其ノ三






 魔術で煌々とした灯りを生み出すシャンデリア。

 達人の彫刻に彩られた、見事なダンスホール。

 中央で舞う、煌びやかな衣装を纏う貴人達。

 横にはいくつもテーブルがあり、豪華な料理が並ぶ。

 《シルヴァリア王国》の王城レッドローフ。その中でも一番大きなホールで、今まさに戴冠式の前祝いが催されていた。

 国中の貴族・豪族・有力者が集まるが故に、呼ばれた楽団も、城に招かれた料理人もまた超一流。

 ダンス、談笑、食事に舌鼓を打つ。様々な楽しみ方があるこのパーティーの中でも、集められた客人達の興味は、会場の一点に絞られていた。

 ――光り輝く会場の中にあって、さらに輝く少女。

 普段は動きやすいように纏められている髪は今日のためにセットされ、美しいウェーブは漣のよう。紅い目に合わせる様に白いドレスを着こなし、ささやかなアクセサリーが彼女を彩る。


 《勇者》。


 世権会議の中でも異質にして、ある意味象徴である存在。

 そんな重要な任を担う美少女。政治的にも、そして異性的にも気にならない人間はいない。


「《勇者》殿、本日いらっしゃった時の姿も凛々しくて素敵ですが、着飾った貴女もとてもお美しいですね」

「ありがとうございます。普段野暮ったい姿を晒している私には、勿体無いお言葉です」


「食事には手をつけられましたか? 何でしたら、給仕に申し付けますが」

「とても嬉しいです。ですがもう頂いていますので、お構いなく」


「《勇者》様は、ダンスを嗜みますかな? 私とご一曲如何ですか?」

「《勇者》とはいえ、私も田舎娘。ご教示をお願い出来るのでしたら、ぜひ」


 男性は勿論、女性も興味心身で話し掛け、それをサシャが笑顔で答える。パーティーが始まって小一時間経っている今でも続いている。

 遠慮せずに話しかけてくる人々に対して、サシャはフレンドリーに答えながら、


(……帰りたい)


 その笑顔の奥で溜息をこぼしていた。

 あまりこういう場に慣れていないというのも大きいが、それ以上に、サシャはこのような輝かしい場というのが好きになれない。

 目に優しくない照明も、動き辛いドレスも、優美さを優先された食事も、ステップがややこしいダンスも……この自分の周囲であからさまな作り笑いを浮かべ、話しかけてくる人達も、むしろ嫌いだと言っても 良いだろう。

 この国にサシャ、つまり今代勇者が訪れる事は初めて。物珍しさにさらに政治的な興味もプラスされれば、人を集める事に拍車を掛けない訳にもいかないだろう。

 皆、気にしているのだ。


 この前代未聞がいくつも累積する戴冠式に。


 話をしながら、サシャはちらりと壇上を見る。

 本来であれば一週間後に戴冠式を控えている王族が座る王族の家紋である大鷲があしらわれた玉座は、このパーティーが始まってからずっと空席だ。

 最初に挨拶をした枢密院院長によれば、『急な体調不良』という事だが、ここは謂わば貴族や有力者に顔合わせも兼ねたお披露目をする会。政治的にも王家の繁栄を強く主張する為に重要な場だ。

 それをとうの本人が欠席。異例だ。

 庶出女子戴冠というかつてない異例の即位、ただでさえ求心力は望むところであるはずなのに、だ。

何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのは、《勇者》の職務上仕方のない話ではある。

 もっとも、それでもサシャからすれば、この仕事はあまり良いタイミングでやってきたとは言えないものだった。

 《エント・ウッド》の一件の残務処理も済み、本格的に調査﹅﹅が出来るはずだったタイミングでの招待。面倒だと思ってしまうのもしょうがない話だ。


(あの呪師が言っていた〝あの方〟について調べたかったのになぁ)


 ――あの悪魔系デモンズ種族の呪師は、悪逆ノ精霊モルガナを『〝あの方〟への献上品』だと言っていた。

 人種どころか、全人類をして彼からすれば瑣末な存在、自分の生きる上で必要な糧。

 そんな傲岸不遜を絵に描いたような人間が〝あの方〟などと敬わなければ生けない存在とは、果たして誰なのか。

 そもそも、〝禁呪〟はなかなか一般に情報開示される事がない。術式の構成どころか、どんなものがあるかも、厳重に世権会議が情報管理し、知られないように勤めている。

 長い年月を生きているからこそ知りえたというならば、もっと早くあのような事件が起こっていたはずだが、記録にも過去の歴史にもあのような化け物の存在は把握されていない。

 その考えられるとすれば、極最近、呪師のいう〝あの方〟が悪逆ノ精霊の作り方を彼に教えた事になる。

 ――が、精霊を用いた、〝禁呪〟の中でもかなりやばいモノを、誰がどのように知り、それをわざわざ呪師に教えるメリットとは、いったい何なのか。作らせたものを献上させ、果たして何に使うつもりだったのか。

 そんな多くの謎を調べよう……などと思っていたタイミングで、サシャがあまり得意ではない部類の仕事。溜息が出るのも仕方がない。


(……しかも、ここ、あんまり良い雰囲気じゃないのよねぇ)


 シャンパングラスを片手に、チラリと周囲を見渡す。

 上手く隠しているつもりなのだろうが、このパーティーは二つのグループに分かれて談笑したり、ダンスを踊ったりしている。

 お互いのグループの人間が話す姿は一度も見ず、どころか時折お互いにお互いを刺すような目線で睨みつけあっている。

 両者は着ているものは似ていても、その仕草や礼儀作法に少し違いが見られる。どちらの方が優れているという訳でもなく、実際、住むコミュニティーの常識や儀礼が違えば当然変わってくる部分である。

 そして大きいのは、腰に家紋がついた短剣を下げているかどうかだろう。男性ならば腰に見えるように刺し、女性はスカートの中に仕舞っている。先陣を切って前に進む、貴族﹅﹅ならではの慣習だ。


 貴族と、平民。


 ここに集まっている貴族は、その大半が『枢密院』という官僚組織に所属、あるいは関わっている者達だ。

 官僚組織とは言えその発言力は強く、議会のようなものを開いて、王に上伸する事もある、貴族社会の代表。

 対してもう一つのグループは『民政議会』である。この国を動かすもう一つの議会。平民階級から支持を受ける形で議員職を得ている大商人や豪族。つまり元を糺せば平民出身である、一応平民達の代表。  もっとも、姓を名乗る事を許されているので、殆ど貴族と変わらないが。


 この国の内政を担っている両派閥。これがサシャの悩みの種だ。


 何せ、今この国はその派閥同士が争っている状況だからだ。

 数世代前の王が貴族たちの暴走を止めるために生まれた民政議会。

 この国の政治の動きとしては、まず、枢密院、民政議会が各々で議論を重ね上申書を作り王に提出し、王がどちらを採用するか決めるという構造だ。

 つまり挙げられる提案を受けるも跳ね飛ばすも王の裁量のうちなわけだが、実際は先代王までの間全く機能していなかった。

 何せいくら知恵と財産を持っている人間が多いとはいえ所詮平民。貴族のような治世の知識もなく、その内容はあまり良いものとは言えない。

 下手な上申書を王が採用すれば枢密院がボイコットするなり苦言を呈するなりするので、選ぶ事も難しい。


 結果、その機能は平民のガス抜き程度の効果しかなく、貴族達も好んでそれを利用した。


 ようは自分達にとってはどうでも良い上申書を出させ、平民達には「自分達の意見が通っている」と思わせる。その裏で自分達に都合の良い上申書を、王に受けてもらうのだ。

 絵に描いたような腐り方。勿論民政議会も成長していったが、慣例や財をなし力を維持し続ける貴族に彼らだけで抗う術はなかった。


 ――ヘンリー・三世の時代までは。


 貴族の力を削ぎたい王に、議会の地位を向上させたい民政議会の思惑はぴったりと嵌まり、ヘンリー・三世の在位期間は四十一年だったが、それだけでも今までの歴史に類を見ない程、民政議会の地位は高まった。

 もっとも、これが枢密院や諸領主を任されている貴族達に良い事かといえばそうでもない。

 結局、枢密院と民政議会には対立関係が生まれ、その影響は枢密院に直接関係しない貴族や豪族にも範囲を広めていく事になっている。

 現在のこの国は、嘗てないほど政治的に微妙な状況に陥っているのだ。


(――もっとも、今の私にはあまり関係ないんだけど)


 何せこれは内政の話だ。

 《勇者》が内政に干渉出来るのは、世権会議の法率である《勇定律法ブレイブ・ルール》に違反している加盟国か、世権会議が内政に干渉するに足る大義名分が必要になる。

 《シルヴァリア王国》は確かに大分混乱しているところはあるが、政権会議が介入しなければならないほどの問題ではない。

 居心地が悪いから改善しようのノリで干渉は出来ず、かといって戴冠式の関係上とっとと帰る訳にもいかない。

 ままならないものである。


「――楽しんでいただけていますかな、《勇者》様」


 サシャを取り巻いていた人の壁が自然を割れ、ゆっくりとした足取りで声の主が近づいてくる。

 普通の人間より長身ではあるが、猫背の所為でそれもいようという風には感じられない。

 どこか爬虫類染みた風貌をしている彼は、髪も目も黒く、そしてこの晴れの舞台とは思えない黒い衣装を身に纏っていた。

 ヘンリー・三世の妃、つまり王妃の実の兄にして、枢密院を取り仕切る院長を務める貴族。ギーヴ・フラグレント侯爵だ。


「これはフラグレント侯爵、わざわざ足を運んでいただけて光栄です。ご用件であれば私から覗いましたのに」


 恭しく貴族の礼をとると、ギーヴもまた簡素ではあったが貴族の礼儀に則ったお辞儀を返す。


「挨拶は先ほどしていただきました。わざわざ二度も《勇者》様にご足労願う等とんでもない。

 ただ、宴を楽しんでいただけているのか心配でしてな。何せ我が国は経済難。此度は王位継承を祝う式典とはいえ、手が届いていない事も御座いましょうと」


 その風貌には似つかわしくない、人好きしそうな笑みに、サシャも笑顔で答える。


「いいえ、とんでもございません。この国の権威を表す、実に素敵な宴ですわ」


 ……ええ、財政難とは思えないほどお金が掛かっています。とは口が避けても言えず、心の中でぼやくのみ。特に彼の前では、本心を少しでも表情に浮かべただけで察せられてしまうだろう。

 ギーヴ・フラグレント侯爵。貴族の中にあってその思考回路は商人のそれも合わせ持つやり手であり、政治家としての才能もある。

 元々そう小さくもなかった侯爵家の資産を数倍にまで膨れさせ、その頭脳で事実上の貴族のトップ、枢密院院長まで任せられる凄腕。

 ――口さがない人間からの渾名は《蛇蝎》。その容姿も含め確かにと思えてしまう。

 サシャが好きになれない種類の人間だ。


「それは何より。《勇者》様にわざわざお越しいただいて良き思い出の一つも持って帰ってもらえなければ、我が国の名折れで御座いますからな」

「とんでもない、《シルヴァリア王国》ならではの食事を堪能しております……惜しむらくは、姫様のご尊顔を拝する事が出来なかった事です。ご容態は如何な様子で?」


 カマをかけるつもりで言ったサシャに、フラグレント侯爵の慇懃は小揺るぎもしない。


「ご心配とても傷み入ります。どうやら季節外れの風邪をお召しになったようです。戴冠式を前に大事になってはいけないと安静にされていらっしゃいます」

「お見舞いは可能でしょうか。戴冠式で見届け役を任せられる身でありますし、少しでも御顔を拝見出来れば嬉しいのですが……」

「ありがたいお言葉ですが、姫殿下から風邪を他の方に移してはまずいので、お見舞いは低調にお断りするように申し付かっておりますので。真に申し訳なく」


 想像以上に頑ななギーヴの反応に、少し困惑しながらも、「いえ、こちらこそ無理を言いました」と言う。

 強行に会わせない、と言うのも少し違うだろう。もし彼が姫を政治的に利用するならば、もっと外に出し、その威光を示し続けるはず。

 であるならば、本当の事を言っているのか、それとも、


「お話中に失礼。私も《勇者》様との談笑に加えていただいても宜しいでしょうか、フラグレント侯爵」


 不意に二人の間に入ってきたのは、壮年の男性だった。

 濃いブラウンの髪と同じ色の口ひげを蓄えている。服装は他の人達と同じようだが、その振舞い方でなんとなく貴族でないことは察する事が出来る。しかし、その威厳は嘘のものではないのだろう。

 民政議会の議長を務めているランドルフ・オーレンだ。


「これはオーレン議長。構いませんが、この場ではぜひ院長とお呼びください。ここでの私は貴族ではなく、一人の官僚ですから」

「これは失礼。しかし一官僚とはご謙遜を。貴族の頂点を極めた貴方がそうなのであれば、私こそただの商人。ここにいる必要性はなくなってしまいます」


 ――一気に空気が冷たくなったのが分かるだろうか。

 フラグレント侯爵もオーレン議長もとても微笑ましい笑顔を向け合っているが、その間の空気、そしてそれを見守っている周囲の空気は寒々しいものに変わっている。

 二大派閥の頂点同士が顔を合わせているのだ、この国の人間で気にならない人間はいないだろう。

 しかしある意味で部外者であるサシャにとっては、居心地の悪さに拍車をかけるだけだった。


「先ほどもご挨拶させていただきました、民政議会議長を務めるランドルフ・オーレンと申します」

「先ほどは挨拶だけで申し訳ありません。改めて、二十四代目勇者、サンシャイン・ロマネスと申します」


 丁寧な挨拶に、オーレン議長は朗らかに笑う。


「ご挨拶痛み入ります。しかし私は貴族ではありません。どうかあまり礼を盛り過ぎないで頂きたい」

「とんでもない。とても優秀な方だと聞き及んでおります」


 ――ランドルフ・オーレン。

 この国には自国で生産出来ないものも多いが、その中の一つが塩である。岩塩豊富とは行かず、かといって生活において必需品。彼は塩の輸入に手をつけ、一代で財を成した大物だ。

 商人らしい根回しと気配りで世を渡り、平民からの支持も高く民政議員になり、四十一歳という若さで議長に就任した。こちらも政治においては傑物といえる人物。

 当面のフラグレント侯爵の敵と言っても良いだろう。

 貴族らしい厳しさで統率するフラグレント侯爵、商人らしい柔軟な対応で指揮するオーレン議長。

 政治をする方法論まで間逆となれば、二人の関係性もあまり良いものとは言えない。


「先ほどまで姫殿下の話をなさっていたようですが、私もまだ会えていないのです。環境が一変しましたから、御病気も御尤も。しかし、一度は御尊顔を拝したいものです」


 さらりと、しかもサシャを通して言った不満を、フラグレント侯爵は笑顔で答える。


「お言葉は大変嬉しいですが、他の方に迷惑をかけてはいけないという殿下のお優しいお気遣いを、あまり無碍になさるのは、良識ある方のする事とは思えませんな」


 笑顔とは裏腹に言葉には棘がある。これに気付けないほど、オーレン議長も鈍感ではない。


「これは失礼を。

 しかし枢密院院長である貴方と一部の人間にしか顔を知られていないというのは、あまりな事ではないですかな? 我々民政議会も、また姫殿下にお仕えするのです。

 顔も知らない誰かに傅かれるよりも、少しでも見知っているのであれば、殿下も安心するのでは?」


「お言葉は至極当然。しかしこれもまた姫殿下の意思。それに、まだ姫殿下は政治の勉強をし始めて久しい。そんな時期に民政議会の面々と会合しても、あまり意味はないと思いますが?」


「なるほど、流石貴族の長を勤めるお方の発言は重みが違う。

 ですが、この国は枢密院と民政議会、両者の足並みを揃えればこそ力を発揮する。なれば、政治の勉強であっても、偏り﹅﹅を生むような事は避けねばと愚考するのですが、如何ですかな?」


「――そうですね、殿下に上奏し、判断を仰ぎましょう。貴重な御意見に感謝いたします」

「――いいえ、貴族であるフラグレント院長に意見を考慮していただいて、光栄です」


 ……もはや空気は冷たいというより極寒だ。

 サシャという緩衝材を使いながら言葉の殴り合いを繰り広げているが、緩衝材になっているこちらの事も考えて欲しいものだ。

 しかもその言葉の応酬もねちねちしているのだから、まるで鉋で皮膚を削られているような気さえしてくる。

 その雰囲気を察してなのか、先ほどまで壁を作っていた人々はどこへやら、まるでここが落とし穴であるかのように人は遠ざかっている。まぁ、実際ここは一度引き込まれたら逃げれそうにない。

 それこそ、その穴の淵から手を差し伸べるような人間がいない限り――、





「皆様、ご歓談中失礼いたします」






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