其ノ三
「――では、どう証明すれば宜しいのでしょうか?」
誰の声だろう。
その場にいた司祭も貴族達も、非難の声を上げていた群衆達も、そしてその声の主を知っているはずのサシャでさえも一瞬そう思った。
そんな周囲の空気を気に留める様子もなく、偽物だと疑われる少女は仮の玉座から立ち上がり、ゆっくりとオーレンの前に進み出る。
「証明する方法がなければ、証明する事は出来ません。
顔を出しましょうか? それとも、その家の家紋が付いた短剣でも振るいましょうか? それとも私が涙を湛え、『違う私は本物だ』と慟哭すれば、貴方達は信じてくださいますか?」
その言葉に、誰も返事をする事が出来ない。
ただ感情で叫んでいた平民たちも同様に、ただ彼女の声に耳を傾けていた。
不思議だ。
どうしても彼女の話を聞かなければいけない。
何故か心の底に芽生えた感情は貴族も平民も関係なく、そして同じく貴族も平民も関係なく沈黙し、彼女の声に耳を澄ませていた。
「違いますよね? 本当は、別に証明してもらいたいとも、思っていないんじゃないですか?
だってそんな事、
沈黙は一瞬だけ、ざわめきを生む。
何を言っているんだ。どういう意味なんだ。そんな内容の話をし、困惑の表情で隣の人間を向き合い、あるいはおろおろと周囲を見渡している。
この中で冷静さを保っているのは、ほんの数人だった。
その中の一人、オーレンは飲まれた空気を振り払い、相変わらず芝居染みた話し方をする。
「これは聞き捨てなりませんな。どこのどなたが存じ上げないお方。
貴女がどういう経緯でその玉座に座っていらっしゃるかは知らないが、そこは王になるお方が座る場所。『どっちでも良い』なんて事あるはずもない」
「そうでしょうか。本当に」
少女は自分に向けられた力強い言葉を、柳のように受け流す。
「だって本当は、王様なんていらないのでしょう?」
ざわめきは、より一層大きくなる。
「……失礼、お嬢さん。論点がずれているように感じますが?」
オーレンは、そんな言葉を聞きながらも、終始笑顔を浮かべている。
だが彼を知るものならば分かるだろう。
その目が先ほどまで浮かんでいた愉悦や欲望はもはや消え去り、今はただ鋭い冷気を伴う、普段見る『政治家としてのオーレン』の目だと。
「いいえ、何もずれてはいませんよ。貴族の皆さんが求めているのは『自分をより富ませる都合のいい人物』。平民の方々が求めているのは『自分達を助けてくれる人物』。
――ただ自分の都合の良い人を求めている。例えその人物が『無理矢理に王様にさせられる王の隠し子』でも、『その影武者』だったとしても、どうでも良い。
大事なのは、自分達の利になる、助けになる人間がいれば良いんだから」
少女の歩みは止まらず、オーレンを通り過ぎ、舞台ギリギリに立つ。
貴族と平民達を区切る高低の壁。帰属も平民も立っていない場所にただ一人立つ。
そうして一度くるりと振り返りオーレンを、いや、その舞台に立っている貴族全員をフードの奥から見詰める。
「――いい加減にして」
声の質が変化する。
冷静で、礼儀に溢れた貴族の少女はもういない。
激情を必死で押し殺していたただの少女は声を上げる。
「貴方達は、自分の事しか見えてない。自分達が良ければ、他人は不幸でもどうでも良い……ううん、自分が幸福であれば他人なんか不幸に
私はそんな貴方達が嫌い。
こっちの都合なんて気に求めず、金を食う豚な貴方達が嫌い、私を利用するだけしか能がない貴方達が嫌い」
ぽかんとする貴族達を無視して、今度は広場に集まっている平民達にその視線を向ける。
「私は、貴方達も嫌い。誰かに助けてもらおう、きっとこの人だったら自分達の
いい年齢の大人が成人したばかりの女に自分の不平不満をぶつけて、他人に煽られれば平気で避難する貴方達が嫌い」
視線を空へと向ける。
まるでこの国全てを睨み付けるように。
「――私はこの国が嫌い。
誰も彼も、私に全てを押し付けようとするこの国が嫌い。だってそうでしょう? 私の幸せも私の願いも、全部貴方達には関係がないんだもの」
それはもはや、釈明でも説得でもない。
ただ一人の少女の吐露。
ただ不満をぶつけているだけ。
なのに、その場に誰も止める者がいないのは、何故なのか。それは彼女の言葉には、ただ暗い感情が乗っているだけではなかったから。
真っ直ぐな信念がある。
意思がある。
後ろ向きで排他的なものではない――想いの強さが、はっきりと現れていたからだ。
「その上、ここにいる全ての人が、私そのものを否定する。もう、行き過ぎて笑ってしまいそう。
とうとう私は、他人にすら自分を認めて貰えないんだって、一瞬絶望したわ。
――でも思ったの。皆が好きにやっているのに、私が好きにしてはいけない理由はないって。これも、ある人から言って貰えただけかも知れないけど……それでも、私は私のしたいようにする」
ゆっくりとフードを取る。
少女の髪はまるで陽光のように金色に輝き、
その瞳は今日の空を切り取ったように青く、
その表情には、目には、姿勢には、言葉には、そして心には、
「私の名前は、エリザベス・ショコラディエ・シルヴァリア。この国の先王、ヘンリー・三世の娘!
私には何もないけど、〝私〟である事だけは絶対に否定させない!!」
王ではない筈でありながら、まるで一角の王のような覇気を持っていた。
◆
走る。
走る。
走る。
特有の万能感があるから、こちらを殺しにかかる矢も短剣も怖くない、って事もない。
――オレは今、気分が随分高揚していた。
全力で〝ナニカ〟を護れている感覚。
背中を仲間に護って貰っている感覚。
それらはきっと、オレの心のそこにいるもう一人の〝俺〟が求め続けているものなんだろう。
記憶なんていうものがなくても、オレと忘れ去ってしまった〝俺〟が同一人物なのだと実感できる唯一の証。
それを今、肌で、心臓で、感じている。
「――どりゃッ!」
正面から降り注ぐ短剣を盾で弾き飛ばし続ける。
オレの動きが少しでも止まるだろうと、甘い考えで前を立ちふさがる敵を、その勢いだけで吹き飛ばす。
それ以外のものは、全て無視した。
横から来る矢も、屋根の煙突から飛び出してオレと彼女を襲おうとして飛び出してくる
連絡を取り合う手段を持っていない以上、オレとウーラチカが出来る事は『信頼しあう事』だけだった。
このくらいだったら、オレは乗り越えられる。
この程度の事なら、ウーラチカに任せれば良い。
他人から言えば他力本願のように思えるかもしれないが、そもそも一人で出来る事なんて限られる。
仲間がいる。
それだけで選択肢は、万倍にも増える。
ただ――、
「きついもんは、きつい!」
思わず弱音の混じった文句を零す。
力はあっても体力はない現状で女一人抱えて走りっぱなし。
おまけに『
当然そんな事はないってのは分かっているが、連中も馬鹿じゃないし、その道のプロだ。前に進む事を前提にしているオレに対して、行動不能にならない程度に被害を抑えている。
つまり、倒しても倒しても立ち上がって、襲ってくる。
おまけに人数がいるからローテーション組んで休む事だって難しくはない。反面オレは前に進んではいるが、その所為で速度は遅々としたものだ。
「ちくしょう、とっくに舞台は始まってるって言うのになぁ」
進行方向の、まだ遥か先に見えるであろう戴冠式の舞台を見据える。
それなりに距離が離れているとはいえ、その騒ぎは聞こえている。証明しろという国民の叫び声も、それがいきなり静かになってしまったのも。
それがオレの主人の仕業なのか、それともフラグレント院長の策略なのか、それとも俺の知っている馬鹿姫の
逸る気持ちを押し込めながら、一歩一歩確実に前に進む。
オレが今やらなければいけない仕事は一つだけ。
それは、
「……いや、もう良いんじゃない?」
胸元辺りから声が聞こえる。
抱き込んでいるコイツだ。
「状況を判断にするに、もうとっくにばらしているのか、あるいはばれているか。そうじゃなくても、もうそれに近い状況なんじゃない?
だったら、今更『群体蟻』を引き付けておく必要性はない。違う?」
「……いいや、まだ早い。まだもう少しこっちに目を向けておいて欲しい」
オレの言葉に、未だに抱きしめられている女は笑う。
「ハッ、アンタって意外と過保護?」
「何でそうなるんだ!?」
思わずそう怒鳴り返してしまうが、女の笑いは止まらない。
「だって、舞台にはこっちの仲間だって沢山いるんだろう? 奴さんの雇い主だって馬鹿じゃない。正直ここに『群体蟻』を引き付けておく必要性なんかないんじゃないかい?
にも拘らずそんなに拘るなんて……ちょっとでも自分の主人や姫様が傷付くのが、嫌なのかい?」
「………………」
オレの答えは、黙秘権という名の肯定だった。
どんなに安全を保証されたって、そこにオレはいない。安全だという確証を得られない以上、警戒はしたってし足りない。
――付き従うと誓った女と、護ると約束した女。
二人が同時に鉄火場に立っているのにそこに居ないっているのは、自分で考えた作戦ながら不安になってくるのは当然だ。
「まったく、過保護で心配性、おまけに傲慢だね。自分だったらどんなのも護れるって。
《眷属》様らしいというか、人間としては危なっかしいというか……でも、嫌いじゃないね」
フードの奥にある口元には、想像したより優しい笑みが浮かんでいた。オレとそう変わらない年頃に見えるのに、母性すら感じるような。
「こんな状況じゃなくて、アンタが普通の傭兵だったら、一晩付き合ってもらうんだけどね」
……前言撤回。こいつの中に母性なんか認めたくはない。
「でもこうなった以上、アンタが一番大事な目的は『敵を引き付ける』から『さっさと《勇者》と姫様の元に向かう』だろう?
だとしたら、私のお守りをしている暇はない――良いからとっとと下ろしな」
――その言葉に、オレは黙って従った。
文句の一つも言いたかったしそもそもコイツの命令に従う理由はなかったんだが、それでもこいつの言葉には充分な説得力があった。
周囲を警戒しながら立ち止まると、女はオレの腕から飛び上がるように降りると、その勢いを利用して来ていた外套を脱ぎ捨てる。
金髪と碧眼は姫様と同じ、しかしその肢体と顔つきは少女のものではなく、当然それは、彼女が姫ではなかったからだ。
「ゴミはゴミが、虫は虫が、
――ここからこの戦場『
……入れ替わったのはあの事件の後、『勇者の小道』を使って王都付近に行ってすぐだった。
城壁から少し離れた狩り用の東屋で合流した姫や『七節擬』に、オレは作戦を披露したんだ。
姫と影武者をこのタイミングで入れ替える。オレ達を全力で追う為に、王都や城内に忍び込んでいる『群体蟻』は殆どが街道でオレ達を見張っているだろうと判断したからだ。
このタイミングで入れ替えればきっと気付かない。連中は姫が影武者だと
そして影武者が姫だと
これがオレの作戦だった。
エリザベスとサシャは危険だと拒んだが、遠距離通信用の
何より、姫と《勇者》に危険を寄り付かせないって所が大きかったんだろう。実際、オレも底を重要視して考えた案だ。
危険をなくす事は出来なかったが、少なくとも最小限には出来た。
だからオレが連れていたこの女は今この場にいる『七節擬』のリーダーである、マルタと名乗った女で、
壇上できっと今も戦っている女は、ここ数日すったもんだありながらオレと旅をした姫様その人なのである。
その
「……良いのか?」
もう一度確認するようにオレが言うと「フンッ」とマルタは鼻を鳴らす。
「そりゃあ《眷属》様に比べりゃ役不足かもしれないけど、こっちは頭数も揃ってんだ。舐めてもらっちゃ困る」
オレの言葉の何が悪かったのか、不満そうな声だ。
「いいや、そういう意味じゃなくて――出来るだけ、死ぬな。
今日は、誰の死だって見たくはない」
折角、あのお転婆姫が覚悟を決めた日なんだ。
折角、この国が変わろうとしている日なんだ。
そんな明るい未来のために進む道に、一時でも仲間になった人間の死体が転がっているってのは、いい気分じゃない。
――いや、仮に今日じゃなくたって、本当は嫌なんだが。
「………………」
「? なんだよ、唖然とした顔をして」
「……いいや、別に。変な奴だと思っただけだよ」
その言葉と共に顔を逸らされた所為で、どんな表情をしているかは分からなかったが、少なくとも馬鹿にされている印象は感じなかった。
オレは軽くなった体を解してから、上半身を傾ける。
前の世界で言うところの、クラウチングスタートってところだ。
前に進むために――目的地に一歩でも早く着く為だけの姿勢。
「んじゃ、後はよろしく」
次の瞬間――走る。
走る。
走る。
走る。
今まで以上の速度で風景は視界の後ろに流れ、影を踏ませない勢いで。
護らなければいけない人たちの下に走る。
◇
「――出来るだけ死ぬな、ね」
雷光のように走っていった《眷族》の男を見て、思わず笑う。
暗殺者というのは、傭兵と違って犯罪者だ。今この一件では《勇者》の味方について、しかも裏切れない状況だからこそ味方になっているだけで、本当だったら逃げている。
何せ見つかった瞬間捕まるか、殺されるからだ。
そうならないのは、あくまでフラグレント院長をそのような犯罪の所為で失墜させない為――とさっきまでは思っていたのだが、実際自分の考えていた事は間違っていなかったようだ。
《勇者》もその《眷属》も、危なっかしいほどお人好しだった。
その絶対的な地位と力がなければ、多分とっとと見知らぬ場所で誰かの為に死ぬようなタイプの。
「……まぁ、そういう奴の方が良いのかもしれないね」
《勇者》とは正義を執行するカラクリで、《眷属》はその手足。
裏社会で生きるマルタからすればその程度の認識しかなかったそれが真っ当に〝人間〟している事が分かっただけで、充分だ。
――強いていうなら、《眷属》が思った以上に良い男で、手を出すのは絶対に無理だという事。
「全く、良い男ってのはそんなんばっかだね」
マルタは肩をすくめながら、懐から一つの笛を取り出す。
骨をそのまま切り出したかのような笛を、一呼吸するだけで吹いた。音は、聞こえない。聞こえたとしても、まるで風が通り抜けるような微かなものだ。
しかし、それだけで周囲の状況は変化する。
どこかで悲鳴が聞こえる。
どこかで戦闘の音が聞こえる。
そして群衆、屋台を開いている店員、警備しているだろう兵士が、人知れず姿を消していた。
――暗殺者は多かれ少なかれ特殊な訓練や手術で、通常の人間では出来ない事が出来るようになっている。
この笛もそうだ。犬笛と同じように人間には聞こえない周波数で鳴るように作られており、聞こえるのは動物か、『七節擬』だけだった。
それだけで、この王都のいたる所に紛れ込んでいた仲間が動き、潜んでいる『群体蟻』を炙り出し、倒し、あるいは拘束している。
「……さて、約束は守らないとね」
ここ一帯にいる『群体蟻』を引き付け続ける。
それが、自分のやるべき事だと、マルタは理解し、実行していた。
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