2/森の事情 そして調査 其ノ一
この《エント・ウッド》に現在住んでいる
精霊の序列としてはそれほど高くはない彼女達は(樹ノ精霊に男性の姿をとる個体はいない)、しかし力を合わせてこの森に守護の結界を授けていた。
許可なく立ち入る者を迷わせる、森全体の事を知覚し、問題を察知する。この森は言わば彼女達の領域とする加護。
――そんな力を持ってしても、
三十人以上で構成される大鬼族の集団に、樹人族の集落と、そこからあるいて数分程度の距離にある樹ノ精霊の寝所は襲われた。
樹人族も樹ノ精霊も、そしてウーラチカも、何もしなかったわけではない。自分達に出来る精一杯の防衛を行った。
しかし相手は戦いに生き、戦いに死ぬ大鬼族。
しかもあちらには
問題はそこからだった。
大鬼族は森の木を勝手に切り倒し、削り、勝手に自分達の集落を形成し始めたのだ。
積極的に樹人族を狩り殺す事はなくなったが、樹ノ精霊達の加護がなくなってしまったこの森が無計画に拓かれて行けば、樹人族が生きていく上で必要な〝自然〟が失われてしまう。
だが森と同じく加護を失っている樹人族には戦う術もなく、結局ウーラチカが散発的な戦闘を行い、木を切るのを出来るだけ止めさせる以上に、出来る事は現状なかった。
『――そんな行き詰ったこの時に、貴女方がいらっしゃったのです』
そう言って翁が見上げたのは、大きな植物のドームだった。
艶や枝、様々な草木が混ざり合い、大きな部屋のようなものを構成している。
樹ノ精霊達の寝所。
この世界はきっと、精霊王の座所と同じく位階が形成されているのだろう。それが今は楽しい精霊たちの笑い声も響かず、どこか閑散とした雰囲気を残すばかり。
「唐突に現れた、というのは不可解ですね……」
精霊達の使う術は、もはや魔術や魔導という区分からは外れたもの。むしろ精霊達の技を真似ようと生み出されたのが魔術・魔導の類だ。
普通の魔術師や魔導師がそう簡単に騙くらかす、ましてやそれを突破し精霊そのものを〝捕まえる〟何ていう事は不可能だ。
恐らく、ウーラチカに倒されたあの大鬼族が話していた「呪師」がそうなのだろうが……。サシャは視線を上げ、翁の顔を見上げる。
「翁は、とりあえず樹ノ精霊を救い出す事を第一にしたいと?」
『然り。精霊様の加護が蘇る事、何より、精霊様のご無事こそ我らの本懐なのです』
戦う事を考えない。
何より彼らにとって一番大事なのは、住まいであり必要不可欠なこの森の自然の維持だ。精霊を奪還し、この森の異常を解決させようとしている翁の考えは間違いではない。
(……でも、それじゃあ〝解決〟とは言えない)
大鬼族は何故ここにやって来たのか、
どうやってここにやって来たのか
呪師のその異常な力量はなんなのか、
今はどうして樹人族を襲わなくなったのか、
そもそも、樹ノ精霊を捕獲した理由は?
解けた謎より、解けていない謎があまりにも多く、解けたものより異質だ。
翁、ひいては樹人族達が問題視していなかったとしても、《勇者》であるサシャはそれで終りで良い訳がない。
「……分かりました。ですが、他にも調査しなければいけない部分があるので、そこも協力いただけますか?」
『勿論、《勇者》様が必要と思われるのであれば、我ら樹人族は協力を惜しみませぬ。
ただ事が戦闘ともなると、我らでは非常に心許ない。宜しければ、ウーラチカを《勇者》様の案内係とするのを、お許しください。あの子ほど、この森に詳しく、強い者はおりません』
翁の言葉に、サシャはちらりと、少し離れた場所でトウヤと一緒に待っているウーラチカを見る。彼はここに来て、翁の話を聞く必要はないと言わんばかりに(当然だ。彼は事情を知っているのだから)離れ、トウヤはそれに付いて行った。
トウヤなら話を聞くだろうと思っていたが――少なくとも、彼の中で警戒は解けていないらしい。殆ど無害の翁はさておき、未知の力を持ち、しかも遠距離から攻撃できるウーラチカを視界から離したくなかったのだろう。
「ええ、それは構いません……あの、もし宜しければなんですが、」
『……ウーラチカが何故ここにいるか、ですかな?』
サシャは小さく首肯する。
共同体の中だけで生涯を終わらせる者が大半で、あまり一人きりでいる姿を見ない。
元々、《魔王》に付き従い人類と戦う事を選んだ種族。千年経った今その類の偏見こそ見られなくなったものの、長い人生を持つ彼らは迫害されてきた歴史を忘れていない。
だから同族同士身を寄せ合い暮らしていくのだ。
――しかし限界があるのは確かだ。
その土地を長期間動けないような病気、怪我を負った者。何かしらの罪を犯した者。口減らしや、時々現れる自由奔放な精神の持ち主。
様々な理由で、その共同体を追い出される、あるいは出て行く者もいない訳ではない。一人だけどこかの国の王の鷹狩り係に雇われた、という話も聞いた事がある。
そういう理由で彼が共同体を追い出されたというのは、あまり無理がない話だ。
不思議なのは、生活習慣が違い過ぎるが故に他種族とは最低限の交流しか持たず、森の中で自治区を形成している樹人族が、何故そんな彼を集落においているのかだ。
自治区の中の決定は、自治区の中の者が行う。
だから、ウーラチカをこの森に住まわせているという事実に、問題はない。サシャが気になるだけだ。
「彼は自分が赤ん坊の頃からここにいると言いました。もしかしたら、ここの近くを通った精闇族のコミューンが、口減らしに、その、」
『捨てられた、ですかな?』
濁された言葉の続きを、翁は引き継いだ。
人間とはかなり違う顔立ち。しかしその表情は、どこか哀れに思う老人が隠れていた。
『……百年ほど前の事でありましょうか。
森の外れで妙な泣き声がすると同胞が言うのです。ワシも少し気になりまして見に行って見ますと、木の虚の中に、まるで隠されるように赤子が放り込まれておりました』
ぼろ布で包まれ、空腹と寒さ、そして母を求める泣き声は、その小さな体からは想像できないほど大きく木霊していた。
『本来であれば、我らに他の人種の子育てなど無謀です。何せ感覚が違い過ぎる……しかし、一つの命を無碍に放り出してしまうのも、我ら樹人族には出来なかったのです』
自然な死、であるならば受け入れる事も出来よう。病や弱肉強食の結果、死んでしまうのであればそれもまた彼らの尊ぶものだっただろう。
しかし親に理不尽に捨てられ、ただ泣き叫ぶ事しか出来ない赤子を育てられないからと見捨てる事は翁には出来なかった。
『どこの誰が捨てたのか。森の中でのみ生き、噂や情報収集に向かない我ら。とてもではないが、あの子の親を見つける事は叶いませぬ。
……ただ、捨てられた理由ならば分かる。それを知った時、我ら樹人族には理解出来んかった。しかし哀れじゃと思うたんじゃ……そう思うたら、育てる以外の選択肢などのうなってしまった』
「理由、ですか?」
翁は、少し溜息のように息を吐きながら告げる。
『あの子は――
◆
「さて、どんな話になるんだろうなぁ」
「……ジイジ、協力する、言ってる」
「なんだよ、それなりに離れているし、大きな声じゃないのに。耳、良いんだな」
「
「そっか。まぁこんな鬱蒼としてる森に住んでりゃ、そうなるかもなぁ」
十メートルほど離れた場所で、オレとウーラチカは草木のドームを眺めながら、そんな事を話していた。
そうは見えないだろうが、一応警戒はしている。いくら樹人族が平穏を望む種族で、ウーラチカと呼ばれる精闇族の青年がそれなりに大人しく、《勇者》って看板がそれなりに大きかったとしても、警戒しない理由にはならない。
まぁ警戒しているのはこいつらにって言うより、大鬼族達になんだがな。何せここは一度、大鬼族の集団に襲われているんだ。いつ、どこからそいつ等がまた襲ってくるか分からない。
「……お前もアイツと同じで、変」
「? アイツって、サシャの事か? あいつより、オレは普通だと思うけど」
オレの言葉に、ウーラチカは首を振る。
「お前も、変。普通、自分殺そうとした相手に、そんな風に話しかけない」
……あぁ、なるほど。まぁ、そうかもしれないな。
「そうだな、なんと説明すれば良いか……オレはサシャに選ばれる前は、傭兵をやっていたんだ。傭兵、分かるか?」
「うん……戦とかで、お金貰って戦う、けど、兵士じゃない」
「まぁ、間違ってない。傭兵ってのは、その時その時の戦いで雇い主を変える。この前まで殺し合っていた奴と仲間になる事もあれば、この前まで肩並べて戦っていた奴と剣を向け合う事にもなる」
昨日の敵は今日の友。
昨日の友は今日の敵。
そういう事は腕貸しでは珍しくもないし、護り屋もそうだ。この前まで一緒に盗賊狩りをしていた傭兵が、今では狩られる盗賊側に堕ちているなんて、傭兵家業じゃ珍しくもない。
敵味方はコロコロ変わるし、気に入らない相手に従う事もあれば、気に入った相手を殺さなきゃいけない時もある。
傭兵が傭兵を辞めてしまう理由はいくつかあるが……その中の一つが、そういう情だ。
雇われた側の国、軍に情を持ってしまい、その国で兵士をやり始める腕貸しは意外といるもんだ。それ自体は、良い事なんだが、時々その情に足元掬われて死ぬ奴もいる。
逆に恨みを持って、足元掬われる奴も。
「だから、情も恨みも程ほどにしている。踏み込み過ぎない、考え過ぎない。幸い、お前もお前の爺さんもさっき会ったばっかだしな」
「……それ、「どうでも良い相手」と、どう違う?」
「それなりに違う。信用していない訳でも、信頼している訳でもない。そういう中庸ってのが人間にはあるのさ」
オレの言葉に、ウーラチカは首をかしげる。
「……やっぱり、よく分からない」
「まぁ、樹人族とずっと一緒に暮らしてりゃ、そういう考えにはなるのかな」
他の種族と樹人族は、その価値基準が違う。
その中で赤ん坊の頃から生きていれば、そりゃあオレの考え方とかは分からない。
「……でも、もしかしたら、《勇者》はウーラチカの事、嫌いになるかもしれない」
その言葉は、聞き逃すにはいられない言葉だったし、スルーするにはあまりにも断定的な言葉だった。
「なんでだ? 別にサシャは、他種族が嫌いって訳じゃ、」
「――ウーが、半種だから」
半種。
前の世界の言葉を使うならば、「ハーフ」だ。
多種多様な種族がいるこの世界で、別の種族と別の種族が結ばれ子を成せば、その子は半種と呼ばれる。勿論、樹人族などの普通の性行為では子供を成せない存在もいるので、半種の種類はそれなりに限られてくるんだが。
――その受け止められ方は、前の世界のハーフとは大きく異なる。
この世界の人類は、異常に自分の種族の中に固執する傾向がある。
純血主義といえば良いのか、それとも異種族との婚姻自体に否定的なのか。その行為を嫌悪し、そこから生まれた半種を差別する。現在の世権会議公認宗教である唯一教の影響なども強いのだろう。
個人や国、様々な理由で強弱があり、そういう偏見を持たない人間もいるが、大多数の人類は眉を顰める。
「ジイジは頭良い。それに、樹ノ精霊様に赤ん坊の時のウー見せたら、そう言われたって。
「……へぇ、そうかい」
ウーラチカの言葉が断定的だったのも頷ける。
半種はどのコミュニティでも馴染み辛く、その多くが一人で暮らしているか、そういう偏見が薄い、あるいはない国を求める。長寿の種族と人種との半種は余計に。
問題はその寿命。
精謐族や精闇族は八百年生きるが、その半種の寿命は四百年ほど。本来の彼らの半分も生きない。かといって人種からすれば、どちらにしろ長過ぎる寿命だ。
――精闇族側からも受け入れられず、人種からも嫌悪の目を向けられる。
この森で育ったのは、ある意味幸運だったのかもしれない。赤ん坊の頃という事は捨てられたんだろうが……どんな理由があり、どんな感情をウーラチカに向けていたにしろ、少なくとも樹人族の中でなら幸せだったろう。
何せ、彼らはそういう差別意識が全くない。皆自然の中に暮らす恵まれし子らだ。
そしてそれは、
「まぁ、そんなに考え込み過ぎる事はない。サシャもオレも、差別なんて言葉には縁遠いからな」
オレにもサシャにも、関係ない事だ。
「? 何で? 普通の人達は皆そんな風に考えるって、ジイジ言ってた? ジイジが間違っていたの?」
「いいや、間違いじゃない。この場合……やっぱり、オレらが変なだけさ」
まずオレの場合、傭兵家業のおかげだろう。
傭兵になる人間は、まぁ大概どこでも鼻つまみ者扱いされた連中ばかり。チンピラだってやつもいたし、前科者、どこかの軍で問題を起こして放逐された奴もいれば、暴力大好き人間の変態なんかもいる。
その中には、当然半種の人間も多かった。
半種ってのは、傭兵じゃ結構重宝される。種族の良いとこ取りしている連中が多いし、国やなんかの柵も薄いから雇う側も安心。
オレも何度も仕事をしたりして、あいつらが額面通り「汚らわしい存在」だとは思えない。
そしてサシャに関しては、――あいつは、そんなに簡単に誰かを差別出来る人間じゃない。
そもそも、自分の所為じゃない事件で生き残って、その中で死んだ人間を想い、罪悪感を抱く人間が、誰かを理由もなく差別するってのはまぁ向いていない。
傭兵に対してだけは悪感情があったが、それはしょうがない話だし、オレとあってから徐々にそういうのも無くなって来た。
ありがたい話だ。
そんな女が、ウーラチカが半種と知ったからって、いきなり人間扱いしなくなる……うん、全然想像出来ない。
「まぁ、とにかく心配すんなって話だ」
「……やっぱ、お前ら変。ジイジから聞いていた話と、全然違う。ウー、混乱する」
「アハハ、そこは慣れていくしかないなぁ」
まるで酸っぱい林檎でも食っているかのようにシブい顔をするウーラチカの肩を、オレは優しく叩く。
「そもそも、あの《勇者》も変」
「あぁ、うん、そうだな。でも変って言わないで変わってるって言ってあげて」
「前に見た人種とも、お前とも違う」
「うんうん」
「髪長いし、体小さい、細い」
「うんう……ん?」
「柔らかそうで、なんか良い匂いがする」
「あぁ~……ウーラチカく~ん」
「? なに、人種」
「トウヤな、トウヤ。
もしかしてお前……〝女〟に会った事、ないの?」
「ない。でもジイジに聞いた。
髪長くしてて、スカートを穿いてて、〝男〟より小さくて細くて柔らかい。あと、男についているチ――」
「あぁ~それ以上は言わなくて良い!」
とんでもない事を言いそうになったウーラチカの口を塞ぐ。
……さっき読んだ本にはこう書いてあった。
樹人族には男女などの性別の概念が極めて薄い。人間でいう所のファッションみたいなもの――なんとなく男女の違いを性格や言葉遣いで表現しているだけ。
つまり肉体的な性別特徴はないし、そもそも性別がない。
彼らの子孫繁栄方法など、数年に一度咲く体の花を気に入った樹人族と抱き合って受粉させ、出来た実の中から子供が出てくるという、〝普通〟とはちょっと言えないものだ。
……そりゃあ、物心ついて初めて女を見たんじゃ、分からないよな。
「サシャは〝女〟だ。他の奴がどうだったか知らないけど、オレは〝男〟だ」
「――おー、あれが女。確かに特徴合ってる」
「そういう確認の仕方なのか……良いか、それはサシャに言うんじゃないぞ。変な聞き方すると怒るから」
「? 何故怒られる。本当に男と違うのか確認「分かんないと思うけどダメだからな絶対!」……やっぱりお前変」
そこは俺が変なんじゃないと思う。
……
「……気苦労が絶えなさそうだ」
オレはこちらに戻ってくるサシャを見ながら、そう呟いた。
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