其ノ二






 サシャの故郷である《エレメント・フォレスト》は、元を正せば泉ノ精霊だった精霊王のお膝元らしく、原生林というよりもどちらかと言えば豊かな森、というのが印象だった


 だが、この《エント・ウッド》はまさしく〝森〟だった。


 歩く事も難しいほど木が密集し、根が這い回り、人の侵入をどこか拒否しているように感じる、文字通り天然の要害だ。日差しがキラキラと森の中で輝いているが、反面それは生い茂った葉の所為でこの森の中が暗い事を示している。

 そんなどこか恐怖心を掻き立てる風景の中でも、一番気になったのは、〝匂い〟だった。

 森の中には様々な匂いがするが、気になったのは「獣のような匂い」と「甘い匂い」。

 饐えた獣独特の匂いのようにも感じたが、しかし《エレメント・フォレスト》を護っていた〝番人ウォッチャー〟から感じた自然なものではなく、まるでそう、人と獣を混ぜ込んだ、不思議で、どこか嫌な匂い。

 そして森全体に広がる甘い匂い。果物を発酵させている、果実酒のような甘く、鼻の奥にへばりつく匂い。その正体はすぐに分かった。木々に実っている果実一つ一つが熟し過ぎているのだ。

 木の実が熟せば自然と落ちてくるものだろう、普通﹅﹅では。

 つまりこの森は、既に普通の状態ではないのだ。


「どう? 貴方には何が見える?」


 大我マナの流れを見る事が出来る〝看破眼〟を起動しているトウヤにサシャが聞くと、トウヤは先程までの気楽そうな顔とは一転して、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「見ているだけでも吐き気がする。大我の流れが無茶苦茶だ。人がぐちゃぐちゃに入り乱れている大型都市だってもうちょっと綺麗なもんだ」

「そうよねぇ、空気が淀んでいる様に感じてたのは、間違いじゃなかったって事か」


 少しでも呼吸を整える為、下品にならない程度に胸元を緩める。

 サシャにはトウヤ程簡単に大我の流れを見る事は出来ないが、魔導を扱う上で大我を感じ取る事は出来る。

 そもそも、明確に可視化出来ているトウヤが異常なのだ。魔導師は個々人にとって大我を感じる感覚が変わってくるし、それも本人の主観に依るので曖昧になってくる。

 サシャの場合「呼吸」だ。大我が豊富で、正常であれば清清しく感じるが、そうでなければ息苦しさを覚える。

 空気が張り詰める等という域は超えている。一呼吸毎に、深呼吸しなければ息が出来ないと錯覚してしまうほど。


「少なくとも、樹ノ精霊ドリアード達に何かあったのは、間違いないでしょうね」


 この森には樹ノ精霊達が多く住んでいるので、主を務める賢獣がいない。樹ノ精霊達に何か問題があれば、森は通常の活動を行えなくなる。

 樹ノ精霊は、精霊の中でもそう高い位階ではないが、曲りなりにも精霊。人類を有る意味超えている存在。

 そんなものをどうこう出来るという時点で、サシャの頭の中ではただ《大鬼》族《オーガの暴漢や盗賊が森に侵入した程度では片付けられないと、仮説の一つを破棄していた。


「異変の中心は分かる?」

「雁字搦めになった糸くずの中から狙った色の糸を引き当てられるなら、分かるな」

「……つまり、無理って事ね」


 トウヤの口調はいつも通り軽いものだが、内容は良いものではなかった。


「とにかく、樹人族の集落を当たってみましょう」


 懐から地図を取り出す。正直この森の中であまり役立つとは思えない代物ではあったが、無いよりマシだ。


「了解……いつかみたいに、先に歩いたりするなよ」

「流石にそんな事しませんっ! 貴方の中で、どんだけ私は猪突猛進なのよ!」


 サシャの言葉にも、トウヤは軽く肩を竦めるだけで歩き始めた。

 これもいつも通りのやり取りになりつつある。

 サシャとしては非常に……筆舌に尽くし難い程、非常に遺憾ではあるが、これもお互いを遠慮していない証拠だと思えば、まだ堪えられるというものだ。

 まるで罠の様に張り巡らされた木の根に注意しながら、サシャも歩き始める。


(にしても。昔読んだ《魔の森》の話を思い出しそうな雰囲気ね)


 大我が溢れやすい霊孔スポットは必然的に人の近寄り難い、原初の自然を体現するが、にしてもこの森はそれ以上に暗い。

 何代か前の《勇者》が討伐に向かった、樹木そのものが魔獣化して群れていた《魔の森》は、確か霊孔の大我が暴走した結果だったはずだが、そう言われればこれも正しくそうなのだろうと思う。

 まだ変化していないだけ。

 異変は着実に森に悪影響を与え続けているのだ。


「なぁ、サシャ。そういえば馬車で言い掛けた「妙な報告」ってのは、何なんだ?」

「え、あぁ、そうね、まだ言ってなかったっけ」


 トウヤの言葉で思考から抜け出したサシャは、足を動かしながら話し始める。


「ここ百年くらい、樹人族エントが望む〝報酬〟に、彼らが本来欲しがらないような物が混じってたんですって。衣服や、本、それに香辛料やなんかの、調味料の類が」


 自分で口にしながら、その妙な違和感に眉を顰める。

 まず、樹人族は服を着ない。秘所を隠す必要性が無い種族である彼らがわざわざ服を切る必要性はない。

 次に本だが、彼らは人間の知識以上の知恵を持っており、木の皮や屑を水で捏ねて作った紙というのを、彼らは好まない。

 おまけに香辛料などの調味料。彼らが食事として必要なのは肥料と水のみだ。他の人類と同じような食事は取らない。

 つまり不要な物ばかりなのだ。


「そりゃあ、確かに妙な話だ。収集癖って訳でもないだろうしな」

「他の長命な人類だったら、有り得ない話ではないけどね」


 その言葉に、トウヤは少し不思議そうな顔をする。


「だとすれば十中八九、樹人族じゃない別の種族が関係しているって事になるよなぁ……でも、樹人族って簡単に他の種族を受け入れるような連中じゃないだろう?」


 トウヤの質問に、読書も案外役に立っているのかと少し意外に思いながらも、「ええ、そうね」と同意の言葉を述べる。

 樹人族は、排他的だ。

 そういう種族は他にもいるが、自然を愛し続け滅多な事では住処を変えない彼らは、どちらかと言えば自然を消費する事で生きていく方が多い他種族と、同じ枠の中で暮らせない。

 だから自治区と言うものが存在する。


(一緒に生活するなんていう事が出来る種族なんて、限られるけど……)


 大鬼族と共同生活を送り、実は今回の騒動に悪い意味で関わっている――というのは違うだろう。

 戦いを好む大鬼族と、戦いを嫌悪する樹人族。

 これが一緒に暮らしているなんて、狼と羊が一緒に食事を取っているよりも有り得ない。

 森の中で暮らす種族。変り種の樹人族と共同生活できる種族。

 そんなものは、精謐族エルフか――、


「ッ、待てサシャ――何か来る」


 何をその目で見たのだろうか。トウヤのその言葉に、サシャは一瞬だけ緊張で身を硬くする。

 そのすぐ後に、森の奥から小さな音が聞こえる。

 木が理不尽な力で悲鳴を上げる音。

 草花が踏み荒らされる音。

 枝が何かで切り落とされる音。

 それは少しずつ大きくなっていき――、


『mhくchrwぎえxm!』

『おmfくふぇbfj?』


 その姿を現した。

 漆を塗りこんでいるような赤い肌。雄牛の如き雄雄しい角。獣のような犬歯。三メートル近くある体躯はその膂力を物質にしたかのように筋骨隆々。人種では有り得ない姿をした者が二人。それぞれ手に常人では扱えない程大きな鉞と棍棒を持っている。

 大鬼族。

 本でしか知らなかった異種族が、今目の前に現れたのだ。


「ッ――」


 サシャの両手は即座にイヤリングとチョーカーに触れ、自分の中にある小我オドを通して魔術を起動させる。

 たとえこちらの価値観から言えば「醜悪」な姿だったとしても、いきなり言葉が通じない状況で戦うのは論外だ。

 話し合いを行わなければいけない。


「コホンッ――『そこの大鬼族のお二人、少し話をさせていただけませんか?』」


 自分の声がよく知っている共通語と、先ほど大鬼族が喋っていた聞き慣れない言語が二重に聞こえる不可思議さを無視して、サシャは話をする。

 それを聞いて、二人の大鬼族はキョトンとして、


『おい、聞いたか兄弟きょうでぇ、こいつらおいら達と同じ言葉を話したぞ』

『んなもん分かってらぁ兄弟きょうでぇ、ちょっと前に来た人種ヒュマスと同じもんじゃろう、そんなもんがおれ達と同じ言葉使うわけねぇ』


 外見とは裏腹に、ここら一帯に住んでいる農民のような、酷く砕けた、暢気な話し方だ。

 まさか自分達と同じ言葉を話すとは思っていなかったのだろう。その驚愕の隙間に入り込む為にサシャはさらに話し続ける。


「『聞き間違いではありません。私はお二人に話しかけているんです』」


 大鬼族の顔はさらに歪む。


『兄弟、やっぱおいら達と同じ言葉を喋ってらぁ』

『構うこたぁねえ。大将と呪師まじないし様に言われているだろうがよぉ、入ってきた人間は殺して埋めちまえって』


 ――殺す。

 その言葉で表情が変わらないように必死で笑顔を作る。

 殺していたのは最初から分かっていたはずじゃないか、いまさら何を動揺しているんだと、自分を叱咤しながら。

 隣で鍔と鞘の擦れる音が小さく響く。トウヤがこちらの気持ちを察しているのか、それとも単に警戒しているだけなのか。それを手で制し、口を動かし続ける。


「『私達に戦闘の意思はありません、私達はただどうしてこの森に貴方達がいて、何をしているのか知りたいだけなんです』」

『兄弟、『せんとうのいしはありません』ってどういう意味だぁ?』

『おれが知るわけねぇだろうが。早くぶっ殺して捨てちまおう。人種だけだったら殺しちまうのは簡単だがぁ、あのすばしっこい〝黒ん坊〟が来ちまったら、おれ達もアペやイタンキみたくなっちまうぞ』



 ――〝黒ん坊〟?


 一瞬何かの比喩やそういう動物がいるのかと思ったが、大鬼族がその程度のモノにおびえるはずも無い。

 では、何なのか。


「『そんな事仰らず、どうか話を聞いてください。お願いします。世権会議所属の《勇者》として要請します、責任者に会わせて貰えないでしょうか』」


 必死で友好的な笑顔を浮かべ続けながら考えるが、そんなサシャの思いを知ってかしらずか、目の前の大鬼族達は未だに行動に出かねている様だった。


『兄弟、さっきから同じ言葉とは思えねぇほど訳が分からねぇ事を言ってやがる、いったいなんでぇ?』

『しらねぇよ、良いから早く殺しちまえ!』

『でもよぉ兄弟、この白い布切れ被っているのは女じゃねぇかぁ、良い匂いだぁ』


 白い布……恐らくアンクロから譲り受けたローブの事だろうか。


『あぁ?――本当だ、女みてぇに白いなぁこいつ』

『女だったらよぉ、村に攫っていっちまった方がよかぁないかい? ほら、おいら達嫁御もおらんし、女もおらんでよぉ』


 さらっととんでもない事を言われたような気がするが、それでもサシャは笑みを浮かべ続け――




『なぁに言ってやがんだ、女がこんな小さい乳しとる筈ないだろうが』




 ――ピクッとサシャの眉が動いた。


『あぁ、それもそうじゃ兄弟! 女だったらおいら達よりバインバインじゃなきゃなんねぇ』

『そうじゃろう? おれ達よりも小さそうな乳じゃ、女じゃねぇ』


 ――いや、これに怒っている訳じゃない。

 ぜんぜん、まったく、これっぽっちも気にしていない。

 サシャは自分に言い聞かせる。


『じゃあ殺して良いなぁ。兄弟やってくれぇ』

『なぁに言ってる、おめぇがやれ、弟分だろうがッ』

『おいらこの前やったでねぇかっ』

『この前はこの前だぁ』


 ――しかし、この状況は同考えても交渉の余地は無いだろう。話を聞いている限り彼らは既に人を殺しているような発現が見て取れるし、それを踏まえれば既に有罪。ならば此方で拘束し、然るべき場所に連行、事情聴取が妥当なのではないだろうか。別に殺すのではなく、聞き分けの無い人間を冷静にさせるための必要措置。《勇者》になった時から理不尽な犠牲、命を切り捨てる事だけはしないと誓っているものの、サシャだって聖人君子でも全知全能でもない、戦闘行為は選択肢の範囲内だ。




『良いがらぁ、さっさとその女男﹅﹅挽肉にしちまえよぉ』




 ――プチンッ。

 サシャの頭の中で、何かがキレる音がした。





 ◆





 こっちからすれば、何を喋っているかは分からない。

 分からないが……少なくともサシャの顔を見ている限り、彼女の怒りを目覚めさせる事を言ったのだろう。

 何で分かるのか――そりゃあ、目の前の大鬼族より怖い主人の顔を見れば、元傭兵じゃなくたって分かるってもんだ。


「ッ――トウヤ。どうやら彼らは協力する気が欠片もないみたい。これはもう拘束するしかないと思うんだけど、どう思う? 《眷属》としての意見を聞かせて欲しいんだけど」


 会話を司っているチョーカーのスイッチを切って、聞き知っている共通語を話しているサシャの声は極めて冷静な風を装っているが、端々が力みで震えている。


「まぁ、良いんじゃないか。交渉失敗なら、とっ捕まえる以外に選択肢は無いだろう。一応、捕縛用の道具は持っているんだよな?」

「ええもう、バッチリ私の荷物に入ってるわ」

「なら、オレは一向に構わない。〝援護〟だけくれりゃあ十分だ……なぁ、これは答えなくても良いんだが、」

「あら、何かしら?」


 《竜尾》を抜き、サシャの前に進みながら訊く。


「……何言われた?」




「全然、これっぽっちも、何にも、言われていないわ」




 花の咲くような笑顔だが、その額には似つかわしくない青筋がクッキリ浮かんでいる。

 ――まぁ、雰囲気から察するに話し聞く気が向こうになさそうってのは、本当だろうしな、うん。

 オレは《竜尾》に自分の小我を通す。いつも通り、《竜尾》はまるで喜ぶように燐光を放ち、その光の刃を顕現する。

 《全刃未刀サウザンド・エッジ》。

 大我を見通す看破眼と同じく、オレの力の一つ。

 自分の小我から自然と生まれる斬撃の魔力物質エーテルを形にした、オレの刃そのもの。


「なぁ鬼の兄さん方、うちの主人に何を言ったか知らないが、随分怒らせてくれたみたいだなぁ。勘弁してくれ、アイツは怒ると怖いし、結構長いんだぞ?」

『みcうえxmふんjうぃj!』

『んmぃうふぃえbfmx!!』


 オレの持つ雰囲気が既に友好的なもんじゃないと察したのだろうか。ちんたら喋っていた大鬼族の二人は、持っていた武器を構え始める。

 構えを見れば力量が分かる、なんて達人みたいな事は言えないが、武器を持つ事にも、人と戦う事にも……そして人を殺す事にも躊躇は無いようだ。その動きは、巨体からは想像できないほど淀みない。


「『――《勇者》の名に於いて、我が剣に告げる』!!」


 サシャの言葉で、体の奥底にある門のようなナニカが開くのを感じる。


「『――我が目の前に立ちはだかる悪漢を鎮圧せよ』!!……ただし、殺しはなしよ、トウヤ!」

「――了解、我が主」


 サシャの言葉を理解しているかのように、大鬼族達は対して空いていなかった間合いを詰め、その巨大な鉞と棍棒を振い、叩き落そうとしている。

 そのままにしていれば、オレは血と肉のジャムになる。

 見るだけでそう確信出来るほどの勢いを持ったそれを、両腕で振るう《竜尾》で薙ぎ払った﹅﹅﹅﹅﹅


「――ハッ!!」


 破壊される音も何も立てず、鉞も棍棒も、中ほどからスルリと分断される。


『んcm!?』


 一人が悲鳴にも近い、驚きの悲鳴を上げる。

 当然だろう。自分達の半分程度しかない人種が、自分達の武器を文字通り真っ二つ﹅﹅﹅﹅にしたんだから。

 ――本来の《眷属》の力なら、正直大鬼族の攻撃だって真っ向から防げるだけの身体強化フィジカル・ブーストがかけられている。そうじゃなくても、大鬼族くらいの差は埋めれるだけの技術はあるんだ

 ざっくり言えば、





「悪いな鬼さん達。あんたらに苦戦してちゃ――こっちは《眷属》なんて名乗れねぇんだよ」










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