様子をうかがってくる。小動物系というイメージは間違ってないらしい。
って、いつまでゲームの物差しで人を測ってるんだ。
ようやくこのあたりの地理に詳しそうな人物と出会ったんだ。
彼女たちのひんしゅくを買わないようにしなくては。
「は、はい。すみません……胸の辺りがちょっと痛い、かな」
「そう、ですか。わかりました……ちょっと失礼します……」
小動物系の少女は横に膝をつくと、俺の胸板へ小さな手を置いた。
「っ……!」
いきなりの少女からのボディタッチ。
万年部屋に閉じこもっている俺にとっては、トカゲ熊にエンカウトしたとき以上の衝撃が貫いた。
こういう場合どうすればいいんだろう? 身じろぎすべきなのか? でもうっかりこちらから触ったように見えたら「この人痴漢です!」って叫ばれてしまうかもしれない。
しかし、少女は一人で慌てくさっている俺とは対照的に目蓋を閉じて落ち着きを払いながら、
「地に宿る豊潤な精霊たちよ。かの者の傷を癒したまえ──【治癒(ヒール)】」
厳かにそう呟いた。
数年後に聞いたら悶え苦しみそうな文句だ。この子は見かけによらず、自作の詠唱を口ずさんでしまう、いわゆる中二病を患っているなのか?
しかし次の瞬間、俺の体に触れていた少女の手が淡い緑色の光を発し始めた。弱々しいホタルのような光だったが、確かに光っているのである。
数秒後「……ふぅー」と少女が一息つくと、緑色の弱々しい光はふっと消滅した。
その発光現象を最後まで見終わってから俺は口を開いた。
「…………今のは?」
「傷を癒す魔法です……。元々あなたはそれほどケガをしていなかったので……ちゃんと治りました……」
少女は額に浮かんできた汗をぬぐいながら教えてくれた。
言われてみれば、トカゲ熊に爪で引っかかれた際に感じた鈍い痛みはきれいさっぱりなくなっていた。
でも『魔法』か……。『魔法』と言ったか、この子は。
俺は近くに生えていた雑草の一つを握って引き抜いてみた。
草を掴む感触がし、草を抜く際の抵抗の感触がし、握っている拳を解いたときに草が飛んでいて感触がした。
触覚がある。今までも水から上がったときやトカゲ熊に攻撃されたときに強く感じることができた。
『アイドルセイヴァー』には、視覚と聴覚を伝える機能はあったが、触覚や嗅覚や味覚を伝える機能はついていなかったはずだ。
いや、『アイドルセイヴァー』に限らず、他のVRゲームも未だに視覚と聴覚しか装着者にフィードバックすることができていない。
五感すべて使う、いわゆるフルダイブ型のVRは研究は進んでいるそうだが、実際にはまだ十数年はかかると言われている。
だが、この子は今魔法という名の現象を起こしてみせた。
魔法なんて、それこそゲームの中の産物だ。
にもかかわらず、草を握る触覚や、掘り起こされた土の臭い、そして攻撃された際の痛みを伴う触覚はとてもゲームの世界とは思えなかった。
ここは、本当にどこなんだ?
「……あ、あなたは、どこから来たんですか……?」
治癒の魔法とやらを使ってくれた少女が尋ねてきた。
「俺は……」
日本という国からと答えて果たして通じるだろうか。
首を傾げられたら、どういうすればいいんだろうか。
「俺がいたのは……」
<シャァァァッ!>
「……っ!」
トカゲ熊が勢いよく起き上がった。
瞳を赤黒く滲ませ、目の前で談笑しながら後始末の道具を取り出していた少女たち二人に向けて両腕を振り上げた。
茶髪の少女が太もものホルスターに手を伸ばすが、遅い! もうトカゲ熊は攻撃できる態勢だ。
何か助ける手立てはないか。
そのとき、思い出した。足に硬いものが当たっているのを。トカゲ熊が頭を狙って攻撃してきた際、俺を転ばせた拳大の石だ。
間に合うか……いや、やるしかない!
俺は石を掴み、投擲のモーションに入った。
リアルの身体能力ならおそらく3、4メートル飛べばいいほう。しかもその場合狙いをつけるなんて絶対にできない。下手をすれば少女のどちらかに当たることもありえる。
しかし、妙な確信があった。
この石は間違いなく、当たる。
見たことない場所に放り出されていたことや、着ているこのスーツが超高性能だったことや、モンスターらしきトカゲ熊に攻撃されて軽い鈍痛で済んだことなど。
そして何より、女の子が危険な目にあっている状況で、『この状態の俺』が負けるわけがないという仮想世界で得た自負だった。
狙いを定めて、力の限り石を放り投げた。
石は俺の手を離れると、一直線にトカゲ熊の額に直撃した。
硬いもの同士がぶつかる小気味のよい音がし、石は粉々に砕け散ったが、トカゲ熊のほうはその衝撃で5メートルの巨体を、10メートルほど離れた後方の大木の幹まではじき飛んでいった。
叩きつけられた衝撃で大木をへし折ったトカゲ熊は、舌をだらりと伸ばしたまま一切の動きを止めた。
単なる投石だったはずだ。
それで、弱っていたとはいえ、トカゲ熊を軽く吹き飛ばしてみせた。
普通の人間にはできない芸当。
強化された人間でなければできない芸当。
だが、俺は『この人物』をよく知っていた。
近くで倒れていたフルプレートの人物も息を吹き返したのか、身じろぎをした。少女三人が信じられないものを見たような顔を俺のほうへ向けてきている。
「ああ、そうか……」
今までわからないことだらけだったが、はっきりしたことがあった。
ここでは、俺が鍛えた『アイドルセイヴァー』のプレイヤー、『プロデューサー・イセ』の能力が使えるってことだ。
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