其ノ四






 ――絶句。

 その言葉が、この会場の状況には似合うだろう。

 驚愕、動揺、本物の姫を非難してしまったという恐怖や混乱、内容は様々であっても、表現に言葉という方法を使う事が出来ないのは、皆同じだった。

 普通だったら、全員このまま捕まって死刑にされても問題にはならない。王家という国の〝顔〟を公然と罵倒したのだ。


 王家反逆、王家への暴言。


 世界が変われば、国の頂点を批判する事は大きな問題になり得ないだろう。しかし王という絶対の存在を頂点とする国家運営において、それを侮辱する事は国家そのものの信頼を否定する事になる。

 決して許されず、許せばそれだけ王家や国の沽券に関わる。

 ――だがそれでも、エリザベスの顔は涼しいものだった。

 自分の心の中にあった蟠りをぶちまける事が出来たからだろうか。暴言を向けられ有らぬ非難を向けられたにしては、心の中はこの空と同じくすっきりと澄み切っていた。


「……へ、陛下!」


 どこか不気味な静寂を最初に切り裂いたのは、オーレンの皆と同じように混乱に満ちた声だった。

 何故、どうして。自分が予想していたものとは違う。

 そんな単純な思考の迷路に陥りながらも、言葉と行動は直感的に最善手を取ろうとする。


「陛下は、どこか誤解なさっておいでです!」


 ――しかし、迷路に問われている人間の口から、正しい言葉が生まれるとは限らない。自分でも何を喋っているのか分からないまま、オーレンの口は動き続ける。


「わ、私は陛下を否定したかった訳ではなございません。もしもの事を考えて行動してこのような事に、決して陛下を軽んじての事では、」

「ええ、分かっているつもりです、オーレン議長」


 オーレンの必死な言葉とは反比例するように、エリザベスの言葉には冬の空気にも似た冷たさを帯びている。


「私は王家の教育を受けておらず、こと政治に置ける判断や選択を非難するような知識もございません。今回の事も、私には想像出来ないような考えがあったのでしょう。

 ですから、貴方の暴言を真に受けるような事は決してしないと、ここで宣言しておきましょう」

「も、勿体無いお言葉でございます」


 オーレンはその罪悪感からか、本来礼儀として判断される以上の深さで頭を下げている。

 と、他人から見れば思うだろう。その深く下げられ誰にも見られない顔に、してやったりと笑みを浮かべているとは誰も思うまい。

 ――この事件の真相を知る、ほんの数人を除いては。


「――ですが、貴方にかかっているいくつかの疑惑に関しては、看過する事が出来ません」


 雷のように降りかかったその言葉の衝撃で、オーレンは動揺したように勢い良く顔を上げる。


「……お、仰っている意味が、よく、」


 分かりませんと言葉が続く前に、その言葉を食わん勢いでエリザベスが話し始める。


「分かりませんか? いいえ、貴方にはよく分かっている筈ですが?

 ――まず今から数日前、王家の人間であり唯一の王位継承者であるこの私を誘拐しようとした罪」


 その言葉に、壇上も含めたこの会場全てが騒めく。

 国家の大事を知らされていない平民達は勿論、寝耳に水な貴族達や官僚も、等しくその騒めきを生み出している。


「そしてその手から私が逃げたと分かると、逃亡の間散々私に暗殺者アサシンを差し向け、捕まえるか、最後には殺そうとした罪」


 暗殺者という言葉に、ざわめきは更に大きくなる。

 平民達の中では半ば伝説に近く、それなりの地位に立っている人間であればその力量と恐ろしさ、そしてそれらが世権会議から犯罪者として見られている事をよく知っているから。

 何も言い返せないオーレンに、エリザベスの言葉の刃は容赦なく突き立てられる。


「いいえ、それ以前に、この国を転覆せしめんとしていた革命軍への資金や物資、人員の援助。これらは、今までの貴方の功績を加味した所で、許される問題ではありません。

 それは貴方自身、よく理解していらっしゃるのではないですか?」


 さっきまでの静寂は、再び喧騒の中に消えていった。

 その喧騒の矛先は、もはやエリザベスではない。それを糾弾し、自分が正義であると疑わなかったオーレンその人だった。

 矢の的。

 それを想像すれば、彼が感じているあらゆる悪感情への苦痛を想像出来る事だろう。その突き刺される痛みは一つ一つは小さなもので、政治家であるオーレンにとってはいつもの事だった。

 しかしそれが百を超え、ひょっとすると千を超えるようなものであれば、彼の精神でも平静でいられるはずもない。


「な、なんの誤解をされているのでしょう!? 暗殺!? 暗殺者!? それに、革命軍への支援ですと!?」

「ええ、そうです。

 最も革命軍というのは誇張表現だったかもしれませんね。あれは正直言ってしまえば、『そこら辺のゴロツキの集まり』だったのかもしれませんし。正直、分かりません」


 エリザベスの言葉は淀みない。

 心の中には緊張や不安、恐怖はある。本来の彼女であったなら、国民の前であんな啖呵は切れないし、この国の中枢の一人であるオーレンをこのように責める事も出来ない。

 いや、もっと言えば、平民達に糾弾された時点で、普段の彼女なら逃げ出していた所だろう。

 それでも彼女は逃げなかった。

 そんな事よりも、オーレンを糾弾する事の方が何よりも大事であったから。

 自分の恐怖などよりも﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、大事なものがあったから。

 それは今までのエリザベスであったなら信じられない答えだったし、それを自然と考える事が出来るという事実そのものが、王の素質を証明するものだったのかもしれない。


「ひ、姫、私には全く身に覚えがありませんっ。荒唐無稽が過ぎます!」

「いいえ。どれもこれも、実際私が見て聞いて、はっきりと現実の話だと分かるものよ。少なくとも貴方のように間違いであると証明されているわけではないわ」

「しかし、ですが、」


 言葉は続かない。

 そもそもこんな流れを想定していなかったオーレンは、その言葉を否定する程の材料は持ってきていない。

 当然だろう。



 彼からしてみれば――全て事実だったのだから。



 姫に対してだけではなく、商売や政治的に邪魔になった存在を暗殺者を用いて消していたのは本当の話だし。

 商家でありながら策謀に長けていたオーレン家は、古くから『群体蟻アンツ』という絆と非常に懇意にしていたのは確かで。

 そんな彼らを通して利用しやすく、盲目なほど熱意を持った青年を見つけ出し、そんな人間を革命軍のトップに仕立て上げたのも、紛れも無い真実だった。

 どんなに巧妙な人間であっても、秘密を持つ事が上手い人間であったとしても、その人間を動揺させ突き動かされる方法は常に存在する。

 嘘だと告発したとしても、彼らは小揺るぎもしない。嘘に対応できる嘘を吐けば良いだけ。

 だが――隠している真実が万人の前に明るみに出てしまえば、動揺し混乱するのは必然だ。

 知っている筈がない。知られる訳がない。そんな確固たる自信を持っている人間であれば、それもまた大きいものなのだ。

 そしてまた、エリザベスの言葉には自信があった。




「だって、私を殺して得がある人間など、貴方以外にいないのだから」




 ……どこまで真実を隠蔽しようと、状況証拠が語っている、という事だ。

 姫が死んで一番得をする人間は?

 革命軍が仮に革命に成功し、平民主導の政治に切り替わるならば、その利益を一番得るのは?


 貴族?

 それはないだろう。何せ彼らは追い落とされる側であるし、何よりもここで姫が倒れ新たな王を建てたとしても、一番権力を持っているのはギーヴ・フラグレントである事実は変わらない。


 では民政議会の人間か?

 それも難しい。民政議会の人間が平民よりも資金力に溢れているとしても、ここまで大仰な事をするには権力がまだ足りない。


 考えていく中で、首謀者に必要なものは、三つ。

 大きな資金力。

 大きな権力

 そして、今回起こった一連の流れの結果﹅﹅、得をする事が出来る立ち位置。

 それを考えていけば、自ずと答えは、個人での資金力に溢れ、革命が起こっても生き残れる平民という位置にいながら、絶大な権力を保有している人間がいる。

 民政議会議長――ランドルフ・オーレンその人である。


「そ、それは極論で、」


「そうですか? 私はそうは思いません。

 この国の人間は全員がそうでしょう? 自分に利益がある事しかしないし、自分に利益のない事は全力で排除するしようとする。これが残念ながら、今のこの国のお国柄と言っても良いでしょう

 ――利益のない人間が、こんな事するなんて、あり得ない」


 残酷ながら、それは事実だった。

 壇上にいる貴族達も、壇上を見上げる平民達も、それを抑え込む兵士達も、《勇者》も、誰もそれを否定する事は出来ず、また違うと否定する事も出来ない。

 悲しい現実が、今だけはエリザベスの味方に立っていた。

 その重苦しい空気こそ、彼女の言葉を守る鎧となり、その突き刺さるような全員の視線こそ、彼女の振るう刃や鏃になっている。


 無形の戦争。


 この場はまさしく、政治を体現していると言っても過言ではなかった。

 ――しかしそれは、たったそれだけの事だった。

 彼女は確かによく話しただろう。その言葉には強い説得力のようなものがあり、彼女の想いの強さを跳ね除けられる人間は数少ない。言葉で説得力を生む政治家としては優秀だった。

 少なくとも、その優秀さの片鱗を見せていると言えるだろう。

 だが、ランドルフ・オーレンもまた同じだった。しかも、オーレンは彼女の何倍も、無形の戦場をその言葉と思考で渡り歩いていた人間だ。

 ――そんなランドルフ・オーレンを止められる程、エリザベスの言葉は強くはない。


「――しょ、証拠は、」


 心の騒めきの所為で回らない口を必死で開いて言う。


「証拠は、あるのですか?」

「証拠?」


 エリザベスの怪訝な表情に、オーレンの勢いは復活する。


「ええ、そうです姫! 私が貴方を暗殺しようとした証拠、暗殺者を雇い入れているという証拠、そしてその革命軍とやら﹅﹅﹅を支援していたという証拠!

 そこまで仰るのであれば、私がそれらを行なった確固たる証拠が存在する筈です! もし姫の仰った事が真実であるならば、堂々とそれを開示すれば良いでしょう!?」


 そう。彼の大きな自信の中で、揺らいでいない部分が一つあった。


『証拠がない』という事実。


 暗殺された人間の調査を今からやろうとしても無駄だ。痕跡は隠されており、この世界の技術では精度の高い情報とは言えないだろう。

 暗殺者に自供を促すか。それこそ馬鹿馬鹿しい。彼らは金が払われる限り雇い主に忠実だ。情報を吐き出すくらいであれば自ら死を選ぶほど。

 では革命軍の人間を問い詰めるか。とんでもない話だ。何せ彼らを切り捨てる事を前提にして動いていたオーレンは、最初から彼らに自分に繋がる情報を与えなかった。


 つまり、証拠などある筈がないのだ。


 小さな一欠片程度なら見つかるかもしれないが、そんなものはランドルフ・オーレンの権力を持っていれば幾らでも潰す事が出来る。

 それを行えば――当然、彼は無罪になるだろう。

 さて、そうすればこの状況どうなるだろう。

 確かに、姫を偽物だと糾弾した自分は罰せられるだろうが、そこまでだ。司法に直接的に関わる事が出来ない姫が独断で判決を下す事が出来ない以上、判断はその裁判を行う貴族に行われる。

 ギーヴ・フラグレントの息がかかった人間であればかなり難しい状況になるだろうが、上手く金を握らせたり利権をくれてやれば、無罪放免とはいかなくても投獄や死は免れるかもしれない。

 この身一つあれば、コネクションで他の国に行き再び権力を手にする事も、上手くやればこの国を再び乗っとる事も可能かもしれない。

 ここを乗り切れば、再び立ち上がる事は可能だ。

 今までにも大きな困難を乗り越えてきたオーレンには自信があった。

 このままいけば、




「――私が、それを裏付けましょう」




 エリザベスでもない。

 オーレンでもない。

 ましてや、ギーヴでもない。

 今まで口を開かなかった人間の声が、はっきりと壇上に、そしてこの広場を余す所なく広がっていく。

 今まで波のようにうねっていたその広場の喧騒は、そのたった一石で再び静かにさせられた。


「――は、」


 オーレンは勝ち誇った笑みを石のように固め、その声がした方を見る。

 その者は壇上の中でも一番高い所に立っていた。フードを目深に被り、金属がぶつかり合う小さく、しかし清廉な音を響かせながら錫杖を振るう。


「言った通りです。ランドルフ・オーレン議長。エリザベス姫が述べた言葉を、私が全て真実だと保証します。




 二十四代目勇者、サンシャイン・ロマネスが全存在を賭け、ランドルフ・オーレンの有罪を証明します!!」




 ――本来は小さな一石だったそれは、巨大な巌に変化した。

 《勇者》が自分の立場など全てを投げ打って証明するという事は、この世界において何よりも重い。

 彼らの、彼女らの言葉は重い。

 世権会議から与えられた立場。

 過去の実績。

 そして中立中庸であるというスタンス。

 《勇者》の口にされる言葉に脚色や誇張、ましてや嘘など存在しない。少なくとも平民達はそう思っているし、貴族達も当然その言葉を安易に否定する事は出来ない。

 神の声にも匹敵するその言葉に反論出来る人間は、この場には、誰もいない。




 だから証拠など無くとも、エリザベスの糾弾は真実に変わる。




 これは、かなりの賭けだった。

 ランドルフ・オーレンの自信は間違いではない。彼は巧妙に証拠を隠し、あるいは消去した。それは同じくらいの手腕を持つギーヴにも発見が出来ない程の出来だった。

 証拠が無ければ、最後まで彼を追い落とす事が出来ない。

 少なくともサシャと、今回裏で起こっていたあらましを全て聞いたエリザベスさえもそう思っていた。

だが、それをギーヴ本人が否定した。


『《勇者》殿。貴女はまだ自分の立場を理解していないようですね』


 《勇者》という存在は強力なのだ。

 確かに、その国一つ一つの舞台で中心人物になる事は出来ない。あくまで彼女は裁定する側の人間であって当事者ではない。

 それは逆説的に――だからこそ﹅﹅﹅﹅﹅強みになるのだと。

 彼女の発言、彼女の行動は全て世権会議に権威を裏打ちされている。

 つまり彼女が決定した言葉は、この世界のほぼ半分が同意したものなのだ。

 その権力は身を優に越す大剣ほど重苦しく、簡単に振るえない、簡単に振るってはいけない物だ。

 だからこそ――振るわれた時は、最上の効力を発揮する。

 然しものオーレンもまた、その言葉の重みを跳ね除ける言葉を持ち合わせてはいなかった。

 《勇者》が敵に回っているとは思っていなかった……いや、そもそも姫を最初から守っていた傭兵というのが、《勇者》の《眷属》だとは思っていなかったオーレンの失策だった。

 呆然とする彼の目の前に、ゆっくりとした足取りでエリザベスが近づき、自分より高い場所にあるオーレンの目を睨みつける。

 真っ直ぐな目で。

 真っ直ぐな姿勢で。

 真っ直ぐな言葉をぶつける。




「さぁ、ランドルフ・オーレン――自分の無罪を証明してください﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅




 空気が変わる。


「――そうだ、」


誰かが言った。


「そうだ、証明しろ」


 批難の感情と言葉の向きは、完全に変わった。

 今やこの場に、エリザベスの敵は一人もいない。

 味方でもないのかもしれない。平民はただその熱に浮かされているだけなのかもしれない、相も変わらず貴族達はただ傍観を決め込むだけだった。

 しかし、この場の空気は、状況は、




 全て、エリザベスの味方だった。




「証明しろ、」

「証明しろ、」

「証明しろ、証明しろ、証明しろ!」

「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」「証明しろ!」






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