其ノ二






 樹人族エントの集落と比べて、大鬼族オーガの集落は混沌としていた。

 簡素な茅葺き屋根を持つ小屋が茸のように乱立して建てられ、今が昼時だからだろう煮炊きの煙がそこかしこから上がっている。

 集落の外側には狩って来た獣の皮が干してあり、解体などに使用する道具なども散乱している。血生臭く、また森全体に広がっていた獣臭はより一層濃い。

 ……が、今の状況では鼻が曲がりそうというほどでもない。何せここは、まだ集落を遠目で見渡せる高台。嗅覚が鋭い大鬼族でも、風下であるここであれば気づかれる事はないだろう。


「ここ、あいつらの、集落……前よりもずっと、家、出来てる」

「いくら貴方が優秀とはいえ、全ての伐採を止める事は難しいでしょう。気にする事はありませんよ」


 どこか口惜しそうな表情を浮かべるウーラチカに、サシャは優しく微笑む。

 敵は三十人以上、ウーラチカは一人で戦い続けていた。下手をすれば樹人族は亡び、この森はすべて大鬼族だったかもしれないのだ、むしろ善戦したと言えるだろう。


「とにかく、内情を知らなければいけませんね……ウーラチカ、彼らの集落に潜入した事はありますか?」

「ううん、ない……というか、無理。あれ、よく見る」


 指差された集落を見ると、人のような形をした赤い点が集落の周りをうろついている。


「いつもあそこ、見張ってる。多い時五人、少ない時は二人。今も、武器、持ってる」

「ここから見えるんですか?」


 大鬼族たちが見回りをしているのは見えているものの、手に持っているものが何であるかまではこの距離から見えないはずだ。そんなサシャの疑問に、ウーラチカは無表情で頷く。


「うん。今いるの、四人。

 一人はおっきい斧、二人、片方しか刃がない剣、一人、おっきい弓」

「……見えているんですね」


 卓越した弓の技術を持っている精謐族エルフ精闇族ダークエルフは目が良いとはよく聞くが、予想以上だ。


「うん。それに今は鹿肉を焼いている。何かの豆のスープも。酒のにおいもする。

 相当酔ってる。ここからでもダミ声聞こえる」

「……トウヤ、」

「ああ、分かってる。こりゃあ目が良いだけじゃないし、感覚が鋭いってだけじゃないな」


 サシャの困惑の言葉に、トウヤは静かに首肯する。

 ――種族的能力を超え、あるいは人間という垣根を越え、時に人は特異な能力を持って生まれる場合がある。〝ギフト〟と呼ばれるそれは本当に多種多様で、トウヤのように二つ貰うような者も中に入る。

 おそらく、ウーラチカのその感覚の鋭さもギフトか何かなのだろう。

 その感覚は、きっと森で生きていくのにも役立っただろうし、弓を扱う際も有効だ。鼻で獲物を追い詰め、肌で風向きやその強さを感じ、目でその獲物を捉えたのだろう。


「才能と貰った能力が一致しているってのは羨ましい限りだ。オレだってもうちょっと剣の腕が良ければ一端の達人だったかもしれないのに」

「手に入らない物を強請ってもしょうがないでしょう……でも、ウーラチカでも近づけないとなると、トウヤも無理ね」


 対象を守る事、あるいは真っ向から何かと打ち合う事、あるいは罠に嵌めての強襲。

 トウヤはそういう事は得意だが、野伏レンジャー斥候スカウト、あるいは暗殺者アサシンのような隠密行動が苦手だ。

 何でも出来るように見えるし、実際出来る事は多いが、トウヤも人間。出来ない事はある。


「なら――私の出番ね」

「? 《勇者》、おれウーより上手く入れる自信、あるのか?」


 さっきまで気付いていなかったが、サシャが女性だと既に理解しているウーラチカは不思議そうな顔をする。翁から教わった女性像からは、自分より強かったり素早かったり出来るように思えなかったからだ。


「そんな訳ないです。私は自慢ではありませんが、魔導がちょっと出来る位で戦闘も隠密も出来ません」

「本当に自慢じゃないところがまた……」


 サシャの鋭い目つきに、トウヤは言葉を切ってそっぽを向いた。


「……でも、いくつか出来る事はあります」


 手に持った錫杖に、精霊王から預かりし大我マナを通しながら、目の前で静かに振るう。

 シャランッ、どこか金属らしくない澄んだ音が響く。


「――『目覚めよ我が分霊、その役割を為せ』」


 魔導ともいえない短い詠唱が発せられた瞬間、錫杖の先に着く遊環の四つの内一つから光が放たれ、その光はサシャの肩に飛び移ってゆっくりと形を成す。

 ――小さな小鳥。

 姿そのものはどこにでもいる平凡な小鳥だが、その羽毛と眼の色は、サシャの色合いを写し取ったかのような金色と紅だった。

 錫杖に込められし四つの能力の一つにして、サシャが今現在唯一使える権能――《使いファミリア》だ。

 使い魔とは通常、魔術師や魔導師が自分の小我オドを既存の動物に分け与え、己の分身のように扱うものだが、《勇者》の使い魔は違う。その仮初の肉体から意思まで全てサシャが泉から汲み取った大我を使用して生み出された、既存の生物を真似た人形。

 既存の動物ではない為無茶ができ、使い魔が傷つけば術者も傷つくというデメリットは存在しない。感覚共有も非常にスムーズだ。貰った翻訳魔術具も併用すれば、種族言語で話している言葉も盗み聞く事が出来る。

 諜報にはうってつけ。場合によっては言葉を喋る事も可能なので、伝令にも使える。

 強いて難点を挙げるとするなら、まだ魔術師が得意とする並列思考に慣れていない所為で、感覚共有する場合サシャ自身が動けないという点だけだ。


「これで集落の中を探ってくる。それまで貴方達はここで私を護ってもらいます。何かあれば、トウヤ。いつも通り、肩を叩いて合図して」

「へいへい、了解」


 その場に座り込むサシャを、トウヤは軽い返事で返す。見なくても分かるが、そんな軽い口調で喋っていながらも、視線は周囲を警戒している。その姿に安心してから、サシャは目をぱちくりさせているウーラチカを見る。


「ウーラチカ。貴方は感覚が鋭い。トウヤを手助けして貰えますか?」

「……分かった。出来る事、する」


 外見は精悍な青年。

 しかし、どこか子供に言い含めているような気がして、サシャは笑みを濃くしながら――目を閉じた。





 感覚共有がスムーズとはいえ、伝わっているものは非常に鈍感だ。薄い氷一枚を隔てているように熱がなく、実感が乏しい。

 それでも、サシャはゆっくりと小鳥を飛翔させ、真っ直ぐ大鬼族の集落に入っていった。


『ガハハ! 飲め飲め前祝いだ!』

『ようやく住める場所が見つかって良かっただ』

『だから言ったろう、大将は間違ってねぇって』

『お前、あんな怪しい呪師まじないしさ信じるなんて何考えてるだって言ってたでねぇか』

『あん時はあん時でい!』


 焚き火を囲み、粗野な料理を口に運び、見るからに温そうな麦酒エールを飲んでいる大鬼族達は陽気だ。何かを踏み荒らし、森にとって大事なものを奪ったとは思えない。


 戦勝し、今こそこの世の春と言わんばかりの安堵と喜びの笑いと大声だ。


 ざっと人数を数えても、これでは樹人族達の言っていた人数と合わない。

 予想よりも大勢の大鬼族が見える。

 その中には鎧のような物を身に纏っている者もいれば、サシャが最初に見た者の様に腰布一枚の者もいる。

 つい最近負ったであろう大怪我を治療した痕が見えるもの、まだ包帯を巻き、それに血が染みている者もいる。

 成人しているもの、まだ子供のようにも見える小さな者、既に老人とも言って良さそうな髭を蓄えた者。

 共通点を挙げるなら、皆一様に汚れていた。

 これだけを見れば、とても盗賊には見えない。

 まるで難民のように見える。


(樹人族達がわざと報告を歪めたって事じゃないでしょうね……)


 実際、〝戦える者〟だけ数えれば、報告どおり三十人程度。つまり戦っていた者達の背後で――護られるように後方に控えていた大鬼族がいるという事だ。


(早速一筋縄ではいかなくなって来たわね……取り敢えず、さっきから聞こえている〝大将〟と〝呪師〟を探さなきゃ)


 一度止まっていた屋根から飛び立ち、周囲を見渡すように旋回する。

 乱立している家は、造りそのものは適当で掘っ立て小屋そのものだったが、その大きさは一定している。自分達が横になる事を考えてなのか、遠くから見た時よりも大きく感じる。

 しかしその中でもひときわ大きく、造りも丈夫そうなものが、その集落の中心には立っていた。

 一番偉い人間の屋敷は、一番大きい。

 大半の種族に通じる法則だ。

 その窓枠に羽ばたきを最小限にして、音も立てずに降りた。

 部屋は非常に簡素な造りだった。流石に家具を用意する事は叶わなかったのだろう。適当な毛布で寝床が作られているだけで、あとはただただ広い空間が広がっているだけだった。


『――どうだ呪師。お前の〝実験〟とやらは上手くいっているのか?』


 その中に、他の大鬼族の二倍はありそうな体躯を持つ者がいた。角も他のどの大鬼族よりも立派で、その手には巨大な剣が握られている。

 嘗て名のある兵士か何かだったのだろう。倭桑ノ国の特徴を持った鎧は頑丈そうで、しかし他の大鬼族と同じように、血と汗と泥で汚れていた。


『俺達はお前が、ここに俺達の自治区を作ってくれるといった――お前の言う事を素直に信じるなら、お前の〝実験〟とやらが上手くいかなきゃ、それは出来んもんなのだろう?』

『――ヒヒヒ、それが大将殿、少し難航しておりましてなぁ。何せ某も初めての試みゆえ、なかなか上手くいかんもんですわい』


 その部屋には、もう一人の人影があった。

 黒いローブに身を包み、顔を完全にフードで覆い隠している。腰が酷く曲がり、嗄れる声を聞けば男の老人なのではないかと推察出来る。捻り曲がった木の杖を持ち、そこから覗く手は毛むくじゃらで、大鬼族と違って緑色をしていた。

 矮躯族ゴブリンはその名の通り、小さな体を持った緑色の肌を持つ種族だ。集団先方が得意で、手先も器用。頭も悪くないので、魔導師をやるものがいない訳ではない。

 訳ではない、けど、


(……いやあれ絶対に矮躯族じゃないわ)


 吐けない溜息を吐く。

 そのローブを纏った呪師と呼ばれる男は――〝矮躯〟と表現するのはあまりにも大き過ぎるのだ。

 まぁ確かに、五メートルもある樹人族や三メートル近く身長がある大鬼族に比べれば〝矮躯〟なのは確かだ。二メートル近い身長を持っている存在を人間基準では矮躯と言わない。本当の矮躯族なら、せいぜい一メートル程だ。

 自分達よりも小さく、肌の色が緑色だったから矮躯族と勘違いしたのか……とも少し思ったが、何かが違うように思える。


(もしかしたら、幻術の類でも使っていたのかしら)


 樹人族達に正体がばれないように? だが何の為だ? それをやる意味は?

 サシャの疑問に答えが出る事はなく、〝大将〟と呼ばれる大鬼族と、〝呪師〟という得体の知れない老人との会話は続く。


『おい、話が違うぞ。お前が必要だというから、面倒だが精霊を捕まえてきたんだ。それが出来ませんってのはどういう事だ』

『落ち着きなされ。某の創ろうとしているモノは非常に繊細なものなのですじゃ。成功例も少なく、制御する為には調整がいるのですわい』


『そうは言うがな。樹人族はまぁ邪魔だが害にもならん。しかしあの黒い坊主の妨害は気にいらん。それに時間が長引けば長引く程、世権会議の使者やら兵士やらが来かねん。

 ただでさえ、この前も様子を見に来た人間を取り逃がしてしまった』


『ヒヒヒ、焦る事もありますまい。領主は自治区に手を出しかねているでしょうし、世権会議の腰は重い。もう幾許か猶予はございましょう。それに、難航していると言うても、目途は立っております。あと数日もすれば完成ですじゃ』


『確証はあるのか。十二体もこの森の精霊を捕まえてきて、昨日まで九体も無為に失っているのだろう? 残り三体で足りるのか?』

『問題がございません。なぁに、近日中に、アレは貴方様のモノでございます』


 ――サシャの中で、血が冷えていくのを感じる。


(創ろうとしているモノ、

 制御するには調整がいる、

 あと数日もすれば完成、

 九体無為に失って、

 残り三体――)


 言葉はピースのように重なっていき、ぼんやりを像を生み出す。

 それは考えたくない事。

 考える事も恐ろしい事。

 彼らは、




 〝禁呪〟に手を出している。




 〝禁呪〟。

 魔術・魔導の歴史は、《勇者》以上に長い。

 その歴史の中では、新たに作り出される物もあれば当然失われていく物もあり――そして賞賛されるべき物もあれば、忌むべき物もある。

 死霊魔術ネクロマンシー、人の体と心を変革し異形を生み出す魔術、自然を損なわせ全てを荒野に変える魔導、それは上げていけばキリがない。

 その中には、――〝精霊〟を材料とするものも存在する。


(急いで探さなくちゃ――)


 早く、精霊達を救い出さなければ。

 そう思い、サシャは二人の話を聞いている余裕もなく、慌ててそこを飛び去った。





 その目には気付かず。






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