4/渦巻く謎と 其ノ一






 既に時間は、夕刻へと差し掛かってくる時間だった。

 此処から先は、よっぽど急用がない限り進まないのが得策と言えるだろう。夜行性の野生動物や魔獣が闊歩し、野盗追い剥ぎの類が闇の中に潜んでいる可能性が高い。

 そうでなくても、人種ヒュマスしかいないこの旅の仲間じゃ、夜目だって効かない。

 オレが《看破眼》を使えば夜哨の代わりが出来ない事もないが、さすがに一晩中小我オドを消費し続ける事は出来ない。こんな時も、サシャからの大我マナ提供が恋しくなる。

案外、あれに頼りきりだったのかもしれない。


 さて、オレがサシャへ送った手紙に書いた場所は三つ。


 《ステラ》《コテーズ》《グリーンリバー》。どれも中堅どころの都市ばかり。道によって、夜になったらどの街に着くのか分かれるので、馬車が決まっていない段階ではそうか書かざるを得なかった。

 オレ達が最終的に到着したのは、《グリーンリバー》だった。

 その名の通り、町の外には草原が多く、その中にポツンと高い壁に囲まれた都市が存在する。

 今はどこの国でも、都市、街と呼ばれるレベルの都市にはこのような壁がある。元々魔人種デヴォロとの戦いの為に作られた城塞都市を再利用しているからだ。

 現在冷戦状態の帝国との国境ならばさておき、こんな場所で城壁を使用する戦争など滅多に起こらない。

 故に最低限の修繕はされているものの、壁はあまり良い状態とはいえなかった。

 ――そして、そんな壁の中にある街も、あまり良い雰囲気とはいえなかった。

 二つの門と、それを繋げる大きな通りを持っているそれは、首都である《リットライト》と、田舎を繋ぐ、交易都市の側面をもったこの街に相応しく太く立派だ。


 しかし店はどこも商品を並べず、夕刻の書き入れ時にしては、人も少ない。


 何より酷いのは、歩いている人間皆に、どこか怒りのような気配を感じる事だった。口に出して怒声を浴びせ合っているわけではない、というより、目の前の誰かに不満を持っているわけでもない。

 漠然とした怒りが、場を支配しているような感覚。

 戦争が始まる直前の陣地にも似ている。今か今かと爆発を待っているような。


「なぁオヤジ。オレはこの街に来たのは初めてなんだが、いつもこんな感じなのかい?」


 オレの言葉に、オヤジの返事は暗い。


「いいえお客さん、前はもっと穏やかで明るい街でしたよ。最近、国王様がお亡くなりになったでしょう、あの影響ですよ」

「それにしちゃ、喪に服しているって感じじゃないがなぁ」


「いや、まぁ……あの、あっしもこの国の人間なんで悪くは言いたかないんですがね? この国は、ちょっと前まで貴族様が税金と称して、皆の数少ない金を巻き上げておったんですよ。

それをヘンリー王が変えてくださった。皆が金を稼げるようにしてくださって、ドン底だった生活も多少マシになってきました。

 ところが、王様が若くして亡くなっちまったでしょう? それから貴族がまた幅を効かせるようになって……噂じゃ『王様を邪魔に思った貴族の誰かが殺しちまったんだ』って……」


「……それは本当かい?」


 オレの言葉に、商人は繕ったような笑みを浮かべる。


「いえいえまさか! あくまで噂ですよ。でも、皆それを信じちまうくらいには、貴族様に不満がありましたから……最近じゃ、本気で反乱をしようなんていう若い衆もいます。

 この国の中じゃ、ここら辺は王都の次に元気な場所ですからねぇ。そういう気持ちすら質屋に入れて金にしたい田舎じゃ、もっと酷いもんですよ」


 ……まぁ、そうだろうな。心の中でだけ頷く。

 真実なのか虚実なのか、そんな事国民には関係がない。貴族を諌めていた王様が死んで、また貴族が偉そうにし始めれば、そういう風に思う人間もいるかもしれない。

 そんな人間が「もしかしたら」なんて風に話した噂話は、五人も人を通って行く間に「絶対」になる。前の世界でもあった話だ。話す時に盛ったものは、真実のように擬態する。

 行き場のない不満をぶつけるには、ちょうど良い材料だしな。


「その反乱ってのは、本当に起こるのかね。だとしたら、とっととこの国を出ないとまずいかもしれないな」


 オレのそんな軽口に、商人の首が独楽のように勢いよく横に振られる。


「いいえ滅相も無い。若い連中が騒いでいるだけで、本当の反乱にはなりませんよ。

 年寄りはそんな気力ありませんからね。若い連中だって、反乱だ、革命だと喚いているだけで、実際事を起こせる度胸なんざありませんよ」


 自分の故郷を守る為なのか、必死に弁明する商人に「冗談だよ、そう慌てんなって」と嘯く。

 反乱が本当の話だったら、それこそ《勇者》の出番だと思っていたが、そうではないならそれはそれで良い。

 そう考えながら、御者台から視線を逸らし、荷台に座っているお姫様を見る。

 相変わらず座りづらいだの腰が痛いだの我儘言っているようなら、諌めようと思っていたのだが、予想に反してエリザベスは大人しい。

 荷台の幌に空いている穴の中から、淡々と街の外を眺めている。この雰囲気の悪い街を。

 その目は、とても真っ直ぐだ。

 真っ直ぐにそれを見て、困惑して、さらにその奥で悲しんでいる。


「どうだエリザベス。王都以外見ていなかっただろう? 想像していた輝かしい生活を送れそうか?」

「……酷い言い回しね。貴方、分かって言ってるでしょう」

「さて、どうだかね」


 彼女の横に座りなおし、同じ穴から外を見る。

 市井を知っているオレから見て、ちょっと住み心地がいいとは言えない街だ。誰もかれもがギスギスして、きっと酒場で飲んでいる人間の口に上がるのは、貴族への不平不満ばかりだろう。

 どんなに美味い酒を出されても、そんな話を横で聞いてりゃ不味くなるってもんだ。


「……お父様は、こんな国のどこが良かったのかしら。酷く臭いし、皆暗い顔で、明るい事なんか一つもないように見えるわ」


 エリザベスの言葉の裏に、父親への非難と哀れみ見え隠れする。


「さぁね。オレは生前のヘンリー・三世を知らないからなんとも言えないな。しかし、切羽詰った場所から、逃げずに何とかしようと思う理由なんざ、二つしかないもんだよ。

 ――『逃げる場所がどこにもない』のか、『切羽詰っていてもここが好きだから』なのか、どっちかだ」


 前者はもはや行き当たりばったりだ。逃げる努力をしようにも出来ず、ただただ目の前のことを片付けていくしかない。

 ある意味逃げるよりもタチが悪い。だが義務を果たし、少しでも自分の住みよい場所にしているだけ、まだマシだ。

 後者は能動的と言っても良いだろう。オレもそうだが、記憶を無くそうが何が起ころうが、故郷ってのは心の中に残り続けるもんだ。その故郷の景色を少しでも良くしたい。

 そういう考えになったって、おかしくはない。誰にも笑う資格のない、立派な信念だ。

 ヘンリー・三世の頭にあったのが、どちらだったのか。生前それを話している人間以外 知るものはいないだろう。

 それでも、オレは出来れば後者が良いと思う。目を逸らさずに戦うってのは、何よりも尊い。

 だが、エリザベスはそうではないようだ。


「——だとしたら、お父様は前者よ。だって、私がいるんだもの」


 眼の色はいつの間にか変わっている。

 非難と哀れみは消え、怒りと怯えが映る。


「だったら、私だって逃げても良いわよね? お父様だって、お母様や私に逃げたんですもん……私だって、」


 ……その言葉に、猛烈な吐き気を覚える。

 理由は分からない。分かりたくもない。だが、その言葉は、その考えは、吐き出して地面に打ち捨て、踏み潰したってなお足りないような酷いものに思えた・・・

 確かに正妻との子供を設けず、愛人に子供を産ませ、それを愛でる。

 それは王位を継いだ人間の義務を放棄したとしても良い所行だろう。

 そのツケを娘であるエリザベスが払わされているんだから、文句を言いたくなるのも、言い訳に使いたくなるのも、人間としちゃ当たり前だ。


 でも、許せなかった。


 何がどういう理由でそう思っているのか、自分の事なのに分からないけれど。

 それだけは許してはいけない﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅と、オレの中にいる誰かが叫んでいるような気がしたから。




「……アンタのそれが、本当に逃げなら﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅、な」




「え――」


 オレの言葉を聞き返そうと、エリザベスが口を開けた瞬間、少し大きな軋みの音と振動を伴って、馬車が静止する。


「お客さん、今晩はここで宿にしましょう。明日も乗っていくんでしたら、あっしが泊まる場所に一緒にどうです?」


 御者台から荷台に移ってきた商人の顔は、先ほどの暗い顔と違って随分明るい。


「ここにはあっしの親戚が住んでおりまして、あっしも含め三人ぐらいなら泊まれる広さがあるんですわ」

「……なんだい、オヤジの親戚ってのは、金回りが良いのかい? そんなでかい屋敷に住んでいるなんて」


 オレも言葉を取り繕うと、こちらを気にした風もなく笑う。


「いやいや、家族の多いただの牛飼いですわ。だがこの時期は皆別の国に出稼ぎに出ちまっているんで、部屋が空いているんです。で、どうします?」

「……いや、悪いんだがこっちもちょっと事情があってね、別の宿に泊まらせてもらうよ。もし良ければ明日、出発する門で待ち合わせってのじゃ難しいかい?」


 夜になれば、もしかしたら此方に連絡が来るかもしれない。そう考えれば、他人の目を気にしない宿屋だった方が良いだろう。


「いえいえ、こっちは構いませんよ。じゃあ、あっしオススメの宿まで行きましょうもう少しばっかし乗っててくだせぇ」


 この人に拾ってもらえて良かったと安心する。何せオレらは怪しさ満点。こんなややこしい人間を乗せようという奇特な人間というだけではなく、良い人なんだから。

 出来れば、裏などあって欲しくはないなと思いながらも、一応警戒している自分の態度に申し訳ない気持ちになる。


「あの、さっきの、」

「ん? まぁ気にすんな。あんたが気にするべきなのは、これからの事……直近じゃ、ベッドに慣れるかどうか気にしていな。アンタが寝ていたような高級寝具じゃないんだからな」


 先ほどの続きを話したがるエリザベスの言葉を、どうでも良い話で流す。

 ……さっきまでオレが口にしていたのは、お嬢様にはなんの関係もない、オレ自身の八つ当たりみたいなもんだ。

 話す道理も、話してやる道理もない。

 それを延々続けたとしても、どうしようもない話なんだ。

 目の前の女がどんな思いを抱いていようが、どんな苦労を背負い込もうが、オレにはまるで関係のない話。

 ここでサシャに聞かれれば怒られるだろうが、残念ながらここにお説教をして来る《勇者上司》はいない。


「……そうですか」


 エリザベスは諦めて、そう一言呟いて、また幌の穴の先を見る。

 その目はどうあっても、これから国を捨てる人間の目には見えなかった。




 案の定、ベッドがガチガチ。おまけに夕飯として出されたパンも肉もガチガチ、しかもエールは温かった。これで銅貨十五枚は高過ぎる。相場の三倍だ。

 まぁ相部屋だってのは、護衛の上でも都合が良いんだがな。

 しかし生憎、エリザベスはそんな事に文句一つ言わなかった。一つくらい罵詈雑言が出て俺を罵るんじゃないかと危惧していたが、そんな小事を気にしていられるほどの体力が残っていなかったんだ。

 初めての大冒険をしている上に、逃亡の緊張で体が強張っていたのだろう。体を洗うのも面倒臭がって、食事を済ませたらベッドに直行。オレの隣でスヤスヤお寝んねだ。

 ……いや、言い方が悪かった。ベッドが隣同士なだけで、こんなおぼこ娘で面倒臭そうな奴をベッドに連れ込んでいる訳じゃない。

 俺は自分のベッドの上で、渋味しか感じない安ワインを飲みながら、全開にされた窓から外を見る。

 城の夜よりももっと早く訪れる街のよりは静かなものだ。幸い街中で襲おうと思ってはいないのか、暗殺者アサシンなどの怪しい気配も感じない。

 これなら、予定通り明日にはあの鈍甲竜アーマードの引く荷台で、町を出る事が出来るだろう。

 だけど、窓を開けているのは別にそれだけが理由じゃない。


「——来たか」


 オレがそう言ったのを合図にしたように、羽ばたきの音と共に小さな黄色い塊が窓枠に飛来する。

 いや、黄色と言っちゃ失礼か。それはアイツの色を体現する、金色の羽。そして紅い目なんだから。


「想像よりずっと早かったな。もうちょっと遅れて到着だと思ってた」

『——幸い、貴方と私は契約で繋がってるから。それを辿っていけば、そう難しくもなかった。

 っていうか、自由に行動して良いとは言ったけど、王都から出るなんて思ってもいなかったんだから!』


 鳥——いや、サシャの使い魔ファミリアの第一声は、お説教だった。


「あんま大きな声出すなよ。姫様が起きる。

 あー、悪かった。緊急だったんだよ。つうか普通予測できるか? 中庭で鍛錬してたら、家出しようとするお姫様に遭遇するなんて」

『分かっているわよ。でも一応、貴方の主人としては言っておかなきゃいけない事でしょう?』

「やれやれ、我がご主人様はとんでもなく理不尽だ。なんでこんな雇い主についたんだが」

『あら、自分から誓いを立てておいてそれはないんじゃないの、一ノ《眷属》様?』

「そう言うアンタこそ、さっきから口が悪いぞ《勇者》殿」


 不思議だ。まだ一日も経っていないのに、この会話をしているだけで安心してしまう。会話にも苦慮するお姫様あいてとずっと一緒だったからだろうか。


『――で? 貴方の情報の詳細。聞かせてもらえるかしら?』


 その言葉に頷き、ゆっくりと説明する。


 お姫様の家出。その発端は、庭師で平民の恋人、リチャードの差し金だと。そのリチャードも、情報とその手腕から察するに、本人が只者ではないか、あるいはその背後に強力な後ろ盾がいるという事。

 姫様の、あんまり宜しくない内情。国を任せるにはあまりにも子供、しかし悪い人間ではない事。

 旅の途中で、暗殺者アサシンの絆の一つ、『群体蟻アンツ』に襲われ――その時、使い魔からサシャの息を呑む声が聞こえた――何とか撃退した事。

 そしてこの街に着き、宿で休んでいるところだと。


 続いてサシャも、手に入れた情報を開示してくれる。


 まず、姫は城の中で健在という事になって居るらしい。つまり、替え玉がそこにいるという事だ。それに引っかかりながらも、俺は先を促す。

 太后は今回の件に直接的な関わりはない可能性が増したというのが一点。そもそもこの国の政治構造上、太后はあまり権力を持てない。

 王室が使う事を許された財産も、実際に使って良いのは王位継承者のみだ。個人で使えるものは何もないと言っても良い。

 問題はその兄、フラグレント枢密院院長、兼、侯爵様。良い噂の倍くらい悪い噂を聞き、政治家としては優秀すぎるくらい。おまけに、前王崩御前に当の王と喧嘩をしていたのだから、関係は良くなった、と今の段階で仮定出来る。




 ――総合すると、何処も彼処もきな臭さしかなかった。





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