其ノ四
「知らん、って……」
ウーラチカの表情は、呆然という言葉がぴったりだった。
優しい言葉、真っ直ぐな言葉、説得やら、もしくは説教。とにかく自分の中での切っ掛け、背中を押す何かをオレに求めていたのだろう。
だが、それをオレに求めるのはちょっと筋違いだ。
「何を思ったのか知らんが、オレはお前が欲しがる答えを持っていない。
そりゃあ、
価値基準の外に放り出されたのは確かに同じだ。
まぁその不安感も理解できないわけじゃない。
でも、オレとウーラチカの決定的に違うところは、
「オレは、足を止めなかったから」
「……怖く、なかったの?」
「んなもん、めちゃくちゃ怖いにきまってんだろうが。正直、今も怖いさ」
笑みを浮かべて返す。
不安に感じて苦悩して、正直嫌だなぁ、逃げ出したいなぁと思うことだって山ほどあった。
考えてみりゃ、何でオレこんな事してるんだろうって気付く瞬間もあった。
自分の考えが通用せずに歯噛みした事もあった。
理不尽な理由でぼろぼろにされる事もあったし、失った記憶は失った割には存在感があって、鬱陶しく思う日だってあった。
それでも、考える事も、前に進む事も、止めなかった。
オレの数少ない、誇れるものの一つだ。
「……なんで? 怖くて、痛くて、辛いなら、しなきゃ良いのに、」
ウーラチカの言葉は、あぁ、全く持って正論だ。
不安なら、悩んだなら、逃げ出したいなら、矛盾に気付いたなら、歯噛みしたなら、ぼろぼろになったなら、鬱陶しかったら。
やめりゃあ良い。
「でも、オレは止めたくない。答えが欲しいし、それに――立ち止まる事こそ、オレは嫌だったから」
目の前に、護らねばならぬものがあるなら。
道行く先に、求めるものがあるならば。
不安でも、悩んでも、逃げ出したくても、矛盾に気付いても、歯噛みしても、ぼろぼろになっても、鬱陶しくても。
それでも、前に進み〝たい〟んだ。
「だから、お前の悩みには答えてやれない。そういうのは、自分で答えを出すしかない。答えを出すには、色んな話を聞いて、色んな事をしなきゃいけない」
一歩目はさぞ重いだろう。
踏み出すのに躊躇するだろう。
前は見えているか見えていないか、それすら分からないだろう。
しかしそれでも、今が恐らくウーラチカの考え所、ターニングポイントなんだろう。
留まるも、外に出るのも、その答え次第。
「……それは、辛い」
「辛くても、やらなきゃいけない。ぶつかった以上、やるしかない」
言葉には暗雲が垂れ込めているような暗さがあった。それでもオレはそれを振り払ってやろうとは思わない。
ぶつかってもいない問題に一喜一憂するのは無駄だが、ぶつかっている問題に目を逸らすのは〝逃げ〟だ。
その記憶は生涯忘れず、逃げたが故にもう立ち向かえない事に気付いた時の絶望は、きっと大きいんだろう。
実際傭兵には、逃げて逃げて逃げ続けて、そこに居ちまった連中ってのも沢山いた。
国も地位も名誉も金も家族も誇りも、自分自身すら捨てて、命を消費しながらその日を暮らす連中。
ありゃ、生きているようで生きていない。
「まぁ、大いに悩んでみれば良いさ。先輩からの助言だ」
「……
「中身がガキと大差ないんじゃ、その言葉も微妙な所だな」
複雑そうな顔をするウーラチカの背中を軽く叩く。
悩むってのはマイナスな言葉に聞こえるが、早々悪い事じゃない。
悩んでいるって事は、真剣に考えている証拠だから。
「――ッ」
不意にウーラチカが立ち上がる。
「? どうした――何があった?」
背中が叩かれるのが嫌だったかとも思ったが、表情を見で悟る。
真剣、とは少し違う表情。警戒心という毛を逆立てている獣のようなその表情は、少しリラックスしていたオレの心を引き締めるのに役立った。
「――ナニか、悪いもの、いる」
「悪いもの……少し待て、」
曖昧な表現に、オレは一度目を閉じて、《看破眼》を起動させる。
淡い光に照らされていた池の畔は、一瞬で大我の極彩色に彩られる。
森に潜んでいる動物達の息吹、木々や草、池。この森全体が
その中に――
ペンで穴でも空けられたかのように存在するその〝点〟は、大我というにはあまりにも歪み、淀んでいるようにも見える。
周囲の大我を自分の色に染め、取り込み、そして何もない無を吐き出すような。
気持ち悪いナニカが、池の中心に立っていた。
ブラックホール。
前の世界の知識の中にある言葉が、唐突に頭の中に響いた。
――ゆっくりと、《看破眼》を解く。
影の形をした少女。
名づけるならばそのように見える存在が、池の中心に立っていた。
クラシック・チュチュ形をした影。小枝のような手足。頭も髪の毛のようなものはあるが、その顔には目も鼻も口も見当たらず、黒く塗り潰された顔は、ただ俯いて水面を見続ける。
そんな影絵のような姿の中、その胸に宿る若草色の宝玉だけが鼓動するように爛々と輝いている。
大我の塊――だが、それだけの言葉で表現するには、その大我には問題がありすぎた。
「――精、霊、様?」
「精霊様って……おいおい、
相手を刺激しないようにゆっくりと《竜尾》を抜きながら言う。
オレの言葉に、ウーラチカは信じられないという顔で首を振りながら、自身も脇に置かれていた弓を構える。
「違う、違うけど、違うけど似てる……分からない。
「オレも分かったら苦労しないよ」
とにかく、何かやばいモノ。
そうとしか表現しようが無かった。
オレ達がそう話している間、影は動かない。水面に立ちながらも波紋を作らず、ただじっとそこに立っているだけ。それなのに、ねちっこい空気ばかりはこちらに流れ込んでくる。
腐った臭い。退廃の臭い。
人間の鼻には刺激が強すぎる異臭に、オレもウーラチカも顔を顰める。感覚の鋭いウーラチカからすれば、オレの感じている臭いなど大した事はないだろう。
「……サシャ、呼ぶ?」
「……そんな余裕、あったらな」
オレ達の言葉が聞こえているのか。
それとも、ただ単にタイミングが良かったのか。
何もない顔が、こちらを向いた。
「「――ッ!!」」
同時に弓と《竜尾》を構える。
目どころか、何もないはずなのに、
ゆっくりと、その顔に〝穴〟が生まれた。
等間隔に二つ。真横に裂けて空いた物が一つ。
――目と、口だ。
『――――――■■■■■■■■■■■■■■!!!!』
悲嘆も憎悪も憤怒も、全てが混ざり合った異形の咆哮が上がる。
「ッ、ウーラチカ!」
「分かってる!!」
オレの言葉とほぼ同時に、ウーラチカは弓の弦を引いた。
頭、心臓、腹。人間であれば、その三点に同時に射られただけでも動揺し、ソノ間に死ぬ。一瞬の殺害。
だがソノ攻撃は虚しくも、
先程まで舞っていた灯虫と同じ光を放ちながら、
「――――――」
ウーラチカが言葉を失う。オレも同じだ。
今のがもし見間違いでなければ、あいつ、
「――食いやがった」
あり得ない事だった。
オレだってこの一ヶ月本を読んだり、サシャから色々教えてもらって聞いている。
純粋な小我を他者が吸収する事は〝不可能〟だ。
様々なモノを生み出し、様々なモノの生命力となってきた大我とは違い、小我は個人の生命力、魂の力そのものだ。
他人の魂を真の意味で受け入れられないのと同じように、他者の小我を自分の体に取り込む事は出来ない。唯一、
だが、目の前のそれが呪師と同類とは――そもそも、人類の枠の内側にいる存在には思えない。
どんな存在でも侵す事の出来ない絶対の
それを、〝影〟は無視した。
「っ、どうし、」
「バカ、ぼさっとすんな!!」
混乱するウーラチカを後ろに押しのける。
〝影〟の手がぐにゃりと変形し、布のように柔軟に――そして見る限り、刃のような鋭さを湛えてこちらに振るわれたから。
「
《竜尾》の権能が起動し、オレの小我は〝衝撃〟の
振るえば鉄槌。
構えれば、
「盾だ!!」
軽快な破裂音と共に、触手は弾かれる。
ダメージがあるようには見えない――むしろ、こっちの方がダメージを受けている。
細身の体で振るわれたようには思えない膂力。そして、弾き返す為の反動が、オレの腕に悲鳴を上げさせる。
『――――――■■■■■■■■■■■!!』
口惜しそうに〝影〟が啼く。
「と、トウヤ、……」
オレの後ろに庇われる形になったウーラチカは、――震えていた。尻餅を着き、頭が空っぽになったかのような無色透明の目。
未知の敵。
狩り以外での戦闘経験の低さ。
普段であれば必殺の攻撃をいなされた動揺。
森の中で生きてきて、絶対的な〝天敵〟がいなかったウーラチカは、今本気で恐怖しているんだろう。新兵じゃ、良くある話だ。
「――ぼさっとすんなって言ってんだろう!! ッ!!」
触手で放たれる〝影〟の連撃を《竜尾》で弾きながら、後ろに怒鳴りつける。手が空いていれば、平手でも食らわせて目を覚まさせたい。
ソレができない代わりに、精一杯怒声を上げる。
「どういう存在だかッ、知らないがッ、アイツが良くないもんなのは確かだ、ッ! 今ここでッ、俺達が足止めしなきゃ、こいつ樹人族の集落まで襲いに行くぞッ!!
――お前の故郷とお前の家族を護れ! ウーラチカ!!」
「――――――ッ!」
はっと顔を上げてから、ウーラチカの行動は早かった。
再び弓を構え、オレの隣に立って矢を立ち所にもう三発放つ。
効果は無い。だが〝影〟の意識を逸らしたのか、触手はその矢を追って後方に下がる。
「……ごめん、指示、くれ」
短い言葉に理性の色を感じ、オレは《竜尾》を構えなおす。
「お前のいつも通りの戦い方をしろ。効かないってのは目に見えて分かるが、それでもこの場に縛り付けておくくらいの効果はあんだろう。
――アイツの攻撃は、全部俺が引き受ける」
「……大丈夫、か?」
その言葉に、虚勢満載の笑顔を見せる。
「舐めんなよ――こちとら《勇者》の《眷属》様だぞ」
「――死なないで。まだ話す事、沢山ある」
「ハッ、だからそう簡単に死なないっての」
その言葉を最後に、ウーラチカは一瞬で近くの森の中に駆け込んでいく。
森の中であれば、あいつは無敵だ。早々やられる事はないだろう。
「さぁて、んじゃ相手しますか!!」
『■■■■■■――!!』
再び咆哮と共に〝影〟の触手がこちらに迫る。
戦場で浴びた槍の穂先よりも素早く、縦横無尽。
だが、
「タイミング丸分かりなんだ、よ!!」
その触手を、バッティングよろしく《竜尾》で真上に弾く。
感情に呼応するのか、一瞬の躊躇で触手の動きが鈍る。
「――『
《竜尾》の刃たる〝斬る〟魔力物質が、オレの小我を少し吸収して伸びる。
この前村の技工士に頼んでつけてもらった新機能。小我の消費量を上げる代わりに、刃の部分を延長。擬似的に間合いを広げる。
制限距離はあるが、ある一定の距離なら――刃が届く。
「どぅおりゃぁ!!!」
力いっぱい振りぬいた《竜尾》の刃は、硬質化した触手の先を切り離す。
『■■■■■――!?』
何故、どうして。痛みへの戸惑いが、咆哮の中に混ざる。
感情がある、とは判断したくないが……というより、この世界の既存生命だとは思いたくは無いが、痛覚と感情があるのであれば、こちらも多少反応を見て動ける。
そう安堵していると、
触手が滴るように
「……あぁ~、うん、そうよね。そうなるよね」
そもそも実態のない〝影〟。端っこの部分を切り取った所で、どうしようもないだろう。
――戦いが始まってまだ五分も経っていない。
ここから集落まで、そう距離はない。ないが、ここにオレらがいる事が分かるのはサシャくらいで、しかも他の樹人族は来ても足手まといになる。
しかもコイツを足止めしているからと言って、集落が安全か分からない。伏兵の事までは面倒が見切れない。
足止めする時間――不明。
「上等じゃねぇか」
《竜尾》を正眼に構える。
時間がどれくらい掛かろうが、耐えていればいずれサシャが来る。そうすれば大我の供給もされ、あの化け物と渡り合える目だって充分ある。
「――じゃあ、しばらく踊ろう、化け物!」
『――■■■■■■■■!!!』
オレの言葉に答えるように、〝影〟は吠えた。
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