其ノ四
「二人とも武器を収めなさい! 世権会議所属の《勇者》として、これ以上の戦闘行為は一切認めません!!」
サシャは二人の間に割って入るように、堂々と姿を現した。
そして、――
(――これ、結構無謀な事しているわよね、私)
相当な無茶をしているのを、自覚していた。
自分を狙ってきた男の正面に堂々と姿を現せば、それはもう「殺してください」と言っているようなものだという自覚はある。
それでもやる価値がある。そうサシャの頭の中では結論を出していた。
『森を護る』と彼は言った。
どういう理由があるのかは分からないし、人を殺さなければいけない程の何があったのかもサシャには分からないが、護るといったのだ。
金銭や自分の命を護るのとはまた違う何かが、彼にはあるはずだ。
「トウヤ、まず貴方が先に武器を仕舞って。そうじゃないと、彼も警戒を解けないわ」
「……大丈夫なんだな?」
トウヤの言葉には、心配しているのと同時に、覚悟を試すような言葉が混じっていた。その言葉にサシャは笑顔を向ける。
「ええ、――信じてるわ」
言葉に込めた思いは、今この場で伝えきれない程の重さがあった。
「――まったく、注文の多い主人に仕えるってのはこれだから、」
呆れ、それにどこか眩しそうに見えたのは、サシャの気の所為なのだろうか。トウヤは
「……さて、
初めまして。私の名前はサンシャイン・ロマネス。世権会議の代理人にして、世界の調和を守る《勇者》を拝命しています。気軽に、サシャと呼んで下さい」
サシャの優しい言葉に、青年の目つきは殆ど変わらない。
警戒する色は失せてはいないが、敵というより観察対象を見るようなその視線は、サシャにとって別に大した事ではない。
それくらいで折れるサシャではないのだ。
「警戒するお気持ちは分かります。武器は、警戒しなくて良いと貴方が判断するまで結構です。
ただ、お話しするのに、名前が分からないのは少し不便なので、もし良ければ、名前を教えてもらえませんか?」
「……話すの、あんまり良いと、
弓を構えたままの精悍な青年は、姿と相反して、口調はやや子供っぽい片言だった。
意外……と少し思ったが、共通語を覚えない種族や個人もいるので、むしろ此方の言葉を理解してくれているだけでもありがたい。
「そうでしょうか? 貴方は森を護ると仰いました。私達も、それは同じです」
「……なんで? お前ら、関係ない」
「関係なくないんです。私達は、森の外からの……そうですね、お使いだと思ってください」
出来るだけ分かりやすい言葉を選ぶ。
視界の隅でトウヤが少し可笑しそうに肩を揺らしているように見えるが、そのお説教は後でだ。
「ここの
青年の戸惑うような、だがしっかりとした頷きを確認しながら話を続ける。
「最近、森の様子がおかしかったり、外の人との集まりに樹人族の方がいらっしゃらないので、心配して私が呼ばれたんです。私はこういう時の為に呼ばれるんですけど……《勇者》は、分かりますか?」
「……ちょっと前に、ジイジから聞いた。《勇者》は、《魔王》を倒した〝えーゆー〟で、今も、皆、守ってるって」
全く事前情報が無かった、という訳ではないようだ。
「ジイジ、とはどなたですか?」
「……この森の樹人族の中で、一番長生きな人。ウーを育ててくれた」
――そこで、ようやく一つ謎が解ける。
樹人族が必要のないものを報酬として要求していたのは、収集でも自分達の為でもない――目の前の青年の為だったのだ。
衣服も、本も、調味料も。彼の為に、樹人族達は求めたのだ。
「いつ頃から、この森に住んでいるんですか?」
「赤ん坊の頃から、多分、百年くらい」
精闇族は
人種からすれば随分高齢だが――長命な種族からすれば、まだ子供、そうでなかったとしても本当に歳若い少年のように思える年齢。そう扱われてきただろうし、種族的に見ればそれは当たり前。
だとすれば――。
「では、貴方にとってここは、故郷なんですね」
住んでいた寒村を思い出す。
サシャは、故郷を守る事が出来なかった。子供だったから、戦う力が無かったから、理由は色々あるけれど、それは変わらない。
もし彼が少年のような心を持っているならば、それは顕著だろう。
自分の住む故郷と家族を害する存在が現れれば、抗いたいと思うに違いない。サシャだって、恐怖が支配していなければ、あるいは恐怖が振り切れていれば、同じ行動をしていた。
目の前の彼の場合、その力が敵を殺してしまうほどしっかりと具わっただけの話だった。
「でしたら、やっぱり私は貴方の敵ではありません。私も、貴方の故郷を護りたいんです。一緒に」
「……信用、出来ない」
弓の弦が震える。
隣でカチャリと唾の音が聞こえる。
トウヤに笑顔を向けてから、サシャはもう一度青年に微笑む。
「出来ないのは、しょうがないです。でも、そのジイジという方に会わせて頂ければきっと分かります。
もし私たちが少しでも危ない存在だと貴方が判断したら――殺してください。私は抵抗する気はありません」
サシャは、自分が交渉事に不向きだと自覚している。
変な所で頑固で、感情を隠すことが下手糞で、面倒くさい生き方を選んでいる物好きだ。
アンクロにも渋い顔をされるし、トウヤも応援はしてくれているが、同時に心配を掛けてしまっているのも理解している。
でも無理だ。
自分の命も含めた全部を賭けて相手にぶつかるしか、今はまだ出来ないから。
「……お前、凄く変。そんな簡単に、死のうとするの、変」
「いいえ、死にたいだなんて思っていません。私は、貴方に殺されない自信があるだけです」
「……ソイツがいるから?」
トウヤを指差した青年に、サシャは首を振る。
「私が絶対に貴方を裏切らないから」
全部救う。
その為には、死を恐れている暇は無い。
その為には、生きる事を諦める事は出来ない。
それくらいの無茶をしなければいけないから。
「……やっぱり、変。よく分からない事を言うし、ここに来た人種と全然違うし……でも、」
キリキリと緊迫した音を立てながら――弓の弦が緩められた。
「ジイジの所には、連れてく。
――ウーの名前は、ウーラチカ」
サシャの捨て身の、交渉ともいえない交渉は、実を結んだ。
樹人族の集落は、普通に考えれば「集落」とは呼べないものだった。
池の畔に拓けている広々とした広場。野ざらしで生活する樹人族には当然住居などというものは無く、苔や小さな草原のような場所があるだけの、本当に広場としか表現しようが無い場所。
そこに、二本の腕と足が生えた木々達が、日光浴をするように立ち尽くしたり、その辺を散策していたり、池に足を浸け食事を楽しんでいたりという風景が広がっている。
「ここで待ってて。ジイジ呼んでくる」という言葉と共にウーラチカはどこかに行き、トウヤとサシャはどこか手持ち無沙汰に近くの岩に座り込んでいた。
待っていてと言われた以上集落の中をうろつく訳にも行かず、先程から樹人族には奇異の目で見られているので、サシャは居心地が悪そうにトウヤに話しかけた。
「予想以上に上手く事が運んでるわね。取り敢えず樹人族の長老に話を聞いて、それから森全体の調査もしないと。樹人族の協力を取り付けられたら、調査も捗るわ」
「……アー、ソウネ」
「……そ、それにほら、これで樹人族の問題を解決出来たら、木の伐採に関しても、良い譲歩案が引き出せる可能性があるし、それにウーラチカくんが協力してくれるってのは大きいわ。何せ精闇族も精謐族に負けず劣らず
「アーウンウン、スゲェワカル」
「……あぁもう! さっきから何なのそのやる気の無い返事は!!」
流石に苛立ちも堪えきれず、岩から立ち上がり、トウヤを見下ろして叫ぶ。
ウーラチカとの交渉が済んでから、ずっとこの調子だ。
先程から今現在も、サシャを何時でも庇える様に傍にいてくれているし、話しかければ答えてくれるが、その返事にはまるで生気がない。
普段の冗談も飛ばさず、どこか不貞腐れた顔で周囲を警戒し続けるだけ。
流石にサシャも、これではどうすれば良いか分からない。
「言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ! 貴方らしくもない!」
「……あ~、すまん。ちょっと思う所あってなぁ。お人好しで、怖いもの知らずな所があるっていうか、病的に真っ直ぐな所があったのは理解していたが、」
そこで言葉を切って、目線をサシャのそれと合わせる。
「まさか自分の剣であり、盾でもある《眷属》の目の前で「何か有ったら殺されても文句言わない」みたいな事をアッサリ言われると、なぁ」
「ウッ」
その言葉が、先程ウーラチカが放った矢の如く鋭く、そして深く突き刺さった。
――感情を込めて言葉にするというのは難しいものだ。理性で考えている事とは全く違う事をぽろっと言ってしまう事が多々ある。
信用を得る為ではあったが、それでもあの言葉はサシャの本心だった。もしウーラチカにその場で射ち殺されても、サシャは恨んだりしなかっただろう。
強いて言うなら、「信用させる事が出来なかった」自分自身に後悔と怒りを覚えるくらいだ。
だが、――それはトウヤの気持ちをまるで入れていない言葉だった。
「サシャの性格は十分理解してるし、主人の決定を止める気も、その権利もオレにはない。死ぬ気がなかったのも分かるけど……ちょっと、ヒヤッとしたぞ」
トウヤの表情は、不満げではありながらどこか納得してくれているが、大人の納得というよりも、まるで子供がしょうがないなぁと言うかのようだった。
この一ヶ月一緒にいて分かっていたのは、トウヤにはいくつかの〝顔〟があるという事。
傭兵としての顔。
大人としての顔。
お調子者の顔。
そして今のように、時々見せる子供っぽさ。
ちゃんと見せるべき場所を心得ているというか、バランスをしっかりととっている。傭兵としての心得なのか、あるいは彼個人の性格なのか、もしくは今は失っている前世の記憶が影響を与えているのか。
サシャにはどれが正解だか分からないが、少なくとも彼の見せる不器用な「子供っぽさ」を見れる人間は多くないのは理解している。
つまり、彼が気を許している証拠なのだ。
それを出してくれる程気安く思ってくれているのが嬉しいと同時に、少し抜けている彼を見れているような気がして――サシャはその顔に、どうも弱いのだ。
「うん……ごめん」
「……それ、
『後悔も反省もする気もないし、これからも同じ事があれば同じようにするけど、貴方の気持ちが勘定に入っていなかったのと、貴方に負担を負わせたのは申し訳なかったわ』
の、ごめんだろう?」
「そうよ、相変わらずの察しの良さね」
「おべっか遣いの元傭兵だからな……なぁ、あの「信じてる」ってのは、何だったんだ? どういう意味で言ったんだ?
何かあったら守ってねって事か? それとも自分を信じてくれてるだろって意味か?」
「それも含めた、色々、かな」
「なんだよ、色々って」
「色々は色々よ」
自分が行う事を疑わず、支えてくれる事。
何か有ったら守ってくれる事。
そして、自分が間違っていると判断すれば止めてくれる事。
もしウーラチカという青年と戦いになったとしても、トウヤであれば彼の命を取らないだろうと思った事。
トウヤであれば――きっと自分を裏切るような事はしないだろう。
そういう意味での、色々だ。
言葉で表すのは難しく、恥ずかしい。
そんな感情を込めた言葉は、ちゃんとトウヤに届き、トウヤは理解せずともそのようにしてくれた。
その事実だけでも、サシャに取ってみれば十分だった。
「これからも無茶をするかもしれないけど
――よろしくね。私の一ノ《眷属》さん」
サシャの言葉に、トウヤは何か言い返そうと口を数度開閉するものの、結局狙った言葉を紡ぐ事はなく。
「…………ハァ~~~~~~~~~~~っ。へいへい、分かったよ」
出たのは、特大の溜息と、苦笑いを浮かべながらの、いつも通りの軽い返答だった。
サシャはいつも通りの笑みを浮かべて、「ええ」とだけ返した。
信頼に、そう多くの言葉は必要ないのだ。
――唐突だった。森の中とは違い真っ直ぐに指していたはずの日光が、急にさえぎられた。
『やれやれ、お待たせいたしましたかな、《勇者》殿とその《眷属》殿』
木を叩くような明瞭な声が響き、サシャは顔を上げる。
――本で読んだ想像通りの樹人族が立っていた。
他の樹人族達より苔生したその姿は、その苔が体毛のように鮮やかな緑色に姿を彩り、時々長く生えているのは、老齢な魔導師を思わせる長い髭や眉のようにも見える。
五メートルと、普通の木に比べたら小さいが、それでもその顔を窺い知るには見上げる事しかできない。
「いいえ、大丈夫です。
お初にお目にかかります。私は
「トウヤです」
サシャの淑女の礼と共に、トウヤも胸に手を当て、簡素ではあるものの礼節に則った挨拶をする。その姿を見て、樹人の老人は目(だと思われる)を細め、風でしなる様に返礼をする。
『ご丁寧なご挨拶痛み入ります《勇者》殿。
ワシはこの樹人族達の年長でございます。本来人種のような名はありませんが、人からは《
我が孫、ウーラチカが何か粗相をしたようで、真に申し訳ない――ほれ、ウーラチカ』
翁がそう促すと、その後ろに控えていたウーラチカが先程の警戒心とは打って変わって、申し訳なさそうな顔をする。
「……ごめんなさい」
こちらも簡素ではあるが、表情と語感から、申し訳なさそうな雰囲気は重々伝わってきた。それをサシャは優しく手で制する。
「気にしていません。こんな時にお邪魔してしまった私達にも、落ち度はあります」
『そう言って頂けるとありがたい。
では、早速で申し訳ありませぬが、説明よりまず見てもらった方が早い。ご案内してもよろしいかな?』
「ええ、それは構いませんが、」
どういう事なのか、不思議そうに言ったサシャの言葉に、翁は優しい笑みを潜め、複雑そうな顔をする。
『ご案内する場所は、この森に座す
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます