其ノ二
大鬼族を撒いて、既に当たりは暗く夜になろうとしていた。
森の中での夜。焚き火を点けなければさぞ暗いだろうと思うだろうが、この
苔に覆われた地面や岩が淡く光り、空中には小さな明かりを灯す虫が飛んでいる。
灯り苔と、灯虫と呼ばれるこの二つは、自分の体内に吸収した食べ物を分解するさいに光を発する。単体での輝度は低く、灯り代わりに本来使う事は難しい。
しかしそれが幾つも合わさっていれば、淡くではあるものの周囲を照らす電灯代わりになりえるだろう。
その淡い光の中で、サシャとトウヤはもそもそと保存食を食していた。
火に大きな嫌悪感と恐怖心を持っているこの集落で火を焚いて料理を作る事は躊躇われたし、普段ウーラチカが焚き火に使っている場所は遠い。
いくら追い払えたとしても、この集落の位置を知られている以上完璧な安心を得る事は難しい今、少しでもここを離れるのは嫌だった。
「……にしても、まずいなぁ、保存食」
ボソボソとクラッカーを食しながら零すトウヤの言葉は、響く事無く頼りなく空気の中に解けていった。
保存食といえば、硬く焼き固められた《クーキェ》というお菓子と、燻製肉、ドライフルーツなどが定番だ。
トウヤから言えばこのクーキェは、「ショートブレットと堅パンを足したもの」だと言うだろう。高カロリーに作られているが、その硬度たるや、思いっきり噛り付いたら歯が欠けると言われるほど。
そしてこの取り合わせを見る通り――非常に喉が渇く。一応持ってきておいたワインを口にしながら食べてはいるが、味が淡白な事もあり、その食事は良い雰囲気とは言えない。
「ご主人。明日もこんな食事で済ませようという気満々なら、オレはストライキする」
「私も流石に無理だわ……明日は普通の食事にしましょう」
いつかトウヤ本人が言っていた。。『戦支度をするならば、先ず胃袋を満たせ』と。
あれは真理だった。
問題は、胃袋を満たすという物理的な所だけではなく、心も満たさなければいけないという点だったが。
「……で、話を聞いてみると相当厄介だな、今回の一件。この前の事件みたいにならず者倒して犯罪者にお縄を、ってだけじゃ収まりそうにもなさそうだ」
戦禍に追われた
この森を占領し、新たな兵器で自治区どころか国すら興そうと考えている〝大将〟。
その考えにどこか反発し、平穏を求める〝シュマリ〟。
そしてその裏で暗躍し、精霊を利用した何かしらの禁呪を使おうとしている〝
やった事は樹人族を襲い、精霊を奪い、森を汚す行為。
だがその中に彼らなりに追い詰められ、しかも考えの古い
だがもしその事情に絆され甘い裁定をすれば樹人族も
双方の折衷案を中立である《勇者》が纏めなければいけない。
「樹人族は争いを長期化させたり、復讐を求めている訳じゃないってのは、折衷案の肝になってくるわ……正直、今の状況じゃそれも難しいかもしれないけど」
最初に樹人族の代表である翁が《勇者》に要請したのは、『精霊を取り戻す』事だ。彼らにとっては戦いや復讐よりも、精霊たちを取り戻しこの森の異常を正す。
問題はその精霊。
十二の樹ノ精霊が今では九体、禽獣の犠牲になっている。しかも今生きている精霊達も無事で要る保証はない。
精霊が無事でなければ――樹人族はどれほどの怒りを、大鬼族に向けるのか。
「出来るだけ平和な決着をつけたいけど……あぁ、師匠はこんな問題に良く笑顔で突っ込んでいけたわね」
しみじみと呟きながら、クーキェを口に放り込み、根気よく噛み砕いていく。
笑顔の仮面を被り、思い悩んでいたのか。
それとも本当に笑って問題を解決していたのか。
どちらにしろ、改めて師匠である
「あの婆さんがどうだったかはさておき、サシャはサシャだろう。アンタが納得いく答えを模索して足掻くしかないさ」
「他人事ねぇ」
ワインを煽るトウヤを睨みつけると、肩を軽く竦める。
「他人事とはちょっと違うな。何度も言うけど、オレの専門領域じゃない。オレの専門は剣を振ってナンボの鉄火場だよ」
「そうは言うけど……何かないの? 人生の先輩でしょう?」
サシャだって無限の知識を内包しているのではない。人間が関わる事はどんな事でも有限だ。いくら考えても浮かばない事は浮かばない。
その憔悴している姿を見て、トウヤは苦笑する。
「こういう時ばっかりおべっか使うんだから……そうだな、じゃあいくつか。
樹人族と大鬼族、そして悪魔系種族。こいつらが求めている所をしっかりと見極める。
樹人族は、〝精霊〟と〝平穏〟。
大鬼族は、〝自分達が好きに暮らせる国〟だ。
悪魔系種族は……正直謎。恐らく禁呪の成功辺りなんだろうが、断言は出来ない。
ようは、これを上手い事調整するしかないってのが難しい所って話だが……果たして、これは真実か?」
「? どういう事?」
それ以外に何を求めているというのか。
サシャの疑問の言葉に、トウヤは頷く。
「ざっくり言えば、本当にそれを求めているのかって点だ。
大鬼族は、その点において余地がある。あいつ等が本当に欲しいのは国じゃなくて〝落ち着いて暮らせる土地〟と〝飢えない事〟、そして――最終的には、〝自分の故郷に帰る事〟だと俺は見ている」
「……なるほど、確かにそうかも」
この事件の原因は、大鬼族が国を追われた事だ。
追われた理由、そこに非があったかどうかは分からないが、今の状況で彼らは故郷に戻る事が出来ないのは分かっている。
今現在、困窮する事がない状況。そしていずれ故郷に返してやれる確約が取れれば、大鬼族だってこの面倒な土地に住まう理由は無く、禁呪で危なげな兵器を作り出す必要性もなくなる。
「だけどその為には、まず一体でも多くの精霊を救う事。つまりこちらが有利に進められる交渉の場を用意出来るかどうか……」
「しかも、大鬼族を出来るだけ傷つける事なく、だな。下手に追い詰めれば、「もう後はない」と捨て鉢になりかねない」
「問題は悪魔系種族の方よ……あれは、あんまり交渉の余地があるように思えない……でも、話を聞いている限りじゃ普通な考えで動いているとは思えない。
推測してくと、終わりは見えない……なら、取り敢えずやるべき事は、交渉の場を設けられるようにセッティング。まずシュマリって大鬼族とパイプを作って、精霊を取り返して悪魔系種族を拘束……、
なによ、ニヤニヤこっち見ないでくれない?」
考えを言葉にして整理していると、既に食事を終えたトウヤの笑みが視界に入り、それを睨みつける。
「いいやぁ、なんというか。ようやっとらしくなってきたって思っただけさ。アンタは理性的に事を起こそうとして考え込むが、肝心なところで全体を見切れてない。
でも、今考えているサシャは《勇者》らしいよ」
その言葉に、二の句を継げずムゥとうなり声を上げて黙り込む。
――中途半端で、まだまだで。正直、経験は足りない。
《勇者》という自分の憧れたものになれたものの、正直自分の未熟さが身にしみている最中。その中、《眷属》であるトウヤは良く頑張ってくれていると思う。
一言余計だが、それでも自分を見て、自分に足りない部分を適切に提供してくれる彼は、本当に最近まで戦う事しかしてこなかったのかと思う。
「貴方、前の世界ではもっと頭の良い事してたんじゃない? 時々鋭い事言うし、覚えは悪くないし」
「今が悪いみたいな言い方すんなよ。本当にそうなのかは、この仕事が落ち着いてオレがそこらへんを調べる事が出来るようになったら分かる事だ。
期待しているぜ、《勇者》殿」
トウヤの言葉に、笑みを浮かべる。
「ええ、貴方もしっかり、私の背中を護ってよね、《眷属》殿」
お互いそう笑いあっていると、不意に月の光も隠す大きな影がそこに落ちる。最初に出会った時同様、翁は人当たりのよさそうな笑顔を浮かべて立っている。
『こんばんは《勇者》殿。いま少しお時間宜しいですかな?』
その言葉に着ている物を正し、姿勢も真っ直ぐにする。
「ええ、構いません。何か御用でしょうか翁殿」
『いえ、実は少々お話したい事があるのです……その、』
言い淀む翁の目は、自然とトウヤに注がれる。
その注目を、トウヤが気付かないはずもない。小さく溜息をついてからワインのビンを端において立ち上がる。
「少し周りを見てくる。何かあれば呼んでくれ」
「ええ、ありがとう」
剣の感触を確認するように握りを持って、ゆっくりと離れていく背中を見送る。
『申し訳ありません。《眷属》殿がお気を悪くされなければ良いのですが』
「構いません。彼はそのような事で機嫌を悪くするような、器の小さい男ではありませんから」
『ハハハ、流石、《勇者》殿に選ばれし《眷属》殿ですな。お隣、座っても宜しいですかな?』
「ええ、どうぞ」
サシャの言葉に従って、翁は体をきしませながらゆっくりとその場に座る。
『本来、樹人族は座るという事をしないのですがな。私事の相談をするのに上から見下ろすのは、些か心苦しく。いやぁ、たまには座るのも悪くありませんな。森が良く映える』
「普段見える景色と、少し違うでしょうね――それで、私事とは、いったいなんでしょうか?」
サシャの言葉に、翁の表情は朗らかなものから、どこか悲しげな真剣さを湛えた表情に変わる。
『――ウーラチカの事でございます。《勇者》殿もお気づきでしょう? あの子の優秀さを』
……翁の言葉に、サシャは何も返事をしなかった。それは言葉に出さなくても分かるだろうと判断したから。
卓越した弓の腕。
森に愛される加護。
そしてあのあらゆる物を矢に変換する弓。
全てが上手く噛み合い、歯車のように回り、一個の機能を体現している。もし彼が森を出れば、英雄として祭り上げられるくらいの腕前をすでに持っている。今はまだ経験値という点でトウヤに及んでいないが、それを積める場所に彼を連れて行けば、
「……間違いなく、この世界で英雄として数えられる存在にもなれましょう。あの弓は、どこで?」
『精霊様がお与えになったのです――昔この森には、名も無き英雄がおりました。
我らがここを住まいとするより前……いいえ、下手をすれば《魔王》という存在すらいない時代に活躍した英雄です。樹ノ精霊様が仰るには、森を
その英雄に最大限の助力をする為に、樹ノ精霊達の力をありったけ込めた弓を生み出しました。魔術師的に説明をするならば、あの弓は言わば、〝矢〟という概念系の
無尽の矢を生み出す弓――銘を《
精霊たちが自ら武器を生み出す事――これは、本当に稀にだが存在する。
北で帝国と戦い続ける《テーヴィル王国》の
精霊が気まぐれに与えるものは、加護という形に留まらないのだ。
「彼は、精霊に愛されているのですね」
加護に加え、精霊の鍛えし武器まで与えるのだ。個人が受けるにはあまりにも破格といえるだろう。
『あの子は、この森の全ての生き物の子の様なものです。動物達にとっても、精霊様にとっても、そして我ら樹人族にとっても、大切な我が子です。
――だからこそ、今の状況はあまりにも哀れだ』
戦えない自分たちの代わりに戦い、何の栄光も賞賛も得られない。ここに住むしか選択肢が無い樹人族ではない、ここを離れ、広い世界に出て行ける若者がここに縛り付けられている。
それを、哀れに思わぬ日はない。
『いっそ自分達が自ら命を絶つ事が出来ればと思いますが、我らにそれを行う事は出来ない』
自然を愛し、自然の調和と流れを尊ぶ樹人族にとって、自刃というのは自然に対する冒涜の中でもっとも恥ずべき行為だ。もはや種族としての矜持を越え、本能にまで根付いているそれを無視する事は難しい。
『……お願いです、《勇者》殿。この件、解決の目途が立ちましたら、《眷属》にしろとは申しません。
どうかあの子を、この森の外に連れ出してやっては頂けないでしょうか?』
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