3/祈りと影 其ノ一
サシャを抱きかかえながらも、その膨大な
この森を知り尽くし、森を駆けるならば誰よりも負けないウーラチカ。
さてどちらが速いか。
正直、オレのほうが速いと思っていたんだが……そうでもなかった。
鬱蒼とした森の中で、必死に足を動かす。根が足場を悪くし、太く聳え立つ木が障害物のように邪魔をし、枝葉が視界と進行を妨害する。
本来の身体能力を超えた動きをしているから前に進めているが、そうじゃなければ走る事など出来ない。
オレとは対照的に、ウーラチカはまるで
足の速さは、明らかにオレより遅い。
なのに、根が、木が、枝葉が、まるで
いくら身体能力が高くなっていたって、これじゃあ勝てるわけが無い。
「ウーラチカ、お前、どんな魔術使ってんだよ!」
息を出来るだけ切らさないように必死で叫ぶと、ウーラチカは顔を横にして答える。
「
「仲良くしただけでそうなれるなら、オレも今すぐお友達になりたいわ!」
冗談……というようなタイプではないので、恐らく分かっていない。
きっと樹ノ精霊がウーラチカを気に入って加護を授けたのだろう。森の中にいる限りその眷族はウーラチカを護り、眷族達はウーラチカの邪魔をしない。
これでこの鬱蒼とした森の中で矢を放っても大丈夫なはずだ。彼の邪魔をするわけがないのだから、木々が進行方向を空けてくれていたに違いない。
「で、サシャは何でばれたんだ? 大鬼族がオレらの匂いでも嗅ぎ付けたのか」
「いいえ、それは違うわ」
俺の胸の中で必死にしがみ付いているサシャはすぐに首を振る。
「あの呪師に使い魔と私の繋がりを逆探知されたんだと思う。大我を伝播させている流れを遡れば、術者の位置を把握出来る……理論上は」
「つまり、『普通じゃ無理』って事か。どれくらい凄い事なんだ、それ」
「そうね……貴方風に言えば「雁字搦めになった糸くずの中から狙った色の糸を引き当てられる」くらいかしら」
「そりゃあ相当だな!!」
滅茶苦茶に入り乱れている大我の中からたった一つを見つける。そんな事を気楽に行っていたならばかなりの実力者だ。
「そんなに腕が立つ奴だったのか、その呪師ってのは。
「いえ、実は、そう偽ってただけで――相手は古参の
……マジで?
「悪魔系種族ってあれか? よく陣営に御用聞きに来る何でも屋の?」
「話し聞いてた!? 古参よ古参! 悪辣な契約結んで相手の魂根こそぎ持っていく悪い悪魔のほうよ!」
「す、すまん、オレの中ではどっちかって言うとそっちのイメージが強かったから!」
知り合いの行商人兼、情報屋兼、傭兵の奴なんかを想像するとダメだったようだ。
しかし、悪魔系種族はかなり長命な連中も多い。知識豊富で魔術・魔導が使える奴も多いとくれば、この問題の根源にそいつがいるってのも、頷ける。
おまけに、簡単には死なない。
肉の器を持っているとはいえ、他者から
それに、肉の器を持っているといっても重要というほどではないから、ちょっとした怪我で動きを止めるような連中じゃない。
勿論、肉の器に縛られているという点において他の種族と変わらない。死に難いだけで死なないわけじゃない。
もっとも、厄介な事に変わりない。
「悪魔系種族か……この前の教会で聖水の一本でも買っておけば良かった」
「? なに、なんか言――ひゃう!?」
トウヤのくだらない一言に何かを返そうとしたサシャは、顔の横を通り抜けた大きな矢に首をすくめた。
幸い矢は掠りもせず近くの木を
「チッ、予想外に速い」
敵は魔導師のバックアップを受けている大鬼族。追いつくとまでは行かなくとも、矢や投げ槍を届ける事は出来る。そしてその執念はなかなか冷める事はないだろう。
――このまま引き連れていけば、樹人族の集落をも襲撃してくるかもしれない。
しかし追ってくる人数がどれくらいかは知らないが、最初の時のように殺さずにとどめるなんて芸当は難しい。
あれはこちらを甘く見ていてくれたから出来るもので、こっちが《勇者》とその《眷属》と知り本気で殺しに掛かってくる無数の大鬼族相手に、そんな手加減をしている余裕は無い。
今度こそ、殺さなければいけない
「どうする主人。ここで迎え撃つか? それともこのまま逃げるか?」
「――逃げるわ」
サシャの声は、覚悟が決まっている声だった。
「まだ大鬼族に交渉の余地はあると思っている。でもここで相手に大きな被害を与えれば、向こうも躍起になってこっちを殺しに掛かるでしょう。今は出来るだけ足止めと、迂回して退避したい。
……甘いかしら?」
「ああ、甘いな」
即答する。
こんな状況でまだ人を殺したくないと思っている辺り、サシャはやはりまだまだだろう。
「まぁでも、感情論だけで「殺したくない」って言わないだけマシだよ、お前は」
まだ交渉の余地がある。
そう確証を持てる何かを掴んでこなきゃ、こんな断定の言葉は出てこない。
「ウーラチカはどうだ!? それでも良いか?」
先行しているウーラチカに向かって叫ぶ。
「……ウー、良いと思わない。そんな簡単に、上手くいく、思わない」
案の定、ウーラチカの言葉は暗い。
自分の仲間を傷つけ、森を傷つけ、精霊を連れ去った、ウーラチカの主観だけで見れば〝悪い奴ら〟。 そんな人間との交渉が上手く良くとは思えず――上手くいってほしいと、心からは言えないだろう。
オレはそれに小さく嘆息を吐きながら声を掛けようとして、
「――それは違うわ、ウーラチカ」
遮られた。
サシャの芯の通った声が、走っている事で生み出されるかぜをも越えて、ウーラチカに届く。
「簡単だなんて思っていない。
きっと辛いでしょう。正直滅ぼす方が、楽かもしれない。
話し合いをしても何も得られず、恨みは消えないかもしれない。
誰も好き好んでこんな事やって欲しいだなんて頼まないかもしれないし、余計なお世話でしょうね。
けどね、私はもう誰にも死んで欲しくない。もう悲しい血をここで流したくないの」
サシャは偽らない。
何時も真っ直ぐで、その真っ直ぐな感情と信念を言葉に込めて相手に放つ。
こいつは、性質の悪い矢のようなものだ。真っ直ぐ相手の心に飛んでいって、そういう言葉に耐性のない人間の心を突き動かす。
心を嘘で塗り固めたり、良くも悪くも同じ強度で真反対の信念を持っている人間は、当然その言葉に耳を傾けないだろう。
しかし少しでも心の中に良心があれば、響かないはずが無いのだ。
空っぽの千の言葉より、たった一つの真の言葉が持つ力は、偉大だ。
「だからお願い、ウーラチカ。貴方の力を貸して」
何の装飾もない、純粋な言葉。
「……殺さなければ良いんだな。ちょっと怪我くらいは、良いか?」
その言葉は、ウーラチカにも届いた。
「っ――ええ、彼らだって戦士ですもの。それくらいは納得するでしょう。トウヤも、それで良いわね」
「オレは最初っから拒否権なんざないし、そもそもお前を抱えている今の状況じゃ足止めすら無理なんだが……はいはい、了解しましたご主人」
「はいは一回!」
「お前は教師かなにかなの!?」
相変わらずしまらないというかなんと言うか。
ウーラチカはこちらを見る事は無く、走りながら近くの木の枝をもぎ取り、持っていた矢に番える。
瞬間、木の枝は燐光を放って、――〝矢〟に変化した。
その光景に、走りながらという器用な状況ながら、オレも、抱きかかえられているサシャも驚愕した。
普通の光景じゃないからな。この世界でだって、無理な事は多い。木の枝から唐突に矢を作るなんて、その一例だ。
「ちょっと、姿勢、低く」
その言葉の合間にも、オレは姿勢を低くした。
頭上を矢が通り過ぎるのを、見届ける。俺に放った時と同じように矢継ぎ早に放たれた三本の矢がどうなったかは分からないが、後ろから聞こえる悲鳴を聞くに、命中したのだろう。
「……なぁ、ウーラチカ。その弓、なんだ?」
ギフトなどの力も考えたが、それだったら手に持っている間に矢に変えてしまえば良い。大事なのは番えてからという点だ。
弓に触れた途端に枝が矢に変化するというならば、変化の原因は弓にある、と考えたのだ。
「樹ノ精霊様に貰った、どんなのでも、射れば矢になる、便利な弓」
……何でもないように話しているが、〝便利〟なんて一言で片付けて良い問題じゃないぞそれ。矢が必要ないという事は分かっていたが、物質の変化をしているとは。
「まさか空気まで射る事が出来る、とかじゃないよな」
オレと真正面から対峙していた時はさっきのような枝も持っていなかったし、もしかしたらと思って聞くと、ウーラチカは首を振る。
「それは無理」
だよな、と少し安心する。空気打ち出すとはどんな、
「でも小我なら射れる」
……ああ、さいですか。
感覚強化のギフトに、森の加護。おまけに謎の特殊能力を備えている弓……オレも《眷属》になってからあんまりそういう事は言えないが、純粋チートだ。
「でも、射ってるだけじゃ難しい。敵止まらない……ちょっと、奥の手、使う」
足を止めずに、ウーラチカはゆっくりと深呼吸する。
それだけで、周囲の空気は変わった。
音が一つ遠のいたように静かに、冷たくなっていく。
「――『皆、助けて』」
簡単で、特別な言葉ではなかった。
だが、その声は森中を震わせ、木々を鳴動させ、草木をそよがせる。
樹ノ精霊から森に愛されし加護を受けている半種とはいえ
自由に動かない根を動かし、森の形状が変化する。
自分の愛し子を護るため。
自分の愛し子を害する存在を森の奥底に迷わすために。
戦う力も無く、切り倒されれば直ぐに植物としての生命を終わらせてしまう彼らでも、人間の動きを抑制し、遮断する事は可能だ。
精霊は、その大我を持って異界を創る。
だが自然は、その存在そのものを持って、常人を惑わす異界を作り上げるのだ。
「さぁ、急ぐ。時間稼ぎにしかならない」
森の姿に呆然として思わず立ち止まったオレを、ウーラチカが急かす。
……あとで色々話を聞かないとな、と思いながら。
◇
『やれやれ、取り逃がしましたかのう』
大鬼族の群れの中にあって、呪師と名乗った老人は酷く冷静だった。
目の前には、木の壁が聳え立っている。先程までは何て事が無いただの入り組んだ森程度だったはずが、今では文字通りの要害。体の大きな大鬼族どころか、それよりも小さい自分でも通る事は難しいだろう。
いくら魔導師として実力を備えている呪師でも、自然の自由意志を捻じ曲げる事は難しい。木を切り倒して前に進んでも、その間に連中は自分達が安全だと
樹人族やたった一人の精闇族など、殺そうと思えば直ぐに殺せる。殺さなかったのは呪師の作り出そうとしている存在の実験台としてあれらほど最適な人材もいなかったから残しておいた、いわば食い残し。
殺すのは簡単。
だが、それでは趣向としてはやや面白みに欠ける。大鬼族達にわざわざストレス発散の存在を与えてやる必要性もない。
『呪師様ぁ、追撃しますか?』
『……いいや要らぬ。大将殿にもそう伝えてもらえるかのう? そうじゃのう、あと半日した頃ぐらいに、某一人で樹人の村を襲うでな』
『一人ぃ? 呪師様一人じゃ、無理でねぇか?』
膂力があり体つきも優れている大鬼族からすれば、自分達よりも小さく、そして年老いて見える呪師が一人で向かうという事に、酷く不安そうな顔をする。
聞こえが良く言ってしまえば実力主義。
悪く言ってしまえば、外見特徴でしか強さを推し量れない、おつむの小さい大鬼族達には当たり前な疑問だった。
相手を心の中で貶めながら、呪師はフードの奥で笑顔を作る。
『なぁに心配御無用。まだ出来ていないというだけで、もう某の計画は最終段階に入っておる。後は核を作り出し、制御しやすいように調整すれば良いだけの話』
もっとも、大将は焦れ過ぎて話をまともに聞こうとしてはいなかったが、呪師にとってはそんな事はどうでも良い。
『おぉ、呪師様が仰っていた〝兵器〟だか!?』
『これでおら達、国が持てるだ!』
『ここでずっと暮らしていけるだか!』
『嬉しいなぁ。嫁っここっちに呼べるかも知れねぇ』
呪師の言葉に希望を見出したのか、大鬼族達の声は明るい。
その様子を、呪師は微笑ましく見ていた。
(おうおう、まるで蛇の餌になる事も知らず、チーズに喜んでいる鼠のようじゃ。ほんに、ほんに、――大鬼族は馬鹿で使いやすいのぉ)
古い〝契約〟という概念を護り続ける、太古から恐れられし本物の〝悪魔〟。
そんなものが、誰かのために役に立とうなど、思うはずも無かった。
――完成してしばらくは、
自分の制御下に置き、完全に呪師の手中に納まった時。自分の生命を長引かせる為の食料と、自分の手足を言う役目を、彼らは終えるだろう。
そうすれば自分の目の前で
(ああ――それはなんと、恍惚となろう景色か)
呪師の笑みは深くなるばかりだ。
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