其ノ二
『にしても、
「ああ、刺青を見たし、情報どおりの動きだった。
枢密院院長様か、民政議会の議長様か、あるいは別の誰かなのか……雇い主は流石に分からないけどな。一応、アイツらを通して警告はしておいたが」
『……そう。だとすれば、なんとなくこっちの話と辻褄が合うわ。暗殺者ならば、変装もお手の物でしょう』
替え玉。サシャの予想、――それすらも疑って掛からなければいけないのが厄介だ。
『? 何か言いたい事があるの?』
まだ主従になって半年も経っていないのに、オレの顔色で察してくれるとは、我が主は優秀だ。
「……もし替え玉を置いて、侍従達にすら情報を明かさないってなると、相当の変装術の使い手が必要になる。それはちょっと『群体蟻』らしくない」
人数で仕事を完遂する、いわば力技が『群体蟻』達の得意技だ。その仕事内容も、人数を必要とするものばかり。
何人かを捨て駒にした暗殺や、肉の壁として使う要人警護が主だったはずだ。変装術が必要な諜報活動などを受けているとは、聞いた事がない。
そういうのが得意な絆は他にもいる。
たかが変装と侮るなかれ。着替えなどで体に触れる侍従などにすら違和感程度で済ませているのは、かなりの力量だ。
『でもそうなると、二つの絆が動いている事になる。そっちの方が現実的ではないんじゃない? わざわざ別の絆を雇って仕事をさせるなんて、非効率的だわ』
「いや、そうなんだけど……でも、一応調べてもらえるか?」
もしこの嫌な予感が当たっているのであれば、風呂敷がもっと広げられているかもしれない。
『貴方がそう言うなら、分かったわ』
鳥が器用に頷くのを確認すると、オレは残りのワインを煽ってベッドに寝転がる。
『ちょっと、話は済んでいないわよ』
「いやいや、これ以上オレらが話し合ってもどうしようもないだろう。首謀者探しはサシャに任せて、オレは辛い子守りを続ける。それ以外に何かあるってのか?」
オレに出来る事など、精々やってきた暗殺者を締め上げる事くらい。腐っても鯛ならぬ腐っても暗殺者なのだから、そんなのは無意味でしかないだろう。
なら、他にどんな仕事があるって言うんだ。
『肝心な話を聞いていない——トウヤ。貴方にとって、エリザベス王女様はどういう人物? 王に値すると思う?』
「……………………いいや、思わない」
ベッドから上半身を起こすと、正直に感想を述べる。
あれは王の器じゃない、とオレは思う。
『根拠を教えてくれる?』
「……そうだな、オレは王様を何人も知っている訳じゃないが、本当に箱入りだ。事情が事情だから責めようがないが、あれじゃ王様としての基本的な仕事もこなせないだろう。
それに、柔軟性に乏しいし、我儘で、自分が持ち上げられるのは当たり前って態度だ」
起きていないだろうなとチラリと隣のベッドを確認するが、お姫様は呑気に寝息を立てていらっしゃる。
黙っていれば可愛い顔だが、内面は典型的貴族の姫、扱い辛いったらない。
「他にもいくつか理由はあるが、王位を継承させたくないと限定するならこんなもんだ。
オレがこの国の国民で、こいつが王様になるなら、オレはとっとと亡命するね」
『……そう。つまり、このまま事件が解決しても、まだまだ問題はあるって話ね』
「政治に詳しい後ろ盾がいるなら話は別だが、そういうのがいないのが、問題の一つだからな」
サシャの声も、あまり良い調子ではない。しかし、ふと気づいたように顔を上げる。
『——ねぇ、トウヤ。お姫様の考え方を矯正する事は可能?』
「……なに企んでんだ?」
鳥は忙しなく羽ばたいて、オレが寝転がっているベッドの枕元に降り立つ。
『一朝一夕で治せないのは理解しているけど、そういう意味では今回の件は悪くないと思うの。自分が統治する国を見て、少しでも考えが変われば良い』
「ようは、現実を無理矢理目の前に晒しちまえと?」
出来なくはない。
百聞は一見に如かずという言葉がある通り、言葉で言って聞かせるより、現状を見た方が一番効果があるだろう。
『どちらにしろ、王位継承権を持っているエリザベス姫が王になる以外、この国の安定の道はないわ。
姫様が逃げ出せば、今度は血縁関係を結んでいる貴族が政争を起こす。暗殺合戦なんて始まれば、歪んでいるこの国が瓦解する日も近い。誰も得をしないわ』
「だから王様に自ら名乗り出るようにしろってか? アンタらしくはないな」
『洗脳しろとは言わないけど、現実が見えていない姫が少しでも理解してくれれば、考えを変えるかも』
……見えていない、か。言い得て妙だな。
「……努力はする。オレには、軽いお説教しか出来ないがな」
『あら、皮肉屋の貴方の言葉ですもの。多分私が思っている〝軽い〟とは違うんじゃないかしら?』
どこかからかうような言葉を残して、サシャの
『じゃあね、トウヤ。期待しているわ』
それだけ言うと、夜の闇に青い影を消して言った。
文句もなにも言えたもんじゃない。言い逃げっていうのは、ああいうのを言うのだろう。そう思いながら、もう一度ベッドに体を横たえ、天井を見つめ続ける。
汚い天井を見るなんていう高尚な趣味がある訳じゃない。ベッドに寝転がりはするものの、今の俺に寝る事は許されない。
暗殺者達が襲ってこないと分かっていても、襲撃を受ける側が気を抜くことは許されない。
二、三日寝なくても行軍出来るように教育してくれた爺ちゃんには、感謝の言葉しかない。
「……理解、ねぇ」
サシャにされた無茶振りを思い出して、深く、長く息を吐く。
オレがサシャの命令を拒絶しなかったのは、《眷属》が《勇者》に絶対服従だからというわけでもない。
サシャはそういう所寛大だから、オレがもっと拒否していれば、その案を引っ込めるくらいの事はしてくれていただろう。
それでもオレがそうしなかったのは——横で眠っているお姫様を、放って置けないと思ったからだ。
宿屋に着く前に感じた、エリザベスへの苛立ちや嫌悪感。それはまるで、既視感にも近いものだった。鏡で自分の顔を見て嫌悪するような感覚。
もしかしたら、エリザベスと似たような事を自分も考えていたんじゃないか、と思う。
逃げたって良いじゃないか。誰でもそうしているし、
そう自分に言い訳しながら、前に進むわけでも後ろに下がるわけでもなく、状況が悪化する中で水母のように揺蕩っていた、のかもしれない。
だが、それは本当の意味での逃げるという言葉に当て嵌まらない。
立ち向かう時も、逃げる時も必要な事を、エリザベスも、きっと前の世界のオレもしてこなかったんじゃないだろうか。
そんな複雑な感情を、足りないそれをどう言語化すれば良いか迷いながら、天井を見続ける。
夜明けまでは、まだ長い。目的地に到着するのは、その更に先だ。
その間に、エリザベスに言って聞かせられるようになれば良いが。そんな事を思いながら、オレは体を横たえ続けていた。
◇
昼もだいぶ経っている。ガラス張りになっている大きな食堂で、サシャはデザートにと出されたレモンのシャーベットを口の中に運ぶ。
氷菓子は、お菓子類の中で最も高級な代物だ。凍らせ、溶けないように一定の温度に保つための
それをこんな昼の、しかも一対一の会食に出してくるあたり、相手はやはりかなりの資産家だ。
(トウヤは上手くやっているかしら)
昨日一日ぶりに会った《眷族》の事をつい心配してしまう。
トウヤは、年齢的な部分ばかりではなく、自分よりもずっと大人だ。傭兵として我侭な雇い主の相手は慣れたものだろう。危険な旅も、落ち着かない場所で休むのも。
――それでも、最後の表情は少し心配になるようなものだった。苦笑でも何でも笑顔を絶やさなかったはずの彼が、苦虫を噛み潰し飲み込んだような、必死で我慢している顔をしていたのだから。
姫様の扱いに辟易しているというだけならば、それで良い。しかしそれを見たサシャには、なんとなくそんな感じには見えなかったのだ。
彼らしからぬ態度をとらせてしまうほど、無理を強いていたのであれば、
「我が家のパティシエール自慢の氷菓子、お気に召しませんでしたかな《勇者》殿」
不意に向かいから飛んできた言葉に、サシャは慌てて首を振る。
「いいえ、そんな事はありません、大変美味しゅうございます――ランドルフ・オーレン議長」
長いテーブルの対面に座っているオーレンは、遠目から分かるほど大きな笑みを浮かべる。
「それは良かった。もし《勇者》殿が気に入ってくださらなければ、パティシエールも酷く落胆した事でしょう」
その笑顔には一切の厭味がなく、どこか人を安心させる笑みだった。
それもそうだろう。商人出身である彼にとって、笑顔とは騎士の槍や武芸者の剣にも匹敵する武器だ。よく磨かれ、一度振るえばどんな人間の壁さえ振り払える武器。
だからこそ、笑顔を向けられているという事は、彼の中でサシャとの会合は戦場にも近いものだという事だ。
「さて、《勇者》様がわざわざ私との会合をお決めになったという事は、私に何かお求めになっている事がお有りという事でしょう。
私のような者に、世界を護る《勇者》様がいったい何を求めていらっしゃるのか、それは分かりかねますが」
出された珈琲をゆっくりと飲んでいるその目は、柔和なように見えて実のところ違うのだろう。人が表情の奥でいったい何を考えているのかは予測出来なくても、何かがある、という事くらいは分かる。
サシャは紅茶にミルクを注ぎながら、慎重に言葉を選ぶ。
「何かお有りなのは、オーレン議長の方ではないのですか?」
「――ほう。そのように思われた理由をお聞きしても?」
オーレンの目が好奇心にゆれるのがはっきりと見えた。
「私はあくまで《勇者》。世権会議という広い枠の中にあっては同胞ですが、国と言う一つの単位で見てみれば、ただ王位継承を見届けに来た他人。
そんな私にわざわざ招待してくださったのは、オーレン議長には何かお話したい事でもあるのか、と少し思っただけです」
「新しい《勇者》殿に顔を覚えていただきたい、繋ぎを作りたいというだけでは、不十分ですかな? 《勇者》殿に覚えていただければ、この先諸々有利になると」
「お言葉ですが、議長。私は《勇者》です――今まで《勇者》と友誼を結んで、好都合だったという前例はありましょうか?」
《勇者》把握まで中立中庸。
親しき仲でも、罪あらば断罪し。
憎き敵でも、罪なくば救済する。
「あはは、
「お世辞は結構です、オーレン議長。まず、そちらの用件からお聞きしたく思うのですけど、如何ですか?」
サシャの言葉に、オーレンは気分を害した様子もなく頷く。
「ええ構いません。本来であれば、こちらから一方的にお願いするのは大変心苦しいですが……、
この国の改革に、ぜひ《勇者》殿のお力をお貸しいただきたいのです」
「力、ですか? 申し訳ありませんが、私は《勇者》と呼ばれているものの、その権力も形骸化して久しい。
もし何か資金援助、あるいは政治形態の変革を求めているのでしたなら、私の出る幕はないのではないでしょうか?」
サシャの控えめな言葉に、オーレン議長は笑みを崩さない。
「ええ、勿論承知しています。しかし私の言った『改革』とはそういう事ではない。
いえ、もはや改革ですらないのかもしれません。まずは、こちらをご覧になっていただければ」
そう言って彼は
訝しがりながらも、ゆっくりとそれを受け取り、中身を見た。
『第二十二代シルヴァリア王国国王、ヘンリー・三世が命ずる。
枢密院院長、ギーヴ・フラグレント侯爵、並び民政議会議長、ランドフル・オーレンに、不正に税金を搾取せしめる貴族及び領主、有力者の特定を命じる。
その者に、法に則った裁判と懲罰を与える権限を、上記二名に貸与する。
尚、貸与されし権限は、その一連の裁判が終了したと同時に消失する』
短い文章だが、その文章の下には、蜜蝋でシルヴァリア王族の家紋である大鷲が押されている。日付は、ヘンリー・三世が亡くなる一週間前だ。
「これは、前王の命令書、ですか。しかし、特定、懲罰を与える権限、というのはどういう……、」
「――《勇者》殿は、この国の裁判制度を何処まで御存知ですかな?」
サシャの独り言を遮るような言葉に、少し眉を顰めながら答える。
「……確か、世権会議加盟国の殆どの、変わりは無かったと思いますが?」
裁判官、検事、そして弁護人という三人、そして被告人が存在する。
検事は、犯罪捜査や都市の治安維持を行う衛士を動員する権限があり、その衛士を使って被告人の罪を立証できる証言・証拠を探し、裁判官に提出する。こちらは国家に属する役職だ。
弁護人はその逆、個人、あるいは個人的に雇った人材を使用し、被告人が無罪だという証言・証拠を集める。弁護人は一定の地位を持っている自国民であれば、誰でも立候補出来る。
裁判官は検事と同じ国家に属しているが、検事・弁護人が出した証言・証拠を元に、有罪無罪を判断する。
だがこの裁判官には二種類が存在する。
一つが、今言ったように国家に属する役職としての裁判官。
そしてもう一つが、――国王自身だ。
国家反逆罪やそれに近い、言わば『国そのものや王族に関連する犯罪』に関わった事件の裁定は、国王自らが裁判官として立つ事が許されている。つまり王の名の下に罪を裁くのだ。
「――つまり、この権限の貸与というのは、国王の代理人として、国家に関わる犯罪を裁く権利を与えられている、と考えて宜しいですか?」
もはや目の前で見ている紙は、ただの紙ではない。
王の命令を具現する勅命書――しかも、その内容はあまりに異例とも言える。
王の権限を一時的に貸与する。かなり限定されているとはいえ、王の力を持っているに等しい。
「その通りです。陛下は亡くなる前に、我ら主導で不正貴族などの粛正を命じました。しかし、残念な事に陛下が亡くなられ、一時的にその話は止まった状態になっています」
貴族などの一部有力者の大粛清。
もし実行されていたならば、この国の歴史書に大きく載る大事件であり、言葉通りの『改革』だろう。
「……これを、私にどうしろと?」
勅命書を自分の目の前に置き、緊張の汗で少し湿っている両の手を、膝の上で硬く握り締められる。
「もはや命令は出されています。エリザベス姫が即位なされたならば、すぐに粛清を始めれば良いだけではありませんか」
放った矢を止められないように、これはもうどうする事も出来ない。止める事も、逆に促進させる必要性もない。《勇者》の――果ては世権会議の助力を仰ぐ必要性がないはずだ。
サシャの言葉に、オーレンは人好きするような笑みを引っ込め、どこか悲哀に満ちた表情を浮かべる。
「私も、勿論そうしたい所なのです。陛下の最後の勅命を全うする。臣下としてこれほど大事な仕事も無く、もしコレが成功した暁には、この国の経済や国民の生活は大きく変化するでしょう。
――ですが、もしそれを変更する事が可能であるならば? 中止させられる人間が一人いるとするならば、《勇者》殿ならどうなさいますか?」
――正当な王家の血を引く唯一の後継者。
――それを抱え込む貴族主体の官僚組織・枢密院。
――死ぬ数日前に王とフラグレント侯爵が口論。
――王からの勅命書。
――貴族の粛清。
――『貴族の義務』
「――まさか、」
サシャの言葉に、オーレンは神妙な面持ちで頷く。
「ええ――おそらくフラグレント侯爵は、新王に前王の勅命書を取り消させるつもりなのかと」
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