其ノ二






 さて、これからどうするか。

 一頻り笑った後、オレの頭の中にそんな言葉が過ぎった。

 明るく笑い飛ばしては見たものの、状況的には余りよろしくない。なんて言ったって姫を助けるべき人間であるオレもまた捕まっているんだから。

 拘束されているのは地下牢。

 姫の様子を知ることが出来るというメリットはあるものの、出入り口が一つという状況は大きなデメリットと言わざるを得ない。


 しかも問題は、手枷だ。


 ガチャリと軽く手を振ってみるが、こんな古めかしい館に合ったとは思えないほど頑丈で新しいそれは、きっと『群体蟻アンツ』の連中がつけたものだろう。

 捕まれば誰も助けに来てはくれない傭兵家業。手枷を外したり逃亡したりってのは習ったが、プロ仕様のものを、素人に毛が生えた程度のオレに外せる訳もない。

 最悪手首の関節を外せばいけるけど……そうなると、問題はここから逃げる際の戦闘に支障が出るって事だ。脱臼って治した後もそれなりに痛むし、それが戦う上で邪魔になる可能性は否定できない。

 挑戦するには、あまりにもリスクが高い。


 かといって、簡単に『助けを待とう』とも素直に言い辛い。

 だってエリザベス、サシャオレの主人の事何も知らないし、それを信用しろってのはちょっとなぁ。

 それにオレがあいつと話をしたのは、日も暮れ始めてすぐ。

 窓の外を見ればまだ月明かりが差し、まだ当分夜は明けないだろう。サシャがオレ達の以上を察知するのにはまた次の夜がやってくる頃。

 そこから何かしらの援護を首都から差し向けるとして、普通なら三日。早くても二日って所だ。その間オレ達が無事でいられる保証はどこにもない。

 かなりの反則技を使わない限り、すぐに助けられる、何て話にはならないだろう。


(……まぁ、オレが知っている一つあるんだけどな、その『かなりな反則技』って)


 《勇者》がいくつかの特権や特殊な技術の保有を認められているのは、ここまで付き合ってもう充分分かっている事だが、とある特殊な状況下にのみ許される方法が、あるにはある。

 でも、アレはよっぽどの事でない限り《勇者》とその《眷属》にしか許されない代物だ。《眷属》一人と姫様一人の命程度﹅﹅じゃ使えない。

 そういう部分も含め、文句を言う《世権同盟》上層部が嫌いなんだが。

 そもそも援軍ってのも、この国の中じゃ望み薄……うん、やっぱり自分で抜け出すのが安牌かもしれない。


「ちょ、ちょっとっ。急に黙ったりなんかして、まさか、死んでないでしょうね?」


 こんな状況に慣れていないからか、随分な杞憂の言葉を、エリザベスの不安な声色が飾り立てる。


「ああ、心配すんなって。ちょっと逃げ出す為に、どっちの手首を先に外そうか考えてただけだよ」

「なんだそんな事で――え、手首? 手首って外れるの!?」


 一瞬オレの言葉に素直に納得しかけていたが、すぐに素っ頓狂な声が正面の牢屋から聞こえる。

 おいおいこのお嬢様何言ってんだ外れるに決まってんだろう……なんて言葉が口に上りそうになってすぐに飲み込んだ。

 そうだよな、うん。

 関節ってそんなに簡単に外しちゃ駄目だよな。


「ああ、まぁ関節くらいは慣れれば。ちょっとコツがいるけど」

「そ、それって痛くはないの?」

「なぁに言ってんだ――痛いに決まってんだろうが」


 出来るだけ明るく言ったつもりだったが、ヒッという引き攣った悲鳴が響く。

 関節ってのは癖がついて、コツさえ身に着ければ簡単に外れるようになるものだ。問題はその痛み。

これがまた、めちゃくちゃ痛い。

 普段外れてはいけないものを外しているのだから当然だが、自分から外してしかも自分で入れるってのは結構勇気がいるものだ。

 ……今までさんざん、普通っていう基準を軽いノリで飛び越えたような知識や技術を仕込まれてきたが、その中でも一番嫌いなジャンルだ。

 喜んでやる奴は異常者だし……実際見た事があるソイツ等は、紛れもなくイカレていた。


「そんな簡単に明るく言う事じゃないでしょ! 貴方狂っているんじゃないの!?」

「失礼な、オレはまともだ。

 これ以外に手枷を外せる手段がない。手枷を外せなきゃ、ここからアンタを助け出す事が出来ない、助け出せなきゃ、アンタもオレも死ぬ――な? 単純明快だ」

「単純すぎておかしいのよ!」


 信じられないっ、というこちらとしては少々不愉快な言葉と共に、エリザベスは立ち上がった。


「それなら私が牢を壊すなりなんなりする方が、まだ現実的だわ!」

「おいおい、その話のいったいどこが現実的なんだ? アンタが鉄格子を破壊出来るなら、俺はこの状態で月だって破壊出来るね」

「何それ、無理って言ってるつもりなの!?」

「おやおや、お嬢様には下賤な者の冗談は通じませんかねぇ」

「くうッ、さっきから聞いていればっ……信じたいという私の言葉を今すぐ撤回するわ!」

「一度口から出ちまったもんはもう飲み込めないからなぁ」


 次から次へと言葉が出る。

 まるでサシャと話しているように思えるかもしれないが、あっちはどちらかと言えば兄弟喧嘩ってところ。

 だが、こっちは――言い訳はしない、ただの子供の喧嘩みたいなもんだ。


「だいたい貴方はいつもそうやってっ、」


 もはや声を潜める事すら考えない。エリザベスが大きい声を出そうとした瞬間、


 ドガンッ!!


 豪快な音で壊れる蝶番。

 その数瞬後に、地下牢と上の部屋へ向かう階段を隔てた扉は、土煙と共にこっち側に倒れ込んできた。


「ッ、下がれ!!」


 咄嗟の言葉に、エリザベスは恐怖もあってか意外と素早く反応してくれた。

 まるで飛び跳ねる飛蝗の様に後方に飛び縋り、出来るだけ距離を取ってくれているのが視界の端に移り込んで、少しだけ安心する。

 ……扉を強引に破って入ってきたのは、『群体蟻』と同じような、黒尽くめの集団だった。

 ぱっと見るだけならば違いがあるように見えない。しかし良く見てみれば、三人という奇数で行動している事と、その動き『群体蟻』で、連中と違う事が分かるだろう。

 コソコソと忍ぶように足音を殺す連中とは違い、こちらはそれほど隠密を重要視していないのか、歩き方そのものは普通だ。正直、一般人との違いを感じる事が難しい程、普通だ。

 まぁ、どっちにしろ、『群体蟻』であったなら、最初から普通に部屋に入ってくるだろうし……、


「――悪いんだけど、ここに押し込み強盗しても、あんまり金目の物はないと思うぞ?」


 軽く冗談を言ってみると、三人はこちらに視線を向けると、三人で見合わせてから頷き、




 まるでオレに傅くように頭を垂れた。




「トウヤ様、サシャ様よりの御命令により、貴君と姫君の救出に参りました。

 詳細は、出来ればこの牢を出てから御説明致したく、今はただ御同行願えればと」


 その声の雰囲気で、女性だという事が良く分かる。

 そして、オレのご主人様を『《勇者》様』という誰もが呼ぶ名称でも『サンシャイン・ロマネス』という本人が余り好きではない本名でも呼ばない。

 オレ達のような近しい人間には必ず呼ばせる愛称を使ってくる所を見れば、ほぼ確定と言っても良いだろう。

 それでもオレは聞く。


「……証拠は?」

「今は何とも。サシャ様の言葉をお借りするなら――『貴女達を信じるかどうかは、トウヤの判断に任せる』とだけしか頂いておりませんので」


 ああ、それは――言いそうだな、確かに。




「ああ、ご主人様よぉ。いったいどんな反則技を使えばこうなるんだよ」




 未だに滴垂れる天井を仰ぎ見ながら、この場にはいない雇い主に、文句とも感謝とも取れる言葉が漏れた。







 時間を数十分前に戻そう。

 地下牢の上は、簡単な居住スペースになっていた。

 名前も知らない後援者の力により確保されたこの屋敷は、自称革命軍の集会所、とは名ばかりの酒盛り場に成り下がっている。

 テーブルも椅子も、食器も何もかも用意されているが、他に用意されている物と言えば酒のつまみになりそうな干し肉や酒樽のみで、叛乱に使えそうなものは何もない。

 本来ならばあって然るべきな叛乱に必要な書類などどころか、まともな武器一つも置いていない。

 まともな人間ならばここを革命軍の本拠地とは思わないだろう。実際本質を抜き出してみれば、いい歳をした若者たちの秘密基地と言ったところだろう。

 もっとも、そんな所に苦言を呈するような人間は、今この場に一人もいない。

 いるのは夢想の中で王様を気取って言うリチャード青年と数人の暗殺者アサシンのみなのだから。


「エリザベスを殺すというのは、いったいどういう事だ! 彼女は叛乱を行う上で重要な駒じゃなかったのか!?」


 テーブルの上に置かれた杯から酒が零れるのも気に留めず、リチャードは力いっぱい拳を叩き付ける。


「そうは言いましても、これは『親方様』の命令にございますれば」


 そんな態度にも、目の前の『群体蟻』は眉一つ動かさない。

 何せ彼らにとって主人とは、金を出す人間の事を指す。今の主人は今彼らに金を払っている〝同志〟であり、目の前で偉そうに怒鳴っているリチャードにはその男に言われて従っているに過ぎない。

 つまり、ただうるさい人形程度にしか思っていないのだ。

 だがそんな事を知らないリチャードに関係はなかった。


「うるさい! いいから黙って俺のいう事に従え! エリザベスは生かしておく! 他の選択肢などあるはずがないんだ!!」


 傍から見れば、仮初とはいえ恋人であった女性を護っているようにも見える。

 しかし実際のところ彼の心を支配しているのは、単なる打算と支配欲だった。

 このまま叛乱が上手くいけば――彼の頭の中では仮定ではなく既に決定事項ではあるが――この国は実質的にリーダーを失う。

 民主主義的な国を作るにしても、代表やリーダーは必要になる。

 いくら腐った国の王族であっても王族は王族。その立場を利用すれば、現在革命軍を実質的に指揮している自分がそのままリーダーになれる。

 一国の頂点に、君臨する事が出来るのだ。

 これで醜女だったならば駒として利用するだけに留めておくところだが、彼女にとっては不運にも、容姿的には優れている。

 それを自分の手に支配し続けるという状況は、リチャードの支配欲と嗜虐心を程よく刺激するものだった。

 だから彼は、エリザベスの殺しを断固として認めない。

 その頑なな姿に、『群体蟻』は少々困ったように目を合わせあう。

 彼らの雇い主の計画を考えれば、目の前の男には利用価値がある。もうしばらくは国を揺るがす革命者どうけを演じて貰わなければ困る。

 されどここまで面倒な男になってしまっては、自分達の行動に支障が出るのもまた事実だ。姫は利用価値がないどころか、死んで貰わなければ困る存在なのだから。

 両方とも生かしておくか、両方とも死んでもらうか、どちら方が今後都合が良いのか考え、


『――殺してしまうか?』


 ほんの少しの目配せでそう結論付けた二人は、そっと懐からナイフを取り出し、リチャードに近づいた。

 リチャードは殺す。

 姫も殺す。

 あの傭兵だけは生かして雇い主の所へ。

 なに、ここでいくら騒がれた所で、人里慣れたこの場所で気付く人間はいない。幸い外にはあと数人の仲間が見張りを行っている。

 もし人がくれば彼らが知らせてくれるし、少人数であればあっちで片付けてくれるだろう。

 そう思って、『群体蟻』の片割れがチラリと窓の外にいるだろう仲間に視線を送り――、


「――?」


 いない事に気付く。

 その頃には、既に後の祭りだった。




「動くな、小さき蟻」




「ッ!?」


 即座に動くが、既に手遅れだった。

 まるで影から抜け出したかのように、自分達とは違った黒尽くめの二人が、『群体蟻』達を羽交い絞めにしていたのだ。

 一瞬の出来事。

 まさにそう言うに相応しい早業で。


「な、なんだいきなり、どういう事だ、なんで、――「騒ぐな」カフッ!?」


 状況に追いついていなかったリチャードは悲鳴のように叫ぶが、それもすぐに一人の女の言葉と共に消えてなくなった。

 暗闇の中でも灯りに鈍く反射する針が、リチャードの首筋に突き刺さり、昏倒したのだ。


「単なる眠り薬と麻痺薬の混合薬だ。死ぬほどの薬ではないよ」


 影の中から、声の正体がふらりと這い出てくる。

 地下牢ほど灯りに乏しい訳ではないこの部屋ならば、その体の起伏と声で間違いなく女だと分かるだろう。全身が闇に溶け込めるような黒い服に身を包み、顔にも同色の布が覆われている。

 その中で姫と似たような金髪の前髪と青い双眸だけが、光り輝いている。


「貴様らいったい、」

「何者だ、なんて間抜けな言葉は聞きたくないね。御同業だが仲間じゃない、って事くらいは分かるだろう?」


 『群体蟻』の一人の言葉に、黒装束の女は粗暴に返事をする。

 その声から察する限り、あまり良い気分ではないというのは充分伝わってくる。


「あんた等には雇い主を吐いてもらいたいところだが、正直拷問の手間もほしい。

 それにあんたらが『群体蟻』だってだけで、こっちには都合の良い条件をもらえるんだ。だから――とっとと寝な」


 その言葉と同時に、『群体蟻』の二人にもリチャードと同じ針が刺される。

 普段であれば、軽く抵抗くらいは出来るものだが、暗殺者謹製の毒は暗殺者自身をも対象にした毒。すぐに体に回り、二人は即座に気絶した。


「姐さん、面倒くさいのは分かりますが、そんな八つ当たりしたってしょうがないですよ」

「むしろこんな事やって俺らや〝バン〟が無事なら充分じゃありませんか。おまけに、《勇者》様の重要機密まで教えてもらったんですから、結果は上々じゃないですか」


 羽交い絞めにしていた二人の男の言葉は、実に暢気なものだった。

 勿論、戦闘技術において『群体蟻』と自分達がそれほど離れている訳ではなく、危険な事だったのは変わらない。

 しかしあちらが主眼に置いている『数』は揃っていなかった上、こちらにはそれなりの人数に、しかも自分達までいた。状況もそれほど悪くないのでは、とでも思っているのだろう。

 そんな二人に、女はマスクを取りながら怒鳴る。


「冗談じゃない! むしろあたしは、あんな秘密知りたくもなかったね。知ってるってだけで殺される可能性がある秘密なんて欲しくもない!

 あ~もう! お姫様のフリしてのんびりやるつもりが、すっかり私らジリ貧じゃないかまったく、どんだけ運がないんだい!」


 顔が灯りに照らされ、その正体が分かる。

 彼女の今の名はマルタ。

 ほんの数時間前まで、エリザベス姫の影武者を勤めていた、一匹の『七節擬スティック』だ。


「やれやれ……とりあえず拘束し終わったら、王女様と《眷属》様を救出に向かうよ。とっととしな」


 同業者を生贄にしない限り助からないこの状況。

 そんな状況で、マルタの気分はあまり良いものではないのも、無理からぬ話だった。






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