4/悲嘆と説得 其ノ一






 〝影〟の触手はもはや間断なくオレを攻撃し続ける。


「もう躊躇も無しですかこの野郎!」


 その攻撃を《竜尾》の衝撃の盾で防ぎながら、《顎》で隙を見て触手を斬る。再生するが、再生させるためにほんの少し時間がかかるようで、その間だけは何とか移動出来る。

 だがもう痛みによる困惑はない。

 だんだんと慣れていく﹅﹅﹅﹅﹅その姿は知恵が有るようで少し不気味だ。


「しかも、またこれは、」


 ちらりと横を見る。

 オレを狙い損ねた触手が、地面すれすれで通り過ぎる。


 瞬間、そこに淡く光っていた灯り苔が〝枯れる〟。


 先程看破眼で見たから分かったが、〝影〟が食しているのは小我オドだけではない。大我マナもだ。

 その取り込んだ力を再生能力に使っているのか。

 そう思いながら、オレは空いている手に握られた《顎》を見る。


 ――罅。


 基礎の部分が、じゃない。オレの小我を取り込み、〝斬る〟という性質を凝縮させた魔力物質エーテルに罅が入っている。

 直るのは一瞬。だが、斬れば斬るほどオレの生み出した魔力物質まで食われているとなれば、正直攻撃も考えものだ。斬った分だけ餌を上げているんじゃ、意味が無い。


「なんかカラクリがあるような――うぁ!?」


 そう呟いた所為で手が緩んだのか、触手の膂力とそのと力を跳ね返した《竜尾》の反動が、オレの体をほんの少し浮かせる。


「――って、冷静に分析するのもダメってか!」


 《竜尾》を構え、《顎》を振るいながら必死で怒鳴る。

 今回のオレの仕事は陽動だ。

 今も森に潜んでいるウーラチカが放った矢が、〝影〟を捉えている。

 風を切り裂く音がいくつも聞こえ、矢は〝影〟の目を、腹を、足らしき部分を、触手を撃ち抜く。

 小我や大我を吸収している事が分かっているからか、燐光は纏っているもののその矢は本物だ。しかし、〝影〟は文字通り影そのもののようで、攻撃は貫通している。

 それでも、先程のように矢が止まる事はない

 もうオレからはどこにウーラチガがいて、どう射っているのか分からない。

 矢の軌道は千変万化だ。銃で言う跳弾のように木に当たって方向を変えたり、弓そのものがしなりを持って緩いカーブを描いたりしている。

 弓はオレも出来るが、あれはどう射れるのか分からない。

 精闇族ダークエルフの面目躍如と言った所だろう。

 〝影〟にはダメージを与えられていないが、充分けん制には充分役立っている。その矢で体がい抜かれる度に、〝影〟はその矢を放った犯人を捜し、目のような穴を森の中に向ける。

 だが、森に護られる加護を持ち、その森を自由自在に行き来出来るウーラチカを見つけるのは至難の業だ。

 そして見つけようとする度に、


「オラァ! どうしたでくの坊!!」


 邪魔者オレに気を取られる。

 池の上に縛り付けられているアイツの元に向かうのは無理だが、剣同士を打ち合わせ音を鳴らし、こちらに注意を惹きつけ続ける。

 正体は分からない。

 だが一定の判断能力と知恵を有しているのであれば、こちらも慣れている。

 なんたって、オレの専門は『護り屋』であると同時に――『狩猟者』。魔獣を相手にする時のコツくらい知っている。

 連中は頭が良い。罠を張ればオレ達の臭いで看破し、長い時間生きている魔獣であればオレ達の動きを予測出来る奴もいる。


 だが、良くも悪くも動物。


 探しても容易には見つからない敵。

 目の前にいる敵。

 どっちの方が狙いやすく、襲っても安全かというのを考えれば後者に落ち着く。

 普通の人間だったらこれくらいで誘導出来る程簡単じゃあないが、相手が理性よりも本能拠りであればあるほど、


『――――――■■■■■■■■!!』


 効果が高い。

 〝影〟は余所見をしていた視線をオレに戻し、再び触手で攻撃し始めた。最初は腕を変化させただけだった触手も、背中らしく部分から一本二本と増え、今や八本の触手でオレを攻撃し続ける。

 ――分からない事は他にもある。

 ある程度知恵を持っているならば、この状態で考えられる行動は一つ。自分の殆ど影響を与えないウーラチカを一端置いて、オレの近くまで迫って攻撃すれば良い。

 この距離まで触手を伸ばしているにも関わらず攻撃は重い。触手ではなく直接体をぶつけるなり、そうでなくても至近距離なら、オレの防御と牽制を突破しオレを殺す事だって可能なはずだ。

なのに、先程から〝影〟は池の上から――というか、最初にいた場所から一歩も動いていない。

 何かに縛り付けられているように。

 何かにそう命令されているかのように。


 あるいは何かを――待っているかのように。


「……こりゃッ、サシャにッ、来て貰わない方がッ、良いかもッ」


 大鬼族オーガを利用している呪師とこの〝影〟に繋がりが無いというのは簡単だが、今の状況でこんな事をする連中、他に心当たりなんか無い。

 〝影〟は呪師が生み出したか、あるいは使役しているナニカなのだろう。

 そうだとすれば、こんな化け物を送り出してまでしたい事――《勇者》を殺す事が狙いなのだろうと、オレの頭の中では自然と思っていた。

 この森で現在呪師の邪魔なのは、《勇者》くらいだ。樹人族エントは大した勢力ではなく、それに協力するウーラチカがいくら強くても個人ではどうにもならない。

 《眷属》という、通常の兵士の何倍もの性能を持つ護衛を持ち、状況に応じて世権会議から騎士団派遣の要請を出せる《勇者》という存在は、不安材料にしかならない。

 ついでに外に情報を漏らす事も防げる、一石二鳥。


 胸糞悪いが、こんな切り札持ってるのだから、悪くない考えだろう。


 だがそうなるとこっちとしては――《眷属》としては、サシャがここに来て欲しくない。だが来て貰わないと大我の恩恵は得られない。

 あれにも制約が山積みなのだ。命令という形を取り、おまけに《眷属》が一応勇者の視界に入っていないと機能しない。発動すれば数時間維持するのは難しくなくても、最初の部分で躓く。

 ――矛盾、いや、この場合はジリ貧とでも言えばいいのだろうか。《勇者》に来てもらっては護る対象が増えて厄介だし、《勇者》に来て貰わなければ状況は改善されない。

 そしてその判断を下すのは、オレではなく《勇者》であるサシャであるという点に、笑みが浮かんで――直ぐに、苦しみで歪む。


「ああ、ちくしょう、そろそろッ、やばいかもッ」


 自分だけの力で大鬼族にも匹敵する膂力を防ぎ続けてきた。

 手はもう感覚が薄く、寒くも無いのに悴むように手が震える。

 防御はいっぱいいっぱい。

 攻撃が多すぎ、しかも相手はこっちに付き合ってくれないからここを離れる訳にもいかない。


「あぁ、もう、あいつッ、普段はタイミング良く、来るくせにッ! どうしてこういう時ばッ、遅いんだよ!」


 時を数えている余裕は無い。長く戦っているのか短く戦っているのかも、オレには分からない。

 早く。

 早く来てくれ。

 本当であれば、護衛対象がいないというのは一番楽な状況な筈なのに、心の中でアイツを呼ぶ。

 状況を覆せないから……いいや、そうじゃない。

 アイツが、護る対象がいないと、オレはどうも力が出ないらしい。

 アンタがいないと、こっちはしがない元傭兵だ。

 《眷属》と呼ぶならば。

 《勇者》がいなければ。




「早く来いよ――この、じゃじゃ勇者!」




「「『――《勇者》の名に於いて、我が剣に命ず――我が威光を持って、全てを打破せよ』!

 ――じゃじゃ馬って言った説教は後でしてあげるわ、やりなさい、トウヤ!!」




「――アンタ、そういう運でも強いんじゃないか。俺がピンチになんないと来ないとか」


 体に満ちる暖かな力が、痺れた腕、疲れた体を癒す。体の底から、いつも貰っていた力を感じる。


「冗談言わないで、まさか狙って来てるとか思ってる?」

「いいえ、全然全くこれっぽっちも思ってませんよ、我がご主人様」


《苔生ノ翁》に抱えられているサシャの笑みに、トウヤは笑顔で答えた。




『――――――■■■■■■■■■■■』




 見つけた。

 そう言わんばかりの咆哮と共に、〝影〟の触手はサシャの元に殺到する。

 黒い雨、黒い弾幕は、そのままで行けばサシャどころか翁をも蜂の巣にし、その命をあっという間に奪うだろう。


「おいおい、こっちが先約だろうが。後から来たお客さんにちょっかいかけんじゃ――ねぇ!!」


 《顎》と《竜尾》。両手剣トゥーハンドソード片手剣ロングソードを、双剣のように振るい、その触手の闇を晴らす。

 大我で筋力を高められたオレの腕に振るわれた双刃は、その硬質化した穂先を砕き、触手を引き千切る。


「ウーラチカ、悪いけどサシャと翁を頼む!」

「――アイアイ、おれウー二人とも護る」


 どこかに居るだろうと叫んだオレの声に、思った以上に地殻から返事が聞こえる。

 その言葉に妙な安心感を覚える。

 信用を置くのは、結構早い方だと思っていたが――自分の主サシャを任せても良いとまで思っていたとは、自分で自分が意外だった。


「――さぁて、そこで良い﹅﹅﹅﹅﹅のか、黒ん坊」


 先程までのオレと今のオレ。その違いを感じているのか、様子を見るように〝影〟はオレを睨み付けている。

 そんな影に、オレは一歩ずつ近づきながら言った。

 後もう少しで、池の水に触れよう……その距離まで来ても、〝影〟は何も答えない。


「ああ、そうかい、良いんだな?


じゃあ、――行くぞ﹅﹅﹅!!」


 足を力強く踏み出す。

 身体強化フィジカル・ブーストされた脚力を使うと同時に、足の裏に大我を直接纏わせながら走り、




 水面を蹴り進んだ﹅﹅﹅﹅﹅




 出来ない事じゃない。

 大我を純粋な力場とした時、アメンボと同じように水面に浮く事が出来る。

 勿論、そんなもんほんの一瞬だ。

 ――一瞬で良い。

 前に一歩踏み出すだけなら、その一瞬だけで充分。

 浮いている間に次の足を出し、また次の足を置く。

 ファンタジー小説や漫画で登場した、そういう歩方とは違うでたらめな力技。

 ああ、でもアイツラの言ってた事は真実だ。

 『そう難しい事じゃない』ってのはな!!


『■■■■■■■■■――!?』


 何故。

 どうして。

 そう言っているような啼き声を発しながら、〝影〟は触手と膜のようなものを生み出す。

 触手はオレの進行を阻むため、全力でその穂先を突き立て、

 膜は本体を護るように、自分の本体を守る結界であるかのようにその身を包む。

 そのどちらも、今のオレには意味がない。


「邪魔、すんなゴラァ!!」


 《顎》と《竜尾》を振るい、素早く、丁寧に触手の槍を払いきり、前に進み続ける。

 あと、ほんの数メートル。


『――■■■■■!!』

「うる――せぇ!!」


 〝影〟の咆哮を掻き消す為に咆哮を上げ、


 その膜に、《竜尾》を突撃槍ランスのように突き立てる。


 〝斬る〟概念を持ったオレの魔力物質は、膜の堅牢さなどに見向きもせず、真っ直ぐに相手の腹に突き立てられる。

 数瞬の抵抗。押し返されるような反動。

 それを無視して、さらに前に突き進む。

 〝影〟の咆哮も抵抗も、何もかも無視して、

 そのまま、後ろの森に突っ込んだ。


「――ッ」


 衝撃と体の節々に突き刺さった木片の痛みで、視界が明滅する。

 それをも無視して、オレは突き刺した〝影〟を見た。


『――――――』


 指された部分からは血も出ておらず、《竜尾》を抜いた途端に傷は修復される。

 しかし内臓はあるかは別にしても、ソレにとっては相当のダメージだったのだろう。立体感の無いその体を背中にある木が支えていた。


「――意外。気絶すんだ、こいつ」


 呼吸を確認して、(そもそも息をしているかも微妙だったが、一応しているような気がした)、小さく溜息を零す。


 ……いや、なんだこれ。


 あまりにも出来すぎている状況に、改めて困惑する。

 瞬く間に傷を治す再生能力、力を吸収する権能。その機能だけでも充分他を圧倒している。少なくとも、オレとウーラチカ二人がかりでも足止めがやっと。

 それなりに戦闘経験があり、しかも片方は森という最高のフィールドでの戦闘。

 こっちが明らかに優位に立っていたはずなのに、それでも俺たちを圧倒出来る力があった。


 それなのに――このあっけなさは、一体何なんだ。


 確かに強い攻撃にした。助走もつけた上でオレの《竜尾》を突き立て、ダメ押しといわんばかりに森に突っ込んでやった。

 だが――それで倒せるとは思っていなかった﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅

 嫌な予感がする。その予感の所為か、自然と《竜尾》を正眼に構える。

 気絶しているように見える〝影〟に向かって切っ先を向ける。

 悪寒が、体の置く底から背筋を通る。

 〝影〟に対峙した時よりもずっと濃厚で、確信が持てる予感が、


「トウヤ、無事!? 貴方いきなり突っ込んでいくからびっくりするじゃないの」

『しかし、アレはいったいなんだったのじゃウーラチカ』

「分からない……化け物」


 声を聞いて振り返る。

 サシャはもう翁の腕の中から抜け出したのか、こちらに走り寄ってくる。その少し後ろには、翁とウーラチカも。

 ダメだ。

 頭の中にいるオレが叫ぶ。

 ダメだダメだ。

 ダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだダメだ――、




「――全員、こっちに来るなぁ!!!!」




 その言葉は虚しく、

 〝影〟の触手は、

 オレを通り過ぎ、

 サシャ――、


 すら通り過ぎ、




『――ゴフッ』




「――ジイジ?」




 《苔生ノ翁》の胸に、吸い込まれるように突き刺さった。





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