其ノ三






 きっと、樹人族達もこれまで説得はしてきたのだろう。

 だが外に出るメリットを本心から言える者は一人もいなかった。彼らにとって、自然の中にいる事こそ幸せなのだから。

 樹人族エント半種デミ精闇族ダークエルフでは価値観がまるで違う。

 このまま彼の四百年という、常人ではあまりにも長く、樹人族からすればとても短い生を、この《エント・ウッド》の中で終わらせるのは、幸せとは言えない。

 それでは、自ら生み出す監禁だ。

 外の世界を怖がり、この小さな楽園の中で穏やかに暮らし続けるのは、他の種族からすれば魂の死と変わらない。


『お節介かもしれません。あの子はそれを望んではおらぬでしょう。

 ですが、ワシはいつか聞いてみたいのです――あの子の〝話〟を』


 ウーラチカの才能であれば、きっと世界に名を轟かす存在になるだろう。

 風の噂にそんな話を聞けたのだとしたら。

 自分の葉を揺らす風の中に、自分の自慢の息子の名を聞く事が出来たなら。

 あぁ、それはなんと幸福だろう。

 ただ樹人族として生きているだけでは得られない種類の喜びだ。


 戦いに生きなくても良い。

 我が息子は頭も悪くはない。

 ちゃんとした勉学を学べる場所に通えば才覚が花開き、いつか国を支える文官になっているかもしれない。

 人々の平穏を陰で支える。

 それも素晴らしい事だ。


 なんだったら、英雄にならなくても良い。

 小さな家で伴侶を見つけ、子を生んでくれても良い。

 樹人族は血脈というものをあまり重要視はしないが、自分の育てた息子の子だ、きっと可愛らしい子が生まれるに違いない。


 世界を周り、それでもやっぱり自分はこの森が良いと帰ってくるならば、それでも良い。

 全てを精査し、それ以上に価値があるものを見い出せないという事も、あるだろう。

 それならばこの森に帰ってきて、のんびり過ごしても良い


 どんな事でも良いのだ。

 どうなってくれても良いのだ。





『《勇者》殿。ワシには息子に――〝腐って〟欲しくはないのです』





 可能性とは、小さな種、小さな蕾と同じだ。

 芽が出るのか花が咲くのか。

 そうなったとしても、果たしてどんな芽を、どんな花を咲かせるのか。それは、自由に時間の中で揺蕩う時ノ精霊クロノか、唯一教が信仰する唯一にしか分からない。

 それをより大きく力強く芽吹かせ、咲かせるには。日のあたる場所に出て、水と養分を得て〝生き〟なけれいけない。

 そして人間の芽、人間の花というものは、多くを経験し、多くを見ていき、そしてどのような芽を、花を咲かせたいかと思い考える事で出てくる。

 ウーラチカは……最初から、それを諦めている。

 木陰はさぞ気持ちよかろう。

 自分に合った土地はさぞ、居心地が良いだろう。

 しかし草木も、時に厳しい冬を乗り越え、厳しい土地に根ざしてこそ、多くの何かを得る時があるのだ。

 その何かが何なのか、翁は保証する事が出来ない。

 しかし何かがあるはずだ。ウーラチカを育て、緑鮮やかな芽を、色鮮やかな花を咲かせてくれる何かが。


『親の我侭とお笑いください』

「いいえ、笑いませんよ。ちょっと、意外でしたけども」


 樹人族が森の外に出るのを勧める。奇妙に見えるその姿への観想を素直に述べると、翁は小さく笑う。


『ハハハ、人種ヒュマスの方から見ればそうでしょうな。森に生き、自然こそ大いなる喜びと思うている我らが、その自然の権化たる森を出よと勧めるなど。

 ですが、〝自然〟とは、何も森や川、山などにあるものではありません。むしろ人類の営みの中にこそあるのです』


 生まれ、

 何かを食し、

 何かを生み出し、

 何かを育て、

 そして死ぬ。

 人間が生活しているありとあらゆる事も、また自然という枠の中の小さな流れ。

 大我マナから生まれ大我マナに還る。その内容の中で何かを奪う事、汚す事があっても、それもまた自然の流れの一つ。

 生きる為に何かから奪わなければいけないのは、自然の中にいる獣も、人も変わらない。

 無理に自然の中で暮らし続ければ、自分の体、自分の心に見合った生き方をしなければ――いつか、破綻する。


『……あの子らしい生き方が、樹人族と同じなら、それでも良いのです。しかしそれを本当に断定する為には、比較するモノが無ければ始まりますまい』

「……そう、ですね」


 言葉は自然と強くなる。

 もしあの道でアンクロに会っていなければ。もし様々な事を教えてもらい、この世界の事を知らなければ。サシャは未だに浮浪者をしていたか、死んでいた。

 どうすれば良いかも分からず、誰も救う手立ても分からず。ただ無知な聖者の行を行い続けていただろう。

 今思えば、あの時アンクロに会って良かったと思える。世界知って良かったと思える。知らないという事は罪ではなく、とても悲しい事だ。


「……頼っていただいて嬉しいですが。私には、それを確約する事が出来ません」


 ウーラチカにサシャから「この森を飛び出そう、色んなものを見に行こう」と言っても、頑なにそれを拒まれれば、サシャは踏み込む事が出来ない。

 森を出て行くと決めるのは、ウーラチカ。

 前に進まなければいけないのも、ウーラチカの足。

 何かを見たい、何かを知りたいと思うのも、ウーラチカの心。

 翁でも、トウヤでも、サシャでもない。どうあっても、そこはどうにも出来ない。


『……そう、ですな。いや、無理なお願いをしてしまいました。どうか忘れてくだされ』


 人間よりも表情が薄い《苔生ノ翁》の顔には、目に見えて落胆の色が見えた。座った時と同じようにゆっくりとした動作で立ち上がり、その場を離れようとした。




「でも、話をする事は、出来ます」




 その背中に声をかける。

 ――最終的な判断、最終的な決定はウーラチカのもの。それは誰にも動かせない。

 だが、話す事は出来るだろう。

 この森の外がどれほど広いか。ウーラチカが翁に教えてもらった種族達がいったいどんな種族なのか。どのような国があり、ウーラチカが知らない営みがどれだけあるか。

 綺麗なもの、素敵なもの、美味しいもの。

 汚いもの、酷いもの、悲しいもの。

 様々なモノが入り混じり独特な色を生み出している世界のほんの一端だけだが、教えてあげる事が出来る。

 それがきっかけに繋がるかどうかは分からない。

 しかしやらないよりもずっとマシだ。


『――やはり、《勇者》殿ですなぁ。人の営みという〝自然〟を護るお方の言葉には、普通の物にも重みを感じます』

「そ、そんな、私なんかまだまだで……正直、《眷属》に頼りっぱなしで」


『そういうもので御座います。木々も少しずつ成長するもの。焦ると逆に危なっかしい。――最初から優秀な人間などいらっしゃいません。時間をかけ積み重ねていくものですから。

 ワシとて、この苔の髭を生やすのに何百年かかったことか』


 さすっている髭は、確かに立派なものだった。

 その様子に、自然を笑みが浮かぶ。

 ――森は人を拒絶するように見えるかもしれないが、それは人間側の錯覚だ。外から見ていては何も分からない。その懐に入り過ごしてみれば、自然は穏やかに、平等に人間を受け入れる。

 その穏やかさにサシャは目を細め、森の爽やかな風を感じ、


「――――――」


 同時に、異変﹅﹅を感じた。

 森の風、森の香りにまぎれるように潜むソレは、より森の中に異常として漂う甘い腐臭にも似た匂い。

 だが、サシャの奥底にある人間としての理性ではなく、生物としての本能が囁く。

 危険だ。

 異端だ。

 受け入れてはならぬ、抗わねばならぬと。


「――翁、気付いていらっしゃいますか?」

『無論でございます。この異様な瘴気……』


 今までの異変と違う性質を持ったものに、翁も顔を顰める。

 本能的な部分で恐怖を感じながら、それがいったい何なのか分からない。分からないという事に繋がる恐怖は、じわじわと心を侵蝕していく。


「方向は――『吾乞イ願ウ』!」


 自分に分け与えられし大我を込め、魔導の祝詞を発する。


「『異ナル元凶、ソノ在リ処ヲ吾に示せ』!!」


 普段知覚出来ないほどの距離を知覚範囲に収める。

 森の濃い大我の中に、まるでインクの染みのように広がる異変。そしてそこには――いつも隣にいる気配と、この森で知り合ったばかりの気配が二つあった。


「――トウヤとウーラチカが、襲われている!」

『――ッ!!』


 その言葉と同時に、翁はサシャを持ち上げ、走り始める。いつもの緩慢な動きを捨て、必死に、息子のみを心配して。







「おう、こんな所で黄昏てんのか?」


 サシャと翁の話し合いから席をはずしたオレが向かったのは、集落の近くにある池だった。《エレメンツ・フォレスト》にある美しの泉程ではないが、灯り苔と灯虫のおかげで、幻想的な姿は同レベルだ。

 その端にある大岩の上で、ウーラチカは空を見上げていた。

 昼間と同じく空は快晴で、それを覆い隠す枝葉もここには無い。空には光り輝く星々がガラス球を散りばめたように広がり、双子月はオレ達を優しい光で包んでいる。

 オレが声をかけると、ウーラチカはチラリとこちらを見る。


「今、夕方じゃない。夜」

「いや、そういう意味じゃないんだが……まぁ良いや。隣、良いか?」

おれウーの専用岩じゃない。好きにする」


 ウーラチカの許可を貰ってから、その岩の出っ張りを利用して駆け上り、隣に座る。

 ……会話は無い。別にオレ来たからってウーラチカは何か特別な事をするでもなく、相変わらず空を見上げている。

 元々お喋りな部類じゃないのはよく分かっていたが、それにしたって昼間はもうちょっと話した気がしたがな。


「……あ~星見るの、好きなのか?」


 なんとなく沈黙が気まずくて話しかけると、ウーラチカは少し考え込むように首をかしげ、


「普通」


 と答えた。

 会話終了。


 ……お喋りな部類じゃない事は分かっていたはずだ、うん。


 どこか憔悴する内心を隠しながら、オレも空を見上げる。

 前の世界でもこうして夜空を見上げたのだろうか。分からないが、少なくともあの妙に明るい世界と比べて、こちらのほうが空は広く明るいような気がする。

 傭兵をやっていた頃は空を眺める余裕なんか無い。

 何時も何かに警戒し、夜の闇の奥に何かがいやしないかと戦々恐々としていた。

 今だって勿論、警戒していないなんていえば嘘になるが、空をぼんやり眺めている余裕は、今の方がある。


「……考え事を、していた」


 ウーラチカは、空から視線を外さずに言う。


「ほう、どんな事を?」


 オレも空から視線を外さず答えた。


「――色々。樹人族の皆の事、ジイジの事、精霊様の事、大鬼族オーガ達の事。お前らの事も、考えてた」


 困惑と、混乱。

 ウーラチカの言葉にはそんな似たようで、少し違う感情が混ざり合っていた。


「……百年。何も変わらなかった。

 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来た。皆優しくて、食べ物は美味しくて、森はウー、受け入れてくれてた。

 このままが良いなぁ、って、思った。ウーは、木の実を採って、狩りして、時々日向ぼっこやお昼寝して、暑い時は水浴びして、ジイジから色んな事を教わって――ずっと、そう生きていくって。生きていけるって、そう思ってた」


 人間の無許可な進入を禁じられた自治区。

 樹人族達の楽園。


 さぞかし穏やかなのだろうな。オレは話を聞きながらなんとなくそう思った。原初の自然らしい厳しさはあるのだろうが、都会に住んでいるよりも物事が単純で、純粋でいられるのだろうなと。

 それは人間が一度は思う幸福の形なんだろう。

 オレは、どうにも居心地が悪くて居続ける事は難しいが、ウーラチカの言葉には共感出来る。百年もその状況が変化しなければ、変わらないものだと錯覚しても、しょうがない事。

 ――だけどそんな気持ちとは裏腹に、世界はじっとはしていられない。


「……でも大鬼族が来て、精霊様が攫われて、仲が良かった樹人の友達が殺されて――ウーも、大鬼族を殺して。お前らが来て。

 百年変わらなかったものが、ドンドンドンドン、変わっていく」


 星を真っ直ぐ見据えながら、言葉はポロポロとこぼれる。


「ウー、分からなくなった。ここはずっとあるものだと思ってて、ウーは外とは関係なく生きていくんだと思ってた。外に出ても、嫌われるだけだって思ってた。

 聞いた? ウー、森の中、捨てられてた」

「ああ、サシャから少し聞いた」


 オレの同意の言葉を聞いて、ウーラチカの話は続く。


「ウーは半種デミだから。ウーは、お父さんお母さんにも嫌われて、ここに来たから――外の人達もウーの事嫌い、思ってた。

 でも、お前ら――変だ。話した最初の人種が、何でウー嫌わない? 嫌わない人がいるなら、なんでウーのお父さんお母さん、嫌いになった? なんでお前ら普通に話す? 偏見ない人もいるって聞いたけど、そんなにいないって、ジイジ、言ってた。

 最初に会った人種がそうなんて、絶対変」


 きっと、翁は素直に全てを教えたのだろう。樹人族は嘘をつけない方だし……何より、そんな嘘をついて後で傷付くには、耐えられない、翁はそう思ったに違いない。

 そのギャップが、今ウーラチカの心の中に、波紋のように広がっている。


「……お前らと話してて、ウー楽しかった。一緒に逃げて、ウー楽しかった。

 サシャは思っていたよりずっと優しい人だった。トウヤは、言ってる事怖い時もあるけど、頭良いって分かる。

 ウー、こういうの、好きじゃない。




――大丈夫かも、と思えてくるの、好きじゃない」




 外に出るのは怖いものだ。

 知らなければ、近づかなければ良いだけ。そうしていれば穏やかな世界にいられただろうと。

 だが知ってしまった。

 世界は想像していたものより怖いものじゃない〝かも〟しれないという可能性。それは救いのように感じる人もいるかもしれないが、受ける側からすれば恐怖だ。

 自分がそう思い込んでいた世界観が破壊される。より所にしていた部分がなくなるというのは、きっと、想像出来ないほど不安になるものなのだろう。

 ウーラチカの変化の乏しいその表情の中には、そんな不安感も混じり始めていた。

 短い時間の中でも、その内容の濃さであっという間に塗り潰される。人間と人間が関わるというのには、そういう側面もあるのかもしれない。


「ずっと、ジイジに言われてた。『外で暮らしてもいいんだよ』って。『ウーラチカが想像するよりずっと、世界は面白いかもしれないよ』って。でもウー、嫌だった。この森の誰も、ウーに『居なくなれ』って言わない。ここにいれば、安全。

 でも、お前らが来た所為で――外も、楽しいのかもしれない、思っちゃう。

 それは、嫌だ」


 唐突に足元の地面に穴が空くような不安感からなのか、自分の足を抱きかかえる。それはオレから見れば、まるで胎内で護られようと必死に身を竦める子供のように見える。

 森という母の中で暮らしていたウーラチカ赤子


「……なぁ、これ、どうすれば良い?」


 答えを求めて、ウーラチカは呟く。


「ウー、どうすれば良い?」


 震える声でオレに問う。


「ジイジが言うように、外に出れば良いのかな?」


 自分の価値観とは違う価値観を持つオレに、答えを求める。


「森の中で、ずっと暮らしていれば良いのかな?」


 彷徨う様に声が響く。





「ねぇ、教えてよ――トウヤ」




 オレは、その言葉に、




「――知らん」




 とだけ答えた。





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