7/常闇に差す光明






 ポタリッ、ポタリッと、水滴が落ちる音が反響する。

 捕まった時に雨は降っていなかったし、格子の嵌まった窓を見ても滴は垂れていない。代わりにほんのりと月光が零れているのを見る限り、今もまだ降っていないのだろう。

 きっと上で、どこかの誰かが盛大に水浴びでもしているんだろう。

 本来なら気にしないような事が気になってしまうのは、きっとさっきまでしこたま殴られた所為だろう。体力が落ちている状態だと、変な方向に思考がいく。

 『群体蟻アンツ』にお姫様諸共捕まったのは、今から体感で三、四時間前だったように思う。

 武器と装備は当然の如く没収され、二人でこんな屋敷にはそぐわないレンガ造りの地下牢に閉じ込められ、ちょっと前までオレは雇い主を吐くように〝説得〟されていた。

 ……別に茶化している訳じゃない。言葉だけじゃなく、ちょっとした拳や脚での殴打やら、刃物で皮膚に傷をつけたりだとか、そういう物理的な〝説得〟が足されただけ。


 ありがたい事は二つ。


 本人達は殺す気がないのか、物理的な手段を使った〝説得〟はそう大したものじゃない。これでも戦いの場に身を置いていたオレにとっては、嫌なもんだが慣れている。

 もう一個は、ご丁寧にも《眷属》の証、《勇者》の紋章を隠している包帯は取らなかったって所だ。大した事じゃないと本人達は思っているんだろうが、これが一番嬉しいニュースだ。

 雇い主を吐かないどころじゃないからな、これ見られたから。

 少ないながらも血を失っているのと、顔をぶん殴られた所為で軽い脳震盪は起こっているのかもしれないが、死ぬ事はないだろう。連中が両手を鎖で繋いでくれたから、座るのも難しいけど。


『少し休憩にしよう』


 そう言いだしたのは、離れた場所で〝説得〟を見守っていたリチャードくんだった。アイツの言っていた過去が事実なのであれば、平民出身。

 そんな男が血の流れる拷問を延々と見ていられるほど腐ってはいなかった事に感謝するべきなのか、この地下牢にはオレと、向かいの房に閉じ込められているエリザベスのみとなった。

 さっき見た窓って言うのは、もっとちゃんと言えば空気穴みたいなもんだ。だからそれほど月光は入ってこないし、灯りもないこの地下牢は薄暗いというにはもう少し暗い闇に包まれていた。

 聞こえてくるのは、水滴が落ちる音だけ。

 ――だから、心配になってくる。


「おい、お姫さん。無事か?」


 エリザベスがいる方向に声を掛けると、ジャリッと、床の土を擦るような物音が聞こえてくる。

 幸い、体を動かす事は出来るらしい。

 オレが拷問されている間、泣いたり喚いたりしていたのに、途中から聞こえなくなっていて心配したんだ。

 連中がオレに意識を向けていたから、エリザベスが何かをされたとは思えない。

 だけどオレの〝説得〟風景は慣れていない人間にとっては相当スプラッタなもんだったし、ほんの数日とはいえ隣に立っていた男がそんな姿にされていくのは、精神にクるものがある。

 それで壊れたりして貰っては、彼女の命を惜しんで投降した意味がなくなる。


「……ごめんなさい」


 次に聞こえてきたのは、まるで蚊の泣くようなか細い掠れ声だった。

 暗闇の中で相手に見えないと分かっていても、オレは勤めて明るい笑みを浮かべ、殴られた腹の痛みを我慢しながら陽気に答える。


「何謝ってんだよ。オレを痛めつけたのは連中であってアンタじゃない。謝る必要性なんか、これっぽっちもないんだよ」

「だって、私と一緒にいるから貴方がそんな目に、」


「あ、いやいや、そこは本当に違う。勘違いすんな。

 オレがアンタに同行したのも、戦ったり守ったりしたのも、今こうして痛い目見てんのも全部オレの都合だ。今は誰が聞いているかも分からないから、詳しい事情は説明出来ないがな」


 実際のところ、オレが素直に雇い主を言ってしまえば荒っぽい話し合いは終了だ。

 ……その場合オレの人生も終了するかもしれないけど。


「とにかく、オレの事は別に良いから、アンタは自分の安全だけ考えろ。今この場で一番危ないのは、アンタなんだから」


 エリザベスのいる方向にそう言った。

 最悪あの場ですぐに城に連れて行かれたり、オレとは別行動になる可能性だってあった。何が狙いなのかは不明だが、奴らしばらくはここにエリザベスを閉じ込めているつもりらしい。

 特にリチャードは、エリザベスを手放したくないんだろう。

 見てりゃ分かる。ありゃ愛だの恋だのじゃなく、戦利品を他人に奪われたくない男がよくやる顔。ざっくり言えば独占欲みたいなもんだ。エリザベスは美人だし、手放すには惜しいんだろう。


 このままじゃ、命以外も危険に晒しそうな気もする。


 連中の本来のボスがどんな奴なのか調べられればと思ったが、早めに見切りを付けた方が良いのかもしれない。

 そう考えていると、ふとエリザベスがまた静かになった事に気付く。

 夜も相当更けている。もしかしたら寝ているのかも何て思ったが、お姫様はこんな状況で寝ていられるほど神経も太くないだろう。

 何より暗がりの中から聞こえる息遣いや気配が、彼女が黙り込んでいるだけだと示唆している。

 それに無理に声を掛けようと、今度は思わなかった。

 旅の疲れ、危険な状況にあるってだけじゃない。自分がこの世界で唯一信頼出来ると思っていた恋人に裏切られたというのは、疲れきっていたエリザベスの精神に大ダメージを与えただろう。

 しかも本性は他人の威を借る小物で馬鹿だってんだから、笑い話にもなりはしない。


 ブチ切れて男の顔面に一発見舞うか、それとも何も考えられなくなって茫然自失とするか。もしくは何もかもに絶望してしまうか。

 エリザベスは三つ目だったってだけ。


 流石に弱っている相手を無理に話させる必要性はない。

 ……だからって慰める事も出来ない。逆効果になるし、何より今のオレは彼女にとって誰でもない。

 リチャードに頼まれた護衛、ではないし。

 彼女を利用しようとしていた極悪人、でもないのは今までの行動で理解してもらえているだろう。

 でも、正体が分からない、自分の事情を話しもしない人間に『大丈夫だ』やら『心配するな』やら言われても、大丈夫じゃないし心配なもんだ。

 オレの立場じゃ、自分から話すのは無理ってもんだ。


「……貴方の言う通りだったわね」


 そんな風にちょっと考え事をしていると、彼女の方から口を開いた。その声には、今までのどんな状況でも見せなかった悲しみの音が詰まっている。


「何も見ようとしてなかった。この国の事も、リチャードの事も、自分の事も。

 私が、何も見ていなかったから、こんな事に……」


 オレに話しかけているわけじゃない、どこか自分を責めるような言い方に、思わず口を開く。


「全部が全部、お前の所為って訳じゃないだろう」


 本心からの言葉だった。


「こればっかりは、騙した奴の方が悪い」


 騙された方が悪い。

 そんな言葉があるし、実際エリザベスは何も見えていなかった。もっと注意深くリチャードや周囲の状況を見ていたなら、騙されることはなかったかもしれない。

 しかし最初に悪意を持ったのは、リチャードであり、リチャードを操っている誰かだった。

 悪意を持って行動している時点で、悪いのは相手だ。


「……でも、私が少しは悪いってのは、否定してくれないのね」


 暗闇の中から聞こえてくるエリザベスの声には、ほんの少しだけ安心したのか、緊張が緩んでいる気配がした。


「オレ、嘘は吐かない主義なんだ」

「リチャードに依頼された護衛だって、嘘吐いたじゃない」

「そんな事言ったか? アンタの言葉に微笑んでやったら、勘違いしただけだろ?」

「……それ、屁理屈って言うのよ」

「否定は出来ないなぁ」


 軽い言葉がしばらく続く。

 次第に目を慣れてきて、エリザベスの姿が見えた。

 もはや箱入りの令嬢だった、傲慢な少女の姿はどこにもない。服が土で汚れるのも気にせず座り込み膝を抱え、自分のみを守るように座り込んでいる。


「……私、もしここから生き残ったら、どうしたら良いのかしら」


 言葉が続く。


「貴方の言う通りにするなんて言わない。でも、分からないの。

 愛する人と一緒に逃げたいって思ったのに、それはただの幻想だった。でも、私がこの国を嫌いなのは変わらない。王様なんて、やれる自信がない」


 どこに行けば良いのか。どうすれば良いのか。

 迷子の子供の目にも似た青い双眸はオレを見ずに、ただ虚空を見つめている。


「考えても仕方ない……ううん、もしかしたらこのまま殺されるのかもしれないけど。でも何を選べば良いのか、もう分からないの……」


 ――まぁ、そうだよな。

 オレは言葉に出さずに同意する。

 彼女の人生はそもそも八方塞りだ。

 このままここにいれば、良くても傀儡。悪ければ殺される。

 仮に無事に生き残ったとしても、城の人間に見つかればそのまま女王として生きていかなければいけない。逃げるにしても、今回のように簡単にはいかないだろう。

 選べる選択肢は限られる――と、普通なら考えるだろう。

 でも、




「――良い悪いじゃない。お前の好きな事をすればいい」




 その言葉をきっぱりと否定する。


「何言ってるの……もうわたしの自由にして良い事なんて、どこにもないじゃない」

「それでも、好きに生きりゃ良い」

「っ、勝手な事、言わないで!」


 エリザベスは怒りの表情を浮かべて立ち上がる。


「私の気持ちなんて誰も気にしないわ!

 どんなにしたい事があっても、どんなにやりたい事があってももう無理なの! 一人で考えても結局私は間違える!

 好きにすれば良いなんて、気安く言わないでよ!!」


 一気に捲くし立てた所為で呼吸は荒く、その呼吸に合わせて肩が震える。

 目には儲かれたと思っていた涙が見える。

 そんな姿を見ても、オレの口は止まらない。


「言っただろう。好き勝手するには代償が必要だ。大きさは違うが、皆同じ。そしてそれが好き勝手じゃなかった﹅﹅﹅﹅﹅﹅としてもだ。

 どうせ苦労が同じなら、好きな方をやるのが良い」

「無理よ、出来ない……だって私には、何もない……誰もいない……、」


 頼れる人も何もかも。

 自分を立ち上がらせる信念さえも。

 何も、――


「オレがいる」


 その言葉に、エリザベスの目の焦点がオレに合うようになった。


「周りが見えてないのは、相変わらずだな。

 お前の周りには、お前には見えていない味方がいる。オレだったり、オレのご主人様だったりな」


 オレも、サシャも、ウーラチカも味方だ。

 こうしている間にも、もしかしたらサシャが味方を増やしている最中かもしれない。

 彼女が今の今まで無事だったというのは、きっと誰かが守っていたからだ。それが王様だったのかもしれないし、もしかしたら違う誰かだったのかもしれない。

 少なくとも、エリザベスの状況や事情を話せば同情する人間もいるかもしれない。

 同情で関わった人間でも、味方は味方だ。


「それに、何もないわけじゃない。お前には王族っていうでっかい権力がある。欲しくて手に入れた訳じゃないかもしれないが、使えない事はない。体だって五体満足だ。

 信念は……まぁ、こればっかりは自分で考えるしかないな。残念ながらオレがしてやれる事なんかない」

「なんで、」


 言葉が遮られる。


「だって、貴方は関係ないじゃない。誰かも分からない人が、なんでそんな事を言うの……何が目的なの? 何が欲しいの? 貴方は、」




 何が狙いなの?




 音にならない言葉が霞みのように消えていく。




「――それがオレの信念だからだ」




 まぁ自分の主サシャの命令があるっていうのは否定しない。

 サシャには何か考えがあるんだってのも、承知している。

 だがオレがこの仕事を請け負っている理由にそんな事は関係ない。誰かを護りたいってのがオレの信念だし、その信念に従って行動している。


 傭兵の中でも《護り屋》と《狩人》っていう人を極力殺さない方向を選んだのも。

 《勇者》の《眷属》になる事を選び、サシャに忠誠を誓ったのも。

 森の中で樹人族エント大鬼族オーガを諌めたのも、

 夜の中庭で偶然出会った我侭姫の護衛を買って出たのだって、その信念の内だ。


 ――護るってのは結構、範囲が広いんだ。

 命を亡くさないようにする事だけが護るって事じゃないとオレは思う。護る相手の心だって未来だって護るのが、〝護る〟って事なんだと。

 だからエリザベスがどんな選択をしても、オレはそれを護るだろう。この国を見捨てて逃げようが、女王になって国を治める事にしようが、だ。

 そんなオレが忠誠を誓った女だ、きっとサシャもなんやかんや文句を言いながら手助けしてくれるんだろう。あいつはオレ以上にお人好しだから。

 ウーラチカは……どうなんだろう。難しい事は考えない奴だから、もしかしたら御菓子をくれる奴は良い奴判定するかもしれない。良い奴だと判断した人間を、あいつは見捨てない。


「まぁ、オレはオレのやりたいようにする。エリザベス、お前を護るってのがオレの〝やりたい事〟なんだよ。

 その為の代償なんて、オレにとっては安いもんさ」




 ――目の前で一人の女の明るい未来が失われるくらいなら、どんな代償だって払う。




「……なんなの、もう。リチャードについさっき騙された女に、まさか『信じてくれ』なんていうんじゃないでしょうね?」


 力が抜け、その場に座り込んだエリザベスに微笑む。

 例えちゃんと見えなかったとしても、意思表示として。


「いいや、ちっとも。それでもオレはオレがしたい事をするだけさ」


 信じられないのも、そりゃあしょうがない。外野でお節介するしかないんだ。

 そんなオレに、ここに入って初めてエリザベスが笑みを浮かべる。力と一緒に気も抜けてしまったような、肩に無駄に乗っかっていた重石が取れたような。

 今まで見た勝気な笑みとも違う、それなんかよりずっと良い笑顔だった。


「……不思議ね。結局目的だってなんだって話さない。貴方の事を信じられない、そう思ってるのに――信じたい、と思っちゃう。

 私、やっぱり馬鹿だったのかしら」

「……まぁ、そこは否定できないな。箱入りだし」


 その言葉に、二人で笑い声を上げる。

 はじける様な底抜けに明るい笑い声じゃない。

 乾いてて疲れ切っているけど、それはオレにとっては一番好きな、安心の笑い声だった。






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