1/森番 其ノ一






樹人族エント

 森の奥深くに住む、名前の通りまるで木のような姿をした妖精種の一種族である。


 彼らの寿命は非常に長い。


 長い寿命といえば精謐族エルフ精闇族ダークエルフなどが八百年の寿命を持っているのは、一般常識だ。

 他者の小我オドを得る事で存命する悪魔系デモンズ種族や、既に死んでいる死逃系アンデット種族は別にすると、この樹人族は人類の中でも最長千年近い寿命を持っている。

 さらに彼らの興味深いところは、肉体が生命の限界を超えると一つの若木を生み出すし、さらにそこから千年経つと、極めて低い確率だが精霊の一種類である樹ノ精霊になるという点だ。

 しかもその状態では、微かではあるものの樹人族だった頃の記憶を残している場合が多い。

 本来人種が肉体を世界の大我オドに還元し、再び肉の器を得る所謂『生まれ変わり』を彼らは種の力として持っているというのは他の種族と比べても特筆すべき生態だろう。

 あまり知られていないが、彼らは極めて聡明な頭脳を持っている。他の人類とあまりにもかけ離れた構造の肉体であるにも拘らず、様々な言語を得る事も珍しくはない。

 難点をあげるとすれば、彼らは異常に森の外へ出る事を躊躇う事と、彼らが喋る言語があまりにも難解過ぎる事だろう。

 他の種族からすれば自然が発する音としか認識できず、その言葉を理解するにはそれ相応の才能が必要になってくる。

 もっとも才能が有ったところで、体の構造上理解は出来ても同じ言葉を使う事は不可能、』




「……随分優雅ね、トウヤ。

 主がこんなに真剣に策を練っているというのに、貴方は暢気に読書なの?」




 主人のいつも通りに不機嫌な声を聞いて、オレは本から目を上げ、周囲を見渡す。

 一言で言えば、状況は『のどか』と表現しても差し支えないだろう。

 進行方向右手には、雄大な草原。牧草地としても有名なのか、羊達がメェメェと騒がしく草を食み、その横で羊飼いはのんびり日向ぼっこなどに興じている。

 左手には、それなりに大きな川がある。太陽の光を反射し縦横無尽にその輝きを変え、流れと時々飛び跳ねる川魚で微妙に揺らぎが生まれている。

 そして今俺達は、その間に出来ている街道を、《勇者》の外部協力者として各地にいる《隠遁者ハーミット》の爺さんに乗せてもらっている馬車で進んでいる最中だ。

 隣でしかめっ面をして、なにやら思案していらっしゃる我が主――第二十四代目勇者であらせられるサンシャイン・ロマネス、通称サシャに、オレ――サシャの一ノ《眷属》であるトウヤ・ツクヨミは、本を閉じて笑顔を浮かべる。


「そりゃあご無礼を。何せ樹人族に会うのは初めてなんでね。予習しとかなきゃいけないだろう?」

「……そうやって直ぐにこっちがぐうの音の出ない言い訳をするあたり、貴方はいつも通りって事ね。もうそういうのも慣れたわ」


 そう言ってサシャは一度溜息を吐いて、世権会議から送られてきた書類に目を通している。

 ――サシャとオレが、《勇者》と《眷属》になってから既に一ヶ月の時間が流れていた。

 ぼうっとしていた訳じゃない。唯一教会の視察から、世権会議に参加する有力者達との会合、その他諸々色々な仕事をしていた。

 それこそ世権会議加盟国の、西から東まで、もうあっちこっち随分短い期間で回ったものだ。

 当然その間、四六時中(と言うほどでもないかもな)《眷属》であるオレはサシャに付いていた訳だし、話す時間はたっぷりある。

 結果、お互いがどういう奴なのか、そしてどういう距離感が心地いいのか分かってきた。

 ……って言っても、あんまり変わった所はないんだけどな。

 良く言えば遠慮がない兄妹。悪く言えば、遠慮がない喧嘩相手。だが流石に遠慮がないとは言え、配慮が無いわけでもない。

 言葉で表すのは、ちょっと難しい関係だよな。少なくとも、悪い関係じゃないのは確かだが。


「にしても、そんなに書類に穴が空くほど読んで、よく飽きないな。一度読みゃ済むだろうに」

「貴方ねぇ、相変わらずそういう所は雑ね。

 良い、今回は私達の領域じゃないの。樹人族達の自治区で、しかも霊孔スポットであり、その上樹ノ精霊達が憩いの場にする神聖な場所。そりゃあ美しの泉より数歩格は下がるけど、立派な霊地よ」


 書類から目を上げながら呆れ顔でオレに説教するのも、またいつも通りだ。


「分かってるって、別に舐めてかかっている訳じゃないさ」


 ――樹人達の住んでいる《エント・ウッド》という森は、自他共に認められた彼らの自治区だ。

 この世界の〝人類〟の括りは広い。

 人種ヒュマス、つまりオレの感覚からすれば普通の人間と大差ない存在もいれば、生活習慣や文化以上に、寿命や体の構造から根本的に違うものまで。

 長い戦争を終えて千年経った今では、敵種族だった魔人種ディアボロだって人類の仲間入りをしている。

 それだけ多くの種類がいれば、当然その違いで摩擦が生まれる。

 誰だって猪頭族オークの目の前でポークジンジャーを食べようと言う気持ちにはなれないが、この世界じゃ牛より豚の方が安いし多く出回っている。人間にはなくてはならない。

 突き詰めていけば、いくらお互いが平和に共存していきたいと思っていても難しいことだって山ほど出てくる。

 ならどうするか――コミュニティを離す方が良いだろう。

 今向かっている《エント・ウッズ》も、その一つだ。

 自然の中に暮らす事しか出来ず、生活サイクルや価値観が他の種族と違い過ぎる彼らと、共存しながらも程ほど距離をとる。

 全く繋がりを絶つ訳じゃない。先ほどまで読んでいた本にも書いてあった通り、樹人族は長く生きているからこそ知恵が豊富。

 特に自然と上手く共生していくコツを心得ているし、彼らが住んでいる森は自然と豊かな樹をを生む。

 樹人族達に木材を管理し、調達してもらう代わりに、こちらはこちらで彼らが欲する物を提供する。大半は、森が豊かになる為に必要な物資だが。


「それに、今回は他の仕事と違って――戦闘が発生する可能性があるから。貴方には、しっかり気を引き締めてもらわなきゃいけない」


 サシャの言葉の中には、緊張にも似たモノが混じっていた。

 《エント・ウッド》から毎日欠かさず行われる近隣村落との連絡が途絶えて、もう二週間。

 のんびりした気質であるものの約束を違える様な種族ではないことを重々承知している住民の何人かが、森に入って様子を覗おうとした。

 総勢三人の使者――帰ってきたのは、一人。

 服に赤黒い血を染み込ませ、茫然自失といった状態で帰ってきた男は、何度も何度もこう言った。




 『大鬼族オーガが森で暴れている』と。




 大鬼族。極東の空に浮かぶ不思議な島、空中浮島に国を置く『倭桑ノ国』で多く見られるこの種族をざっくり表すなら、日本の鬼のイメージとそう変わらないだろう。

 世権会議に加盟しておらず、ここ何年か内乱が続いているあの国から逃げてきたのか亡命してきたのか、最近は加盟国のあちらこちらで見かける。

 オレがサシャと会う前に喧嘩を止めていたのもこいつらだ。ここ最近では珍しくない。

 もっとも珍しいか云々はさておき、自治区内で乱暴を働いた場合、当然その自治区を治めている種族が事態の収拾に当たる。

 ところが樹人族は、戦いに特化している種族とは言えない。むしろ、戦いには不向きだと言える。

 大きな体を持っているので一見戦えそうにも見えるが、火に弱いその体は戦場で良い的になるし、大鬼族の膂力はかなりのものだ。樹を一本や二本へし折るのは訳がない。

 かといってそこは自治区。下手に国や領主が兵士を送り込めない場所だ。

 そこでお鉢が回ってきたのが、一応政治的には中立存在である《勇者》だ。

 《勇者》であれば、もし樹人族に何か言われても(もっとも言われる事はないだろうが)丸く治める事が出来、しかも中で何が起きても《眷属》という存在がいる以上何とか出来るだろう。

 少なくともお偉いさんが考えている所はそういう事だろう。


「……いや、さらっと教会の件をなかった事にしようとしてるけど、騙されないからな?

 まさかあの地区の大司教様が、二十人以上の傭兵雇い入れてて、しかも鎧なしの、武器も剣一本しか持ってないオレ一人に戦わせるとは、思ってもみなかったからな?」


「あ、あの件は謝ったでしょう!? 確かに私の見通しの甘さが原因よ! でも勝ったから良いじゃない!! 今回だってちゃんと準備させたんだから、文句ないでしょう!?」


 オレの言葉に、過去を穿り返されて改めて恥を覚えているのか、顔を赤くしてサシャは怒鳴る。


「準備、ねぇ。まぁ、確かにこいつは悪くない。良い装備をありがとよ」


 肩をすくめながらも小さく頭を下げ、俺は自分の着ている革鎧を見る。少し傭兵時代につけていた鎧とは一味違う。

 普通革鎧レザーアーマーと言われれば濃い茶色を思い浮かべるだろうが、今オレが来ているのはまるで墨でも塗りこんだかのように黒く、金属鎧のような光沢を持っている。

 沼地に生息し、鰻と泥鰌を足して二で割ったような姿を持つ、黒墨蟲インクワームという魔物の皮膜を利用して作られているこいつは、衝撃にも斬撃にも耐えられる頑丈さを持っている。

 通常の革鎧以上の性能で、おまけに中には薄い板金が張ってある。

 板金があると言われれば重いものだと思えるだろうが、錬鉄ドワーフ族の職人の手にかかれば通常の鉄だって軽くなる。

 オレの場合、飛んだり跳ねたりも結構頻繁なので、重さが軽くなるだけでもとてもありがたい。

 ちなみにお値段は聞かなかった。

 黒墨蟲の皮膜だけでも結構なお値段で、加工も専用の職人じゃないと出来ない、しかもその後錬鉄族の職人の手も入っているって言うんだから、聞いたら気楽に戦えなくなる。


「だが、オレはそっちも欲しかったがな」


 オレがそう言ってみたのは、サシャの耳に着けられたイヤリングと、首に巻かれたチョーカーだった。


 相互翻訳魔術具。


 イヤリングを耳に着けているだけで、登録されている言語を自分の知っている言語に置き換える事が可能であると同時に、チョーカーで自分の言葉を任意の言語に置き換える事も出来る。

 様々な種族の言語が飛び交い、識字率も高くないこの世界では最高の魔術具マジックアイテムだ。

 一応世権会議同盟国では共通語が存在するが、種族的に共通語を発音出来ない種族もいる。もっとも高価すぎてよっぽど重要な会議や、重要交渉の場で外交官などが着けたりはするらしい。

 《勇者》も様々な国、様々な種族と交流するから、必要なのはわかるが、


「オレが貰えなかったのが気に入らん」


 サシャがこれを受け取った時、てっきりオレにもあるもんだと手を出したら、世権会議の使者に「何してんだこいつ」と心底馬鹿にする表情を向けられた。

 ……殴らなかったのは、隣に主人がいたからだ、ああ。


「しょうがないでしょう。これは希少で高価。とてもじゃないけど、《眷属》に配る余裕はないの。知ってる? これ一組で小国が買える位の値打ちがあるのよ?」

「それならそれで、最初から教えてくれりゃあ良いものを、」

「そりゃあ、当然だからでしょ」


 ……解せぬ。


「……まぁ、良い。んで? 結局オレらは何をすれば良いんだ?」


 オレの言葉に、サシャは緩めたはずの眉をもう一度顰める。


「そうね、取り合えず現状の調査が必要でしょうね。

 樹人族、大鬼族どちらに非があるのか分からないし。もっとも、人を二人殺している時点で、大鬼族はちゃんと裁きを受けてもらわなきゃいけないけど……そこも、ちょっと難しいかもしれないわね」


 サシャの言葉は暗い。

 自治区というのは、言わば小さな国のようなものだ。先ほど言ったように裁量権は向こうにあるし、調査や逮捕の権利はあっても流石に裁判を行う権利まで持ち合わせていない《勇者》では、どこまで首を突っ込んで良いかも


分からないのだろう。


「という事は、まずは当の本人達を見つける必要性があると」

「そういう事ね。出来れば、樹人族と先に接触したいところだけど」


 そう言って、またサシャは書類とにらめっこを始めてしまった。

 一回目の仕事も、その後しばらく続いた挨拶回りもかねた御用聞きも、正直言えば難しいものではなかった。

 そりゃあ予想外に戦闘になったりもあったが、全部勇者のテリトリー内で、しかも高度に政治的な、何て事もなかった。唯一教会の司教様は、総本山からの覚えめでたくなかったのも大きいが。

 それと今回を比べてみれば、難易度は段違いだ。

 特別自治を認められた樹人族の中で、犯罪者なのか、それとも難民なのか、あるいはもっと大きな指名があるのか分からない大鬼族を相手にする。

 考えただけで、憂鬱になるのは当然。

 しかも真面目な我が主人が、それを気にしない訳がない。

 ただ、


「ほいっ」


ちょっと気合入れすぎだ。


「ぎゃっ!?」


 オレが肘でわき腹を突いてやると、サシャは体を跳ねさせ、色っぽいとは言えない悲鳴を上げた。


「なにすんのよ! 今考え事してんだから遊ぶなら後で、」

「あんま頭を働かせ過ぎんなよ。今から考えたってしょうがないだろう?」


 現状がどういう状況になっているのか分からない。そんな段階でいくら予想を立てたって意味は薄いどころか皆無だ。

 むしろ考え込み過ぎれば、逆にその時その時の動きが鈍くなり、最悪命を落とし、致命的な結果を生み出しかねない。


「頭を茹でてんじゃねぇ。しっかり冷静に、臨機応変にだ。材料が全くない状態で料理は始められない」

「……そういう所は、まるで年上のみたいね」

「紛うこと無き年上だ」


 前の世界で何歳まで生きてきたかは未だに分からないが、この世界に来て十七年、十五のサシャより年上だ。


「それに、実戦経験っていう意味でも先輩だ。これでも、死線は飽きる程渡ってきた」


 戦場でも、隊商キャラバンの護衛でも、魔獣狩りでも変わらない。

 綿密な計画を立て、準備を重ね過ぎて死んでいった奴を何度も見たし、逆に全く能天気で考えなしな奴があっさりくたばったのも見た。


「ようは程々が大事って話だ。今回で言えば、お前とオレがいるってだけで十分、準備万端ってもんだろう」


 サシャが正式な《勇者》になってから何度も訓練し、大我の扱いは十分慣れている。渡された錫杖も、ロックが掛けられている権能(時と状況によっては解けるようだが)以外は使えるようになっている。

 対するオレは装備も一新。体も万全、気だって抜いているつもりは無い。緊張はしていないが。

 これ以上に用意する必要があるものなんか、早々無い。


「現場での判断はご主人に任せる。オレは、お前の要望に完璧に答えるだけだ」

「……ハァ、本当に。貴方、私の気を抜かせる天才ね」


 いつも通りの呆れ顔だが、その中に小さな安堵と、険が抜けてきているのが見えて、オレも少し安心した。


「まぁ、私が心配しているのは、そこだけでも無いのよ。妙な話が報告にあがっているのが、少し気になってね」

「妙な報告? そいつは――、」


 その言葉にオレが答えようとした時、ガタガタと古めかしい馬車が音を立てて静止した。


「サシャ様、トウヤ様、着いたで。おいらはこれ以上行けん事になっているから、悪いけんど降りて貰えねぇか」


 馬車を引いていた親父さんの言葉に、オレは幌の隙間から外を覗き込む。




 そこには、森というより、まるで〝木々の集合体〟のようなものがあった。








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