其ノ三
「wんどぉpj!」
その赤くオレの頭も握り込めるほど、大きく感じる拳を振るい上げる。
「なら――、」
剣を横に投げ捨てると、相手の拳を最小限のサイドステップで回避し、その拳の中ほどから掴む。
そのまま、
「セイッ!!」
捻り上げる。
オレよりもずっと大きく重い存在であっても、
掴むのに難儀はするが、出来ない訳じゃない。
この世界にも、こういう柔術紛いの技術があり――オレはそれだってちゃんと勉強している。
「GuGaaAaAAaA!?」
ガコンッという、重い物が外れる音が森の中で木霊するのとほぼ同時に、その口からは苦悶の絶叫が上がる。
関節が外れる痛みってのは、なれている人間でも相当きつい。
何より、元に戻すまでどうあっても腕は使い物にならない。命を取らずに捕縛するなら、最適の技だ。
「――で? そっちの大鬼族さんはどうする?」
自分達よりずっと小さく、弱いと思っていた存在。
そんな存在に仲間がやられた事に恐怖と混乱からなのか、呆然とその様子を見ていたもう一方の捕縛対象に笑みを向ける。
「にclwr!? mぅいrw!! zっぇjうぃ!!」
何か恐ろしいものでも見ているかのように早口で喋りながら、両掌を見えるように広げて上げている。
言葉そのものは分からない。
だが、こういう世界共通のジェスチャーはある。
特に戦場に必要なものとなれば、どの国でもやり方は変わらない。
両掌を見せるポーズは、「もう武器は持っていない、抵抗する気はない」というもの。
降参しましたってジェスチャーだ。
前の世界でも同じだが、しっかり手を開いて見せないとこっちじゃ効力はない。むしろ、何か手に隠し武器を持っているんじゃないかと判断され殺される事だってある。
まぁ、この怪力自慢な赤鬼さん達に、そんな考えがあるのかは知らないがな。
「あぁ、分かった分かった、叫ぶな耳に響く。おい、サシャ、悪いけど捕縛用の道具を……って、何だよその顔」
何か弁明している大鬼族と、外れている腕を押さえて何か言っている方にも声を掛けてから振り返ると、我が主人は何故かちょっと引き気味の顔をしている。
「貴方ねぇ……いくら身体強化がかかっているとはいえ、何でそこまで余裕で片付けちゃうのよ。確か大鬼族って、戦闘面ではけっこう強いって話じゃないの?」
……ああ、なるほど、そういう事か。
納得しながらも、サシャの手に握られている縄を受け取る。何か特殊な加工でもされているのか、陽に翳すと所々が光を反射している。
「一ヶ月一緒にいて、まぁまだ本気の戦闘を見せた回数もそう多くない。お前が実戦経験低いのも知ってるから、ここで一応講釈。
まず、余裕なんざない。結構必死だった」
確かに、経験があるから体を動かす事が出来たし、大鬼族とは会った事があり、戦った姿を見た事があるから行動パターンの予測も出来る。おまけに身体能力は相手と同じかそれ以上に高められている。
だが経験があっても通じない時はあるし、予測はあくまで予測で、高められているのは仮初の力。
どこもかしこも、余裕を持って戦える要素なんか一つもない。
刃を向け合っている時点で、そこはもう死線。一分一秒だって油断出来ないし、考えすぎても考えなさ過ぎても、緊張し過ぎてもしなさ過ぎても、死ぬ。
絶対に死なない一番良い方法は「戦わない事」だ。戦うってなってる時点で、絶対は消える。
そんな状況でもし仮に余裕の奴がいたら、そいつは真っ先に死ぬか
しかも相手は自分の二倍はでかい大鬼族。怖いに決まってる。今だって、大鬼族達の拘束を出来るだけきつくしようと必死だし、今になって軽く手が震えている。
怖いものは怖いんだよ、やっぱり。
「オレは余裕なんかじゃない、余裕だって雰囲気を装っていただけ。必死そうな顔、辛そうな顔ってのはそれだけで相手を優位にするし、逆にこっちが余裕ですって顔してやりゃ、向こうは勝手にビビッてくれる」
例えこちらが劣勢だったとしても「それがどうした」と笑みを浮かべれば、敵は「自分達は相手にダメージを与えられていない」と錯覚してくれる。
それで怯めば御の字。
そうじゃなくても、自分で自分にそういう暗示にも近い思い込みを掛ければ、剣筋が鈍る事だって早々ない。
「これもやり過ぎは禁物だが――ようは心理戦、ハッタリってのは重要って話だ」
「ふぅん、そういう搦め手も使うものなのね」
「使える武器は何でも使うってのは、傭兵の流儀だからな……まぁ、サシャには戦いじゃなく、別の場で役立つだろうよ」
こういうのは戦場よりも政治的な場で効果的、というより必須技能だろう。
サシャは素直で優しい主だが、それ故にそういう所が弱い。良い面でもあり、仕事では悪い面にもなり得る。
「オレはそっちじゃ援護出来るか難しい、そもそも関われるかも微妙。だからしっかり練習してくれよ、ご主人様」
「……またそんな上から目線で」
オレの言葉が気に入らないのか、それとも自分がそういう技能のレベルが低いのを自覚しているのか……まぁ、多分両方だろう。どこか不満そうな顔でオレを睨む。
「だから年上で先輩だっつうの。にしても、本当にこんなロープで大丈夫なのか? 今はビビッてくれているが、奴さん達が本気になれば、すぐに切れちまいそうな細さだぞ」
自分で縛り上げて、確かにそれなりの強度がある事は分かっているものの、それでもやはりまるで麻縄のような細さのそれでは心細い。
オレの言葉に、サシャはフンッと鼻を鳴らしながら胸を張る。
「
「なるほど。ワイヤーみたいなもんか」
「わい、え、なに?」
「ああ、いや、前の世界でも似たような物があったって話。で、これからどうする?」
叫び疲れたのか、黙りこくってその場に坐っている大鬼族を前にして、サシャは小さく溜息を吐いてから口を開く。
「そうね、このままって訳にはいかない。近隣の村まで行って、世権会議の担当官も呼んで、正式に取り調べって事になるわ。何か情報が引き出せるかも」
「了解。んじゃ、通訳頼む」
サシャがうなずくのを確認してから、近くに放り投げた《竜尾》を拾い、鞘に戻す。
……にしても、だ。
あの雰囲気から見るに、あの連中は戦う事に慣れている。傭兵をやっていた頃に聞いた話では、連中は子供の頃から戦いを学び、戦場を経験する。つまり根っからの戦闘民族。
だけど、ここら辺は良くも悪くも平和そのもの。事前情報じゃ、最近めっきり盗賊山賊の類も減っているという話だった。
大鬼族の盗賊なんていようもんなら、すぐに噂に上がるはずなのに。
しかも、連中戦いに慣れている。ここらの行商人は平和ゆえ傭兵を雇う金をケチっているし、領主の私兵も平和な土地に慣れている。ここらで盗賊やるなら、戦いにすら発展しないはずなのだ。
戦いに近しくなければ腕は訛っていくものだ。力量の高い低いはさておき、連中はそういう面では鈍っていなかったように思える。
そうなると、考えられるのは敗残兵。
つい最近まで傭兵、あるいは正規の兵士として戦っていた連中が《倭桑ノ国》での戦争に負け、この地まで落ち延びてきた。
という話ならあり得るんだが、《倭桑ノ国》からここまで、歩きなら二週間かかる。ここに来る間に噂になっていないのは不自然だ。
つまり要約すると、
「いきなりこの森に現れた、ねぇ」
魔術や魔導を使えば、出来なくはないのか……それすらも、そこら辺の知識に疎いオレじゃ分からない。
後でサシャに相談しよう。
そう思っていた時。
未だに解かれていない身体強化のかかった耳に、
弓を引き絞る音が聞こえた。
「ッ、サシャ!!」
地面を力いっぱい踏み、サシャをその場に押し倒す。
それに驚愕の表情を浮かべているのが視界に入ったが、何かを言う余裕もない。
普通はそうだ。
いくら強靭な肉体を持っていたとしても、頭の中ほどまで突き刺さった矢に抗う術はなく、二人は倒れこむ事もなく、その場で項垂れるように、死んだ。
どこから、誰が、どうやって。
弓を引く直前まで音を関知させないほど遠く、静かな狙撃。
この昼間でも薄暗い、木が乱立している森の中で、正確に大鬼族の額を撃ち抜き即死させる技術。
――人間技とは思えない。
「走れ!!」
《顎》を抜きながら、無理矢理サシャを立たせる。
サシャももう慣れた動きで、即座に荷物を持って先程入ってきた方角に駆け出した。
その背後を追うように、ヒュンッという風切りの音が耳に入る。
「シッ!!」
微かな木漏れ日に反射する鏃を頼りに、剣を〝三度〟振った。
乾いた木を切る感触。
「……冗談だろう?」
サシャが立ち上がり荷物を持って走り出すまで二十秒も掛からなかった。
その中で三本弓を番えて同じ方向に射る。
オレには到底出来ない――達人の芸当。
しかし、――それでも見つけた。
「!!」
矢を射ってくれたおかげで、場所は分かった。
何時も以上に強くなっている脚力は、まるで風に乗っているのではないかと錯覚するぐらい、力強くオレを前へ、前へと運ぶ。
枝を振り払い、立ち並ぶ木を最小限に回避し、そしてそんな中でも恐ろしい程の正確さで今も射られている矢を切り払いながら進む。
矢の持ち主は拓けた場所に立っているのだろう、遠くからの強い光が、オレの視界を徐々に明るくしていた。
距離としては、五百メートル。矢の有効射程を大きく超えている距離。
その距離はどんどん縮まり、オレの強化された視界でも、その姿をようやく映し出せるようになっていた。
襤褸布のような服。まともな作り方をしたとは思えない弓。褐色の青年。
「――どりゃああぁあぁああぁ!!」
雄叫びを上げ、相手とほんの少しになっていた間合いを突っ切り、《顎》を突き立てた。
「ッ!?」
一瞬の躊躇。
遠い位置からの狙撃という優位な立場にいたはずなのに、そんな自分に肉薄出来る距離に迫ってきたオレという存在に、その藍色の目が揺らいだ。
――それも、本当に〝一瞬〟だった。
突き立てられた《顎》を、
おかげで、オレの拳は止められる事無く、褐色の男の脇腹に突き刺さった。
「グハッ!?」
何が起きたか分からない。
そんな気持ちで表情が歪んでいる。
よろめく様に、相手は数歩だけオレから距離を離した。
……こいつは、さっきの連中とは逆だ。
そんな直感がオレの頭の中に浮かぶ。
殺す事、狩る事には慣れているが〝戦闘〟には慣れていない。簡単なフェイントに引っ掛かるのが、その証拠だ。
「――お前、いったい、誰だ」
苦しげな息で発せられた言葉は、まるで子供が話すような拙い共通語だった。
「そういうお前は、どこのどちらさんだ? この自治区の関係者……なんだろうけど、ちょっと事情が分からない。
なんで
精闇族。
常人より黒い肌を持ち、鋭い耳を持った長寿の種族。魔人種に分類される、
それが何でこんな所で大鬼族狩りなんかに興じているのか。
「……質問、こっちがしてる」
警戒の色が消えない藍色の瞳で、精闇族の男はオレを睨みつけている。
「あぁ、そうだな。でも正直こっちも大混乱なのさ。疑問が積み重なってくるばっかりの中、突然精闇族が大鬼族をぶっ殺して、しかも謎の武器を持ってこっちまで狙っていると分かれば穏やかじゃないのは、お前も分かるだろう?」
精闇族の男が持っている弓は、間違いなく魔力物質を生み出せる何かか、あるいは何か魔術的・魔導的な
基本、魔力物質は魔力物質でしか影響を与える事が出来ない。
特にオレの生み出すそれは概念系っていうさらに特殊なもの。それを防げるというだけでも十分脅威なんだが、
(何が怖いって――矢筒がないのが怖い)
矢玉を収納しておく矢筒。組み合った瞬間にそれがどこにもない事に気付いて、戦慄した。
先程射った分だけ持っていましたって話じゃない。空の矢筒すらないんだから、答えは一つ。
矢が無くても〝矢〟が射れるって事だ。
今この瞬間、コイツが指先を動かしただけでもオレの額が射抜かれる可能性がある。
緊張しっぱなしだ。
こっちだって警戒が解けない。
少なくとも、サシャがここに到着するまで。
《勇者》と《眷属》は契約で繋がっている。その影響で、おおよそではあるがお互いの位置や状況を凡そだが察する事が可能だ。
今、こっちにサシャが向かっている。平和的に手を差し伸べるなら、剣を持っているオレよりもアイツの方が優秀だ。
――もっとも、このまま目の前の男が戦う気なら、逆に来て欲しくはないけど。
「なぁ、せめて名前を教えてくれるか? オレはトウヤ・ツクヨミっていうんだ」
「――《勇者》?」
うっし、言葉に反応した。
「知ってるか? 世権会議御用達の《勇者》だ。オレはその《勇者》の《眷属》を、」
言葉を続けようとして、出来なかった。
鋭い痛みと共に、オレの耳を矢が掠めたから。
「ッ――」
微動だにしないように、動揺が顔に出ないようにする。
――今、矢を番える所が見えなかった。攻撃してくる物体が正体不明というだけで、恐怖心は倍になる。
「――知らない。
「ああ、そうかい――頑固だねぇ」
《顎》を構える。
これで良い。
役割は果たした。
「ちょっと待って!!」
――オレの主人は、良いタイミングで現れるんだよ。
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