其ノ四






 第三の人物の声は、何時も聞いている声なのに、どこか別物のように聞こえた。

 給仕が着るような燕尾服ではあるが、その胸とつけられている白い手袋には《勇者》の紋章である歪な天秤が刺繍されている。

 《勇者》に跪く従者でありながら、決して下僕ではないという自己主張――《眷属》が自身を《眷属》だと主張する、宴用の制服のようなものだ。

 髪に塗られた香油も「べたべたする」「匂いが気に入らない」「オールバックは似合わない」と文句を言っていた割には、その匂いも、オールバックもしっかり彼に合っている。

 というより、余所行きの顔をしていると、一瞬誰だか分からなくなる。


「――お初にお目にかかります。《勇者》サンシャイン・ロマネスの一ノ《眷属》を勤めています、トウヤ・ツクヨミです。

 ご歓談中真に申し訳ありませんが、我が主人はお酒に弱く、今も様子を窺いますにあまり気分も優れない様子。失礼でなければ、どこか冷たい風が当たるところで休ませていただけますでしょうか?」


 卒のない丁寧な挨拶と、礼儀正しくはありながら有無を言わさぬ発言。一週間の付け焼刃にしては完璧で、その助け舟はありがたい。別に酒に弱くはないのだが、ここを抜け出す口実としては完璧だ。


「おや、それは気付かず申し訳ありませんでした。では、そこの窓からテラスに出れますので、ぜひお休みください。もし良ければ、冷やした水など用意させましょうか?」

「お気遣いありがとうございます。ですが御心配なく。すでに給仕の方にお願いしています。

 挨拶も早々にこのような無礼、申し訳ありません」


 トウヤの言葉に、フレグレント侯爵は柔和そうに見えなくもない笑みを浮かべる。


「いいえ、流石眷属殿。《勇者》様の体調の変化を見通す慧眼、私も見習いたく。

 ささ、体調をこれ以上悪くなさっても困ります、お早く」


 その言葉に、サシャとトウヤはもう一度礼をしてから、その場を不自然にならない程度の速度で歩いた。







「――で? 随分助けるのが遅かったじゃないの、《眷属》殿?」


 まだ初夏に近づいた程度。夜になれば涼しい風が吹くテラスの中で、サシャの不機嫌そうな顔がぼんやりと浮かんでいる。


「そう言われてもなぁ。オレは一介の《眷属》。この国の代表的人物二人と《勇者》の会合に割って入るのには、それなりの勇気がいるんだよ」


 少なくともあの空気の中に入っていくのはかなり勇気がいるのは本当だ。


「どうだか。本当は女の人に囲まれて気分が良かったから、私の事なんて気にしなかったんじゃないのぉ」

「……まるで見てきたように言うじゃないか、お前」


 確かに、囲まれてはいた。

 何せ貴族の御令嬢様方が『元傭兵』で『眷属』ってのは相当幻想的な存在に映るようだ。

 戦いなんて非現実的な世界に慣れていない貴族のお姫様方の心内は、半分は珍獣見たさの好奇心。つまり、囲まれているって言っても良いもんじゃない。


「それより、この国思った以上にややこしい事になっていないか?」


 さっき給仕から受け取った水をサシャに渡すと、緊張で喉が乾いていたのだろう。一気にグラスを空にする。


「ぷっふぁ~、そうねぇ、政治家とは思えないほどあからさまな牽制のし合い。しかも、話を聞いていると、唯一の王位系継承者は枢密院が押さえているようだったし、ねぇ」

「それは……ちょっとまずいなぁ」


 どんな人間なのか知らないが、姫はこれから女王様になる人間。この国の政治の構造上最終決定剣を持つ。ざっくり言えば、彼女の選択し次第で国はどのようにも変化する。

 そんな人間を枢密院、ひいては貴族が抱え込んでいるなら、生まれてずっと社会と言うものを見てこなかったお嬢様に、何を吹き込んでいるか分かったもんじゃない。

 で、それを黙って見ていられる民政議会でもないだろう。どうにかして接触しよう、もし出来る事ならこちらが抱え込もうと必死になるはずだ。

 政争なんて言葉が生易しい、工作員同士の戦闘行為人だって発展しかねない。

 ……前の世界ならばもう少し慎重な行動をとる可能性もあるが、ここは前の世界ほど技術が発展していない。

 未だ治癒魔術でも治らない病気や怪我は数多く、事件が発生しても諮問や物的証拠を着くつけられるわけでもない。

 つまり文字通り、勝てば官軍な状況だ。


優勝カップひめはいったい誰の手に、って話になるわけか……で、そんなお国で《勇者》様はこのまま大人しく戴冠の見届け役を行って帰るかい?」

「冗談。この状況はとてもじゃないけど看過出来ないわ」


 サシャの言葉は、オレに取っては案の定のものだった。

 王家、枢密院、民政議会。その中で戦いが終わるならそれでも良い。だが、国全体を巻き込んだ話になってくると内乱に発展しないとも限らない。それにどっちが勝ってもあまり宜しくない。


 片や政治的な手腕と財源があっても、国民全体の信任を得られない枢密院。

 片や貴族に及ばないとは言え金があって信任があっても、本当の国政を行えるか分からない民政議会。

 どっちに傾いても、どちらが主導しても国は崩れる。


 それは当然、最終決定権を持つ王族もまた同じ。

 勝たしてはいけないが、負けさせるのも良くない。


「でも、実際今の段階でこの国に介入できる根拠がない以上、何も出来ない。

 ――今のところは﹅﹅﹅﹅﹅﹅、ね。もし何かあれば、私の了承をとる必要性はないわ」


 勝気な笑みを浮かべるサシャの言葉を要約すれば、「何か大義名分になるような物を掴んだら死んでも放さず私の元へ」って事だ。


「意外なお言葉だな。アンタはもうちょっとそういうのが苦手なんだと思っていた」

「今も充分苦手、っていうかやりたくないんだけど……この状況じゃどうしようもないわ。相手が政治ってフィールドにしか出てこないなら、こっちが乗り込んでいかなきゃ。


 勿論、何も起こりませんでしたってのが、理想ではあるけどね」

 尤もな御意見だ。

 オレはその言葉を溜息に変え、空を仰いだ。

 星はこんなに綺麗なのに、全く地上は有象無象で溢れかえっているもんだよ。


「……ねぇ、そういえば今気付いたんだけどウーラチカはどこ? 一応、貴方にお目付け役を頼んだはずなんだけど」

「安心してくれ、役割を全うしたからここにいるんだ。ウーラチカなら、あそこで大人しくしているよ」


 オレが指差した先には、ちゃんとウーラチカがいる。

 クッキー、チョコレート、ケーキにゼリー。どれも最高級のお菓子が並んでいる中、ウーラチカはモクモクと食している。その周りに近づく奴は誰もいない。


「なにあれ、何であの子だけ? 私だって貴方だって囲まれてたのに」

「理由は簡単。コミュニケーションが難しいからだよ」


 ウーラチカはこの一週間でしっかり礼儀作法を身につけていた。元々覚えは悪くない奴だったし、大好きなお菓子がご褒美だったんだから必死なもんだった。

 だから所作一つとっても、下手をすればオレより上手い。

 ――だが問題はあの片言だ。

 貴族の令嬢方もびっくりだろう。あんな精悍な青年から発せられる言葉が子供のような片言では。

 コミュニケーションってのは大事だ。言葉が通じるとしても、自分達と同レベルに話せる人間じゃないと分かると、途端に距離を置きたくなるってのが人間の性。

 徐々に人は離れていって、最終的にはお目付け役のオレの方がパンクしかねない状況に陥っていた。


「そっか。敬語は教え込めても、あの口調は直せなかったもんねぇ」

「それが幸いだったのか、それとも《勇者》の教育不足を露呈させる結果になったのかは難しい判断だがな。今やウーラチカはお菓子の国の住人だ」

「悪印象って程ではないでしょうし、あの口調じゃなくなったウーラチカも私は少し嫌ね……にしてもまぁ、よく食べているわね。あれ、お菓子だけでお腹いっぱいにする気?」

「いや、その前に他の料理もしこたま食ってた」


 こちらが胸焼けしそうなほどの食事量だ。

 こういう立食形式のパーティーはあまり食事を手につけないのが一般的。がっついて意地汚い所を見せるのがマナー違反って話だ。

 そういうのは、オレもあまり好きじゃない。せっかく上手い料理を食わないってのは、贅沢って言うよりも勿体無い。


「……ま、それも貴方達らしいわね」


 サシャの表情は先ほどの硬さも取れ、柔和なものになっている。

 慣れない社交辞令、物珍しさを隠しもしない貴族達、政治家の歯に衣着せた物言い。どれもこれも、サシャにはあまり経験のないものだ。

 世権会議の有力者と会合はあったが、あれは政治家とは少し赴きも違った。政治闘争が内部にあるわけでもなく、本当にただの顔合わせ。

 だがこの国の連中はどいつもこいつも、サシャを《勇者》としてではなく『政治的に利用できる要人』として見ている。

 望んでいる仕事ではないというだけでもかなりの心労だが、そういう妙な圧力が掛かっている状況じゃ、疲れも余計だ。


「大丈夫か? なんだったら、理由でもつけて部屋に戻る事も可能なんじゃないか?」


 連中も、そこまで愚かじゃない。見届け役の機嫌を損ねないように、最大限努力してくれるだろう。部屋に戻る何ざ難しい事でもない。

 そんなオレの言葉に一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの勝気な笑みを浮かべる。


「気遣いありがとう――でも、まだ情報は搾り取れるわ。もし何かあった時の為に、知っている事は多くなきゃ。

 お酒も出て、ダンスで踊れば人間良い気分になる。そうすれば硬い口も少しは緩むんじゃない?」


 ……なんだ。

 へこたれていると思えば、案外元気じゃないか。

 オレはその言葉に笑みを浮かべて頷いた。

 ご主人様の意外な一面ってのは、見てて気分の悪いもんじゃない。

 それが成長と言う意味であるならば、尚更だ。







 沢山の宝石をあしらったアクセサリー。

 絹のドレス。

 貴族でなければ手に入らない珍品。

 全てを含めて、女性としては低くない身長のエリザベスの、腰ほどまである荷物を二つ用意した。

 パンパンに詰められている所為か、重さは相当。一人では引きずる以外に運ぶ方法はないが、案内に持たせれば楽なものだ。

 しかし問題が二つある。

 リチャードの地図は仔細に描かれている様に見えるが、肝心の案内役が〝どんな〟人間で、〝どこで〟おち合うのかが書かれてはいなかった。


(きっとうっかりしていたのね)


 そんなどこか間の抜けた所も、エリザベスの恋に拍車をかけるものにしかなりえない。

 笑みを浮かべながら、部屋に二つあるうちの一つ――ちょうどダンスホールが望める窓を見る。

 夜だというのに昼のように明るいその一角には、様々な衣装に身を包んだ貴人達が踊っているのが見える。

 テーブルの上に何が置かれているのかを知る事は出来ないが、きっと豪奢な料理が並んでいるのだろう。微かにだが、音楽も聞こえてくる。


『姫殿下を見つけた喜び、そして戴冠の前祝い』


 あの蛇蝎のような男はそう言っていたが、エリザベスにとっては腹立たしいものでしかなかった。

 見つけてもらいたくなかった。

 戴冠なんてしたくない。

 ただ自分は最愛の男性と穏やかに暮らしたいだけなのだ。それ以外を望んだ事は一度もない。

 ましてや王位を――国を望んだ事など絶対にない。

 何故そっとしておいてくれないのか。何故自由にさせてくれないのか。そんな憤りが心の中にふつふつと浮かんで、エリザベスはダンスホールから目を放す。

 自分にはもう関係ない世界だ。

 今日の夜にはもう視界にすら入らない世界の事を、考えている余裕などなかった。

 手紙が届いて一週間後――つまり今日こそ、エリザベスがこの城を抜け出し、リチャードとこの辛い世界から抜け出せる日なのだから。

 きっと城の人間の多くが浮かれている事だろう。お酒を飲みダンスを踊って陽気になって、部屋に戻ればすぐに寝てしまう。自分のような娘一人が歩いたところで、起き出してくる人間はいないだろう。

 そう思いながら、エリザベスはもう一つ、肩掛けの鞄を手に取る。

 リチャードがくれたプレゼントの一つ。市井の人々はコレで自分の荷物を運ぶのだといって自分にくれた物だ。

 これでどうやって大荷物を運んでいるのかは不思議でならないし、荷物を自分で持つという感覚が新鮮で、喜んでいたのを良く覚えている。

 鞄の中から、そっと一枚の紙を取り出す。くるりと巻いてある大きな一枚の紙は、開けば肖像画だった。

 母と父、そして幼い頃の自分。いつか家族の記念にと、絵師を読んで描かせた。今になっては唯一、家族の思い出を思い出せる品


「お父様――どうして、」


 どうして王だった事を隠していたのですか。

 どうして私の継承権を放棄してくれなかったのですか。

 どうして私に嘘を教えていたのですか。


 そんなもう言っても詮無き事を、絵の中で微笑んでいる父に向かって言った。もし父が自分に全てを話し、王位継承権を放棄してくれていたのであれば、こんな事にはならなかった。

 ……いいや、その前にまず怒っていたかもしれない。自分は愛人の子だと言われていたならば、父を一生恨んでいた。

 ――でも、言って欲しかった。

 少なくとも、知らずにこのような状況になるよりずっと良かったはずだから。

 しばらく絵を眺めてからもう一度巻きなおし、鞄の中に入っているもう一つの宝物を取り出す。

 それは小さな箱、小物入れだ。

 エリザベスが持っているものの中で一番価値が低く、豪華さでも見劣りする。でもエリザベスにとっては一番の宝物だった。


『君のために作ったんだ。気に入ってくれると良いけど』


 私ながらそう言ったリチャードの顔は、恥ずかしそうに顔を赤らんでいて、それが男性に言う言葉ではなくても、思わず「可愛い」と言ってしまいたいものだった。

 蓋には、二羽の信天翁アルバトラス。一生を添い遂げる夫婦鳥。


「――会いたいわ、リチャード」


 自分とリチャードはこのように一生一緒にいられるのだろうか。少しの不安に目を瞑り、どこか寒々しい部屋の中で零す。





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